昔の夢のエレガントな実現
とまあ、こんな感じの10年間でした。最終的に趣味の世界に走ってしまい、申し訳ない。人間失格を叫んだ太宰の気持ちが、よくわかります。ただ私は、単なる趣味だとは思っていません。物語を紡ぐことは、私の、生きる糧です。
時折、正気に返って、身を削って(本業の時間を削って)、需要のない作品を書き続けるって、馬鹿なの? 私、馬鹿? と、自分に問いかけることがあります。
でも、「笑いました」というご感想を頂くこともあって、それがどれだけ、心強く、励みになったことか! ありがとうございます。心から。
笑って頂いて、なんぼです。
思うに、字書きにとって、一番難しいのは、人を発情させるのと、笑わせることだと思います。泣かせるのは、案外、簡単です。もらい泣き、という言葉もありますしね。
前者は、少子化の歯止めに役立……たないか、BLでは。
後者は、10年前にwebに小説を上げ始めたのと、全く同じ気持ちです。
私のお話たちが、誰かの苦痛や悲しみを、どうか少しでも、和らげることができますように。
震災で始まった10年が、コロナで終わりました。大変な時代の幕開けなのかもしれない。
どうせなら、これを追い風と、私は捉えようと思います。web小説はweb小説、紙の本は紙の本。そうした住み分けがなくなるような気がします。だって、ここしばらく、私は、書店に行けてない。図書館にさえ。
ゲームノベルや異世界転生以外にも、web小説に注目が集まるのではないでしょうか。
他の媒体に客を取られる……けれど、活字を読む人が絶滅するとは思えません。ちらちらする画面や音楽が苦手な人間も、いるのです。それらの媒体では、何かを知りたくても、余分な情報が多すぎて、調べるのに時間がかかり過ぎます。ゲームをやりこんだ人が、世界観を拡げたくて、wikipedia(文字情報ですね)で、情報を集めているのに出くわすこともあります。
webの海で、自分がどこまで生き残れるかは、この際だから、棚に上げます。ただ、末端には末端なりに、機会が、与えられる気がします。
今ではないのかもしれない。私は、未来の人に話しかけているのかもしれない。
お願いだから、私が死んだ後まで、一つでも多く、web小説投稿サイトが存続してくれますように。お金は出せませんが(お金なら、売れ筋異世界作家さん達が、稼いでくれますぅ~)、草葉の陰から、応援してます。
底辺作家だからって、出ていけ、なんて、まさか、言われませんよね?
追い出されませんよね? どマイナーの底辺だからって。(震え声)
昔、私には夢がありました。
人生の最後の日々に、自分の小説を、自分で本にして(糸と針や糊で綴じて。いわゆる手製本ってやつですね)、一軒一軒本屋を回って、置いてもらうのです。私は車の運転が危険なので、たぶん、リヤカーに積んで。
置いてもらえない場合は、なんとか頼み込まねばなりません。鼻先でドアを閉められたら、わずかな隙間に捻じ込む為に、つま先に鉛を仕込んだ靴が必要です。
webは、この夢を、もっとずっと、エレガントなものにしてくれました。
悲しみ、疲れた人が、何らかの検索ワードに引っかかって、私の小説に行きつく。くだらないと思いつつ読み始め、一時、現実を忘れる……。
もう、鉛の靴は要りません。
自分のことは、語らないできました。たいした人生、送ってないし。
今回だけです。次はまた、10年後。もし、その日があったら。
10年前、小説を公開し始めたご縁で、なろうさんに、このエッセイを置かせて頂きます。あの時と同じように、アルファポリスさんにリンクを張って。