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もう時効だから書けること



 小説は、随分前から書いていました。2歳か3歳の時、母が聞き取りをした「ねしょうべんたろう」というのが、どうやら、初めての作品だったらしいです。字が書けるようになると、ノートや日記帳に、お話を作るようになりました。


 書いた小説は、新人賞に出すといいよ。

 教えてくれたのは、やはり母でした。

 それで私は、「〇○〇讀物新人賞」というのに出すことにしました。小学生でしたので、文芸誌を買うことができず、詳細を聞く為、図書館で見た雑誌の番号に電話をかけてみました。


 ……東京03かあ。どきどきするなあ。 


 ところで私は、「讀物」を「漬物」と読み間違えており、電話口で、「〇〇〇つけもの新人賞」、と。

 電話の向こうのお姉さんが、思わず爆笑……。

 もう時効です。あの赤恥を、今、やっと、告白できました。


 もちろん、新人賞応募は止めました。だって、恥ずかしかったんだもん!



 ただ、書くことだけは、続けました。

 入試や、就職して7~8年間、全く書けない時期もありましたが、新しい環境に慣れると、また、書き始めます。

 仕事が安定してから、いくつか、新人賞に応募してみました。もう、「オールつけもの」級の過ちを犯すことはないだろうし。何より、「誰か」に読んで欲しかった、不特定多数の人に読まれるのは怖かったけれども。下読みさんなら、この、ド下手! と思って忘れてくれるだろうから、平気でした。


 震災の頃には、新人賞の2次予選くらいまで、ぼちぼち通るようになっていました。某出版社に出向き、その後、編集者が、私の自宅まで来たことも、2度ほどありました。


 正直に言います。本当は私、怖かった。編集さんから、修正を指示され、そこでやっと、気がついたのです。私の作品が、他人になっていく、と。本になるということは、知らない人に読まれ、その人が私と違う受け取り方をすることもある、ということ。つまり、作品だけが、勝手に独り歩きしていくことなのだ、と。私に全くその気がなくても、人を傷つけてしまうこともあるかもしれません。その上、出版されたら、出版社の管理下に置かれ、容易に改稿することはできないのです。

 ステージママが、わが子を支配するがごとき、作者から作品への神通力も、本になった途端、かわいいわが子(作品、或いは、プライベートな妄想)は、よそ様のもの……。


 しかし、これは、全くの杞憂でした。

 何度も書き直しをさせられた挙句、担当者と連絡が取れなくなってしまったのです。電話に出ないとか、返信がないとか。自分がまるで、しつこいストーカー(という言葉は、当時はまだ一般的でなかったですけど)になった気がしました。いかんいかんいかん。品位だけは保たねば。2度ほど電話をして、返信がなかったので、こちらから連絡を取るのは止めました。あれは、出版社側の策略だったのでしょうか? もちろん、向こうからの連絡は皆無でした。でも、返信は普通だと思うんですけどね。特に、書き直し(仕事)をさせていたのなら。ボツならボツと、ちゃんと言って欲しかった。


 そこまで出版に執着していたわけではないのですが、なにしろ、ここを直せ、と言われたまま、相手方と連絡が取れなくなってしまったので、その作品を、どのように扱っていいかわからず、困りました。別の新人賞への応募も、webにアップロードすることも、機会を逸したまま、未だにその作品は、未発表のままです。


 ですが、これって、よくあることなんですね? 最近、ある小説を読んで知りました。この本のように、私が女子高生だったら、後々、本になったのかしらん。


 当時のことで、忘れられないエピソードがあります。


 貰った名刺を見ながら電話を掛けた時のことです。掛け間違えて(粗忽な面は、治っていない模様です)、公衆電話にかかってしまったことがありました。「〇〇出版社ですか?」 と言ったら、電話を受けてくれた人が、私が詐欺に遭っていると思ったらしく、とても親身に話を聞いてくれました。そこが公衆電話であることは、その人が教えてくれました。あの時の、声しか知らない、見知らぬ方。その節は、本当に、お世話になりました。今となっては、心温まる、懐かしい思い出です。



 すみません、話がそれました。

 そういった、書籍化(という言葉もありませんでしたけど)の可能性に鑑み、web公開をためらっていたわけです。あと、webに関する知識が殆どなく(なにせ、スマホも持っていませんでしたし)、「炎上」ということにでもなったら、私のようなIT弱者では、対処できないのではないか、と……。



 そして、震災が起き、自分には何もできないと悩み、前述したように、ある編集者のweb記事と出会いました。その時、小説(小さな説と書きます)は、私という人間の中で、一番価値のある、大切なものだと、ごく自然に思えたのです。

 換言すれば、他に何も持っておらず、役に立つ能力もない、ということに他ならないわけですが。


 辛く悲しい思いをしている人が、どこかで私の作品を読んで下さって、ほんの数時間でも、その辛さを忘れることができたなら……。

 もちろん、私の作品への、社会的なお金の価値は、0円です。

 気持ちだけ、受け取ってくんな、損はさせねえ。

 (そ、損は、してませんよね?)


 甘い考えと批判されることは、わかっています。けれど、私は、物を書く人間です。書かずにはいられない人間です。

 人間です。

 だから、思うのです。

 誰かの役に立つ小説を書きたい。辛く悲しい気持ちでいる人に、一時でも、笑みを運ぶようなお話を贈りたい。

 webなら、この願いを叶えてくれると思いました。

 それまで、webのことは、何も知りませんでした。そこから頑張って、ようやく、最新作の公開に漕ぎつけたのが、10年前の今日でした。








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