黒猫シャール
夕食の険悪な雰囲気に続き、2階のエリオットの部屋で言い争う声が聞こえるのを、使用人たちは心配そうに互いの顔を見合わせながら成り行きを見守っていたが、屋敷の窓が一斉にガタガタと揺れ始め、エリオットの「アリィ、ダメだ!」という叫ぶような声が聞こえたとき、これはいよいよ我々の出番かと、セバスチャン、レイラ、ニコラスの3人はエリオットの部屋へと急行した。
廊下に面した扉に到着したときには、さきほどの喧騒が嘘のように中は妙に静かで、セバスチャンが扉をそーっと少しだけ開けて中をのぞくと…
「毛がホワホワになったんじゃなくてお腹が樽みたいになってない?」
「いや、お腹というか胴体すべてが膨らんでるよね」
アリサとエリオットは顔を突き合わせて、体がパンパンに膨らんでいるアリサの黒猫を観察していた。
「どうしよう、わたしのせいだよね?」
アリサが黒猫を抱きしめると、黒猫はぐえっ!という顔をして苦しんでいたが、アリサはそれに気づかずに抱きしめ続けている。
「もしネコちゃんが元に戻らなかったら、手掛かりを探しにプリシラの家に行ってもいい?」
涙目で訴えるアリサに、エリオットは優しく微笑んで
「もちろんいいよ。その時は僕も一緒に行くからね」
と言ってアリサの髪をなでた。
「ありがとう。今日はごめんなさい」
「僕も言い方が悪かった。ごめんね」
エリオットは身をかがめて、アリサの頬を伝う涙を唇ですくいとる。
そして一旦顔を離して見つめ合うと――
我々は一体、何をのぞき見しているんだろうか…?
三人は複雑な気分で顔を見合わせ、こみ上げる笑いをこらえながら甘々な雰囲気を醸し出す二人に気づかれないようにそっと扉を閉めてその場を離れた。
「オイ!オレを挟んでチューしてんじゃねえぇぇぇ!苦しいって言ってるだろうが……オエッ」
腕の中でシャールがジタバタ暴れ始めたから、わたしとエリオットは離れた。
「苦しいの?お水飲む?」
「だからっ、あんたらがくっついてオレをぎゅうぎゅう挟むから苦しいんだっつの!頼むからベッドまで運んで早く解放してくれ」
シャールが心配だから「今夜はネコちゃんと一緒に寝る」とエリオットに告げて自分の部屋で寝ることにした。
エリオットは少し残念そうにしていたけど、シャールを放っておくわけにもいかないものね。
「はあっ……魔力を吸いすぎた。苦しい」
シャールがドテーっとベッドに横になっている。
胴体がふくらみすぎて、自力で寝返りも打てなさそうだ。
「それ、吐き出すことできないの?」
わたしはシャールに腕枕をしてあげながら隣に寝転がる。
「一気に吸った魔力を今度は一気に吐き出すなんてことしたら、この体がもたねーよ。殺す気か!」
「ごめんね、わたし興奮して逆ギレしちゃって…あそこでシャールが止めてくれなかったら今頃どうなってたか…ありがとうシャール、頼りになるわ」
あの場面でわたしの魔力が暴発していたら…「家ごと吹っ飛ぶ」は大げさかもしれないが、屋根は確実に飛んでしまっていただろう。
感情の起伏に魔力が連動しないようにもっと上手く折り合いをつけていかないといけない。
「ついでに仲直りもできてよかったじゃねーか。喧嘩したままだったらルデルリーに家出でもすんのかなって思ってたからな」
「わたしが家出?…するわけないじゃない。だってエリオットのことが大好きだもん」
「……なんかオレ、身を挺して仲裁したことを、いま猛烈に後悔しているんだが」
相変わらずメンドクサイ奴だな、オイ。
黒猫は苦しさを一瞬忘れて主人の顔をジッと見つめた。
あの王子様は、こんな感情の起伏の激しい奴を相手にいつもニコニコ笑いながらコイツの感情と魔力をコントロールしているのか?
それって、よほどの鈍感か、それともよほど器が大きいのかのどっちかだろ…。
一体どんな心と体をしているんだ、強すぎか!
あの王子様がもしもいなくなったらどうなるんだ?
こわい、想像したくない。
「あのな、アイツと喧嘩別れしちゃダメだからな?しっかり捕まえておけよ?」
妙に真剣な顔でシャールにそう言われて、突然何を言い出すんだろうと思ったけれど、シャールもエリオットのことをそれほどまでに気に入ってくれているのだろうと解釈した。
「もちろんよ、わたしの伴侶はこれからもずっとエリオットだけだもの」
笑顔で返すと
「………わかってんだか、わかってないんだか。まあいいや、寝る」
シャールは目を閉じた。
その額におやすみのキスをして私も目をつむると、すぐに眠気が押し寄せてくる。
いつものエリオットの腕の中とは違うモフモフの感触に、これはこれでありだなぁと思いながらあっという間に眠りについた。
******
やはり今日の鉱山視察はキャンセルするべきだっただろうか、と思いつつ海沿いの道を走る馬車に揺られている。
家を出る前にアリサの部屋をそっとのぞくと、黒猫と一緒にぐっすり眠っていたから起こさずにそのまま出てきた。
今日の海は珍しく波が高い。
荒れている海と昨晩のアリサの泣き顔が重なって、いたたまれなくなる。
大きな目に涙をいっぱい溜めて「そっちこそ隠し事だらけじゃないか」と言うアリサに何も言えなかった。
隠し事?
そんなもの――どれのことを言われたのかすらわからないぐらい、たくさんある。
重い内容であれば、母親がミランダ妃に毒を盛られて命を落としたことだとか、以前、兄さんの婚約者だった女性まで毒で命を落としたことだとか、それとも、コメを定期的に送ってもらう交渉をしたのは実は使者ではなく僕自身で、稲作集落へ出向いてアリサと同じ黒髪の異界人と思われる人たちに会ってきたことか?
もう少し軽い内容だと、僕との婚約が宙ぶらりんのままで進展していないのならアリサとサットンを婚約させたいとミランダ妃が言ってきたことだとか、海に囲まれた島国から陛下のもとに嫁いできたジュディシス妃が「父親ほど年の離れたおじさんに抱かれたくない」と夜伽を拒否して泣いてばかりいることだとか?
どうでもいい内容だと、僕の甘ったれで泣き虫な性格は実は母親似ではなく父親似で、父はそれを隠すためにわざと怖いふりをしているってこととか、本当はネコよりもイヌのほうが好きってこととか、いつも扉の向こうでアリサが大きな声で名前を言っているのが聞こえるから、知られてはいけないはずのあの黒猫の名前を僕を含め使用人たちもみんな知っているけど知らないふりをしているってことか?
今日視察する鉱山の資料を読まなくてはならないのに、アリサのことばかり考えてしまう。
いくら大人ぶってもかっこつけても、余裕がないのは本当はこっちのほうだ。
あの子がいつか、ある日突然何も言わずに元の世界に帰ってしまうんじゃないかって怖くて仕方ないのだから…。
帰ったらもう一度きちんと謝ろう。
今夜はたとえあの黒猫の胴体がまだ樽のままであろうと、アリサは僕のベッドで寝てもらう。
早くアリサを抱きしめたい。
エリオットは自嘲気味にため息をつくと、気持ちを切り替えて鉱山の資料に再び目を通しはじめた。




