海神様のお迎え
ベッドの横に何かの気配がして、目を開けた。
エリオットが帰ってきた?それともレイラかな?
ゆっくり首を動かして確認すると、青い衣で、白く長い髭をたくわえた見知らぬおじいさんが立っていた。
うわっ、ついにお迎えが来たか!
ていうか、誰!?
そして、突如現れた怪しいおじいさんに、お姫様抱っこで抱えあげられてしまったわたし。抵抗する余力など残っているはずもなく、されるがままだ。
「ま、待って。せめて最期にエリオットに……」
「なに勝手に死にかけとるんじゃ、とりあえず一旦連れて行くからの」
へっ?
と思った次の瞬間、青白い光に包まれて目をつむった。
この光は――魔法陣?
到着した場所がどこだか、最初はさっぱりわからなかった。
イスに座らされ「こんなボロボロの殻、早く脱げばいいだけじゃろ」とおじいさんがパチンと指を鳴らすと、わたしの体にピシッとひびが入り、まるで砂がサラサラと流れていくように崩れていった。
そして現れたのは、鈴木ありさ、わたし本人だった。
服装は、あの日、自宅のベッドに寝っ転がった瞬間のTシャツ短パンだった。
「え?え?」
自分の手を見たり、顔をさわってみたり、手足を振り回してみたり、立ち上がってジャンプしてみたり、あれこれ確認して、17歳の若い肉体に戻ったことを実感する。
「やった!戻った!おじいさんありがとう、死ぬんだと思ってたー」
おじいさんは苦笑して
「おじいさんじゃなくて、海神様と呼べ」と言った。
「え、あなたが噂の海神様!?」
ってことは、ここは海の中の宮殿?
すごいところに連れてこられちゃったな。
「まあ座れ」と促されて再びイスに座る。
「おまえさんは思い込みが激しすぎるんじゃ。エリオットが王子だと気づかなんだリ、いつまでもプリシラの殻をかぶり続けた挙句、死ぬと勘違いしたり。
手を貸さずに見守るつもりだったんじゃが、あのままだとおまえさん、本当に思い込みで死んでいたかもしれんからの」
向かい合って座っている海神様が苦々しい表情で言った。
ははは、学校のテストでも思い込みで勘違いして、よくやらかすのよね。
人って思い込みで死ねるのね、これから気を付けよう。
「それに、海神の加護はあてにならんと言われるのも癪だしのう」
「わたしと海神様の加護がどう関係しているのか知らないけど、こんなわたしが召喚された時点で、たいした加護じゃな……あ、冗談ですってば、そんなに睨まないでください、あはは」
少し周りを見る余裕も出てきた。
丸い窓の外に見える景色は当然海の中で、色とりどりの魚がたくさん泳いでいるのが見える。
「ここは、海のどのあたりなんですか?」
「どこかの海の底にある、とは思わんほうがいいぞ。人間がおいそれとは来られる場所ではないからの」
海神様は自分の髭をなでながら答えた。
「なんだ、そっか。じゃあまた海神様に助けを求めたくなって、海に飛び込んでも会える保証はないってことですね」
うむうむ、と頷く海神様にさらに質問してみる。
「そんな海神様が300年前まで、ローリンエッジ王国にだけ加護を授けていたのは何故です?」
海神様は、ふんっと鼻を鳴らした。
「加護など授けておらん。あれは、久しぶりに豊穣の女神と酒を酌み交わしたあと、酔っ払ってあの辺りの海域で寝ていただけじゃ。
女神のヤツ、相当酒が強くてのう、ついつい飲み過ぎてしまったらしい。
それを勝手にあの国の人間どもが、豊漁続きだの、敗戦知らずの無敵艦隊だのと都合よく吹聴していただけじゃ。
どれぐらいの年数寝ていたのかは知らんが、人間と儂らとでは時間の流れ方がちがうからの。
酔っ払って寝ていてもダダ漏れする神威、どうじゃ、すごいじゃろ。
コラ、めんどくさそうな顔をするでない」
ローリンエッジ王国を守る加護を最後に授けたことに関しては、なんだか陸のほうが騒がしいと目を覚ました時に、銃で撃たれた瀕死の若い男女が海に落ちてきた。
その二人の切なる願いを聞いて、それを海神からの加護として授けたのだという。
「ただの気まぐれじゃ」
と言って海神様はかっかっかと笑った。
「ところで、プリシラの体のことを『殻』って言ってたけど、どういう意味なんですか?砂みたいに崩れてなくなっちゃったけど」
「あれはのう、おまえさんがあの体を乗っ取って、プリシラの魂を追い出した時点で、ただの殻になっていたんじゃよ。
おまえさんは、いつまでもかぶり続けていたけどの、その気になればいつでも脱げたはずじゃ」
乗っ取って追い出した?わたしが?
その気になればいつでも脱げた?
「この世界の言語に不自由していないのは、なぜじゃ?プリシラの店の鍵はどうやって開けた?あの黒猫と話せるのは?どうやって魔法陣を発動させたんじゃ?」
「言葉は異世界召喚チートで、扉は顔認証だからプリシラの体が必要で、ネコちゃんと魔法陣もプリシラの体にある魔力でしょう?」
海神様は頭を抱えた。
「その激しい思い込みの無自覚がおそろしいのう。おまえさん自身の魔力の仕業だと、いい加減に自覚せい。まあよい、その姿で帰って生活すればすぐに自覚するじゃろ」
海神様が立ち上がった。
「そろそろ戻ったほうがいい。プリシラが悪さをしておるようじゃ」
驚いてわたしも立ち上がる。
「ええっ?プリシラって、どういうこと?
プリシラの体がなくなっちゃったのに、どうすればいの?
何でもわかっているなら、もっと助けてくれたっていいじゃない」
「体があったとしても、もうプリシラは元に戻れんよ。あやつの魂はもはやただの復讐の塊になってしまったんじゃ。おまえさんの手で眠らせてあげなされ。
儂があんまり手助けしてものう、あの二人が納得せんじゃろうから、まあおまえさんたちで、もがきながら頑張ることじゃ」
そう言って海神様は、わたしの手に水色の石を握らせた。
「土産じゃ、何かの役に立つかもしれん」
「だから、石ころじゃなくて、プリシラがどこにいるか教えてもらいたいんですけど」
「ふーむ、何もわかっとらんようじゃのう。ヒントだけやろうかの。
おまえさんがこの世界にきたときに、おまえさんとあのぼっちゃんの一番近くにあったものは、なーんじゃ?」
海神様ったら笑ってる。
こっちは訳が分からなくて必死だっていうのに、さては楽しんでるわね?
海神様が指パッチンだけで簡単に出してくれた魔法陣の真ん中に立った。
もらった石は落とさないようにポケットに入れる。
帰りは一人で。
ふわりと体が浮いて青白い光に包まれる。
「海神様、またね!またいつか会いましょう!」
「これでしばらく退屈せんで済みそうじゃの」
嬉しそうなつぶやきが聞こえた。