老化
エリオットはローリンエッジ王国の第三王子、エリアス=オスカー=ローリンエッジだった。
留学中の王子様に同行したご学友ではなくて、王子様本人だったのだ。
イベントの準備で忙しいと言っていたのは、剣舞の練習で忙しいってことだったのか。
エリアス王子の愛称が「エリオット」……いや、まんまエリオットが名前だと思っていたんですけど!
エリオットのあまりの気さくな振る舞いと、普段みんなから愛称で呼ばれているせいで、わたしはそのことに全く気付いていなかった。
まさか、そんな要人中の要人だったとは。
そしてプリシラは、あの老婆の魔女は、王子をだましてたぶらかしていたのだ。
もしもあのとき何も起こらずに婚約が成立していて、そのまま第三王子の婚約者としてローリンエッジの王宮へ入り込むことができていたら、あとはプリシラの思う壺だったはずだ。
魔女が王子をたぶらかす…どっかで聞いたような話であることはひとまず置いといて、わたしの勘違いで商業区からここまで足をもつれさせながら急行したのは、無駄足だったわけよね。
超絶かっこいいエリオットの姿をチラっとでも見ることができたのはラッキーだったけど、そんなふわふわした乙女心をはるかに上回る老婆の疲労感が襲ってきた。
どうしよう、立っていられない。クラクラしてきた。
「アリィ、お待たせ。……アリィ?大丈夫?」
エリオットの声が聞こえる気がするけど、目の前が真っ暗で何も見えない。
意識が途切れる寸前に、ここしばらく遠ざかっていた、でもよく知っている香りとぬくもりに包まれたような気がした。
「…著しく体力が低下していますね」
「あの姿は何が原因ですか?こういう病気があるんでしょうか?」
「もし感染する病気なら人払いしないといけませんね」
「いや、病気というよりむしろこれは…申し上げにくいのですが……魔法なのでは?」
誰かと誰かと誰かの声が聞こえる。
わたしが目を覚ましたのは、お屋敷のベッドの上だった。
わたしをのぞき込むエリオットの顔が見えた。
前にも同じシチュエーションがあったっけ。
「エリオット」と声を出してみたけれど、なんだかずいぶんしわがれている。
「やあアリィ。気分はどう?」
倦怠感がひどい。
「わたしどれぐらい眠っていたの?」
「丸1日ぐらいかな」
上半身を起こしたとき、顔の前にかかった自分の髪の毛を見てぎょっとした。
髪が白い…?
その白髪を触ろうとして動かした自分の手を見て、再びぎょっとする。
手が枯れ枝のように細く、しわだらけで干からびている。
これじゃまるで、おばあちゃんじゃない。
しばし茫然と、自分の両手を見つめた。
…わたし、おばあちゃんになっちゃったの!?
思わず叫びそうになったわたしを、エリオットが優しく抱きしめた。
「何か悪い魔法にかかったみたいなんだ。大丈夫。大丈夫だから落ち着いて。きみをこんなことに巻き込んでしまってごめん」
そう言いながら頭や背中をなでで、わたしを落ち着かせてくれた。
どれぐらいそうしてくれていたんだろう、わたしはいつの間にかまた眠ってしまったらしい。
次に目を覚ますと朝になっていた。
まぶしい光のほうを見ると、レイラがカーテンを少し開けているところだった。
「レイラ、おはよう」
レイラが振り返って、こちらへ近づいてきた。
「お嬢様、おかげんはいかがですか?カーテンを開けたせいで起こしてしまったのなら失礼しました。閉めておきましょうか?」
「ううん、明るいままにしておいて」
起き上がって部屋を見回す。
いま何時だろう?
「エリオットおぼっちゃまはまだお部屋でお休み中です。お嬢様が学院で倒れてから昨日ほんの少し目を覚まされるまで、ずっとつきっきりだったんですよ。だから昨晩は『一度お部屋でお休みください』と強く申し上げてここから追い出したんです」
レイラがクスっと笑う。
「エリオットに悪いことしちゃったわね。大事なイベントだったはずなのに、わたしが押し掛けた挙句、倒れちゃったせいで、エリオットもそこで帰らないといけなくなったってことよね」
「おぼっちゃまは、そんなことを気にされる方ではありませんよ。お嬢様の様子をとても心配されていらっしゃいました。
お嬢様のお体がとても冷たくて、しかも…その、髪の毛が白くなっていくところから始まって、お体全体がどんどん歳を取り始めて…」
レイラは少し言いにくそうに口ごもりながら、わたしが倒れてからこうなるまでの状況を説明してくれた。
「おぼっちゃまは、お嬢様がご自分の変わり果てた容姿に気づいてパニックにならないように、目を覚ましたときにそばにいてあげたいとおっしゃって、ずっとつきっきりだったんですよ」
そうか、わたし叫びそうになったもんね。
あのときは本当にエリオットが落ち着かせてくれて助かった。
「おぼっちゃまを起こしてきますね」
そう言って出て行こうとするレイラを呼び止めた。
「いいわ、そのまま寝かせておいてあげて。
それよりわたし、お腹すいちゃったの。ニコラスに頼んで、ごはんを炊いてもらえないかしら。水の量をいつもより倍にしてって伝えて」
レイラはにっこり微笑んだ。
「かしこまりました。たくさん食べて体力が戻ったら、きっとお体も元に戻りますわ」
レイラが部屋を出たあと、わたしは上半身を起こしている体勢がつらくなって横になった。
自分の両腕を見てみる。
昨日のままの枯れ枝のような手。
でも、老化は昨日以上には進んでいなさそう?
冷静に考えたらこれが「悪い魔法」なんかじゃないことはわかってる。
むしろ、魔法が解けた状態よね。プリシラは本当は300歳オーバーのおばあちゃんなんだから。
そういや「若返りの魔法が1年ぐらい続くように」とかなんとか、ネコちゃんに話していたわよね。
ちょうどそろそろ魔法が解けるタイミングだったところへ、わたしが魔法陣を描いて過去をのぞきに行ったり、コートも着ずに冬の街を激走したり、ストレスかかりまくりで魔力も体力もたくさん使っちゃったもんだから、一気に解けちゃったんだわ。
これが本来のプリシラの姿なんだから、レイラの言うような「元に戻る」ことなんてないんだ。
また若返りの魔法をかければ見た目は戻せるんだろうけど、こんな状態じゃ魔法も使えないだろう。
さて、どうしようか。