王子の剣舞
なんとか無事に戻ってきた。
1年前のプリシラの、あまりにも衝撃的な発言の数々にショックを受けて、戻ってくるなり両ひざをガックリと床に落とした。
そして、そのまま四つん這いで寝室から出る。
「ねーこーちゃぁぁぁぁん」
暖炉の前で丸まっていたネコちゃんがビクっと体を震わせた。
「あなた、やっぱり喋れたのね」
ネコちゃんは起き上がると、専用の小さな扉に向かって走り出した。
「もし出ていったら、その扉を塞ぐわよ。どうする?外は寒いのに凍えちゃうわね」
わたしは立ち上がり、腕組みをして仁王立ちになる。
ネコちゃんは足を止めて、ゆっくりとこちらを振り返った。
「ペリア茸入りハーブティーをぶっかけられたくなかったら、素直になったほうがいいと思うけど?」
「こえーな、オイ」
ネコちゃんは少年の声でそう呟いて暖炉の前に戻ってきた。
「あのとき寝室からオレたちの会話を聞いていたのは、あんただったんだな。だからオレは反対したんだ。
あの日プリシラから『今日あたりあの子から求婚されるかも』って聞いた時もイヤな予感がしていたし、復讐なんてせずにこのままのんびり暮らそうって何度もプリシラに言ったのにさ」
「プリシラが実は300歳オーバーのおばあちゃんだったなんて…。ネコちゃんは何歳なの?本当の名前は?」
「30歳までは数えていたけど、そのあとは忘れた。名前は言えない。オレの名前はプリシラとの契約に縛られているから教えられない」
プリシラとの契約…それがまだ継続中っていうことは……
「プリシラはどこにいるの?生きているんでしょう?」
「さあ、オレにもわからない。ただ、あんたが察している通り、オレとプリシラとの主従契約が切れてないってことは、まだどっかで生きているってことだな」
「本当は、ご主人様がどこにいるのか見当ぐらいはついてるんじゃないの?」
しつこく問いただすと、ネコちゃんは琥珀色の瞳を光らせ、睨むようにわたしを見つめた。
「あのなぁ、ご主人様の不利益になるようなことをオレがペラペラ話せると思ってるのか?魔女との契約なんだぜ?」
魔女との契約――それを破ったら、あるいは契約を解消しようとしたら、その代償は命に匹敵するほど大きいにちがいないないだろうという想像はつく。
なるほど、だからプリシラはエリオットに少しずつ惚れ薬を飲ませて婚約までこぎつけようとしていたのね。
婚約という「契約」を結んでしまえば、それに縛られておいそれとは破棄することができなくなる。
そのあとに自分が魔女であることがバレても、老婆であることがバレてもだ。
ああ、なんてかわいそうなエリオット。
いよいよ今日あたりエリオットから求婚されるんじゃないかという大事な日、プリシラが周りを気にするそぶりを見せていたのは、エリオットと出会った日に寝室に忍び込んでいた誰かさん(わたしなんだけど!)が邪魔してくるかもしれないと警戒していたのだろう。
そして案の定、邪魔が入ったわけよね(それもわたしなんだけど!)。
プリシラは300年前に魔女の森が焼き払われた時の生き残りで、最終的なプリシラの目的は、ローリンエッジ王国の王家への復讐。
王家を乗っ取る?それとも、王族を皆殺しにでもするつもりだった?
王族を殺す……。
――――!
「ネコちゃん、また戻ってきたときに話しましょ。わたし急用ができたから、またね!」
わたしは大慌てでプリシラの家を飛び出した。
「ほんと急だな、オイ」
勢いよく飛び出していく背中を見つめながら、黒猫がつぶやいた。
プリシラの薬屋から同じ商業区にある辻馬車乗り場までは結構な距離がある。
今日もにぎわっている商業区の買い物客をよけながら乗り場まで急いだが、最初のダッシュはどこへやら、どうにも思うように足が動かない。
そうか、今まで激しい運動をしなかったから気づいていなかったけど、この体、見た目は若くても本当はおばあちゃんなんだっけ。
そりゃ走れないよね。
それでも懸命に足を動かし、なんとか辻馬車乗り場へたどりついたときには動機息切れがひどくて、乗り込むのにも一苦労だった。
「王立高等学院へ、なるべく急ぎでお願いします」と御者に告げて、イスに倒れた。
学院の図書館に貼ってあったポスターで告知されていたとおり、今日の国際交流イベントでローリンエッジ王国の第三王子が剣舞を披露することになっている。
エリオットがそれにどう係わっているのか詳しいことは知らないが、プリシラが彼に飲ませていたペリア茸がひっかかる。
ずっと惚れ薬だと思っていたけれど、本当にそれだけなのか?
薬草辞典には「幻覚、催眠作用がある」とも書いてあった。
今日の剣舞に使う剣が本物だとしたら、エリオットがもしも王子様の相手として一緒に舞台に立つのだとしたら、あるいは舞台の袖で王子様のお世話をするような役目なんだとしたら、そこでプリシラが仕込んでいた暗示が発動して、剣で王子様をグサッ!ていうことも可能だ。
さっき、ネコちゃんと話をしているときに頭の片隅に浮かんできたそんな凄惨な事態がこわすぎて、学院に駆け付けずにはいられなくなったのだ。
解毒ハーブティーをエリオットに飲ませて、もう中毒からは抜け出したと思っているけれど…それでも不安で仕方がない。
馬車が学院の門前に到着するころには、どうにか息切れも落ち着いて起き上がれるようになっていた。
要望通り急いでくれたお礼として、代金にすこし色を付けて渡してお礼を言った。
学院の門をくぐって、ガヤガヤとにぎやかな音がする方向へと急いで向かう。
校舎と図書館に囲まれた中庭に人だかりが見える。
特設舞台の上で動く男性が見えるけど、まだ遠くてよくわからない。
はあっ、はあっ…。
また息切れが!
がんばれプリシラの体!
あと少しで観客の最後列にたどり着くっていうところで、密集した観客の中からセバスチャンとレイラが出てくるのが見えた。
「セバスチャン!」
セバスチャンがわたしの姿を見つけて驚いた顔をする。
「お嬢様、どうされたんです。今日はこちらに来る予定ではなかったでしょう?しかもそんな薄着で!」
言われて初めて、上着をプリシラの家に置いてきたことに気づいた。
「そういや寒いかも?って、そんなことはどうでもいいの!エリオットは?エリオットはどこ?」
「エリオットおぼっちゃまなら、舞台の上ですよ。披露されている剣舞があと少しで終わるところなので、我々は一足先に控室へ移動しようとしていたところです」
気の利くレイラがわたしの肩に自分のショールをかけてくれた。
舞台のほうを見ると、たしかにエリオットが剣を構えて振り下ろすところだった。
胸に勲章をつけた正装で、顔は真剣そのもの。
しなやかで力強い身のこなしと、いつもの甘ったれた表情とは打って変わったキリリと引き締まった精悍な表情に、観客の女子たち全員の目がハートになっている。
わたしも、ここへ急行した目的を忘れて一瞬見とれてしまったほどだ。
「はっ!しまった!見とれてる場合じゃなかった。王子は?王子様はどこなの?剣舞を披露するのは王子様だったはずでしょう?」
「お嬢様、またよくわからないことを。エリオットおぼっちゃまが王子様でしょう。何をおっしゃっているんだか。さ、早く控室へ行きますよ」
セバスチャンに引っ張られて移動しはじめたときにエリオットの剣舞が終わったらしい。
大きな歓声と拍手が響き渡って、わたしの「ちょっと待って、王子様?だれが!?」という声がかき消される。
舞台を見上げると、エリオットが剣を収め、右手を胸に当ててお辞儀したあと観客に向けて、とびきりの笑顔で手を振っていた。
こちらに顔を向けたエリオットと一瞬目が合った気がしたのは気のせいだろうか。
わたしはセバスチャンに引っ張られ、混乱したままよろよろと控室となっている校舎の一室へと向かった。
控室に入ると、学院のお偉いさんといった風格のおじさまたちがエリオットを出迎えているところだった。
「エリアス殿下、お疲れさまでした。さすがですな」
「殿下、素晴らしい剣舞をありがとうございました」
おじさまたちの称賛に営業スマイルで応えているのは紛れもなくエリオットだ。
あっけにとられて立ち尽くしているわたしに気づいて、エリオットが近づいてきた。
「やっぱり見間違えじゃなかった、アリィ見に来てくれたんだね、ありがとう」
「あ、あのね、エリオットって王子様だったの?」
「そうだけど?アリィは最初から知ってたよね?僕のこと『王子様』って呼んだじゃないか」
そうだった、初めて会っていきなり求婚されたときに、乙女ゲームの攻略対象と勘違いして、たしかにわたし「王子様」って言ったんだった。
まさか本当に王子様だったなんて!
「だって名前が……エリオットって」
「ああ、それは小さいころからの愛称だよ。殿下なんて呼ばれるのは性に合わなくてね」
最後のほうは、おじさまたちには聞こえないように小声で言いウインクして見せたエリオットを、わたしは茫然と見つめる。
「ごめん、着替えてくるから少し待ってて」
エリオットはセバスチャン、レイラとともに衝立の向こうへと消えた。