すれちがい
学院からの帰宅時間が早くて夕食までまだ時間があったから、じゃあハーブティーを淹れておやつにしようってことになった。
厨房ですでに夕食の仕込みをはじめているニコラスの横で、今日のシメジと鶏の炊き込みご飯の感想や改善点を聞きながらお湯を沸かしてカップを用意する。
「あれをバターで味付けしたらどうなんだ?」
「エビとシメジに味付けがバターで隠し味にニンニクにすると完全に『ピラフ』かなあ。それも美味しいと思うのよね。それはそれでアリなんだけど、『和風』の炊き込みご飯が作りたいの」
「ワフウ?」
「決め手はお魚の出汁?ローリンエッジにはそういう出汁が……ん?」
ニコラスと話しているときに背後に何かを感じて振り返ってみると、厨房をのぞくエリオットがいた。
『家〇婦は見た』みたいなポージングで。
「エリオット、どうしたの?」
「あ、いや、ハーブティーまだかなと思って」
見つかって焦っている様子のエリオット。
何やってんだか。
「お待たせしちゃってごめんね。ちょうど用意できたところだから」
ハーブティーとお菓子をトレーに乗せて、いつものテラスへ移動する。
日が傾き始めて風が冷たくなってきた。
熱いハーブティーをひと口飲んで、ほっと息をつく。
「ねえ、アリィ」
「ん?」
「前に話した婚約手続きのことだけどね、急がないことにしたよ。いま振り返ると、あの時はなんであんなに焦って婚約手続きを進めようとしていたんだろうって思ったんだ。
プリシラ本人が戻ってきたら、また仕切りなおすことにする」
プリシラの中身が入れ替わったまま婚約手続きを進めてしまっていいかと言われていたんだっけ、そういやそんな話あったわね、忙しすぎて忘れていたわ。
婚約を急がずに冷静になったということは、プリシラがエリオットに飲ませていたペリア茸の媚薬効果が薄れてきたってことよね?
「それはよかった、うんうん、ほんとよかった!」
わたしの喜び方が大げさで気に障ったのか、エリオットがまたムズカシイ顔をして黙り込んでしまった。
しばしの気まずい沈黙の後、意を決したかのように突然エリオットはわたしの目をまっすぐに見つめて言った。
「アリィ、とっても言いにくいんだけどね」
「はい、なんでしょう?」
思わず姿勢を正してしまう。
「ニコラスは結婚していて、ローリンエッジに家族を置いてきているんだ。最初にこのことを君に言わなかった僕が悪かった。ごめん」
「えーっと、何のことかよくわからないけど、ニコラスに家族がいることは本人から聞いて知ってるけど?」
するとエリオットは、イスから転げ落ちるんじゃないかってぐらいに驚いて
「えぇっ!?知ってたのか!じゃ、じゃあ……その、不倫ってことなのか?」
と、訳のわからないことを言い始めた。
「え、ニコラスと誰かが不倫してるの?」
「誰って、君だろうアリィ」
「はあぁぁぁぁ!?」
今度はわたしが驚いてイスから落ちそうになった。
何言ってるんだ、この人は。
「プリシラが元に戻ったら、アリィはニコラスと結婚したいと思っているんだよね?」
「…………」
あれこれフル回転で考えること数秒。
ああ、はいはい、やっとわかりました。
お昼にわたしが「ニコラスが頼みの綱」「ニコラスがいればオッケー」と言ったのを、そう解釈したわけね。
だから急にムズカシイ顔で考えこんだり、厨房でのわたしたちの様子を盗み見してたわけね?
わたしは呆れながら、それは誤解だとエリオットに説明した。
「わたしの食いしん坊欲求を満たしてくれるニコラスはもちろん大好きだけど、男女のそういうんじゃないから。絶対ちがうから」
こっちは、魔女弾圧の歴史とか、プリシラの正体とか、ハーブティーに惚れ薬が入れられていたこととか、魔法陣のこととか、ヘビーな問題たくさん抱えて頭の中ぐっちゃぐちゃだっていうのに、このおぼっちゃまときたら、婚約だの不倫だの結婚だの色ボケしたことばっかり言ってて腹立つわ!
「ねぇエリオット、ひとつ真面目な質問をさせて」
近くにセバスチャンがいないことを確認してから続ける。
「あなたは魔女についてどう思ってる?」
わたしに呆れられて情けない顔でしょげ返っていたエリオットの表情が、すーっと引き締まった。
「魔女?どうして急にそんなことを聞くの?」
「べつに急なんかじゃないわ。わたしがセバスチャンから『もしもあなたが魔女だったら火あぶりにする』って何度も言われて胡散臭そうな目で見られているのは知ってるでしょう?
わたしは今日、図書館で歴史の本を読んで、あなたの母国の魔女弾圧に関しても調べてみたの。ここルデルリーのおおらかさとは違って、あなたの国はいまだに魔女に根強い偏見がある。
異界人のわたしがローリンエッジに移住して、異界人だってことがバレたらどうなるかしら。
そんな国にわたしが行きたいと思うはずがないじゃない。
だから『僕と一緒にローリンエッジに来ればいい』だの、ニコラスと不倫だの結婚だの、気安く言わないでほしい」
エリオットは真面目な顔でしばらくわたしを見つめた後
「きみの立場もよく考えずに軽はずみなことを言って申し訳なかった」
と謝罪の言葉を述べた。
「アリィが今日、どういった類の歴史の本を読んだのかは知らないけど、いまのローリンエッジ王国は『魔女徹底排除』の一枚岩ではないんだよ。
もちろん表向きは、魔女弾圧を始めた過去の国王を称賛し続けているし、セバスチャンのように闇雲に魔女は邪悪だと信じている人が多いのはたしかだけど、それに疑問を持っている人もいるってことを付け加えさせてほしい」
「エリオットはどっちを信じているの?」
「ごめん、僕にもいろいろと込み入った事情があって、今ここでアリィにそれを言うことはできない」
西日に照らされたエリオットの顔は、いつもの甘ったれた雰囲気やふわりとした笑顔が一切なく、やけに凛々しかった。
「わたしのほうこそ、ごめんなさい。言い過ぎたよね」
エリオットのまっすぐな眼差しが痛くて、わたしは目を伏せた。
頭の整理が追い付かなくて、エリオットにあんな言い方するなんて、ただの八つ当たりじゃないか。
「ねえ、アリィ。プリシラのことで何か悩み事とか、僕に隠していることがあるんじゃない?」
エリオットは普段とはちがう低い声で尋ねてきた。
顔を上げることができない。
いまエリオットと目を合わせたら、いろんな隠し事をしているのがバレてしまいそうだ。
「いまはまだ言えない。でもいつか必ず言うから、プリシラのことも探しだしてみせるから、待っててほしい」
しばしの沈黙の後、エリオットがふぅっと小さく息を吐いた。
「風が冷たくなってきたから、そろそろ中に入ろうか。今日もハーブティー美味しかったよ。ありがとう」
そう言ってエリオットは立ち上がり、部屋の中へと入っていった。
こちらのことは一度も振り返らないまま。
この日のこの出来事を境に、わたしとエリオットはなんだかよそよそしい関係になってしまった。
もちろん顔を合わせたらお互い笑顔で挨拶をするし、おしゃべりもする。
ハーブティーも一緒に飲んでいる。
でも、夕食の後のおやすみのハグはなくなってしまった。
スキンシップが過ぎると思っていたはずなのに、無くなってみるとこんなにも寂しくなるだなんてね。
エリオットをよほど怒らせてしまったのかな。
母国を侮辱されたと思われているんだとしても、おかしくないよね。
でも、これでよかったんだと自分に言い聞かせてみる。わたしたちは、ずっと一緒にいられるわけではないのだから、これぐらいの距離感のほうがお別れの時に辛い思いをしなくて済むはずだ。