異世界逃避行
私は定時制高校の出身だ。中学校は三年間ほぼ行っていない。しかし、それを不利に思ったことはない。濃い経験ならいくらでもしたし、仲の良い友人もできた。
高校一年生の文化祭の準備で、私たちは景品の用意をしていた。何かの袋を開けようとして、開け口らしきところを引っ張るが、開かない。
「ねえ、これ開かなくない?」
私は彼女の方を見た。それと同時に、彼女が何食わぬ顔で開け口でないところをいとも簡単に破り裂き、「え?」と私の方を見た。空白の時が数秒流れて、その後私たちは顔を見合わせて吹き出した。
やがて月日が流れ、大人と呼ばれる年齢になった頃、勉学なりなんなりで爪弾きにあった子たちが通う私立高校についてこんな言葉を聞くようになった。
『犯罪者予備軍』
『少年院』
あのレベルでそう呼ばれるなら、私たちが通っていた高校は一体どう呼ばれていたのだろう。確かに、警察沙汰ならよくあった。しかし、通っていたのは皆、根っからの悪人ではなかった。冬の極寒体育館で体を温め合った相手は、金髪ピアスでヤンキー座りをする女の子だったし、勉強のためとテスト前にノートをせがんできたのは、茶髪でガラの悪い男の子だった。彼らは学生という身分でありながら、すでに社会に出て金を稼いでいた。家に借金取りが来て怖いとか、バイト代を全部親に取られてパチンコでなくされたとか、そういう話はよく聞いた。
他にも、中学時代にいじめにあった子や、場面緘黙の症状のある子もいた。授業時間が半日で、少人数クラスだからこそ通える子たちだ。
皆、あの学校でしか生きられなかった。そこを否定されたら、私たちはどう生きていけばよかったのだろう。
人生は困難だ。己の裁量に関わらない不利な状況は、いくらでも降ってくる。その人生を真正面から攻略するのは、なかなかに難しい。そうなれば、あの日あの時、友人が見せてくれたように、定石とは別の手段で突破口を開くしかない。そして私は、逃げることを選んだ。
アレキサンダー大王は、ゴルディオスの結び目を剣で断ち切った。剣など重すぎて振るえない私は、筆を執ろう。夢の異世界を描き、そこで休息を得る。逃避だの甘えだの言われてもかまわない。私にとっては、これは現実世界との戦闘準備だ。あわよくば、私の作る異世界が、私の知らない誰かにとっても居心地の良い世界になりうることを祈って、今日も私はパソコンのキーボードを打つ。
『ベルリア王国――』
ちょっと流れる道筋がそれていれば、ナダもこんな人生を送れたのに。
私がむくれていると、兄がやってきて言う。
「最近、よう書いとるな。インプット期間やろ、今。何書いとるん」
「ナダが夢を見たの。だから」
「……そうか」
少し考えるような様子を見せてから、兄は少し苦しそうな顔で笑う。
「それも、仕上がったらクラシックの棚の横っちょに置いたろ」
「ぜひそうしてちょうだい」
「ナダは、まだ寝たままか」
「そうね」
体の持ち主は、眠ったまま。もうずっと、チグサの意識でナダの体は生きている。
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