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短編集

王家の血を引く令嬢は、ただの彼のことを

作者: 遠出八千代


 下戸げこが酒を飲む時というのは大抵決まっている。

 冠婚葬祭か、仕事の付き合いで飲む時か、あるいは忘れがたい現実がある時だ。


 アレクザインが赤ワインに一口つけて香りをかぐと、古木の香りに混じり上等なぶどうのにおいが広がった。ワインは熟成され、芳醇な香りを放っている。酒が分かる人間であるならばコレがどれだけの値打ちものかたちまち目利きするだろう。

 だが、普段酒の飲まない彼ではアルコールの度数の判別以外にこれが旨いものなのか見分けられない。


 こうなると、発泡酒のような安酒が恋しくなる。アレクザインは手に持ったグラスを眺めながら、数年前の事を思い出して感慨に耽っていた。


 数年前。軍人であるアレクザインは指揮官として西方戦線に参加していた。

 砂漠での戦闘が主で、砂埃と熱砂ばかりの嫌な戦場だった。配給品も少なく、安酒をよく愛飲していた。

 まぶたを閉じれば、愛刀のサーベルを使った感触を思い出す。

 今はこうして紳士服に身を包み、絢爛豪華な舞踏会に参加してはいる。だが根っからの軍人気質である彼にとって、この場が不釣合いであることも自覚していた。

 つくづく自分は日向を歩く人間ではないのだ。

 空になったワイングラスを給仕に渡し、辺りの貴族から少し距離を置きながらアレクザインはそんな事を考えていた。

 とはいえ、距離をおくのは令嬢達も同じだ。

 長髪で隠れてはいるが、顔には傷跡が絶えず、凶悪な鋭い眼差しと浅黒い肌は、その場にいた貴族達と比べて悪い意味で独特の存在感があった。

 大柄の体で舞踏室の壁にもたれただけでも威圧され、人待ちをしていた何人かの令嬢も、彼が壁にもたれかかった瞬間何処かに行ってしまった。

 無論、近づくものは一人もいない。

 ただ、一人を除いては。


「アル、となりいいかな?」

 アレクザインの隣には、流行のドレスに着飾った少女(ドレスはアレクザインが仕立てに付き合ったものだが)が寄り添った。

 少女は美しい赤銅の瞳。それと金糸色の髪。誰もが羨むような美貌を称え、もし彼女が身内でなければアレクザインも一声かけにいくと自負するほどの美人だった。もちろんそれも親バカ的な身内だからこその評価も加味されているのだが。

 名はミザリー、それが本当の彼女の名前であるかどうかはアレクザインも疑問に思っていた。

「……格式のある場ではアルはやめなさいといっただろう」

 アルの声色は厳格ながらも、人の親としての温かみもいくぶん含んでいた。普段ならこんな注意はアルもしない。

 血はつながっていないとはいえ、彼女の保護者としてこの場に参加している以上、マナーは遵守すべきだという考えの下だ。


「ならおじさまってよびますね」

「呼びかたは君にまかせるよミザ、こういう場に相応しければなんでもいい」

「貴族みたいなことを言うんですね」

「これでも貴族だからな、立場上だが」

「でも貴方にはいつもの軍服の方が似合っていますわ。その貴族服まるで体格と合っていないもの」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 今回、彼は自身の求婚相手を探しに来たわけではない。あくまでこの少女の保護者相当だった。

 何が悲しくて結婚相手すらいない自分が保護者として舞踏会に参加しなくてはいけないのか。アレクザインにはそういう気持ちもおおいにある。

 戦場にいたせいで、アレクザインはデビュタントに参加する機会を逃してしまった。だが、あれこれいいわけをつけて面倒くさがり、この年まで参加しなかったのも彼の自業自得だ。


 しかし今日は違う。アレクザインは空回り気味のやる気を奮い立たせ、大きく意気込んでいた。

 この日ばかりは普段バカにしている日和見の貴族主義の連中にも、たった一人の娘のためにいくらでも頭をさげるつもりでいる。


 とはいえ、アレクザインとミザリーは血が繋がっている本当の家族ではない。

 アレクザインは親戚からこのミザリーという少女を引き取ったのだ。だから家族と言う関係も戸籍上の話だ。


 実際のところ、ミザリーが何者かであるのか。

 アレクザインだけでなく、ミザリー自身にもよく分かっていない。

 彼らが出会ったのは10年ほど前だ。

 ある日突然、貴族の親戚が素性のわからない子どもを連れて、預かってほしいと頼みこんできたのだ。

 それがミザリーだった。


 当時、アレクザインは士官学校を卒業したばかりだった。

 元来、軍人の家系であるアレクザインの家は短命で、戦争で家族を失ってからは、王に爵号を賜り領地を治める君主だった。

 何か事情があるのだろうとはアレクザインも感じていたが、このときは二つ返事で彼女を家族に迎え入れた。


 それからアレクザインはミザリーを本物の兄妹とか娘のように接し、懸命に世話をした。


 軍の遠征に出なければ、いつも彼女を気にかけていたし、大切に思っていた。


 学校に通わせ優秀な家庭教師をつけ、経営顧問に領地運営のノウハウを教えさせた。ゆくゆくは彼女を独り立ちさせるつもりでだ。

 彼女は著しい速さで知識を吸収し、今では学園でトップの成績を収める程に成長した。


 また学生の身でありながら、アレクザインの領地運営の手伝い、経営なども行なっている。

 頭の良さだけではない、類まれない美貌、自然体でいるのに気品溢れるたたずまい。


 この時になって親戚に面倒ごとを押し付けられたとアレクザインは思い至った。

 だが、ミザリーはすでにアレクザインのかけがえのない家族だ。

 すくなくともミザリー自身が素性を話したいと思うまで、自分からは聞かないでおこうと距離をとることにした。


 結局それは、家族の関係を壊したくないアレクザインの弱さだったのかもしれない。


 転機があったのは、半年前だ。


 アレクザインは彼女の素性を、まったくあずかり知らぬところから知ることになった。

 貴族達が通う学園で彼女の素性を知る人間がいたのだ。

 どうも彼女の雰囲気や風体が現在の王に似ているという話題が出た。

 それから独自に調査され、彼女の素性が明るみにでる。

 結論からいうと彼女は、王と生き別れた兄弟の子であり、王家の血を引く女だった。つまりこの国の王子達とは「いとこ」の関係にあたる。


 アレクザインが推察するに、親戚が彼女を我が家に連れてきたのは自分が好都合だったのだと思い至った。軍人であり、政治的に王権とも反王権派とも中立な立場。だからこそ託したかったのかもしれない。

 なら一言いってくれてもよかったがな。そういう言葉が喉に引っ込めて、今も彼女とは普通に接している。


 そういった経緯もあり、この数ヶ月はアレクザインとミザリーにとってあわただしい日々が続いている。

 アレクザインは休暇をとり、王や法王に謁見したり、様々な貴族に挨拶に出向いたり、出向かれたりと立て続けに行事に参加した。


 この舞踏会に呼ばれたのもそれの一環なのだ。


 そしてこの舞踏会はアレクザインにとって特別なものだった。

 上位貴族しか参加できない王家主催の舞踏会。アレクザインはここでミザリーの結婚相手を見つけるつもりでいたのだ。


「どうです?あなたのお眼鏡にかなう人はいましたか?」

「あぁ、どうにも難しいところだ…君と接する骨のあるのがいないのではな」

 二人は壁際に寄り添いながら、ふいのミザリーの言葉にアレクザインは肩をすくめた。


 ミザリーに声をかける人間は好奇心から最初こそ行列を作ってはいた。

 とはいうものの、彼女がアレクザインの側によるとみな目線を合わせず逃げていった。貫禄と苛烈な軍人としての評判の彼を恐れたのだ。

 そんな状況で挨拶に来るのは彼女の親戚の王子位だろう。

 しかし、彼らは皆婚約者が決まっており、とても彼女と縁談してくれといえる立場ではない。


 加えて彼らに近寄ろうとするのはアレクザインの知人のみ。ようは軍人ばかり立ち寄るものだから、ますます人々の足を遠のかせた。

 アレクザイン当人だけはそのことに気付かず、今もきょろきょろと周りの人物を値踏みしていた。

 辺りにはすでに熱い視線を交わしながらダンスを踊る男女のペアが現れはじめ、周囲の貴族達のなかには焦りを感じ始めるものもいた。アレクザインもその一人だった。アレクザインはつい彼女のことになると人一倍心配性を発揮していた。


「お嬢さん、私とダンスを踊っていただけませんか?」

「お嬢さん、なんてかしこまらないでください。いつも学園でお世話になっているのに」

 みるからに気取った風の男がミザリーに声をかけてきたのは、舞踏会も中盤に差し掛かった時だ。

 目の前の男は顔立ちはよく整っており、軽くウェーブの入った金髪の優男。


「ミザリー、彼を紹介してくれるか?どうやら君の知人のようだが」


 アレクザインにも物怖じせず、歯に衣着せぬその態度は、自信に満ちた伊達男の雰囲気を醸し出していた。あるいは、ただの愚か者だろうか。

 アレクザインは男をまじまじと見ていると、彼はその視線に気付いたのかこちらに話題を振った。

「ペリエといえば、お分かりになりますか?ミザリーさんからお話は?」

 そういってペリエと名乗った男は自分に握手を求めてきたが、はてと全く思い当たる節がなかった。アレクザインの記憶が正しければ、ミザリーから彼の名前を聞いたことは露ほどもない。

「いや、ミザリーは自分の交友関係をあまり口にすることがなくてな」

 勢いのまま彼と握手を交わしてアレクザインは一つ分かったことがある。自分の野暮ったい無骨な手と違い、男であるにも関わらずペリエの爪は綺麗に整えられている点だ。細かいところにも気を使っているなとアレクザインは素直に関心した。


「彼はペリエ=ランテインさん。ランテイン子爵の次男です。私の学友ですよ」

「ボーイフレンドとは言ってくれないのかな」

「まてまて、距離が近すぎるぞ君達」


 アレクザインは慌ててミザリーを庇って前に立つ。

 さきほどのミザリーとのやり取りから、彼が女の扱いには慣れているのかもしれないという危機感。アレクザインが彼を警戒したのもその為だ。幾ら友人あるいはボーイフレンドとはいえ、ミザリーにはよりよき友人と共に節度ある青春を、送ってほしい。


「そういっているけどミザリー?近すぎるのはダメかな」

「あなたの心のうちに聞いてみてください。それがよくない事なのかどうか」


 頬に手を添えにこにこと笑うミザリーと得意げなペリエ。先ほどの弁の通り、ミザリーが自分の交友関係を話さなかったことに一抹の寂しさは感じるものの同時に安心感もあった。

 ミザリーもいい年齢だ。政略結婚とはいえすでに彼女の年齢で結婚しているものもいる。

 家族に話せないことのひとつやふたつあるのは当然だろう。ボーイフレンドのこととなれば特にそうだ。いや、寧ろそれは自然な親子のあり方ではないだろうか?アレクザインは彼女の家族としての最後の責務を果たすべきだと考え、あとは若者達に任せるのが良いという判断を下した。

 なにごとも過保護すぎるのはよくないだろう。それに彼女はとても賢い娘だ。彼女が選ぶ男であるなら、そう間違いはない。

 そう考えて、アレクザインは壁から背を離し、一人バルコニーに向かうことにした。

「待って!!アルどこにいくの?」

 一度、カツンと大理石の床がヒールで叩かれる音がした。普段の彼女からは考えられないほど強い口調だった。そういう態度は淑女あるまじきものだと注意しなかったのはアレクザインも感傷に浸っていたためか。


「ワインでも飲みながら夜風に当たってくる。お邪魔虫は退散することにするよ」

「……その言い方、すごいおっさんっぽいからやめてください」

「善処はする」

 二人からすでに距離をとっていたアレクザインは背中越しに答え、ミザリーに小さく手を振った。

 

 二人の未来だけではない。どうもああいう甘ったるい雰囲気はアレクザインは元来苦手であった。しかも、恋話などとは無縁な男であることはよく自覚していることである。

 自分があの場にいれば、ミザリーの足を引っ張る結果になるのは目に見えていた。


「ペリエ様、なぜ彼女の側にいるのですか!」


 だが、その直後に舞踏会には似つかわしくない女性の怒声が響いた。位置から考えれば、アレクザインの丁度真後ろ。ミザリーたちのいる方向だ。アレクザインは、目の前で談笑している人たちの表情が凍りつくのをみた。


「わたくしを好ましく思っていると、ペリエ様はそうおっしゃったのに!」

「はぁ。友人としての気持ちを伝えたまでだ。ローズ、見苦しいよ君は」


 アレクザインは、自分を通り過ぎていく人の群れを見て、振り返った。

 やはりというか、ペリエとミザリーの二人の目の前には気の強そうな女性が立っている。彼女は先ほどの声の主であることはすぐに分かる。

 彼女はいかにも不機嫌そうで、綺麗な顔が台無しであった。確か彼女は高名な貴族の令嬢であったはずだ。それが今では見る影もなく、身にまとっている赤いドレスの両袖を取れない皺ができるほど力強く握りしめていた。


「これはどういうことですか?ペリエさん」

 赤いドレスを着た女の視線をそらせ、ミザリーがペリエに問いただす。いかにも真剣な表情で、あれに似た表情をアレクザインは記憶している。いつも政務をしているときと同じの、あらゆるミスがないか、不正がないかを見抜く鋭い眼差しだった。


「なにミザリー安心してくれ。彼女は勘違いしているのですよ。少し親切にしたらどうも私にのぼせあがってしまって」

「そんな。確かに最近は少し疎遠になっていましたが」

「ローズ、そもそも君とはただの友人でしかないじゃないか。やめてくれないか周りの人間を誤解させるような真似は」


 追い討ちをかけるペリエに対し、ローズという女性は、すぐに弱気になっていた。気の強そう見えて、どうやらペリエにはあまり強く出られないようでいた。恋に疎いアレクザインだが、彼女がペリエに執心しているのはこのやりとりだけでわかる。


「実際、彼女は心の醜い女だよ。いつもミザリーの悪口ばかりを聞かされていたのだ。うんざりしていたんだよ」

「そ、それは貴方が彼女のことを……」

 言葉を言い切る前に、ローズは大理石の床に泣き崩れた。

 外聞も気にせずワンワンと泣き始め、その姿に他人のアレクザインでさえ同情してしまうほど、見ていられるものでなかった。もちろんミザリーの悪口を言っているという点で多少の同情心も薄らいでいるが。

 

 しかしアレクザインの気持ちと反比例するように、貴族の奇異の目は多くなっていった。

 男女の痴話げんかというのは、貴族であろうとどんな人間でも関心のあることだ。辺りの貴族達は彼の動向に関心を持ち、事態を知らない貴族の仲にはペリエの言葉に賛同するものもいる始末である。


 実際、アレクザインもミザリーの保護者と言う立場でなければ、この喧嘩の騒動について雄弁に語るペリエの話を面白半分で聞いていたかもしれない。

 だが、今はこのペリエという男に対し、全く好印象は湧かなかった。

 こんな貞操観念が薄く、自分に酔って女性に追い討ちをかけるような男にミザリーはやれん。なかば父親の様な情念に動かされ、アレクザインはふつふつとした怒りの感情を抱えていた。


「この際だから言ってしまおう。私は学園一の才女であるミザリーさんと結婚したいと考えている!!」


 一際大きく響く声に、貴族一同彼を見た。周辺を囲んでいた貴族だけでなく、会場の人間全員の視線が集める。部屋の隅で演奏している楽士でさえ一瞬手をとめるほどであった。

 その一言に、アレクザインの怒りは頂点に達した。

 もくもくとペリエに向かって歩を進める。そのアレクザインの表情を見ていた貴族達は、彼の異様な様子に怯え、皆一様に距離をとった。まるで人を殺してしまいそうだと思えるほどの形相であったと、その場にいた全員が思った。その結果、彼の目の前に、三人へと至る道が自然と出来た。

 これは都合がいい。アレクザインは彼らの前に立ち、言葉を発しようとした。

 そう、発しようとしたのだ。


「断じて許せ――「お断りしますわ」」


 だが、アレクザインの言葉を遮ったのは、鶴の一声だった。ミザリーはアレクザインから見ても微笑ましいほど朗らかにそう答えた。顔に笑顔が貼り付いていると思うほど眩しい笑顔であった。

「ど、どうしてそんなことを言うんだい?ミザリー」

「様々な要因がございますが、一番の理由は私が貴方のことを好ましく思っていないからですね」

 その言葉にペリエは呆けてしまい、間の抜けた表情をしているものだからミザリーは改めて口を開いた。

「おや、もっと端的に言い換えましょうか?私は貴方が嫌いなのです」

「……私は君に嫌われることはしていないと思うが」

 唖然としていたペリエはようやく言葉を振り絞る。学園でもこれほど強い言葉はミザリーから言われた事が無かったのかもしれない。しかしすかさずミザリーは挑発した。やはりその表情は笑顔を崩さないままであった。

「貴方は、ローズさん以外にもたくさんの女性と仲睦まじいではありませんか。先週は確か、イーロン家の御令嬢と仲良くデートに行かれていましたわね。そんな貴方が私にふさわしいと?」

「ほんとうなのですかペリエ様」

 直後、床に伏していたローズが顔を上げ、ペリエにすがりついた。

 ペリエはローズを手で払いのけようとしたものの、結局は何も出来なかった。周りのとげのような視線を恐れたのだ。

「度し難いにも程があるということです、ペリエさん。もっと己を知ってください」

「さっきからなんなんだ、俺のやることにいちいち突っかかって!」


 ペリエの絶叫は、もはやこの場をごまかすための痛々しいものにしか見えなかった。これ以上の問答は火に油を注ぐだけなのは明らかである。アレクザインは一度深呼吸をして、彼ら三人の前に立ちふさがった。可能な限り怒りを面に出さないように。


「そこまでだ」

「なんで、あ、あんたが…」

 アレクザインの登場に、ペリエはさきほどまでの怒りはすぐに収め、借りてきた猫のようにおとなしくなった。ペリエの反応も無理はない。アレクザインが登場した時、周囲の人間もざわついて、彼が何者であるのかみなが話していたからだ。


 曰く、「西方戦線の英雄」、「西の砂漠を制した虎」、「虐殺将軍」とも呼ぶ者もいたほどだ。特に「虐殺将軍」という言葉にペリエの耳がわずかに反応していた。無論アレクザインは戦線の指揮は取ったが、そのような非道は行っていない。しかし噂には尾ひれがつくもので、アレクザインの外見も合わさり、その噂は真実味を帯びていた。

 少なくともこの場にいたものを信じさせる説得力は有している。

 はぁ、と大きくアレクザインはため息をついてミザリーに問うた。


「もう気は済んだだろう、ミザリー」

「怖かったです、おじ様」

「悪かった、これでも急いで戻ってきたんだがね」


 甘ったるい声色のミザリーに対し、嘘をつけと内心アレクザインは思っていた。自分の出番は全く無かったし、ミザリーがどれだけ肝のすわった女なのかいつも身近にいたアレクザインはよく分かっていたからだ。


「ペリエ君だったかな?君ももういいだろう。これ以上の揉め事は舞踏会の主催者である学園や王家に迷惑をかけることになるぞ」

「ア、アレクザインさん、しかし」

「王家に迷惑をかける。それがどういう意味か分からない君でもあるまいな」


 アレクザインは努めて冷静に、出来る限り優しく彼の肩をたたき諭すように伝えた。

 自分を囲む貴族達の声で冷静になったのか、ペリエはあたりを見回した。彼らの視線はすでに冷ややかだ。すでに興味をなくしているのかこの痴話げんかの幕を引きたがっている。


 しかも彼らはただの野次馬ではない、各界に顔の聞く貴族の中でも上位の人間達だ。

 舞踏会は本来、若い男女の出会いのみならず、貴族たちの社交の場であり、これから自分達と交友することになる新人たちとの顔あわせの貴重な機会でもある。

 そんな場をかき回し、彼ら上位貴族にどんな印象を自分は与えてしまったのか。


 これからのことを想像し、ペリエは大理石の冷たい床に泣き崩れた。



 あの後、アレクザインとミザリーは舞踏会をいそいで抜け出してきた。「まるで逢引みたいね」と茶化すミザリーにアレクザインは困った顔で返すしかできなかった。

 騒動が落ち着いたあと、アレクザインはすぐに主催者の王子や学園の関係者に謝罪し、瞬くまに逃げるようにあの場を去った。


 それで今は馬車に乗り、夕闇の中ゆっくりと歩道を闊歩しながら自分達の領地に向かっている。


「やりすぎではないか?ペリエ君は君の学友なのだろう?」

 馬車に揺られ、窓辺を抜ける夜風を受けながら、アレクザインは訊ねた。


「いえ、やりたりないぐらいですよ」

 目の前に座る彼女は美しい髪をいじりながらに即座に答える。

 やりたりないというミザリーだが、ペリエの今後を考えると流石にアレクザインは同情してしまった。

 身から出たさびとはいえ、ミザリーの談によればたくさんの令嬢に手を出していたことをばらされた上に、それが王家主催の舞踏会の場だ。彼自身、もはや学園や社交の場に居場所はないだろう。近く退学するのは想像するのは容易だった。

「だが、家柄だって申し分ない。もしかしたら君への好意は彼の本心からだったかもしれないだろう?」

「それこそ、まさかですよ」

 一蹴したミザリーは続けざまに答えた。

「彼はね、私が王族の血をひくと知ってからああやって声をかけるようになったんですよ。本人はバレていないとタカをくくっていたのでしょうけど」

「前言撤回する。よくやったなミザ」

「アルのそういう素直なところ私好きですよ」


 アレクザインはその言葉にため息で返した。まるで子どもをあやす親のようだ。往々にして彼女は癖と言うべきか、どうも常日頃から彼女には手玉にとられているような気がしていたからだ。これではどちらが親なのか分かったものではない。


 彼女の性格が性分である以上否定するつもりはない。だが、彼女の今後の事を考えると、それこそまたため息が出てしまう。


 あんな事件のあとだ。

 被害者とはいえ、あの気の強さを、舞踏会の会場で披露してしまったのだ。貴族と言うものは基本的にプライドが高い。家柄が確かとはいえ彼女を敬遠するものも中にはいるだろう。嫁の貰い手はほとんどいなくなることは目に見えていた。


 今回の舞踏会を契機に、アレクザインは彼女の婚約相手を探そうとしていたのだ。それが出鼻を大いにくじかれてしまったという印象しかなかった。

 いや、だがミザは聡明で器量良しだ。縁組もまだある。

 軍関係のツテに頼み込んでみるか、アレクザインがそう考えていた矢先――ある考えに思い至った。


「もしかして、こうなることは分かっていたんじゃないか、ミザ」


 確かに今日の彼女は少し変だった。思い当たる節もある。

 ミザは機転がきき、頭も回る。時折考えが分からなくなることもあるのがご愛嬌だが。しかし好きでもない男に対してあのように笑顔で接する女性ではない。

 自然と距離をとり、もっと上手く立ち回るだろう。


「……さぁ?今となってはどうでも良いですよ。作戦も小目標しか達成できませんでしたしね」

 

 今日のアレクザインはどっと疲れていた。無理に気負いすぎていたことも、高いワインを飲んでしまい悪酔いのせいあるのだろう。

 小目標とはなんだ?大目標はあるのか?と聞く気にもなれず、視線を移してそのまま夜景を眺めていた。


「私ね。こんな風にアルと一緒の日常がずっと続けばいいのにと思っています」

 彼女はつややかな髪を夜風にたなびかせた。夜の月の明かりに照らされる超然とした姿に、アレクザインは彼女が王家の人間であることを見出した。


「私もそう思っているよ。ここ最近色々な場所を君と巡って、なんでもない日常を楽しんで。こんな日がずっと続けばいいのにな」

「ふふ、アルも同じ気持ちなんですね」

 だが、彼女とこれからも一緒にいることはきっと困難な道だ。


 アレクザインには確信があった。一緒にいられる時間はもう、あまり長くない。

 彼女との日常はたとえば、冬場の湖にできた薄い氷と同じく、少しでも重いものがのれば、途端に壊れてしまうような関係なのだ。今までの日常が奇跡のようなものなのだ。


 彼女は王家の血を引くもので、そういう宿命を背負っている人間だ。今だって彼女の凛々しい横顔は、まだ幼いながらもすでに王族の持つ気品をただよわせている。  

「アル、もし私が……」

「私が?」

 一瞬顔を曇らせたミザリーは、王族でもなんでもなくただのか弱い女の子に見えた。


 こんなミザリーを見たのはもう何年ぶりだろうか。アレクザインが感慨に耽っていた矢先、その表情も微笑みですぐにかき消された。


「いえ、なんでもありません。これからも頑張ってくださいね」

「ああ、努力はするよ」


 少なくとも彼女が幸せになるその日まで、命を懸けて、アレクザインは彼女を必ず守り通すつもりでいた。彼女を政治的に利用しようとするもの、彼女の血をほしがるもの、そういった悪しきものから必ず守りたいと思っていた。

 それはアレクザインの嘘偽りない本心だった。


「君が幸せになるその日まで、私が君の幸せを守ると約束する」


 アレクザインはミザリーに気付かれぬよう自分の右手に力をこめた。

「期待してますよ。アルは私の足長おじさんですからね」

「足長おじさん?」

「あらお読みになったことはございませんのね」

 アレクザインが相槌を打つと、ミザリーはわざとらしくそうたずねた。


「そう残念です」


 まったく残念そうに見えなかったミザリーは何が面白かったかは分からないが急にクククと笑い出した。アレクザインは驚いて口をヘの字にまげて、やはり年頃の女の子の考えはまったくわからないと、さっさと結論付けた。




 それから二人は領地に戻るまでのあいだ、めまぐるしく動く外の世界を、馬車にガタゴト揺られながら、静かにただただ眺めていた。






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― 新着の感想 ―
[一言] 足長おじさんですか……。 そういえば、あのお話のラストは主人公のジュディが足長おじさんと結婚したんでしたね。 ミザリーの頭の良さなら、いずれアレクザインの外堀も内堀も埋めそうな気がします。 …
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