第一王子の回想
黒髪黒眼というこの大陸では珍しい色彩を持つ聖女はオノ・マリと名乗った。オノが家名でマリが名だという。
王と大司教と宰相と将軍によってこの浄化の旅が終われば帰れること、それなりの報酬が出される事が半ば恫喝の様な説明されると、「聖女にはならないが、事の収束には協力する」と了承した。
そしてまずこの国の文字を習い、過去に召喚された聖女と勇者の遺稿や伝承、足跡などを求め、聖女の息子である私との面会を求めた。
第一王子である私は生まれて間もなく両親が死亡した為、母の記憶は無い。母が私に着けたという外れないネックレスがあるだけだった。
伯父の王夫婦は自らの子と共に私を育ててくれたが、いずれ臣下に降る私はみんなと一線を引かれていた。
私は亡き母と同郷のマリに異世界の話を聞きたがり、よく側にいた。
マリの顔の表情はあまり変わらず固かった。おそらく、私達のことは誘拐犯としか思ってないのだろう。城で出す食事は一切取らず、召喚された時背負っていた布袋ーーリュックというらしいーーから食料を出し自炊していた。 『キャンプ用品』と呼ぶ不思議な自炊道具の数々は私の好奇心を刺激した。
マリは不思議な娘だった。ドレスや宝石には興味を示さず、この大陸の国際や生きて行く上での知識などに興味を示した。
賢い彼女は布が水を吸い上げる様にそれらの知識を吸収していった。
騎士団長達に剣などを手合わせしてみるとある程度の実力はあり、これならばすぐに旅立てそうだと国の上層部は期待したが、「今焦って仕損じるのと、じっくり対策を練って浄化を成功させるのとどちらがお好みですか?」とマリに諭され、マリに依頼された魔物を払う道具の作成を促せた。
そして、いよいよ旅立つ時が来た。
謁見の間でのあの晴れ晴れしい出立式を私は生涯忘れないだろう。
王より聖剣を賜った時は、腕が震えた。空気が震える歓声に圧倒されながら、王都を出た。
しかしマリは王都から離れた日の夜、少し護衛から離れると小声で「命が惜しかったら、その剣は抜くな」と言って、私に代わりの剣を差し出した。
「なぜ?」
「今は言えない。だけど、その剣を抜いたらあなたは死ぬ。確実に。」
そう言って縦長の紙(呪符というらしい)を細長くたたんで聖剣の鞘と柄に巻きつけて抜けないようにした。
「いいか?物事には裏がある。この世はどこまでも残酷で愚かで、それでいて美しい。
綺麗なばかりじゃないことをあなたは知るべきだ。
今は言えない。だが、信じてほしい。」
いつにない真剣な眼差しに、私はうなづくしかなかった。
マリはすごかった。まず魔物の出る森まで行くと『ウホ』という変わったステップを踏んだ。すると暗く濁った森の空気がどんどん澄んでいく。
そしてリュックから大きな袋を取り出し、袋の中に「フーーッ」と息を吹き込んだ。
「この息吹は我の息吹 我の息吹は神の息吹なり
ふるえ ふるふる ふるえ ひとふたみよ いつむななや ここのたり ももちよろず」
呪文の途中から袋がどんどん膨れ上がり、羽ばたきがしたと思うと中から無数の鳥が飛び立った。鳥は四方八方に散らばり飛んでいく。
「どこもかしこも神の御域なれば 何処にも鬼の棲む場所は無し」
ざわざわと森中の葉がざわめき、黒い何かが鳥に追われ森から溢れ出ていく。
霧のような何かが集まっていき、大きな男の顔になった。
荒れ狂う魔物が憤怒の形相で口を開く。
ーー オオォォォーーーーーーーンンッ ーー
哭き声の様な吠える様な声が響いて体が衝撃にビリビリ震える。
私は思わず抜けない聖剣を投げ捨て、マリの前に出て彼女を庇った。誰かが私を危惧する呼ぶかけが聞こえたが、私はそれどころではなかった。
パンッ、パンッ!
二度、高く手の合わさる音がした。
衝撃がいきなり感じられなくなった。ふと足元を見ると、金の光に線が私と魔物の間を遮っていた。
私は思わず周りを見た。
マリを中心に、円で囲まれた五つの角を持つ星が大きく光で二人の足元に描かれていた。ソレが魔物の攻撃を防いでいる。
森を含んだ一帯には、魔力がものすごい勢いで風の様に吹き荒れているが、中心にいる私とマリは髪一筋吹かれていない。
いつの間にか森を囲んで金色の網のようなものが囲っており、ソレが少しづつ窄まっていく。霧のような魔物がそれに押されて集結させられつつあった。
「諸々の悲しみ苦しき事 うら寂し
恐れ荒ぶる心をば たちまち天津奇鎮詞によりて 鎮め奉らん
幸魂 奇魂 和魂 空津彦 奇しき光 天の火の気 地の火の気
ふるえ ふるふる ふるえ ひとふたみよ いつむななや ここのたり ももちよろず」
オォォォーーーーーーーンンッ……
魔物が大きく震え、金の網に絡まっていく。何かを振り絞るような声をあげて哭きながら。
やがて10個の人の頭くらいの光の玉に分かれると、マリの手前に降りてきた。
「魂縛!封印!」
光はマリの首飾りの変わった形をした紅い宝石の中にそれぞれ収納された。
暗かった森が明るくなり、澄んだ緑の空気が戻っていた。
話に聞いたかつての母、いや聖女より遥かにすごい力だった。