待ち人は……。2
「これを君に返そうと思う。」
そう言って義父は佳代子へ贈った婚約指輪を差し出した。
まだ夏の暑さの残る夕暮れに銀の指輪が光っているのを、どこか他人事のように見つめていた。
「あれから5年経った。君もよく待っていてくれた。
だが、そろそろ限界だと思う。
聡くん、君はまだ若い。良い人を見つけ、新しい人生を歩んで行ってもいいはずだ。」
結婚式の途中で、いきなり新婦が消えた。
ビデオで何度も確認したが、消えたとしか言いようがなかった。
最初は皆何かのジョークか演出かと思っていた。だがいつまでも新婦が現れず、新郎と結婚式場のスタッフが騒いだので、客達も演出ではないと騒ぎ出した。
それからは大騒ぎだった。
警察を呼び、辺りをみんなで探し回った。
ーーー結婚式は当然中止。佳代子が署名した婚姻届だけが残った。
佳代子の親と聡の親が反対したので婚姻届は出さなかった。
佳代子が今どんな状態か分からなかったというのもあったが、佳代子と一緒に出したかったからだ。
結婚式場は『花嫁が消える』という噂が流れて潰れた。
5年の間に親類や友人達と一緒に佳代子を探したが、手がかり一つ掴めなかった。
「義父さん達はこの後どうするんですか?」
「定年まで働いて佳代子を探すよ。あの子の親だからね。」
「なら僕にも探させてください。僕は佳代子の夫です。」
「あの式自体、もう私には夢であったとしか思えないんだ……。
佳代子は確かにいたんだ。あの子が赤ん坊の頃から大人になるまでずっと見守ってきた。
これから独立して家庭を作り、君と一緒に幸せになると言っていたのに……。
私もそれを信じたから君との結婚を祝福した。
だが結果はどうだ?………聡くん、君は何も悪くない。おそらく佳代子も。
世間では君に『花嫁に逃げられた男』として同情的だ。
今なら間に合う。君の出世やこれからのためにも、佳代子のことは忘れ、新しい人生を歩むべきだ。」
自分だって佳代子を見ていたのだ。会社で見せるちょっとした気遣いやフォローに幾度となく助けられていた。その事に奢るわけでも無く、下手に男に媚びを売らず、真摯に仕事と客に向き合う姿勢に惚れた。
彼女はたいそうモテたがその分同性のやっかみもすごく、それらをはねのけて何度もアタックして、ようやく捕まえた妻だったのだ。
「僕は、佳代子を諦めたくありませんっ!僕の意思で佳代子を忘れたくないんですっ! !」
ーーー ありがとう。
不意にそんな声が聞こえて二人は戸惑って辺りを見回した。
その二人の前を弱々しく光りがすぃーーと飛んできて、座卓の真ん中に留まった。
「あら、珍しい。蛍だわ。」
この家の妻君が冷えた麦茶をお盆に持ってきていた。
「この辺りで見ることができるんですか?」
「いや、昔はよく見たが、最近見てないなぁ。」
「珍しい事もあるんですねぇ。何かいい事がありそうだわ」
『…………………』
「おやっ?何を話していたのだったかな?」
「ーーーアレ?え〜とえ〜と、あぁっ!そうです!豪華客船での旅行について注意事項を話しにきてたんでした!」
「いやぁねぇ〜。お父さんたら。ボケるのはまだ早いわよ?
これから世界中を回るのに!」
座卓の上にあったはずの指輪は無く、代わりに聡が勤める会社のパンフレットがのっていた。
3人が話題に花を咲かせている頃、その家の一室が空室になった。
誰かがいた痕跡は全てこの世から無くなった。
庭の片隅で黒装束の男が指先に蛍を留め、何かを話していた。
そしてうなづくと一陣の風とともにいなくなった。
「母さん、どうしたんだい!? 何で泣いているんだ?」
夫の言葉に知らぬ間に涙が流れているのに気づいた。
よく見れば、夫も旅行会社の方も涙を流している。
「あれ?ど、どうしたんでしょうね、僕。」
「おかしいなぁ、蚊取り線香の煙が沁みたか?」
「変ですねぇ、みんなして。」
ほほほと笑う妻とそれに習って夫は笑う。
だんだん暗くなる庭に、小さな蛍が光っていた。
******
『ファイッオォーーーー!!』
最終回なので円陣を組んで気合を入れた。
母校の野球部最後の予選ーーー信じられないことに、決勝まで進み接戦になった。
その最後のバッターがいきなり消えた。
消えたのは池田豊。俺らのチームの主砲でムードメーカーだった。
野球場は騒然となった。
テレビで全国に流れ大騒ぎになったが、アレから7年ーーー未だに豊は見つからない。
野球場は閉鎖され、取り壊された。土地を掘り返してみたらしいが、何も出てこなかったらしい。
豊の家族はもちろん、俺らも探したが何の手がかりも無かった。
7年経って豊の両親は捜索を打ち切って、死亡届を出す事に決めた。
ならあの葬い試合をしようと、当時の向こうの生徒に連絡を取って試合をする事にした。
あの時ウチは9人ギリギリしかいなかったのと、あの時点で対戦相手の方が点が多かったから、あっちの学校が出場権を得る事になってしまった。
お互い納得がいかなかったのは同じだった。
お盆の時期で休みが重なる事ができたので、双方の元部員が揃うことができた。こちらのチームは豊の代わりに、豊の弟の実が俺らの仲間に入る事になった。
実はあの後野球をすることを家族からいい顔をされなかったらしい。
だが「兄ちゃんが教えてくれた」と言って譲らなかった。
今では高校のエースピッチャーだ。
河川敷の解放された草野球場を借りて、この試合に臨んだ。
試合は白熱し、最後のバッター・実がバッターボックスに入る。
「みのるぅーーッ!手堅く行けぇーー!」
観客と選手から声援が飛ぶ。
ツーアウト二塁で既に後はない。まず様子見で相手はボールだった。次は鋭いカーブ。これはストライク。
相手のピッチャーは当時のピッチャーで、あの後進学し大学で野球をしたが、故傷してプロを断念したらしい。今では自動車会社の営業と野球同好会でがんばっているらしい。だからあまり投げないけど、コントロールは抜群だ。
だが実はボールの速さと道筋について行きつつあるようで、ファールが続いている。
あの粘りが豊に見えて……。
「ゆたかぁーーーーっ!いっけえーーーっ!」
ーーー キィンッ!
打たれた打球は遠くの入道雲に吸い込まれていく。
おおーーーー!!
きゃあーーーーぁ!!
「まわれまわれまわれ!!!」
「いけいけいけいけぇーーーーー!」
大きく打ち上げられたボールはどこまでも飛んでいく。
二塁にいた走者は三塁を蹴ってホームへ。
実はそれに追いついてすぐ後にホームベースを踏んだ。
「すんげぇ〜〜!ここ野球場だったら、絶対ホームランだったなぁ!」
「さすが現役は違うっ!」
思わずベンチを立って駆け寄った。……が。
「あれ?」
「あれ?実は?」
「あれ?今いたよな?」
先に帰ってきた加藤とハイタッチして実を探したが、見つからない。
まさか、あの時のように?
最悪の予想をしてみんなで青くなりかけたら、ベンチの方から実が慌ててかけてきた。
「すいません!トイレ行ってて遅れました!」
『ーーーーーは?』
「待て待て?今打者で出て、ホームラン打っただろう?」
「加藤の後に走ってホームインしたよな?」
「え?俺、今来たんですよ?俺すっ飛ばして、誰かボックス出ました?」
「イヤイヤイヤ!流石にそれは分かるから!ほかのメンツ、ベンチに揃ってたし!」
相手チームのキャッチャーと審判やってた元顧問も交ざって話をしていたら、俺らに戸惑った相手チームも集まってきた。
「どうした?何騒いでんだ?」
「あの〜、さっき三塁踏んだ時、これ落としてったようだけど……」
サードが差し出したのは、色褪せた青い学業成就のお守り。
それを見て実が顔色を変えた。
「!これっ、どこで?」
「いやだから、さっききみが落としてったんだって。」
「これ、兄ちゃんがあの日持ってったヤツだ!」
その言葉にみんなが固まった。
何でも試合の朝、母親が前日買ってきた御守りを渡したのだが、間違えて学業成就の御守りを買ってきたのを、渡したその場で実が気付いてしまったそうだ。
つい実が口にしてしまったが、豊は「母ちゃんのこもっている気持ちは、本物だから」とそのままポケットに入れ、持って行ったらしい。
遺留品で見つからなかったので、豊が持っている可能性は高かった。
それから大騒ぎになり、みんなで捜し回った。
土手の上や川向こうまで足を伸ばして、探しに探した。
陽が傾く頃ようやくみんなで集まり、バーベキューをしながら、黙って酒を交わした。
「お盆でみんなが集まってるから、帰ってきたのかもしれないなぁ。」
「アイツも決着つけたかったんだろうなぁ」
恩師と豊の父親のしんみりとした言葉に、みんな、スンと鼻を鳴らした。
早苗ちゃんと豊の母親が泣いていた。
コオロギの鳴く声が草野球場に流れていた。
豊はそのまま死亡届が出された。
俺たちの長い夏がようやく終わった。




