序章:小さな星の話を、しよう
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最初に現れたのは、アルカーだった。
遥か遠く、別の星で生まれた生命がやがて繁栄を終え、滅亡した。
その終わりの間際、その星で生まれた全ての命の情報を宿した、
"終末"のアルカー。
その存在は星の海を渡り、やがて焼け爛れた土くれにたどり着き――
精霊の卵と化して、新たな生命を芽吹かせる"始原"のアルカーへとなった。
"始原"のアルカーからは、まず"形"の精霊が産み落とされた。
"土"の精霊と、"水"の精霊。獣の姿を為した精霊たちは星を
冷え固まらせ、そこに住まう生物の原型を生み出した。
続いて生まれたのは"命"の精霊。
"炎"の精霊と、"雷"の精霊は"形"の精霊が生み出した無生物に、
命を宿らせた。熱き躍動と、激しく反応する反射神経。
そうして"生命"の原型は形作られた。
だが……本来生まれるはずの、最後の精霊。
"心"の精霊――"光"と"闇"の精霊は、産み落とされなかった。
それは、この宇宙でよくあること。
雛が殻を破れず死ぬように――精霊もときに、未成熟なまま沈黙する。
そしてこの星――地球は、死の星となるはずだった。
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遠く、遠く、別の星。この宇宙の片隅で、少し異質な進化を遂げた文明があった。
その星では高度に発達した科学技術により、この宇宙に存在する数々の神秘を
解き明かしていった。
空間を曲げ寄せ、繋げる技術。
限りなく生命に近い、機械仕掛けの有機体を生み出す技術。
そして――精霊の存在も、彼らは知っていた。
長い長い時の果て、彼らは自らの手で精霊を模倣することを決めた。
精霊が"アルカー"という種に生命を込めて、この宇宙に放出する存在ならば。
自らの手でこの星で繁栄した霊長類を統合し、限りなくアルカーに近い存在として
この宇宙に永遠に己らが生きた証を残そうと――そう、願った。
彼らの願いは、果たされた。
この宇宙で、"人"が為したものとしてはもっとも深淵にまでたどり着いたその知識を
もって、一つの統合生命体を生み出した。
その星で繁栄した全ての人類が――その体が、命が、心が――感情が、
融合した擬似的超越存在。その完成を持って、文明は終焉を迎えた。
新たに生まれた統合生命体には、目的がなかった。
彼にとっては"生まれること"そのものが目的であり、
"存在し続けること"さえしていれば他にやることもない。
戯れにグレートウォールを渡り、超弦理論を完成させたり、ブラックホールの中心を
覗いてみたり……人智を超えた、しかしながら無為な時間を過ごし続けていた。
退屈だ。
やがて統合生命体はそんな感情に支配されつつあった。
永遠に、この暗い宇宙でただ一人漂い続ける。
苦痛とは感じなかったが、さりとて喜びもない。
ただただ続く、永遠の無為。
それも致し方ないのかもしれない。自身は、生きるために生まれた命ではない。
ある種のモニュメントに、すぎないのだから。
作られたからには、その役目をまっとうしよう。
その思いはあれど――もはや彼が使命を果たし続けることを望む者も、
滅んで久しい。時に虚無を感じるのも、やむなきことだろう。
どこまでもどこまでも続く――黒い宇宙。
宇宙の終わりまで、ただその暗闇だけが広がるかと思えたが――
統合生命体は3億光年ほどの近場に、新たな光が生まれたことを
察した。暖かさと厳しさを兼ね備えた、躍動する光だ。
統合生命体のデータベースには、その正体が刻まれていた。
興味をもって、近づいていく。
はたして、その正体は精霊だった。
彼を生み出した文明が遺したデータどおり、"形"の精霊と、"命"の精霊が
星をとりまき生命を生み出しつつある。いや――
(足りない、ようだ)
……本来、生まれるはずの"心"の精霊が、いない。
"心"の精霊は、"形"と"命"の精霊が創り出した生命の容れ物に、
感情を与える。
感情とは――生きるための、原動力。
腹が減ったと思うから、エサを得ようとする。
怖い、と怯えるから、隠れようとする。
痛い、と感じるから、逃れようとする。
楽しい、と喜ぶから――生きようとする。
感情がなければ、生命は何もしない。
動くことも、望むこともせず――そのうちに、死ぬ。
統合生命体にすれば、所以なきこと。
ただ精霊が生まれると言う貴重な機会に恵まれ、
そして役目を果たせず死に絶えるさまを観察する、ただそれだけの話。
(……役目を果たせない、か)
――少しだけ、統合生命体は興味を抱いた。
彼ら精霊は、明確な使命を持って生まれてくる。
どこか別の世界から渡された生命のバトンを、違う星で産み育てていき
またいつの日か訪れる終末の時、新たな生命の種を別の星へと送り出す。
それが、精霊の役目。
(……だが、彼らはその使命を為せぬまま、消えていく……)
統合生命体は――哀れに思う、ということを覚えた。
彼は、精霊を元に生み出された擬似的な超越存在。その計画は見事成功し、
与えられた役目を忠実にこなし続けている。
いっぽうで、目の前にいる精霊たちは、紛うことなき本物の超常存在。
にもかかわらず、未成熟な彼らは己の為すべきことも為せぬまま悲嘆に暮れている。
(……せっかく生まれたと言うのに、何も為せぬまま消えていくのか)
統合生命体はそれを"もったいない"と感じた。生まれたからには、
生まれた意味があるはずだ。可能な限り、その意味を果たさせてやりたい――
そう、思った。
だから――統合生命体は、精霊に接触した。
彼らの足りないピースを埋めるために。
「足らぬなら、私が分け与えよう」
精霊たちの動揺が、伝わってきた。
彼らも自分たち以外の何者かに話しかけられるなど、
想像の埒外だったに違いない。
統合生命体。すなわち、擬似的なアルカー。
その身には、かつて別の星でおおいに繁栄した人類の全てが詰まっている。
知識。
知能。
技術。
肉体。
文化。
文明。
精神。
――感情。
限定的ながら、生命が持つありとあらゆる要素が、彼の中に凝縮されている。
なら……精霊の一翼の役割ぐらい、肩代わりできるはずだ。
「おまえたちが望むなら……私が保有する、"感情"を分け与えよう。
ここに産み落とされた、生命たちが自ら望み、生き抜くように」
精霊たちは――彼を受け入れた。
統合生命体は自身の中に眠る感情の大半を生命たちに受け渡し、彼らの生きる
原動力として根付かせた。
そうして――地球は、"生命ある星"として出発した。
精霊たちの役目は、終わった。
星を形作り、命を作り、そして彼らが生きていくためのお膳立ても終えた。
精霊たちがやることは、もうない。
いつかこの星が滅び、ふたたび全ての命を統合して別の星へ旅立たせる――
"終末"のアルカーが生まれるその日まで、彼らは眠りにつくだろう。
統合生命体は――眠らなかった。
眠るという機能が、存在しないからだ。
だから精霊たちの代わりに、命を見守り続けた。
さして目的あってのことではない。ただ、やることもなく見ているだけだ。
だがなかなかに飽きないものだ。生命の躍動というものは。
みなそれぞれが自身の感情に従い、生きていく。
様子が変わってきたのは――今で言う紀元前一万年から三千年ほど前、
チグリス・ユーフラテス川あたりに居を構え恥じめたある種の生命群が
台頭し始めた頃だろうか。
彼らは、統合生命体の持つ知識や技術といった要素を色濃く受け継ぎ
特に発展した生命体のようだった。瞬く間に他の生物を圧倒し、
その版図を広げていった。
だが――どうにも、欠点があった。
彼らは、己の欲望に忠実すぎた。
時に我欲を満たすためにその地に住まう動物を皆殺しにし。
時に怯懦に狂い、同胞すら迫害し、虐殺した。
あまりに――暴虐が、過ぎた。
ことここにいたって、統合生命体は事態の深刻さに気づいた。
彼らは、間違いなくこの星における霊長類。
だが――統合生命体が与えた感情を、制御しきれていないのだ。
強すぎる感情に、彼らの理性が追いついていない。
欲望の強烈さを、抑えておけないのだ。
このままでは――この星の生命は、自身が分け与えた"感情"によって、
自滅の道をたどってしまう。
統合生命体は――"焦り"、という感情を自覚した。
どうにか、しなければならない。
この星に命を与えた一助を為したものとして、この事態を
解決しなければならないだろう。
統合生命体は長い長い時間を思索にあて――やがて、行動に移し始める。
そのために必要なものを、集めながら。
統合生命体は――行動を、開始した。
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