第五章:03
・・・
「――こいつ、は!」
火之夜は、驚愕していた。水が縦横無尽に暴れ狂い、天津を取り込む。
そして水球が一瞬明滅したと思えば――はじけとんだ。
大量の水が降り注ぐその中から現れた、青いアルカー。
その姿は――先日、火之夜を襲ったアルカーだ。
アルカー・ヒュドール。
水を操る、四人目のアルカー。
それがまさか――人類を裏切ったこの男だったとは。
――桜田から呼び出され、わけもわからず着いていった先にいたのは
いまだ病院で眠っているはずのほのかだった。
「すまんな、火之夜。おまえまで騙すような真似をしてしまって……」
心底申し訳なさそうに謝る彼女によると、とうの昔に彼女は快復していたらしい。
が、自身が倒れたと言う情報そのものを好機ととらえた彼女は、この機会に
かねてからの懸案事項に片をつける決断をしたという。
「……CETには、裏切り者がいる。
たんなるスパイではない、もっと根深いところにいるはずだ」
そう断言したほのかは厳しい表情をしていた。
確かに、不可思議なことはいくつもあった。
何度も行われた、ホオリへの襲撃。先日の火力演習場襲撃。
いや、もとを辿れば十二年前の超常犯罪集団対策課の壊滅も、
警察組織、そしてCETに対し大きな影響力を持つ人間にフェイスダウン側の
内通者がいることは、明白だった。
そうして浮かび上がってきたのが――刑事局長、天津稚彦の存在だ。
確かに、雷久保夫妻と連絡をとっていた数少ない人物である彼が
脱走した彼の足取りをつかむことも、数ヶ月前の襲撃も手引きしたとすれば
つじつまがあう。
そして今、決定的な証拠を抑えることに成功した。
あとは彼を捕縛し、情報を吐き出させれば解決かと思われたのだが――
「……改人である可能性は想定していたが、まさかおまえが襲われたと言う
四人目のアルカーだったとはな……」
退避してきたほのかが苦々しくつぶやき、そんな彼女を庇うように
前に出る火之夜。が、装身した天津……"アルカー・ヒュドール"は
敵対するようなそぶりを見せない。
「……おまえたちは私を追い詰めたと思っているようだが……
かえって、この事態は私にとっても都合がいい」
「……なに?」
水滴を模したようにも見えるその容貌。青いプロテクターに全身を包んだ
ヒュドールは、人間だったころと相変わらず陰気な声でぼそりとうそぶく。
「……おまえたちの目的は私の捕縛と言うより……
フェイスダウン、その本拠の在りかをはかせることだろう?」
「……都合がいい、とは……?」
「望みどおり、教えてやろう。
フェイスダウンが誇る威容、"ヘブンワーズ・テラス"。
その天空城へと繋がる、深海の門を」
どるん、とヒュドールがXinobi650のスロットルを開きそのまま
海へと突っ込んでいく。
アルカーの力で保護された車体は支障なく海中へと没し――姿が
見えなくなる。
「――くっ……!」
「待て、火之夜! 見た限り、奴は海中で行動できる!
おまえ一人では不利だ!」
追従しようとした火之夜を、ほのかが圧し留める。
たしかに、"水"の精霊を宿した、というだけあってヒュドールは水を
操る術を持っているらしい。火を操るアルカー・エンガとは対極的だ。
だからといって、ほのかや桜田たちがここまで追い詰めた相手を
みすみす逃がすわけにも――
そのとき。
ざっ、と何かが退くような音が、鳴り響いた。
何事かとヒュドールが没した先を見つめると――
海が、沈んでいく。
いや、海面が二つに裂け、そこに道が生まれていくのだ。
まるで旧約聖書にでてくる、モーセの奇跡のように。
ざざざっ、と大海嘯の音が鳴り響く。
深く深く海の道は抉られていき――沖合いへと続いていく。
そして、その先に現れたのは――
「――うッ……!?」
「……な……なんだ、アレ、は……」
ほのかと二人して、言葉を失う。
長く続いていく、海の道。その先に広がったのは……
東京ドームほどはありそうな、巨大な基地だった。
遠目ながら、いくつもの発着場が見える。そこには以前見た
フェイスダウンの隠密ヘリの姿がいくつも存在した。
これが――これが、フェイスダウンの本拠地なのか。
「――これが奴らの本拠地、だなどと思ってはいまいな?」
乾いた声に意識を引き戻し、道の先にいる人影――ヒュドールに目がとまる。
「あれは、奴らの本拠地に繋がるフェイスダウン最大の転移装置にすぎない。
……奴らとの戦いにケリをつけたいならば、まずはあそこを抑えるんだな」
「――貴様、どういうつもりだ!?」
あっさりと重要拠点の存在を暴露したヒュドールを厳しく問い詰める。
が、さして気にした風情もなく軽くこたえる。
「お前には以前いっただろう? 私はフェイスダウンではない、と。
……私には私の野暮用が、ある。その所用を済ませやすいよう
――お前の働きには、期待しているぞ」
「待ッ……!」
今度はこちらの制止に振り向くこともなく、Xinobi650を走らせその姿が
どんどん小さくなっていく。
誘われている。
その目的がなんなのかまでは、わからないが。ヒュドールの……
天津の狙いは、容易く読み取れた。
「……行きます」
「待て、アルカー! 一人では危険だ!
いま、ノー・フェイスを……」
ぐりっ、とアクセルをひねり、エンジンの回転数をあげる。
「……この道がいつまで開いているものなのか、わからない。
確かに危険だが――だからこそ好機なことに、かわりはない」
「火之夜……!」
ほのかが必死の形相で圧し留めようとする。
その姿を見て、ふっと笑う。
仮面の下に隠れて、見えないだろうが。
きっとその笑顔は相手に伝わったはずだ。火之夜には、
それだけの絆がほのかとの間にある。
「……もう、うんざりなんです。
フェイスダウンどもに、色んな人々が傷つけられ、嘆くのは。
それに――」
「……それに?」
少し逡巡して口ごもった先をほのかが促す。
ちょっとだけ照れながら、素直な気持ちを口に出した。
「……また貴女が傷つく日がくるかもしれないと思うと、
自分が抑えられないんだ」
「……………………ばか」
ほのかが少しうつむき、小さく呟く。
まだ彼女は引き止めたがっているようだが、今度はとまらない。
前輪をめぐらし、海の道にNX-6Lのタイヤを乗せる。
こいつももはや、もう一人の相棒と言っていい存在だ。
どうか、連れて行ってくれ。フェイスダウンの心臓へと。
その猛禽の爪を、突き立てるように。
・・・
「はぁッ……! はぁッ……! くぅ、ふぅ……
フェ、フェイスどもめ!」
「一体どれだけ沸いてでてくるのよ!?」
息切れしたヤソ・マの隙を補いながら、なんとか転送装置にたどり着いた
シターテ・ルとヤク・サ。幸い、装置はいまだ稼動しているようだ。
「……」
「なにしてるの、ヤク・サ!? 行くわよ、はやく!」
一瞬とまどいをみせた鬼型大改人の尻を蹴り飛ばしながら、装置に乗り込む。
わずかな時間空間が歪曲し、フェイスダウンの本拠地"ヘブンワーズ・テラス"から
駿河湾の深海にある拠点へと転移する。
「……妙だと、思わんか」
「全部妙でしょう!?
なんでこの私たちが、フェイスどもに追い立てられなければならないの!?」
最悪だった。
ほんの数時間前まで、自分たちはこのフェイスダウンにおける権力者であると
信じて疑っていなかった。
それがいまや、戦闘員ごときに追い回される敗残者のような有様だ。
なんとみじめなことか。
「……確かに、妙だな」
「なにがよ、ヤソ・マ!?」
「フェイスどもは――我々を捕縛しようとしている。
なのに、何故――転移装置が、使えた?」
はた、と気づく。
確かに、そのとおりだ。フェイスどもはこちらを追いたて、容赦なく
攻撃を加えてきている。だがそれならば転移装置など真っ先に
封鎖しておくべきものではないのか。
「……それって……」
「罠へと追い立てられている、ということだな……」
うなるようにヤク・サが声を絞り出す。
三人ともがしん、とだまりこくるが――
「――三大改人ヲ発見。全フェイスハ急行セヨ」
「――ああ、もう!」
混乱している暇さえない。部屋に入ってきたフェイスを蹴散らしながら、
外へ繋がる通路へひた走る。
いったい、何が起きているというのか。何が起こるというのか。
総帥フルフェイスの思惑さえつかめないまま、かつて三大幹部として
フェイスダウンに君臨していた大改人たちは、ほうほうのていで
逃げまどっていた――。
・・・




