第五章:FULL FORCE
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ばぎり、といやな音を立ててノー・フェイスのプロテクターがひびわれる。
――いやな音、とは。そんな風に感じた自分が、意外だった。
ホデリは、自分の手がつかんだ感触を意識する。
その手に握られているのは――フェイスの、心臓部。
フェイスたちの原動力となる、正真正銘のブラックボックスだ。
ノー・フェイスから引き剥がされたその心臓が――手の中でどろりと、溶け落ちる。
ぱちり、と雷光が彼の体表を走ると――アルカー・アテリスとしての装甲が
その傷へ吸い込まれるように消失する。そして――だらり、と腕が垂れ落ちた。
ノー・フェイスは、死んだ。この手で、殺した。
「――…………ッッッッ!!!!」
ホオリが、自身が血を分けたたった一人の妹が青ざめて言葉を失っている。
脚を震わせ、今にも倒れそうなほど顔を白くさせ唇を噛んでわなないている。
ずっと、その顔を見たかった。
両親に、そしてノー・フェイスに救われた彼女が負うはずだった分の苦痛まで、
ホデリは背負って生きてきた。生かされてきた。
血を分けて生まれてきたのだ。
なら、苦しみだって――少しくらい、わかちあってくれたって、いいはずだ。
――ずっと、そう考えて生きてきた。
いたぶっていたぶって、彼女の拠り所であるノー・フェイスを
絶望させて、目の前で――壊してやれば。
きっと、気が済むはずだ。
……ずっと、そう考えて生きてきた、のに。
いまホデリの心にあるのは、右腕に伝わるいやな感触のことだけだ。
フェイスたちに、多くの人々を襲わせた。
何人もの人々を傷つけてきた。
だが――命を奪ったのは、初めてだった。
(……なんて、おぞましい感触……)
自身のその感想に驚きを禁じえない。
もっともっと、すっきりするものだと思っていたのに。
今は、不快さしかない。
「……イスッ! ノー・フェイスッッッ!!!」
ホオリが必死に、今は動かない鉄クズの名を呼ぶ。
感情を奪われたと言うのに、滂沱して走りよってくる。
そうだ。
一番大事なものを奪われて、悔しいでしょう?
貴女と同じ顔をした私が、憎くて憎くてたまらないでしょう?
ホデリは昏く陰気な感情に支配されていく自身を冷めた目で見つめる。
この喜びも怒りもなく、ひたすらに冷たく自分をとりまく全てを
蔑むこの思いこそ――自分の本質だ。
誰よりも下劣で無価値な自分の本質。
……だから、誰も自分を救わない。
誰も自分を、受け入れない……。
(ホデリ。オレが憎いなら――それは正しい怒りだ。
ぶつければいい。その悪意の全てを!)
……。
そんなことを言った仮面は、もう動かない。
やっぱり、誰も自分を受け入れたりしない。
そうだ。
何を惑わされていたのだろう。
自分は、救われない。受け入れられない。受け入れられてはいけない、
愚劣な人間なのだ。その自分を救おうとすれば、この人形のように――死ぬ。
だから両親も自分を置いていったのだ。きっとそうに違いない。
なら、どこまでも愚劣になろう。
誰からも蔑まれ、憎まれる愚か者へと自ら堕ちようではないか。
視線を動かなくなったノー・フェイスの向こうへとやる。
くしゃくしゃになった顔で駆け寄るホオリが、ひどくゆっくりとした歩みに見える。
血を分けた、たった一人の妹。
それを殺せば――自分は本当に、救いようのない存在となる。
さあ、ノー・フェイス。救ってみたら?
私を救うなんて言う前に、誰からも愛された、愛される資格のあるあの子を。
胸中で躯に侮蔑をなげかけ、その体から右腕を引き抜こうとして――
できなかった。
「……え?」
がしり、とホデリの右腕に絡みついた屈強な掌。両手で挟み込まれた細身の腕は、
万力に挟まれたようにぴくりとも動かない。
「……それで……おまえは、満足したの、か……?」
ゆっくりと。
ゆっくりと――ノー・フェイスが、顔をあげた。
心臓部を破壊され、もう動かないはずの躯が、なによりも力強い腕で
ホデリの凶行を圧し留めている。
「……う……うそ、だ……」
「言った、はず、だ……オレは、お前の気持ちを全て受け止める、と……」
ぐぐっ、とホデリの腕を少しずつ引き抜いていく。だが、けして離さない。
ホデリ自身、暴れることすら忘れていた。
なぜ、死なない?
そしてなぜ――殺された相手にまだ、そんな言葉をかける?
「……お前は……お前は、救われていいはずだ。
もう――誰かがお前を、救ってやっていいはずなんだ」
がりがりとプロテクターにホデリの腕がこすれていく。
そのひどくおぞましい感触と、ノー・フェイスの手から伝わる力強い思いがホデリの
胸の中でごちゃ混ぜになって、混乱してしまう。
「……ホオリ。泣いて――いるのか」
「え……」
振り向くこともなく、ノー・フェイスが唐突にホオリに話しかける。
脈絡のない言葉だ。泣いたから、どうだと――
「オレには……泣くことができない。その機能が、ない。
今まで気にしたこともなかったが――今はそのことが、悔しい」
ノー・フェイスの仮面の中心。そこに光る青い単眼が、ホデリの顔を
まっすぐに射抜く。
ぶるり、と震えてしまう。恐怖? この私が?
一瞬そんなことが頭によぎるが、すぐに違うと知れた。
これは恐怖ではない。何か、別種の感情だ。
……これまで奪われるばかりの人生で、芽生えたことのない、
未知の感情。
逃げたい。
ノー・フェイスからではない。自分でもつかめない、己の内に生まれた
この感情の正体がつかめなくて、それから逃げたくてたまらない。
「逃げないでくれ」
ノー・フェイスが、しかとホデリの顔を見据える。
「オレは……いや、オレたちは、みんなお前を救いたい。
だから……逃げないでくれ。『救われたい』という、
おまえ自身の希望から」
「う……」
希望。
そうだ。この感情は――希望だ。
この仮面なら自分を救ってくれるかもしれない。
そんな、淡くて儚い――そして生まれてからずっと渇望してきた思いが、
現実のものとなるのではないかという、そんな期待――すなわち、"希望"。
己の身を、命を挺してなお"ホデリを救う"と言って憚らないその姿に、
ホデリは揺らぎを感じていた。
嘘だ。
ありえない。
誰も本気で救おうとなんてしない。
そんな資格がある人間ではない。
おまえは――救われていい人間では、ない。
ホデリの中の悪意が、その生まれたばかりの"希望"を押しつぶそうとささやく。
だが――目の前にあるノー・フェイスの顔がそのささやきを霧散させる。
けしてそらされないその瞳。
強く、堅い意志が仮面の内側から確かに伝わってくる。
ホデリは――
「わ……わたし、は……」
「――やはり、急造品ではこのあたりが限界、か」
びくり、と肩が震えた。
同時に鮮烈な恐怖が――機械的に植えつけられた恐怖が、ホデリの
全身を支配する。
「ガッ……あぐっ、う、あ……あああああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁッッッ!?!?」
「――ホデリッッッ!?」
ずるり、と腕がノー・フェイスの胸からすべりおち、自身も崩れ落ちる。
地面に倒れる直前、彼の太い腕が支える。
「どうした、何が――!?」
「……ッッす、い……ッッッ」
視界が白濁し、呼吸ができない。
病気かなにかではない。洗脳による反乱防止措置によるものだ。
ホデリは、フェイスダウンには逆らえない。
いや――その最高指導者に逆らえないのだ。
死ねと言われれば、死ぬしかない。
その男は――音もなく、空中に浮かびたたずんでいた。
ゆったりとしたローブに全身を包み隠し、表情を覗えないよう
目深にフードを被ったまま、ホデリを見下ろしていた。
「――フェ、フェイスダウンが最高指導者にして、フェイスダウンそのもの――
フェイスダウン総帥……フルフェイス……ッッッ!!!」
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