第四章:02
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ノー・フェイスとエリニスが、対峙して間合いを計る。
戦闘経験では、ノー・フェイスに一日の長がある。が、先日の戦いを見る限り
目の前の少女はアルカーの力を引き出す措置が取られているようだ。
人体実験。
その言葉を思い浮かべると、胸が痛む。
この少女はフェイスダウンの研究所で、一体どのような目にあってきたのか。
想像することすらできないが、人生を奪われたという意味では、
確かにホオリの比ではあるまい。
おたがいににらみ合い、動かない。
(……意外と、戦い慣れている……?)
評価をあらためる。ノー・フェイスの電子頭脳はめまぐるしく戦況をシミュレートし
あらゆる展開を考慮している。つまりは、"先を読んでいる"わけだ。
その読みが、膠着している。迂闊に動けば致命的な一撃をもらいかねない、
その危惧がノー・フェイスの足を止めていた。
先日より、強くなっている。
おそるべき成長スピードだ。
この数日の間で、どれほど経験を積んだと言うのか。
「……ここしばらく、ずっと"改人"を"喰って"たからね?」
――その言葉を一瞬理解できず、間があく。
そして、気づく。
「――仲間を、標的にしたというのか」
「仲間? あのできそこないどもが?」
にくにくしげな声で吐き捨てるエリニス。が、なにか思いなおしたように
自嘲して呟く。
「――そう、確かに"仲間"かもね。
もう用済み、というくくりの仲間だけど」
「……なんだと?」
意味がわからないことをたてつづけに言う。
改人が――できそこない? 用済み?
それは、単なる少女の戯言かもしれない。それにしては、やけに知ったふうな
口ぶりが気になった。
ノー・フェイスはその意味を考えながら目の前に迫った触手を見つめ――
「――ッッッ!!」
……きわどいところで、のけぞってかわす。
なかなかに、さかしい娘だ。こちらが気になることを口にして、
その隙を容赦なく狙ってくる。
もっとも、戦闘中に余計なことに気をまわしたノー・フェイスが迂闊だろう。
戒めて、大地を蹴る。ホオリを狙った触手に飛び掛り、握り締める。
「……ッッッ!!」
そこに、エリニスのとび蹴りがするどく突き刺さる。
これは、予想していた動きだ。だから、対応できた。
「……チッ」
わき腹に突き刺さったエリニスの脚を、肘と膝で挟み込む。
そのまま力任せに引き寄せ、触手と四肢を固めホオリから
引き離す。
「……ノー・フェイス……ッ!」
ホオリの声が遠くなるが、今は構っていられない。
ぎりぎりのところで、"力ある言葉"の発動が間に合う。
「"ライトニング・ムーヴ"ッ!」
「"ガイア・リザウンド"ッッ!!」
ノー・フェイスによる亜光速移動と、エリニスによる大地を引き裂く
超振動が発生するのはほぼ同時だった。
一瞬でホオリから離れ、そして周囲の大地が砕け割れ隆起する。
(……本気の攻撃は、やはり詠唱が必要か)
わずかに好材料が見えるが、やはり状況が不利なことに変わりはない。
なにしろ、相手は容赦なくこちらとホオリを殺そうとしてくる。
が、ノー・フェイスにしてみればやり返すわけにもいかない。
……それどころか、攻撃することさえためらってできないのだ。
「……アハハハハハ! どうしたの? なんで攻撃しないの?
――この偽善者がッ! 」
エリニスが、ホデリが狂ったように哄笑しながら六肢で
ノー・フェイスを打ちつける。彼にできることは、できるだけその攻撃を
受け流し、ダメージを蓄積させないことだけだ。
(どうすれば、いい……どうすれば、彼女を……救えるんだ!)
悩む。悩んで、悩み続ける。
アルカーに……それがノー・フェイスの力だと、言われた。
だが今は、なにも思い浮かばない。そのことが、悔しい。
「――いいかげんにしろッッッ!!!」
一転して怒気を孕んだ声をエリニスが叩きつける。
それと同時に放たれたリバーブローは重く、うめきながら吹き飛ばされる。
そのノー・フェイスを冷たく見下ろしながら、エリニスが吐き捨てる。
「……いったいいつまで、偽善者の仮面を被り続ける?
痛いでしょ? 苦しいでしょ? 腹立つでしょ?
――こんな小娘に、いいようにされて、罵られて!」
先ほどまで愉快そうに暴れていた少女が、今は激昂してわめいている。
まるで手の着けられない幼子のように。
「だったら――あなたも、ぶつければいい。
私を嘲笑えばいい。救われなかった哀れな娘って。
憎めばいい。理不尽なことばかり言いう、我侭な餓鬼を!!」
(……そうか……)
ノー・フェイスは、なにかを得心した気がした。
彼女は――自分の言い草に筋が通っていないことなど、百も承知だ。
両親は、彼女を救えなかった。
ノー・フェイスにも、彼女は救えなかった。
ただそれだけ。誰も、彼女をいらないなどと思っていない。
できなかった、ただそれだけなのだ。
だからこそ――彼女は救われない。
誰にも非がないなら、彼女が置いていかれたことが必然だというなら、
彼女は"助けられない"ということが生まれながらに定められていた、
――そういうことになってしまう。
それでは、彼女はあまりに救われないではないか。
誰かに救いを求めたくても、誰にも望めなかったその悲しみ。
胸がはりさけそうなその悲痛が、彼女を狂わした。
誰かに責任転嫁し、理不尽に憎まなければ痛みに耐えられなかったのだろう。
そうして理不尽に悪意を撒き散らし――やがて、気づく。
そうやって人を呪う自分の醜さに。
だから――彼女は、他人にも悪意を植え付けようとしていたのだ。
アルカーとノー・フェイスを挑発し。
ホオリを襲い、周囲の人間を傷つけようとし。
そうして相手も憎しみに染めることで――自身を慰めようとしていたのだ。
ノー・フェイスは、理解した気がする。
彼女を苛む、悪意の源を――
(……なら……)
ノー・フェイスは、覚悟を決める。
悪意に支配されている。彼女の四肢を突き動かすのは、胸から湧き出る
果てしない周囲への呪詛だ。
ノー・フェイスにできることは――
「……ホデリ」
「――なれなれしく、呼ぶな」
一転して、冷たく感情を想起させない声で拒絶するエリニス――ホデリ。
だが、ノー・フェイスは力強く呼びかけた。その氷の心を、溶かすように。
「おまえがオレたちを憎むというなら……それもいいだろう」
はじめて――ホデリが、いぶかしげな空気を見せる。
かまわず、続ける。
「オレは、お前を――置き去りにした。助けを求めるお前の声がオレに届かず、
手を伸ばさずに立ち去ったんだ。
――そうだ、ホデリ。オレはお前を見捨てた」
ホオリとホデリ。同じ顔をした二人の少女が、同じように驚愕している。
同じ両親から生まれた、同じ姿の双子姉妹。
彼女たちは何から何までそっくりで――ただ悪意の有無だけが違う。
彼女たちをわけたのは、ただ一点。
救われた少女と、救われなかった少女。
その一点だけが、二人の運命をわけた。
……認められるものか。
そんな違い、認められるものか。
ホオリは、救われた。完璧ではなかった。それでもノー・フェイスは決断し、
彼女に手を伸ばした。そうして初めて、彼女を救うことができた。
今も同じだ。
彼女を救いたいなら――とにもかくにも、手を伸ばすのだ。
「おまえの憎しみは、否定しない。蔑視も嘲笑も――好きなだけすればいい。
だが、それを受けるのはオレ一人だ。
全てをオレにぶつけろ、ホデリ。――おまえを置いていった、このオレに!!」
「……ッな……なに、を……ッッッ!?」
ホデリが、うろたえたように後ずさる。そしてそんな自分に腹立てたように、
ぐっと地面を踏みしめる。
「なにを……ほざくかッッ!! なにが、否定しない、だ!
思ってるくせに。――わかってるくせに!
私を救えなかったのなんて、仕方がないってことを!」
「仕方がなかったかもしれない。
だが、お前は救われなかった」
それを口に出すのは、心が痛んだ。だが彼女の痛みに比べれば、
どれほど軽いものか。
「おまえは、救われなかったんだ。手の届く場所にいたオレに省みられず、
ただ置き去りにされた――なら、おまえの怒りは正しい。
おまえは間違っていない。――オレだけを、憎むかぎりは」
「――ッッッ!?!?」
混乱したようにホデリが顔を抑える。かまわず、続ける。
「その悪意、好きなだけ晴らせ。オレはおまえの全てを受け止める」
ノー・フェイスは大地に脚を踏み下ろす。
彼女の全てを抱きとめ、けして怯まぬように――地面に杭をうちこんだ。
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