第三章:見慣れた顔をした 罠
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「――それで、ホオリには……なんと、説明する?」
「……」
問いかけると渋い顔をする桜田。気持ちはわかる。
ノー・フェイス自身、何を話せばいいのかわからないからだ。
だが、考えなければならないことでもある。
だからこそ、こうして食堂に足を運んだのだ。
「うーん……話さないってのも、一つの手だけど」
「ただでさえご家族がああいう状態なんだ。嬢ちゃんにゃ、
ちっと荷が重過ぎる話じゃねぇかな」
困った顔で口にくわえたスプーンをつきだす桜田に金屋子も同意する。
空になった皿の残りかすを行儀悪くつつき、難題をもてあました風だ。
「言わんでいいことは言わんでええ。それも一つの手だがなぁ」
「彼女自身、知らないことだっただろう。それはおそらく、
雷久保夫妻が彼女に余計な負担を与えたくないからだろうとは思う」
火之夜が腕組みをして推察する。この中では唯一雷久保氏と面識がある
彼の言葉だ。夫妻がそう考えていたというなら、それに従うべきかもしれない。
「……オレは、知らないうちに全部終わっちまってるってのが、
一番きらいだがね」
ぽつり、と竹屋がつぶやく。こちらの視線を感じてかちらりと一瞥をくれ
そっぽを向いて続ける。
「……兄貴がな。オレを警察学校まで入れてくれてよ。
おかげで意気揚々と新米警官になったわけだ。
……おかしいとは思ったんだよな。オレの家は早いうちに両親が死んで、
そんな金どこにもないはずだったのにな」
滅多に無いことだが、竹屋が自分の境遇について話しはじめる。
苦いものを噛み潰すような、悔恨に満ちた表情だ。
「なんのことはねぇ、ひとさまのものに手ぇつけた金だったわけさ。
そんなことも知らずにオレは警官として息巻いて働いて……
兄貴がドジしてつかまり、全て終わりさ」
手をひろげておどけてみせる。だがその声にはいつになく真剣なものが
混じっている。
「オレがなんにも知らないうちに始まって、知らないうちに終わってた。
最後まで知らないままでいられるんだったら、それもいいんだろうさ。
だが――知っちまったら、どうする?
恨んだぜ、オレは。何も教えてくれなかった周りも含めてな」
普段は斜にかまえ、世をひねくれたような物言いをする竹屋だが、
それゆえに言葉に重みがある。
ひるがえって、ホオリの立場になって鑑みる。
たしかに、何も知らないまま全てがうまくいけばそれでいいだろう。
彼女が改心し、フェイスダウンから解放され。それならば
生き別れの姉が戻ってきた。ただそれだけで終わる。
あるいは――ホデリが報われることなく、死ぬことになれば。
残酷な話だが、彼女はなにも知らないままでいられるだろう。
だが……うまくいかなければ?
ホデリは……エリニスは、世界を憎んでいた。
自分を取り巻く全てのものに、悪意を捲かずにはいられない。
深い絶望が、彼女を支配していた。
なら――自分の半身たるホオリに、その矛先が向かないとは限らない。
いや、むしろ彼女の言葉からは妹へのねたみ、羨望を感じさせた。
ただ凶刃から守るだけならノー・フェイスにもやりとげる覚悟はある。
だが、言葉の刃は――思いもよらぬ形で滑り込んでくる。
彼女がこのまま、何も知らずにいられるという保証もないのだ。
ならば、ただ黙っていても悪い方向にしか行かない可能性もある。
「……なぁ~んか、あっちもこっちも、にっちもさっちもいかないって
感じだよねぇ~」
匙を投げたように両手を投げ出す。彼女はどうも、物事を投げ出しやすい気がする。
……いや、そうではあるまい。無思慮では偵察班のエースなど務まらないだろう。
自分が手を出すべきところと出さざるところを、わきまえているのだ。
その労力の配分によって、彼女は自身の得意分野で最大のパフォーマンスを
発揮する。その割り切りのよさは流石火之夜の相棒ということか。
「……なら、その問題は私の役分ですからね……」
そういってトレイを持ち遅めの昼食にやってきたのは小岩井だ。
たしかに、カウンセラーである彼女が専門の分野だ。
彼女に任せるのが筋と言うものか。
「……頼んでも、いいか」
「もちろんです。それが私のお仕事ですから」
にっこりと柔らかく笑う彼女の表情は、見るものを安心させる。
ノー・フェイスも、この問題は彼女に任せようか、と幾分気が楽になる。
繊細な問題は、彼女に任せればいい。なら、ノー・フェイスが為すべきことは……
「……ならオレは、あの少女を助けたい」
……訪れた沈黙は、けして短いものではなかった。
「……チッ。誰もが言いにくいことを、気軽に言い放ちやがって……」
「だが、口に出して決意を示してくれたのはありがたい。
みんな同じことを思っていただろうからな」
もちろんおまえもな、と火之夜に言われ顔をそらす竹屋。
それが彼なりの照れ隠しだとわかるようになったのは、最近のことだ。
「ホオリの……たった一人の姉。彼女自身知らない、唯一の姉妹を
なんとか、救ってやりたい。両親は守れなかった分だけ……」
「言うは安し行うは高し、だねぇ」
「おいおめぇそりゃ、言うは易し行うは難しだろ……
……って、わかってていってやがるな、こいつ」
茶化した桜田を金屋子がこづく。もっとも単なるふざけとも言えない。
あそこまで絶望に彩られた少女を、どうやれば救えるのか皆目見当も
つかない現況なのだ。
「どっちにしても、まずはフェイスダウンから引き離して
アルカーの力を剥がすのが、先決だと思うけど……」
「そんな方法わかりゃ苦労はねぇよ」
呆れたように金屋子が言う。しかしもっともな話だ。
そもそも、適合者でもない人間に精霊が宿ること自体、どんな
技術を用いているのかすらわからないのだ。
「……今考えれば、連中が人間を浚ってたのは、このためだったのかね」
「だろうな。理屈はわからんが、無理矢理精霊を目覚めさせるために
人の感情エナジーが必要だった。しかしアレを持ち運ぶわけにもいかないから、
人々を浚っていた――というのが、真相だろうか」
謎はひとつ解けた。もう手遅れではあるが。
「……とはいえ、CETのお頭さまがまだ眠ってるからねぇ。
なかなか、動きが鈍くなっちゃって……」
いままでCETは半ば御厨のワンマン指揮で動いていた部分があった。
その彼女がいなくなると、どうにも指揮系統がうまく働かない。
「そういえば、天津刑事局長は何と言っているんだ?」
「今は向こうも忙しくて手が回らないから、下位の者たちで
うまくまわしてくれ、だってさ。仕方ないけど」
警察は通常運営も続けなければならない。選任の組織であるCETと違い、
そうそう融通を利かせることもできないだろう。
「……彼女の容態は?」
「相変わらずですねぇ。もうそろそろ、目覚めてもいい頃合ですが」
困ったように首をかしげ、指を唇に当てる小岩井。
その表情からは隠し事は感じられず、深刻な事態はほんとうに
過ぎ去ったとみていいのだろう。
「まあ……どちらかというと、普段の心労がたまりすぎていたのが、
一因な気もしますが……」
「……アイツには、苦労ばかりかけてきたからな……
……っと」
ついプライベートな呼び方が出てしまい、眉をあげる火之夜。
彼も少し前までは気もそぞろだった。やはり、彼にとって肉親に
近しい相手の状態は気になるのだろう。
(家族、か……)
ノー・フェイスは心の中でひとりごちる。
つい先日も、そんなことで悩んでいた気がする。
そう、ノー・フェイスは彼女の両親も救えなかった。
いや、見殺しにしたのだ。その責は、彼を苛んでどうしても拭えない。
そのうえ、姉まで見殺しにしていたとは。
ノー・フェイスにはそれがたまらなく悔やまれてならない。
だから……
「……今度こそ、救ってやりたいんだ」
・・・
ホオリは、"学校"のある日だった。
もちろん、本当の学校ではない。CET内に用意された単なる教育所だ。
勉学はできるが、共同生活はできない。
彼女にしても、それを不満に思うことは無かった。仕方が無いことだと
割り切っても、寂しさは沸いて出てくる。
だから、今日は"学校"ではなく食堂で昼食をとろうと思った。
あそこには、みんながいるから。そして――ノー・フェイスがいるから。
なぜ、今日にかぎってそんなことを考えてしまったのか。
おとなしく、"先生"と食事をとっていれば、何も聞かずにすんだのに。
「ホオリの……たった一人の姉。彼女自身知らない、唯一の姉妹を
なんとか、救ってやりたい。両親は守れなかった分だけ……」
それは、ノー・フェイスの声だった。食堂の外にいたホオリの耳にも
よく通る、低く響く声。
いつもなら安心感をえられるその声が、今のホオリには深く
突き刺さるような鋭さを感じてしまう。
その鋭利さから逃げるように、ホオリはその場を立ち去った。
(私の……姉。私の知らない、私の……肉親……?
たった一人残された……私の……)
血を分けた、家族。そんなものが、いたというのか。
そして救わねばならないとは、一体どういうことなのか。
感情を奪われた彼女の心の中で、困惑ばかりがめぐっている。
聞けば、わかるのに。
その勇気が、フェイスに奪われたかのようにどうしても沸いて来ない。
物陰でうずくまり、胸を抑えて縮こまる。
今の彼女には、そうする以外に自分の心のやり場がわからなかった――。
・・・




