第五章:06
・・・
「――ホオリ」
「……ノー・フェイス?」
手に暖かい感触があり目を開くと、すぐ脇に見慣れた仮面の姿があった。
どうやらベッドに寝ていて、ノー・フェイスがその手を
握っていてくれたらしい。
気恥ずかしさが浮かび上がってきて、はにかみながら手を離す。
上体を起こすと、寝汗で服が濡れているのが気になってしまい、
それとなく布団で隠した。
(臭って、ないかな……)
すんすんと鼻をひくつかせてみるが、自分で自分の体臭はわからない。
そもそも、あれ以来臭いに対しては鈍感になってしまっているのだが、
ノー・フェイスの前ではなぜか気になってしまう。
「……心配したぞ」
「……うん。ありがと」
ノー・フェイスの心から安堵した気持ちが伝わってくる。
彼と精霊をとおして文字どおり心が通じているのが、隠れた
ホオリの自慢だった。
誰よりもノー・フェイスのことをわかっていられる。そんな自慢。
(……でも、あの人の方がよく知ってるのかな……)
ノー・フェイスと共にホオリを助けてくれたアルカー、火之夜。
時間で言えばホオリのほうが長くいるはずだが、より濃密な時間を
彼と過ごしている。それが少し、うらやましい。
もちろん、火之夜に対しても心の底から感謝している。
でも、たぶんノー・フェイスに対して抱いている思いとそれとは、
別物なのだ。
(……私も、よくわかってないけど)
この気持ちにどう名前をつけていいのか、わからない。
一般的にどう呼ばれている思いか、は想像つくが。これが本当に
それなのかは、彼女には判別つかない。
単に感情を奪われ希薄になったからというだけでなく、そもそもが
他人との関わり合いが少なかった彼女には、家族以外に対して
抱く感情など、なじみがないのだ。
「身体は、異常ないか?」
「うん。疲れたから、寝てただけ」
無骨な物言いながら、心底案じているとわかる。
とはいえ、ホオリの容態は安定している。騒いでいた精霊に苦しめられただけで、
ホオリ自身は特に異常はないのだ。その精霊も、今は鎮まっている。
時計を見ると、もう昼を大きく回っている。一度朝方に目を覚まし
御厨たちに話をしてから眠ったため、たっぷりと休眠はとれたようだ。
身体はもう痛みも何もない。いや、寝疲れはあるか。
「あ、ホオリちゃん。起きたんですね」
部屋の外からふわりと巻いた髪の女性が入ってくる。
小岩井さんだ。彼女も自分の身を案じ、付き添っていてくれた。
優しい女性だと思う。けしてきらいではないし、むしろ好きな人だ。
だけど……
(……絶対、ノー・フェイスのこと好き……なんだよね)
自分がこういうのもなんだし、やや失礼な話ではあるが変わった人だと思う。
ノー・フェイスの人柄はこのCETにいるみんなにも受け入れられているが、
異性として意識しているのはおそらく彼女くらいのものだろう。
だからこそ、もやもやとしたものを抱えてしまう。
すこしそそっかしいところが目立つとはいえ、ホオリの考える
"大人の女性"を体現したような容姿と物腰だ。いやむしろ、
その隙のあるところがかえって魅力を増している気さえする。
事実、CET内の男性には隠れた人気があるらしい。
(……ノー・フェイスは、どうなのかなあ)
彼は彼で、ホオリとはまた違った形でそういう方面に疎い。
色香に惑う、ということはないがその分人の本質を見れるとも言える。
実際のところ、ノー・フェイスにとっても小岩井はけして
きらいな相手ではないはずだ。
……問題は、それ以上の存在になるのかどうか、だが。
「――ほらほら、ノー・フェイスさん。ホオリちゃん、着替えないと
いけないんですから。外に出ていてくださいね?」
「む……そうだったか。すまん」
言いづらかったことを代わりに言ってくれる。
ノー・フェイスは女性の肌を見たところでなんの反応も示さないが、
やはりどうしてもホオリとしては気になる。
素直に立ち上がり、部屋の外に出て行くノー・フェイス。
その後姿を見送った後、服を脱いで濡れた身体を小岩井のさしだしたタオルで
丁寧に拭いていく。ちょうどいい具合に濡らされたタオルに、小岩井の
気遣いを感じる。
(……こういうところも、大人の女性って感じだよね)
もってきてくれたホオリの服も、完璧なコーディネートだ。
自分には隙だらけなのに、他人に対しては隙がない。
……やっぱり、すこし嫉妬してしまう。
着替え終わり、ノー・フェイスが呼び戻される。
ホオリは布団を畳み、ベッドに腰掛ける。
「……それで、何があったんだ?」
「うん……」
小岩井の顔が少し暗くなる。
「……あのとき、ホオリちゃんの中にいる精霊が暴走したみたいでした。
とにかく、すごい有様で……ノー・フェイスさんの方には、
何も起きなかったんですか?」
「ああ。オレは……おそらく、雷の精霊はオレに宿っているが、
その本体はまだホオリの心と深く繋がっているのだろう。
影響はすべて、ホオリの側にでてしまったらしい」
苦いものを含ませて語るノー・フェイス。そんなに気にしなくていいのに、と
ホオリは思う。むしろ、戦闘中にあんな目にあったらノー・フェイスの身が
あぶない。そう考えれば、ホオリとしてはノー・フェイスの負担を
代わりに負うことができて嬉しいくらいなのだが。
「私も……あの時のこと、ほとんど何も覚えていないけど。
たしか、精霊と……"サンダーバード"と、あっていたと思う」
「ええ……私も、あの時ホオリちゃんの口を借りていたのは、
精霊だと思います。精霊がこの娘の口を借りて伝えてきたのだと」
「……なんと?」
ノー・フェイスに聞かれ人差し指を両のこめかみにあてて
思い出そうとする小岩井。少しずつ搾り出すようにその時の
言葉を口にする。
「ええと……たしか……
『精霊が……目覚めようと、している……
もう、役目は終わったのだから、目覚めてはならない……?』」
「……精霊か」
ノー・フェイスが前のめりになり自身のひざに肘をおき、
手を組んで考え込む。
「ええ。
『歪んだ形で、目覚めさせてはならない……
"形"の精霊を、目覚めさせてはならない……』
……って、言ってたと思います」
「……まだ他に精霊が、存在するということか」
「……私も、そう言われた気がする」
精霊。
超常存在である彼ら彼女たちのことは、未だによくわからない。
ホオリはサンダーバードと心がつながっているが、彼女の考えまで
わかるわけではないのだ。
いったい、精霊は何を伝えようとしていたのだろう?
ホオリは思い出そうと考え込んでしまい、眉根にしわが寄る。
「――いや、今ここで考えてもしかたのない話だったな。
それより小岩井、もうホオリの身体は問題ないのか?」
「え? あ、ええ、バイタルチェックは朝にすませていますし。
目覚め次第、退院しても大丈夫ですので」
不器用にノー・フェイスが気遣い、話題をかえてくれた。
そのやさしさが嬉しくて、頬が緩む。
最近は感情が少しずつ戻ってきているとはいえ、まだまだ周りのことに
動きが鈍い心。でもノー・フェイスのことになるととても暖かい思いが
心の中を巡りまわる。
その躍動が、こそばゆくも心地よい。
「では、少し歩こうか。寝ていてばかりで、身体も動かしたくなるだろう」
「そうね。一緒に散歩でもしてきたら、どうかしら?」
ノー・フェイスたちの言葉に甘えて、その手をとってベッドから降りる。
ならんで病室を出るとき、小岩井に手を振って礼を言う。
……。
彼らに、言わなかったことがある。
ホオリが、見たのは雷の精霊だけではない。
サンダーバードを通じて、別の場所にいる精霊も、見た気がする。
その精霊を宿していたのは――自分だ。
顔から髪の色、瞳の色、背格好までなにからなにまで同じ、自分。
でも、自分ではない。
獣の、精霊。その悲しげな咆哮が、彼女の胸に伝わってきた気がした。
――それが何を意味しているのか、まだホオリにはわからなかった。
・・・




