第四章:03
・・・
シターテ・ルはじりじりと焦れていた。
わかってはいたが、準備ができるまで時間がかかる。
既に三時間以上待っているのだ。特に何もせず、狭い機内で
待ちぼうけをくらうのもつらい。
(部下の改人だったら、とっくに我慢できないところね)
脚を組んでフライト・アテンダント用のイスに座り
ぐるりと座席を見渡す。そうすると、凡人どもが首をすくめて
縮こまるのが唯一の暇つぶしだ。
特に青ざめた顔の客を見ていると胸がすく思いがする。
彼らには、始末した私服警官や乗客たちの処理を頼んだのだ。
哀れなほど焦燥している姿を見ると、実に気持ちがいい。
と、眼下で待機しているフェイスから通信が入る。
『シターテ・ル様。ステイシス・フィールドノ準備ガ整イマシタ』
「やっとかしら」
げんなりしてたちあがる。その動きに周りの乗客が小さく悲鳴をあげる。
彼らの恐怖を楽しむため、わざとゆっくり通路を通り、怯えさせて歩く。
まるでビロードの上を歩く女帝の気分だ。これぞ、進化した人類
『改人』の特権なのだ。
・・・
「はぁ……」
ためいきをつく。同僚がそんな余裕さえなく青白い顔を
していることを考えると、我ながら図太い神経だと思う。
彼女は738便に乗り組んでいたフライト・アテンダントだった。
このフライトが終われば休暇に入れたはずなのだが――こんな事件に
巻き込まれてしまった。
こないだ、電波ジャックをして突然その存在を表明したフェイスダウン。
それ以来彼らによる犯罪が頻発していた。
そのため航空機も警戒され、私服警官の同乗が強化されていたのだが……
その警官たちは、あのカマキリ女にあっさりと殺されてしまった。
その際巻き添えになり、学生ぐらいの少年も……。
そのときの有様に乗客たちの中には吐いてしまったものもいる。
凄惨な現場にかえってパニックする余裕さえなくなったのは、
幸いだったかもしれない。だが一体自分たちがどうなるのか、
全員が不安と恐怖におびえていた。
「ああ……もう……」
頭を抱えてうずくまる。と、改人が突然たちあがり
思わず小さく悲鳴をあげてしまう。
改人はそんな彼女を嘲ると、コックピットへと入っていった。
「ヒィィ……もう、やだぁ……」
泣きたい。しかし、泣く気力すらないほど憔悴していた。
「――すまない。話を聞いてもらえないか」
と、乗客の一人がいつのまにか傍に立っている。こんな時に、
この男もずいぶんと肝のすわっていることだ。
「は、はい。なんでしょう……」
「この扉はあけられるか?」
思わず目をむく。彼が指し示したのは乗降口だ。
この状況に頭がどうにかなってしまったのだろうか。
「い、いえ、その……」
「大事なことなんだ。オレは君たちを助けに来た」
やはり、恐怖で気が狂ってしまったらしい。
助けに来たって、どこから来たというのだろう。
「声を出さないでくれ」
そう短く伝え、その男は手をうなじへと伸ばす。
と――
目の前でその男は姿を変え、顔が剥げて仮面が下から現れた。
驚愕で目を見開き息がつまる。
「……ッッッ!? ァッ……!?」
「騒がないで欲しい。君たちに危害を加えない」
その感情を感じさせない仮面に反して、優しく声をかけてくる。
他人を落ち着かせるその声音に、わずかずつ驚きが薄れていく。
「オレたちはフェイスダウンに対抗する組織のものだ。
君たちを救出に来た。そのためには、君の協力が必要なんだ」
そう言われて、こくこくと頷く。
この仮面は、見た目の不気味さに反してとても暖かい態度だ。
その所作を見つめていると恐怖も消えていくようだった。
「今、改人はコックピットにいる。それをオレが引きずり出す。
そうしたら、時をおかずにここをあけて欲しい。
――オレが奴を、追い出す」
荒唐無稽な話だ。アイツは武装した警官数名を、あっという間に
殺してしまったのだ。そんなに上手くいくはずがない。
だけど……その何も感じさせない仮面は、不思議と信じられた。
この仮面の怪人は――私たちを助けてくれる、と。
・・・
コックピットのドアを開け、そこにとりつけた機械を操作する。
「あ、あんた……」
おっかなびっくりながら、機長が固い口調で話しかけてくる。
痩せこけていながら猛禽のようにぎらついた目をした男だ。
好みの風貌ににんまりと笑って答えてやる。
「こんな場所で何時間も旋回させて、一体何が目的なんだ。
さきほどから警察が交信を求めている。せめて、
話だけでも――」
「あら、おあいにくさま。私たちが求めているのはあなたたちそのもの。
マヌケな警察になんて用はないわ」
機長と副機長の目が見開かれる。
「い、いったい何を……なんの交渉も要求もせず、目的はなんなんだ!?
我々を、どうしようというんだ!」
「アナタはだまってなさい」
口を挟んだ副機長にぴしゃりとうちつける。殺しはしていないが、
呻いて動かなくなる。
「……う」
「一切の交渉も譲歩も受け付けないわ。あなた達はだまってなさい。
殺しはしないでおいてあげるから」
震える機長に一方的に宣言し機械の操作に戻る。
無理やりに貨物室の扉のロックを外し、開かせる。
「……まだ、ここからが長いのよね」
うんざりしながら画面上の表示を見つめていると――
地上で爆炎が立ち昇る。
「なにごと!?」
『アルカーノ襲撃ヲ確認。四ツアル電源装置ウチ一ツヲ喪失。
装置ノ停止ヲ危惧シ、一時的ニ離脱シマス』
「――ああっ、もう! なんで見つかったのよ!?」
そういえば、奴らには裏切り者のフェイスが与していたか。
そいつがステイシス・フィールドの情報を持っていたのだろうか。
「……いいわ、どうせこの上空には手出しできないでしょ。
アルカーなんて地上を這うアリよ」
少し、気分を良くする。そうだ。そもそもこちらには人質もいるのだ。
手も届かない上空、手出しできない旅客機。
アルカーにどうこうできまい。
問題は、地上のステイシス・フィールドが破壊されてはことが進まない。
長時間またされたのも無駄になってしまう。
「……人質を殺す、と伝えてはたして効果があるかしらねぇ」
アルカーたちはフェイスダウンの目的を知っている。数名を殺すと
告げたところで、放置していては400名以上が連れされられる。
それでは要求を呑むとも思えない。
「ま、肉の壁にはなるしね。フェイスども!
構わないからもどってきなさい。今のうちに少しでも
回収してしまいましょ」
『シカシ、ステイシス・フィールドガ停止シタ場合、
旅客機モ回転翼機モ墜落スル恐レガ……』
「ヘリはともかく、旅客機は構わないわ。今飛んでるヘリだけでも
80名前後連れ出せるわ。あとは最悪、落ちたところで別にいいわよ。
むしろ時間が稼げるというものよ」
「――そう上手くいくかな?」
突然降ってきた声に、ハッと振り向く。が、間に合わず首根っこを
押さえ込まれる。
「なっ、く、ううぁ……!?」
「ただ乗りだな、お互い」
無貌の仮面。ノー・フェイスだ。いったい何故ここに?
暴れる間もなく、コックピットから引きずり出される。
「邪魔したな、機長。我々はここで降りる」
「え、あぁ……?」
間の抜けた返事をする機長が腹立たしいが、抵抗もできない。
すさまじい力でずるずると引きずられ、乗降口の前に立たされる。
「頼む!」
「はい!」
女性のフライト・アテンダントが淀みなく返事し、ドアを開放する。
ステイシス・フィールドにより内外の気圧差も0になっているため
機内が荒れることもない。
夜の闇に、放り出された。
「くっ、この……!」
背部の翅を広げ態勢を整えようとするが――そこにノー・フェイスが
上に乗りかかる。
「悪いが、乗せていってくれ。――地上までな」
ノー・フェイスが光る。力ある言葉だ。
無理やり下方向へ押し出され、旅客機から引き離される。
「アルカー! 今だ!」
ノー・フェイスが叫ぶと、ふたたび地上で爆炎。一拍おくれて
停滞波動が消失する。途端、重力が身体を捉える。
がしり、と背中に組み付かれ、翅が動かない。……組技は苦手だ。
ひきはがせずに重力に引かれて落ちていく。
旅客機が、遠くなっていく。お宝がたくさんのった宝石箱が。
「おのれええええぇぇぇぇぇ……ッッッ!!」
・・・




