第二章:03
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CET本部の娯楽室。そこにゆったりしたピアノの音色が流れている。
音の発生源は手元のグランドピアノだ。ノー・フェイスが弾いている。
ショパンの、ノクターン第二番。
ピアノ練習曲としては定番の、優しくはかなげな旋律だ。
このぐらいの音譜なら、特に練習することも無く弾きこなす。
が、それだけだ。機械的に音色をなぞることはできるが、
そこに込められた"芸術"を表現することはできない。
何度も何度も繰り返せば、会得できるものかもしれないが――
「……」
全て弾き終える前に、指をとめてしまう。
やはりこれは、自分に向いていないようだ。
「――なんだ、やめてしまったのか」
片手で扉に体重を預けているのは火之夜だ。いつのまにか
聞き入っていたらしい。
「……何度も、一流音楽家と呼ばれるものたちの旋律と
比べてみた。何が足りないかはわからないが、決定的な何かが
オレには欠けている。そしてなにより、その欠けたものを
埋めようとする熱意が、足りないようだ。
……これ以上は、な」
「そうか。
確かに、武骨で正確無比すぎる音色だったな。
だが……おまえそのものをうまく表現していて、きらいじゃなかったがね」
鍵盤をなぞりながら火之夜が側に立つ。
「だが、珍しいな。おまえがこんなものに手を出すとは」
「……ああ」
自分でも、につかわないことをしている自覚はある。
むしろ意識して似合わないことをしているのだ。
「……ホオリにな。オレに、なにかを楽しいと
――そう思って欲しいと、言われたんだ」
「……そうか」
だから、"趣味"というものをかたはしから探している。
それは、はたから聞けば意味のわからない言葉だったはずだが。
火之夜はひとこと呟いただけで納得したようだ。
「あの娘は――お前のことを、ほんとうに大切に思ってる。
だから、心配なんだよ。――お前が、簡単に命を捨てないかってな」
「オレに命はない」
当然のように応えたつもりだったが、その返答はいたく火之夜の
怒りにふれたようだ。
「二度とそんなことを言うなよ。
特に、あの少女の前ではな」
「……理由だけ、教えてくれないか」
彼がそうまで怒るなら、そうするべきなのだろう。だが、その理由は
知っておきたいと思った。
ノー・フェイスは戦闘員。フェイスダウンに作られた人造人間だ。
"命"をどう定義するかにもよるが、彼の認識の中では
あくまで自分は"モノ"だ。自身が持つ自我を否定する気はないが、
機械と命は違う、という位置づけだった。
「お前以外の誰も、そうは思ってないからだよ。
――すくなくとも、ここにいる皆はな」
「……」
その言葉には、むずがゆいものを感じる。
嬉しくもあるが――その好意を受け取っていいのか、という後ろめたさ。
人間の命は理解しているつもりだ。それは、
けして奪われてはいけない尊きものだ。
だが――機械である自分にも、それは宿っているのだろうか?
「人と機械の違いは、悩むことだと言った人もいたな。
……悩むのは、おおいに悩めばいいさ。
だがおまえは少し、自虐的すぎる」
「……オマエは、どう思う」
火之夜に向き直る。彼の本音が聞きたかった。
「いま、オマエはオレを信頼してくれている。信用してくれている。
それを疑うことはしない。それがオレの、オマエへの信頼だ。
だが――オレが、奴らの中にいて、奴らの悪事に加担してきたのを
どう思う。あの夜――おまえを妨害したことを
……どう、思っているんだ」
口数が多くなってしまう。当然だ。
それこそが、自分にはめられた枷の源泉なのだから。
あのとき。
あのとき、自分がアルカーの邪魔さえしなければ。
そもそもホオリが感情を奪われることはなかったのだ。
それでは――自分が生まれたことそのものが、彼女にとって
害悪だったのではないか。
いくら贖罪しようと、その罪が購われることはないのでは――
「俺の答えは簡単だ。
そんなこと微塵も思わないね」
こともなげに答えてみせる。
茫然とみあげるノー・フェイスの前で腕組みを解き、
指をその仮面につきつける。
「おまえがどう思ってたかは知らんが、俺は限界だった。
あの夜のことだけじゃない、もう俺一人でフェイスダウンと
戦うのは、限界だったんだ」
信じがたいことを口にする。
あの無敵のアルカーが――限界を感じていたと?
「……一人じゃ、戦えないんだよ。俺の手は二つしかない。
届く範囲は、狭い。
――実際、どうだ? おまえを抜きにしても、ジェネラルが
フェイスたちと共にせめてきたら?
今のように、改人たちが現れたら?
――あの夜までの俺なら、もうとっくに敗れていた。
その結果、ホオリだけじゃない。もっと多くの人々が
感情を奪われ、廃人になっていただろう」
そっとピアノの蓋をとじ、そこに手をつく火之夜。
こころなしかその手が震えている。
「俺は――怖かったよ。その日がくるのがな。
だからあの夜、お前と戦って……怖かった。
俺と互角のフェイスが現れたこと。それが、どれほど俺に
恐怖をあたえたか、お前は知らなかったんだろうな」
フッ、と少しさびしげに笑う。だがノー・フェイスを見つめるめつきは
どこまでも頼もしく、優しげだった。
「だから――わかるか? そんなお前が、あの少女を守ってくれた時の
この俺の衝撃が。お前と共に肩を並べて戦った時の感動が。
――俺はもう、一人じゃない。その心強さが」
わからなかった。
想像もしたことが無かった。アルカーが……おびえていたなどと。
「彼女も、同じことを思ったのさ。
これまで自分の人生の大半を占めていた、恐怖の象徴。
それが、自分を守るといって抱きしめてくれた安心感。
――どれほど、心強かったことだろう」
自分の手を見つめる。
あの時、少女を抱きかかえた――腕。
本当なら、彼女から奪うためにあった腕。
自身の意志で、守るために使うと決めた腕だ。
「人間だって、完璧に生きてる奴などいるものか。
お前の生まれが悪だったとして、お前は悪を為さなかった。
俺は、それで充分だ。お前が悪だった時など一度もないと思っている」
「……」
ああ。
ああ、どうしてこの男は――こうも、己の胸の内を熱くさせるのだろう。
人々を守り、あまつさえ人ならざるノー・フェイスさえ震えさせる。
やはり、この男こそ"ヒーロー"なのだと確信する。
そのヒーローが、無類の信頼を寄せてくれている。
「……まだ、お前たちの気持ちをわかりきってはいないと思う。
だが――応えなければいけないのだとも、思う」
「――好きだぞ、おまえのそういうところ」
朗らかにわらって火之夜が肩をたたく。
たたかれた肩の熱さが、俺の胸に伝わっていく。
ホオリにも、この熱さが伝わってくれるだろうか。
……きっと、俺にとって一番の"楽しい"は、
この男と並んで戦えるという、その事実なのだろうと。
「……とはいえ、きっと趣味とやらは持つべきなのだろうとも思う。
そうだ、確かお前と御厨、桜田はバイクに乗るのが趣味だったな。
いつになるかわからないが、俺にも教えて――」
「全力でお断りします」
見たこと無いほどの渋面で、火之夜が腕を×字に交差する。
……それ以上深くは、聞かない方がいい気がひしひしとした。
・・・
「次は、私がでようかしら」
その気がないような口ぶりに反し、シターテ・ルはそうすることを
ほぼ決めていた。
ヤソ・マがうろんげに否定してくる。
「やめておけ。我ら大幹部は、そう軽々に動くものではない。
それは総帥の御意志でもあるのだぞ」
「でもねぇ。考えてみなさい? これまで派遣した改人は
全て撃破されてるのよ」
表情など見えないような髑髏面でありながら、あからさまに
不機嫌になったことをうかがわせる。彼も気にはしているのだろう。
「……あまつさえ、転送装置の一つを失い、あやうく本拠地に
攻め込まれる寸前だった。――ちょっとこれは、心象ってモノがね」
身震いする。
総帥閣下に自身たちが役立たずなどと思われると考えると――
怖気が走る。
「……だからといって、大幹部である我らが動くようでは、
ますます改人全体への印象が下がるではないか」
「仕方ないでしょ。実際のところ、強すぎるのよ。
今のアルカーとノー・フェイスは」
それは認めなければなるまい。
あの時、初めて対面した際にはそんな強さは感じなかった。
いつでも殺せる。
そんな余裕が、今の事態を招いたといわれれば、痛いところだ。
だが実際あのときは、過信ではなかったという自信はある。
「……精霊同士が、相乗効果で強化されてるのかしらね」
「それだけではあるまいがな……」
「……精霊は、対になっている」
それまで口を挟まなかったヤク・サが重々しく口を開いた。
「炎の精霊と、雷の精霊。精霊は必ず一対の存在だという。
本来ならば、適合者一人に融合するはずだった。
それがああなったことで未知の力を生み出しているのやも、しれん」
「……なら、ますます部下には任せて置けないわ」
「しかしだな……」
なおも言い募るヤソ・マにいい加減いらつき口を開くが――
「俺が、試してみよう」
――ヤク・サの言葉に二人してぽかんとする。
いや、この戦闘狂の性格を考えればおかしくはない。
だが不思議なことに、この日本にきてからずいぶん長く
押し黙ってきたのだ。それが、今更?
「……少し、確認したいことがある」
「……それは?」
続きを促したつもりだったのだが、彼は黙して語らない。
ただ目を伏せて、こう呟いただけだ。
「総帥、フルフェイス。秘密結社フェイスダウン。――戦闘員フェイス。
……我ら改人の意義とは、どのようなものなのだろうな」
・・・




