第三章:07
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「ヒュドール……!?」
「……!」
アルカーが緊張と当惑をないまぜにした声を漏らす。その視線の先には液状化して
周囲に潜んでいたと思われる、水のアルカー――アルカー・ヒュドールの姿がある。
一触即発の空気の中、アルカーが戸惑ったのも無理はない。
ヒュドール、その正体は元刑事局長・天津稚彦。
55歳と、若くして警察庁刑事部のトップまで上り詰めた彼は正真正銘のエリートであり、
その肩書のイメージ通り普段より感情を強く面に出すことのない鉄面皮。
見る者からは痩せこけていながら猛禽のようにぎらついた目をしている、と評される彼は
どんな局面であっても冷徹に、淡々と、粛に処理する――そう、思われていた。
古くから彼を知る局員に聞いても、その印象は変わらない。家族も連れ合いもいない
彼が怒鳴ったり、わめいたりする姿を見たものなどいない――
だが、今目の前にいる彼は。
蒼い装束に身を包むその姿からは、隠しようのない鬼気がねじれ、放たれている。
長い裾が怒気に煽られるように、静かながらも強くはためく。
「救う……? 何を、救うと言うのだ……?
奴の戯れに作られた、人形どもが……!」
ノー・フェイスへとぶつけてくるその呪詛には、黒くねばついた怨嗟が含まれている。
先ほどの怒号に比べればいくぶんか冷静さを取り戻したようには見える。
見えるが、それでなお憎悪が喉から絞り出されてくる声だ。
――彼に向けられる、誰も見たことのない積怨の視線。だが今のノー・フェイスには
その由縁に見当がついていた。
あるいは彼の怒りは正当なものなのかもしれない。
だがあえてノー・フェイスはそれに真っ向から立ち向かった。
――自分は、"ノー・フェイス"なのだから。
「――オレに残された、もう一つの最後の役割だ」
「戯言を抜かすなと言った……!」
ノー・フェイスの言葉に反応してヒュドールが繰り返す。
周囲の空気がちりちりと燃え上がりそうなほど、黒い怨念を込めて。
「フルフェイスにも、できなかった。改人を元に戻すことなど……
それを出来の悪い複製でしかない貴様が、何をどう直すと言う!?」
「治す手段が見つかるまで、試す」
複製と罵った言葉に感銘は受けず、自身の決意だけを告げる。
「オレとフルフェイスの違いは、そこだけだ。
フルフェイスにとって改人は――単なる模索だった。
のぞいて、いじって、上手くいかないから捨てる。奴はそこで終わりだ」
「貴様は……」
「改人を連れ宇宙へ旅だち、与えられた無限の時間を使い奴らを治す手段を
探す。見つかるまで、永遠に」
隣でアルカーがわずかに喉をならしたのを感じる。
ヒュドールに告げたその言葉が、ノー・フェイスの抱いた覚悟だった。
因果なことに、フェイスの裏切者である自分がフルフェイスと同質の力を与えられた。
ならばそれを活かし、フルフェイスが犯した罪の尻ぬぐいをする。
その後始末が終わるまで、いつまでも、いつまででも付き合う。
人間ならば途方もなさ過ぎて気が遠くなりそうな、計画とさえ言えない曖昧な展望。
だがノー・フェイスならばそれができる。フェイスと、改人を宇宙船へ積み込み
停滞波動発生装置でその活動を停止させる。
そして悠久の時をかけて、改人を元に戻す術とフェイスを人間にする術の二つを、
探す。探し続ける。
フェイスとして生まれ、フェイスを裏切った自分が最後にやり通さねばならない責務。
それがその二つなのだと今のノー・フェイスは心に決めていた。
「……」
「改人は――確かに、被害者だ。フルフェイスの手によって運命を奪われた、な。
だが奴らの膨れ上がったエゴはもはや人間社会において
許容されることはない。奴ら自身が、自分たちのエゴを許容しないモノを
けして許さないから」
「……」
「だから、この社会から切り離す。そして治しに行く。
――どれだけかかろうとも、オレはやり遂げよう」
全ての改人を救えるわけではないだろう。
まず、そこに至るまでには改人たちを捕らえ、ステイシス・フィールドに
放り込まなければならない。抵抗――と呼ぶには生易しすぎる反抗を受ければ
やむをえず撃破しなければならないものたちも多く出るだろう。
だがそれでも、一人でも多くの改人をその旅程へと組み込まなければならない。
奴らの自己を抑え、強引に。
「……仮に今すぐ奴らを元に戻せたとしても、奪われた彼らの人生は戻らない。
治癒までに数万、数億年の月日が流れればなおさらだ。
それを『救う』と呼ぶのは許せないと言うなら――たしかに、お前は正しい」
「……」
「だがあえて突き放したことを言わせてもらえば、そんな呼び方にオレは拘泥しない。
オレは――オレがやるべきと、そう定めた道を行くだけだ」
「ノー・フェイス……」
先ほどまでノー・フェイスが語った展望に反意を示していたアルカーも、呆然と呟く。
今口にした言葉に、ノー・フェイスの決意の固さを感じ取ったから、かもしれない。
彼ともまだ話したいことはいくらでもある。だが今は、ヒュドールから目を離せない。
いや、離してはいけないのだ。
「……二十年」
「何?」
ぽつり、とおそろしく静かな声でヒュドールがつぶやき、それにアルカーが反応する。
だがノー・フェイスは黙ってヒュドールのつぶやき――あるいは狂笑を耳にする。
「ふ、くくく……くくくくくく。くははは……二十年。二十年だよ……
私が奴に、全能の存在に心折れて、屈し――その慈悲を請うて二十年。
友を、生を――夢を取り上げられ、歪につなぎとめられてきて――
それを終わらせることだけを望み、二十年……その二十年を――」
「……」
「私と奴らの、これまでの二十年をッ! 貴様の、これからの一億年とで
並び比べられると思うのかッッッ!!!!!!」
「……!」
「なに、を……」
突如として激昂し憤激をぶつけるヒュドールにアルカーがたじろぐ。
だがその怒りが根差すものを知ったノー・フェイスは身じろぎもせず受け止める。
「比べるつもりなど毛頭ない。だが――
ただ終わらせるよりも、長らえさせる方がずっといい。
――お前もその力を手に入れた時、そう考えたのではないのか」
「――!」
静かに、指摘する。
そうだ。ヒュドールが今絞り出した言葉のとおり、"力"に屈して全てを諦めて送った
二十年を、手にした"力"で翻したのも。
ある意味では――彼もまた、"改人"を救いたかったからなのでは、ないか。
「そういう意味では――オレとお前が争う必要はない。
……お前は二十年の絶望を捨てたのだろう。ならもう一度、お前が抱くその
妄執にも、決別することはできないか」
「――――ふ」
ヒュドールが、嗤う。
「ふ、ははは、は――いや、悪かったな。先ほどは『出来の悪い複製』
……などと、罵ったりして」
口先だけの謝罪を言いながら、悪意は隠さない。
「訂正しよう――お前は本当に、フルフェイスそっくりだよ。
その神のごとく思い上がった性根が、な」
「ヒュドール……!」
内心、自身の失態を自覚し舌打ちする。
先の言葉はあくまでも懇願のつもりだったのだが、彼にすればそうは映るまい。
彼の心の中で練られ続けた『悪意』――それを熟成させてきた『二十年』という月日を
真に理解するには、まだ自分は幼過ぎたのだと歯噛みする。
「改人を救う、か。はははははは。良いことを言うではないか。
ならば貴様の手をわずらわせるまでもない――この私が、奴らを救ってやろう」
「待て、ヒュドール……!」
こじらせすぎた悪意が、かえってヒュドールの頭を冷たく冴えさせたのだろう。
先ほどまでの激情をひそめ、代わりに果てしない蔑意をたゆたわせてヒュドールが
飛び退る。
配管の一つに手刀で穴をあけ、じわりとその指先から液状化させていく。
「何、簡単なことだ。貴様は"奴らのエゴを人間社会は許容しない"、と言った――
なら逆に考えればいい――この社会を、奴らのエゴを許容せざるをえないモノに、
作り変えてしまえばいい」
「よせ、ヒュドール! それは――」
「貴様はここで朽ちて死ね」
決定的な敵意を最後に残し、水と化したヒュドールが配管へと消えていく。
これまでヒュドールにとって、ノー・フェイスは単なる障害物だった。
だが今の短いやりとりで、彼の中でノー・フェイスに対する敵意――悪意は
不動のものとなってしまったようだ。
おそらくは――フルフェイスに対するものと同質の、悪意に。
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