第三章:05
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轟音と、断続的な振動が部屋全体を揺るがす。
いや、この部屋だけではない。おそらくはヒュドールが
制御中枢を破壊していったのだろう、いまやヘブンワーズ・テラスそのものが
地球の引力にひかれ、落下軌道へと向かいつつあった。
その破滅的な鳴動の中、別種の衝突音が広間に鳴り響く。
高く破裂する音、鈍く砕くような音――
「――ぬぅんッ!!」
――ノー・フェイスはフルフェイスが伸ばした手をすり抜け、
逆にその顔面をひっつかむと思い切り床面へと打ち付ける。
はじけ飛んだタイルに混じり、フルフェイスの脚が伸びてくる。
空いた腕でガードするも、さすがに防ぎきれずやむなく相手から飛び離れる。
だがその動きにぴったりとフルフェイスもついてくる。
後ろに飛び退っているというのに、目の前の単眼との距離がまるで変わらない。
ノー・フェイスが下がるのと同じ速度で、迫ってきているのだ。
「チィッ……!」
地面に脚が突くまでのコンマ数秒がもどかしい。そんなことを考えた瞬間、
足がぐんと地面に引き寄せられ接地する。
間髪入れず床を踏み砕き、前方へと勢いよく飛び出てフルフェイスを迎撃する。
顔面に正拳、みぞおちに膝蹴り。あいにくガードはされてしまったが。
互いの速度が打ち消しあい、空中で静止しそのまま拳のラッシュへと移行する。
すでに成層圏へと突入しつつあるヘブンワーズ・テラスはもはや原型をとどめぬほどに
崩壊を始めているが、この玉座がある広間はいまだ形を維持している。
が、フルフェイスとノー・フェイスの打ちあいの余波でじわりじわりと削られていく。
「……ずぇあッ!!」
無数の連打の中、ついに一瞬見せた隙を逃さずノー・フェイスが渾身の掌底を
フルフェイスの胸板に叩き込む。たまらず吹き飛び、壁面にめり込む。
砕けた壁、砂と化した床の中で埃にまみれ、ぐったりとうなだれるその姿は――
およそ異星から来た超常者とは思えぬものであった。
「――立て、フルフェイス。まだそんなものではないだろう」
ある意味では容赦なく、ノー・フェイスが促す。
もとより相手の暇つぶしに蘇生させられた身、容赦する義理もないものではあるが。
が、フルフェイスは応えなかった。
穿たれた壁の中で、力なくうなだれたままぐったりとピクリともしない。
わずかに苛立ちを声にこめ、さらにノー・フェイスが挑発する。
「……何をしている、フルフェイス。付き合え、と言ったのはおまえだろう。
まさかこの程度で、精根尽きたわけではあるまい」
間。しばらく、振動と崩壊音だけが響く。
時間にすればほんの数秒、だが妙に引き延ばされたように感じる空白の後、
フルフェイスが口にしたのはまったく別のことだった。
「――どうやら、馴染んできたようだな」
「何?」
意味をつかみそこね、疑問を投げ返す。
ゆっくりと、緩慢な動きでフルフェイスが起き上がりながら続ける。
「気づいていないか。
おまえは私の"力"を相殺し続け――そして自発的に、"力"は発動させた。
いや、まだ無自覚にではあるか……」
「……」
相手から目をそらし、己の手の内を見下ろす。
たしかに、感じてはいた。フルフェイスがこれまで発揮していた不可思議な"力"。
それを肌(と、呼んでいいものか)で感じ取り、自分の中の何かがそれを打ち消す。
そして先ほどの攻防の中――空中で重力を制御し、フルフェイスと打ちあった。
いや、そもそも。
この崩壊し、地表に向けて落下を続けている広間の中で平然と地に足を着け
戦うことができたのも、"力"とやらの発言だったのではないか。
「……オレに何をした?」
「"心臓"を与えた」
こちらの胸を指さす。自然、そこに手をあててしまう。
作られた存在である自分には、鼓動などあるわけもないが。
「おまえにあたえたのはただの動力炉ではない。私の予備だ、と言ったはずだな?
それは文字通り――"私"の予備と呼べるものなのだ」
「なんだと……?」
ぐらり、と足元が揺れたのははたして、振動のせいだったのか。
「私もまた、被造物であることに変わりはない。おまえたちのそれとは
――モノが違うが。
なれば、万一のために予備を用意することができんわけではない」
「……」
いまさらながら背筋に寒いものが走る。もしすべてが順調に推移しフルフェイスを
倒したとしても。もしかしたら――なにもかも水の泡になっていた可能性もあるのだ。
それとは別種のうすら寒いものを感じ取りつつ、疑問を呈す。
「……それをなぜ、オレに与えた……?」
「……」
しばし、無言。何を考えているのかはわからないが、どうやらこの茶番も
ノー・フェイス自身にその"心臓"をなじませるためのもののようだった。
「……取引……そう、取引。あるいは引き継ぎ。引責――
そういったものか、表するなら」
「意味がわからん」
多少ならずとも苛立ちを覚え、先を促す。
「お前を蘇生し力を与える代わりに、やってもらいたいこと――
やってもらわねばならぬことがある、そう言葉にするのがもっとも適切だろう」
「こちらにそんな交渉に応じるいわれは――」
「では、死にたかったのか?」
おもわず口ごもる。
死ぬ覚悟はあった。あるいは自分は――フェイス・アンドロイドは消えた方が
いいのかもしれない、そう思う面はあった。だから雷の精霊を解き放った。
しかしこうして生き延び、面と向かって"死"を問われてよぎるのは――
――火之矢や小岩井、あるいはCETの面々、そしてホオリの顔だった。
「――わからん」
「ならば聞くだけ聞いてもよかろう」
逡巡したあとに絞り出した一言だが、それに対するフルフェイスの声がどこか
面白がるようなものが混じっているのを感じとった。
人間なら眉をひそめて難渋な顔を作るところだ。
「聞いたところで、貴様の都合のいいように使われる気はないぞ」
「おまえにとっても不都合はない。そう思えばこその話だ」
一瞬フルフェイスが嘆息したように見えたのは――錯覚だろう。
フェイスにせよ、彼奴にせよ呼吸などしないのだから。
「おまえに頼みたいことは二つ――いや、おおむね三つ、か。
同時におまえが引き継がなければならない責任でもある」
「……頼みごとなのか命令なのか、はっきりしろ」
「そのどちらでもあるのだよ」
くつくつと、今度ははっきりと含み笑いをあげるフルフェイス。
「一つは――私の"存在意義"を引き継いでほしい。
すなわち遠く離れた異星、そこに文明が存在したのだと証す――モニュメント」
「返答しかねるな」
製造されて、つまりは生まれてまだ一年になるかならないかの身には彼が送ってきた
数万、あるいは数十数百万年と言う年月は想像しがたい。
それを同じように辿れと言われても、受けるにせよ受けないにせよピンとはこない。
「そちらはまあ、ゆっくりと考えることだ。誰かに引き継がせてもまあ、かまいはしない。
だが二つ目は――」
そこで天を仰いでいたフルフェイスが、まっすぐこちらを見定める。
今のノー・フェイスでさえ、いっしゅん気圧されるほどの強い意志をこめて。
「――二つ目は、フェイスを……フェイスたちを、導いてほしい」
「フェイスを?」
想像の埒外の言葉に、思わずたじろぐ。かまわずフルフェイスは続ける。
「なるほど、人間たちにとってフェイスは――単なる仇敵だろう。
だが、おまえにとっては違う。袂をわけたとはいえ、おまえにとって……同胞だ」
「……」
痛いところをつかれ、押し黙る。
確かに――その思いはノー・フェイスの中にあった。
裏切ったことを後悔したことはない。が、ノー・フェイスにとって『裏切り』で
あることにかわりはないのだ。
人間であり、人間のために戦ってきた火之矢たちとは、違う。
己の意志で、己の同胞をその手にかけ続けることを選んできた。
人はそれを、罪と呼ぶ。
「あるいは人間には、受け入れがたいことかもしれないが――
フェイスに悪意はない――おおむね、ない。アレらは既存人種ではなく、もとより
別の種として私が生み出した存在だ。そして私が、人の駆逐を命じた」
「……」
ある意味では、これまでフルフェイスが見せたどんな顔よりも
真摯なものだったかもしれない。赤い単眼から射貫くような光が、まっすぐのびる。
「あれらには罪などないのだ。おまえにはわかるはずだ、ノー・フェイス。
奴らは私に命じられれば、なんでもしよう。私の命に忠実なだけだ」
「だがその命令に従い、罪もないものたちを傷つけ――」
「なればこそ、おまえが導け」
そこに先ほどの"頼み"が戻ってくる。
いやな予感が現実のものとして浮かび上がってきて、かかないはずの脂汗というものを
たしかに感じた気が、した。
「奴らは私が生み出し、私の命に従う。その私が罪を犯したというなら――
罪なきおまえが私となり、奴らを導けばいい」
「なぜだ」
絞り出したその言葉にはあまりに色々なものがふくまれすぎて、自分でも何を
問いかけたのかはわからなかったが。それに対するフルフェイスの答えは
とてもシンプルだった。
「なぜならおまえもフェイスだからだ。
私に彼らを生み出した責任があるならば、おまえは私を倒したものとして――
――彼らを正しく導く、責任があるというものだろう」
「……」
あるいは――
あるいは火之矢や御厨、それともホオリであれば力強く反論していたかもしれない。
だがノー・フェイスにはそれができなかった。
裏切りに後悔はない。倒すことに躊躇はない。それでも――
それでも、同胞を殺めるその手に、血塗れた罪を感じてこなかったわけでも、ない。
「……オレに従うと、思うのか」
「従うとも。だからこそ奴らは人々を襲い、感情を抜き取ってきた」
がりっ、とイヤな音が聞こえてフラついた意識を引き戻す。
見やると、フルフェイスがその両の指を胸板へとめりこませていた。
「何を――」
「おまえの命だけでは、対価としては不足かと思ってな」
めりめりめりっ、と耳を塞ぎたくなる音を立ててその装甲が破られる。
なるほどフェイスとは違う、そこにあるのは機械でも肉でもない。
それは――
「――光……」
「私の――本性、あるいは本体とでも、呼ぶもの――
――そう、これが……私が持つ最後の、『感情』、だ……」
美しい――そう感じる自分に、ノー・フェイスは驚いた。
憎き仇敵、理解しがたき超常存在――そう認識していたはずの相手だが。
今、その胸から漏れ出す光だけは素直に、尊いものだと感じられた。
あるいはそれが、ノー・フェイスが人々に見出した『尊さ』の源流だからか。
「これまでフェイスたちが抜き取ってきた、感情。それを元に戻すことは、
できないが――
私、に残された――感情の残滓。これをかつてしたように、再びこの星に
散りばめれば――」
「――奪われた人々も、元に戻ると?」
思わず前のめりになって食いつく。
「――量、としては、まあ……充分だろう。
定着するかは、各々がもとより持ち合わせる"生きる意志"次第、か――」
「……」
内心、浮き上がるような思いと舌打ちしたいような思いとが混ぜ合わさる。
感情を失った人々が、元に戻る。その可能性がある。
ホオリの両親が、火之矢や御厨の家族が、あるいはそれ以外の無数の人々が――
救われる、少なくともその光明がある。
それは紛れもなく喜ばしいことだ。諸手を挙げて歓迎することだ。
それゆえに、ノー・フェイスにはもはやフルフェイスの『頼み』を断る術はない。
(底意地の悪い奴め……)
この"対価"を先に言わなかったのは、ノー・フェイスの苦々しい顔(は、ないが)を
拝みたかったからだろう、と思う程度にはフルフェイスは楽しそうだった。
「受けて、くれるな――?」
「もう一つとは、なんだ」
半ばやけばちになって、訊ねる。
モニュメントの代わりを務めろと言うのが、一つ。
フェイスダウン総帥の代わりを務めろと言うのが、一つ。
では残る一つは――
「改人を、始末しろ。
アレは、アレの存在そのものとアレに使われている技術は
――この星にとって、悪意にしかならん」
「……」
びしり、びしりとフルフェイスの全身にヒビが走っていく。
もはやはじけ飛ぶ寸前のその身に、険しい声をぶつける。
「……改人こそ、貴様の被害者だろう。
それを無碍に、始末しろと言うのか」
「なんと言われようと知らぬし、どのようにするかは貴様の好きにすればいい。
だが、奴らは元には戻らん。二度とな」
冷酷で非情で、責任の欠片もない言葉だ。だがそれゆえに感じ取ったことがある。
――ウソでは、ないということを。
「……今の、おまえなら――ここから生還するのもたやすかろう。
あとは……おまえに、任せよう。新たな――
新たな、フェイスダウン総帥に――」
そして光がはじけ飛び――――
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