第三章:04
・・・
「――ッ……!」
「……どう、したの……?」
突然走った胸の痛みに思わず前のめりになるホオリに、母が声をかける。
心配そうに、などという枕詞をつけるにはあまりにも無感情な顔だったが。
それでも自分を気遣ってくれたことにほほえみを浮かべ、かぶりを振る。
「――ううん、なんでも。ちょっと、筋がつっただけ」
「そう……」
うなづきながらも、視線を外さない。その表情はあくまでも能面のように薄かったが。
それでも、ほんの数か月前までは考えられなかった反応だ。
少しずつ、少しずつだけ快方に向かっている。
すべては二人の英雄のおかげだった。その二人は、今ここにいない。
一人は今も改人と戦いに。
一人は――空の果てで、散ってしまった。
「……」
彼のことに思いをはべらすと、どうしても自身の顔が暗くなるのを自覚してしまう。
それが両親に心痛をかけてしまうと、わかっていてもだ。
今でも心にぽっかりと穴が空いた気分だ。それでもその穴は傷が癒えてできたもので、
彼の死を聞いた直後はそれこそ胸を抉られるような苦痛を味わった。
彼と共にいた時間は、短い。一年にも満たない期間でしかない。
それでも彼が側にいるという実感は、両親と感情の一部を失ったホオリにとって
なによりも暖かいものだったのだ。
(……それは、アナタも……)
そっと、心の中にいる相手へ語り掛ける。
幼い時からずっと身体の中に居た相手――雷の精霊、サンダーバード。
精霊とホオリは互いにわけがたい存在であり、想いは限りなく近い。
彼女(?)もまた、英雄――ノー・フェイスの死に嘆いた"同志"だった。
「……アレ?」
ふと、小首をかしげる。
雷の精霊とホオリは、不可分にして同一の存在。他人には理解されがたいが、
ホオリの感じる想いは精霊のものであり、精霊の想いはホオリのものでもある。
が、今ノー・フェイスのことを想い、心に浮かび上がってきた感情は――
「……喜び、とまどい、慌てふためき……困惑?」
なんとも言葉にしにくい心境だ。精霊たちは理性より感情の塊に近い存在であり、
それゆえに人間にははっきりとその意思が伝わりにくい。
あくまでも"こう感じている"というコミニュケーションしかとれないことが
大半なのだ。
だが、ノー・フェイスを失ってからというものホオリと雷の精霊の間に共有される
感情は同じ――"喪失感"だった。それが、変化している。
「……? なんというんだろ、この気持ち……」
ますます首をひねる。比喩抜きで頭を傾けていたせいか、母からの視線が
より強まった気がするものの、精霊の解読に意識がいってそれどころではない。
「うーん、うん……そう、なんというか、これは――
……ケンカの、仲裁……?」
険悪な雰囲気が両親に流れた時。その時感じた気持ちに、今ホオリが抱いている感情は
よく似ていた。
・・・
轟音。
快音、共鳴音、跫音、太刀音、爆音、再び轟音。
そして無音。
暗く静まり返った施設の中で、アルカーとフェイスダウン総帥が打ちあう音だけが、
響き渡る。その余波であたりの壁や正体不明の機具などが破壊されているが、
総帥の後ろに佇む巨大な建造物だけは、いまだ健在だ。
(奴はアレをかばって俺と打ちあっている)
よほど大事なものらしい。そしてもう一つ。
(奴は……あまり長引かせたくはないらしい)
ぐっ、ぱっ、と手を開いては握り直す。的確にこちらの初動を潰してくるのは
驚異的だが、相手にもやや勝負を急ぎするきらいがある。
だからこそ、打ちあえている。
(そう。"打ち"あえている……)
ぐっ、と拳を締め直す。
いろいろな感情がアルカーの脳裏と胸裏を過ぎ去り、一つの疑問が置き去りにされる。
すでに火之矢の頭の中からヒュドールのことは半ば消え去り、その疑問の答えを
求めることに意識が向いている。
そのためにはまず、この超然とした存在をぶちのめさなければならない。
(雷の精霊を呼ぶ……か?)
ちらり、とその考えがよぎる。
だがアルカー・テロスはいまだ火之矢の手に余るものではある。
そしてなにより――その雷の精霊は今、呼びかけに応えてはくれない。
(……)
無雑作に左腕をあげ、後ろに引くと同時に右ひざを突き出す。
死角から打ちかかってきたフェイスダウン総帥の右腕は左ひじで後方へ流し、
みぞおちめがけて放った膝蹴りは相手の左手で受け止められる。
最初は一方的に叩きのめされていたアルカーだが、戦いが長引き相手の動きに
慣れてくると逆にこちらが合わせられるようになってきた。
それでも相手はまるで不落の要塞のごとく堅牢で、まるで崩すことができない。
打ち込んだ正拳は、腕が伸びるまえに圧しとめられる。
蹴り上げた砂は気にもとめず俺を見つめ、隙をみせない。
単調な攻撃を繰り返したあとに突然パターンを変えてみせても、
まるで動揺せず対応してくる。
至近距離で飛び道具を放つ搦手を使っても、あたる気配がない。
自分の手管が、まるで通用しない。
その事実が、アルカーの心を苛む。
ぎりりっ、と拳をますます握り締める。
一度は冷えた怒りが、また激しく燃え上がってくるのを感じる。
相手の顔を真正面に捉える。鉤手で全てを圧しとめるような、そんな威圧的な構えだ。
走り寄ってくるこちらのカウンターを取ろうと、待ち構えている。
だがアルカーにはそんな相手の動きは何一つめに入らなかった。
相手の仮面、その中央に灯る赤い光にだけ、意識が向く。
その顔に初めて動揺が走った。表情などない顔だが、それがよくわかる。伝わる。
アルカーはなんのてらいもせず、ただまっすぐ相手に向かって走っていく。
激情に任せて拳をひたすら握り締め、雑に振りかぶって叫んだ。
「何を――」
動揺しながらも、カウンターを取るつもりにかわりはないようだ。
フェイスダウン総帥はこちらの右手を掴もうと手を伸ばし――
「何をしているんだ、オマエはッッッ!!!」
完全に。
フェイスダウン総帥の動きが、完全に止まった。
その面に、容赦なく右拳を叩き込む。
――炸裂するその一瞬、ほんのわずかに相手が困った顔をしたのは、錯覚だろう。
この戦いではじめてフルヒットした一撃に、黒ずくめの怪人はきりもみして吹き飛ぶ。
ねじを埋め込むように回転し、壁を巻き込んで奥までうずもれるフェイスダウン総帥。
まるで全ての力をその拳に注ぎ込んだかのように疲れ果て、肩で息をするアルカー。
鉄拳に怒りをぶちまけはしたが、まだ胸の奥に燻ぶった炎が残っている。
口からその炎を吐きだす代わりに、詰問の言葉をうずもれたままの総帥へと
ぶつける。
「何を、何をしているんだ、オマエは。
こんなところで、何をしている……」
がらり、と石くれが落ちる音だけが答えのように返ってきた。
かまわず叫ぶ。
「何をしているかと! 聞いているんだッ!
――ノー・フェイスッッッ!!!」
残った怒りの火、その全てを最後の言葉に詰め込んだ。
はぁはぁと息をつき、相手の答えを辛抱強く待ち続ける。
そして。
「……………………だから、お前とは戦いたくなかったんだ」
憮然とした声と共に、フェイスダウン総帥は状態を起き上がらせた。
・・・
はい、そういうわけで主人公のご帰還です。
もっとも第五部がはじまってからもずっと出張っていたわけですが……やっぱり、タイトルが「ノー・フェイス」なのに当人が出てないと締まらないですよね(




