第二章:03 ※おまけアリ
・・・
「――やほー」
「……」
暗く沈んだ顔でコーヒー缶をぶらさげ、ベンチに腰掛けた火之矢へ桜田が
声をかける。いつも通り陽気そうな声音だが、つとめてそうしていることが
小岩井にも見てとれた。
彼女たちはCETの会議を終えたばかりだった。
だがその進行は芳しいものとは言い難い。
これまで、対アドバンスト・カインドの方針はかつてのフェイスダウンに対するそれと
大差はなかった。
すなわち、フロント企業をいぶりだし、摘発して力を削ぐ。
堅実ではあるが――実のところ、大きな効果があるとは言い難いのも実情だ。
なにしろ、CETは日本警察の下部組織。対してアドバンスト・カインドは
国際犯罪集団なのだ。上層部では海外との連携も打診してはいるようだが、もともと
彼らが活動していたと目される中東などから流入してくる資金を差し止める術はない。
・・・
「場当たり的な対処ではどうにもならないのでは?」
「なら敵の頭を叩くべきだ」
「だが天津の居場所はおろか、本拠地すらわかっていないんだぞ」
「そもそも日本にいるのかすら不明だ」
「しかし先日大改人はこちらに――」
「駿河湾要塞の解析を進めた方がいいんじゃないか?」
「――」
「――」
「――」
喧々諤々。
みな好き勝手なことをてんでばらばらに述べてはいるが、いちようにその眉間には
深いしわが刻まれていた。
なにしろ建設的な案がなにも出ない。
被害も表ざたにこそなっていないが、深刻だ。
フェイスダウン同様、アドバンスト・カインドも"人狩り"を行っている。
だがその目的はエモーショナル・データの回収ではなく――
拉致、および改人への"改造"だ、と目されている。
集められるだけ集めればいいエモーショナル・データとは違い、人体改造や
兵員確保のための兵站が必要なためかその活動自体はフェイスダウンの時に比べ
ずっと下火ではある。が、エモーショナル・データを奪われた患者たちが回復傾向を
見せている今、より重篤な事態に陥っていると言えるだろう。
「――ホオリちゃ……雷久保ホオリの証言から天津稚彦の所在、もしくは所在地に
至るポータルは日本にあると推測されます」
「確かか?」
「確か、と呼べるほどの判断材料はありません」
場の発言を受けて小岩井はあわてて立ち上がり用意していた回答を述べる。
もとより彼女はこんな作戦会議に出席するような立場でもないのだが、
彼女がホオリの主治医を担当しているがゆえに証言者として招かれたのだ。
雷久保ホオリは雷の精霊を宿している。その身を通じて精霊と心を通わし、
限定的ながら情報を得ることができる。
雷の精霊だけでなくヒュドール及びエリニスが宿している水と地の精霊とも、
おぼろげにではあるが繋がっている。それはつまり、ヒュドールたちの居場所の
数少ない手がかりでもあるのだ。
「――敵組織にどのようなジャミング装置があるのかも判明しておりません。
ですが彼女の証言する限り、ヒュドールの"気配"はこの日本から伝わってくる
――と」
「追跡するには、あまりにか細い綱だな」
相席している幹部の皮肉めいた言葉にやや委縮してしまう小岩井。
が、それにかぶせるように怜悧な声が場を制した。
「――ヒュドールを追跡しうる存在が、一人いる」
がたり、と荒々しい音が間近から聞こえ思わず肩をすくめる。
おそるおそる見上げると――先ほどから黙って議論を聞いていた火之矢が、
けわしい表情をして立ち上がっていた。
その視線を受け止めながらも表情を崩さず、場の進行役であり先ほどの発言をした
女傑――御厨が言葉を続ける。
「再び表に出てきたフェイスダウン総司令、フルフェイス。
奴ならば、ヒュドールを追跡できるはずだ」
「わざと奴を引きずりだせと?」
およそ普段の彼らの関係からは想像つかない声音で、言葉をぶつけあう二人。
「先日の戦い――そしてそれ以後起きている散発的な衝突時の奴の行動を見ても、
フルフェイスたちは我々とアドバンスド・カインドの戦闘を嗅ぎつけて
改人の追跡を行っていることは明白だ。
なら、我々もそれに乗じるという手もある」
「奴が出てくるまで静観し、被害が拡大するのを見ていろと言うのか」
「あくまでも一つの方策だ」
「他に手がなければ?」
「……当然、それを採択する」
沈黙。
二人の間に流れる不穏な空気に気圧されるように、議場の全員が押し黙る。
その様子を小岩井は身を縮こまらせて見つめているほかなかった――。
・・・
結局、会議は踊るもされど進まず。
ここしばらくがそうであるように、何も前進することなく解散する運びになった。
実際のところ、ヒュドールを抑えられない限りは、アドバンスド・カインドへの
抜本的な対策は国際協力しかないのだが――それはもはや外交政治の領域だ。
警察組織にすぎないCETには手の出しようがない。
だがいつにも増して火之矢が沈んでいたのは、やはり御厨との一件が原因だろう。
その様子を心配した桜田にさそわれ、彼の様子を見に来たのだが――
(……やはり、くすぶっているようですね……)
傍から見てもわかるほど、険悪な表情だ。ドス黒いオーラが漂っているのが
見える気さえする。
正直、近寄りたくない。
が、そんなことは意にも介さず桜田がバンバンと火之矢の背を叩く。
「まーまー、ひのくんの気持ちもわっかるけどさー。
みくりっちも言わざるをえなかったんだって。
ほら、あんなこと誰だって思いついてたことでしょ? でも自分が言うのは
みんな気が引ける。だからリーダーである自分が言わなきゃって――」
「……そんなことは、わかってる……!」
空気を読まない桜田さえ一瞬手が止まるほどの怒気をこめて、火之矢が口に出す。
が、彼も怒りの発露を自覚して目を伏せ、少し呼吸を整えてから言葉を継ぐ。
「……御厨が周りの被害を気にしてない、なんて思っちゃいないさ。
アイツに対して怒ってるわけじゃないし、他の誰に対して怒ってるわけじゃない。
ただ――」
「自分に対して、怒ってる?」
先ほどまでのチャラけた態度からは想像もつかないほどやさしい声で、桜田が
先の言葉をとる。
いつもの彼女とは違い、大人びたような笑顔でそっと火之矢の肩に手を置き、
彼の心境を読むように言葉にしていく。
「……フルフェイスを倒した。なのに、事態は解決しない。
天津の居場所もわからないし、依然として犠牲になる人は増え続ける……
しかも、倒したはずのフルフェイスまでまた現れて、これじゃ――」
その先は、彼女も口にしなかった。
「……アイツが抜けた穴は、大きい」
固く握りしめていた拳を開き、火之矢がその手のひらの中を見つめる。
アイツ、という言葉を聞いて小岩井の胸にもズキリとしたものが走る。
「――アイツがいなくなって、俺の手はこんなにも短かったのかと、
そう実感したよ」
「……」
アイツ――ノー・フェイスという背を預けられる相棒の喪失。
それが、彼の心に空虚なモノを生み出していたのだろう。
心に穴が空いたのは、彼だけではないが――。
「――なんだかんだ言って、ノー・フェイスがくれる情報もありがたかったもんね」
桜田もまた、少し遠い目をして呟いた。
先ほどまでの重い空気とはまた違う、少し湿ったものが場に漂う。
なにかを言おうと火之矢が口を開いたところに、携帯のメロディが流れる。
すばやく感情を切り替えて通話に出た彼の顔が、先ほどまでとは違う質の
険しさに変わる。
「……改人がでた」
「改人が?」
いぶかしげに桜田が答えたのは、今のところ遂行中の摘発作戦がないからだろう。
つまり――
「正体を暴かれたんじゃない。最初から戦闘目的の改人が、街中に出現した」
「はー……またなにやらめんどくさいことが起こりそうな……」
うげぇ、と舌をだしてイヤそうな顔の桜田。その肩をぽん、と火之矢が叩き返し
彼のバイクが納めてあるガレージへと走り出す。
「悪いな、桜田。益体もない愚痴につきあわせてしまった」
「おうおう、感謝したまえよー!
……んでもって、御厨っちとも話あいなよ」
ぐっ、と親指を立てて踵を返すと、火之矢が曲がり角へと消えていった。
その姿を見送り、小岩井はそっと桜田に声をかけた。
「あのー……」
「んんー? あ、小岩井っちもありがとね」
「いえ、それはいいんですけど……火之矢さんをこう、なんというか……
元気づけたかったんですよね?」
「んー」
「でも、なんでわざわざ私を呼んだんです?」
「んん――…………」
くるり、と背を向けると、溌剌とした彼女にしては珍しく言葉を濁し、頭を
かりかりとかじると振り向きはにかんだ顔で答えた。
「なんか、さ。
私一人だとさ――……ちょっち、ズルい気がしてね」
「………………フフッ」
・・・
「――本当に、よろしいのですか?」
「ああ」
ごきり、と手首をひねって鳴らす。
まだ少し、身体がなじまない。本来ならばまだ、動くべきではないのだが。
「ジリ貧なのは我々も同じだ。なら多少のリスクは負わねばな」
高層ビルの上。強風がコートの裾をはためかせる中、青い戦士――
アルカー・ヒュドールは眼下で暴れる改人を冷たい目で見下ろしがら、宣言した。
「アルカー・エンガとフルフェイスをぶつける。
こちらの時間を稼ぐには、それしかあるまい」
西の空から、重く黒い雷雲が近づいてきていた。
・・・




