第五章:07
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「――おお……!」
フルフェイスの声帯から、数十億年ぶりに驚嘆の声が漏れ出た。
黒い部屋に、雷光が暴れ狂う。
憤激にも慟哭にも聞こえる耳をつんざく轟音とともに、壁や床を激しくうちつけ砕き、
縦横無尽に駆け巡る光条――それを、アルカーから吹きあがった爆炎がとらえる。
やさしく、しかし力強く。炎の柱は雷光を引き寄せ、己へと取り込んでいく。
そう――今こそ、精霊があるべき姿へ戻るのだ。
(こんな――こんな簡単なことだったとはな)
フルフェイスの胸中に若干の無念さがよぎる。
ポゼッション・リムーバー。フルフェイスがこの時のために開発した、
"精霊と現実の関連性を一時的に無力化する"技術だ。
融合したアルカーから精霊をひきはがすのを目的としているが、
応用すればさきほどのように"力ある言葉"を無効化もできる。
が――あくまで一時的。適合者と融合した精霊は、瞬時にそのもとへ戻るだろう。
引き剥がしたら、迅速に奪い取らなければならない。
ここまで温存してきたのは、それが理由だが。
(――それだけではない。ノー・フェイスを機能停止させるわけには、いかなかった)
融合してまもないころなら奴を停止させるだけで済んだ。
媒体であるノー・フェイスが使えなくなれば、精霊はその身を離れ適合者のもとへ
飛び去っていたはずだ。
が――度重なる戦いで、"雷"の精霊はその力を覚醒させていった。
それはとりもなおさず、ノー・フェイスが『アルカー』としての力を
真に宿していったことに他ならない。
アルカー・ヒュドールやアルカー・エリニスのようなフェイスダウンの技術で
疑似的に適合させているのとは、わけがちがう。
その本質があまりに強固に癒着し、精霊とノー・フェイスが不可分の存在へと
変化していったのだ。それが第一の、誤算だったのだが。
もし無理に引き剥がせば、精霊はいわば"卵"、あるいは"繭"のような状態になる。
適合者から離れ、次の適合者をさがすまで他の媒体に映るための仮の姿だ。
それはちょうど、雷久保博士やその娘に宿っていた状態とおなじもの。
そうなれば、せっかく目覚めさせた力がふいになる。
アルカー・エンガに融合させ、真なる姿に覚醒させるには再びある程度の期間が
必要になってしまうのだ。
(だからこそ、私は奴を介して精霊の力を引き出し、
目覚めきってから己の意志で精霊をアルカーのもとへ還すよう促すことにした……)
それがもっとも効率的。そのはずだった。
ノー・フェイスは裏切ったとはいえ、フェイスの一員。
目的のためにもっとも適切な行動を選ぶはず――そう、確信していた。
が、ノー・フェイスは精霊を手放さなかった。それどころか、不完全でありながら
大戦闘員、キープ・フェイスさえも撃破してしまった。
それが、第二の誤算であり、第三の誤算でもある。
(奴は、なぜ――)
なぜ、精霊を手放そうとしなかったのか。
執着か? いや、そうではあるまい。それだけは、信じられた。
――なら、なぜだ?
(――いや、いい。今更、どうでもいい話だ――)
誤算は積み重なった。だが、うれしい誤算というのも、ある。
ひとたび強くアルカーとして融合してしまえば、簡単には引き剥がせない。
リムーバーで一時的に分離しても、すぐに戻ってしまう。
その隙に精霊を奪う方法は、そう何度も使えるものでもないのだ。
だからこそ、慎重になる必要がある――そのはずだったのだが。
(――まさか、すでに精霊自ら分離していたとは!)
拍子抜けする思いだった。
融合した精霊を無理やり引き剥がすのは困難だが、精霊自体が離れるのは容易だ。
ノー・フェイス自身は変わらずその力を引き出していたため、気づくのが遅れたが――
"雷"の精霊は、すでにノー・フェイスから分離していた。
といって、アレが見限ったというわけではない。いつのことかはわからないが、
ノー・フェイスがその動力部を失い、それを補うために自らを命そのものに替え、
奴を生かし続けていたのだ。
(正直に言って、理解に苦しむ……)
"雷"の精霊が、ノー・フェイスを選んだこと理由も不明だ。
さらにすでに死に体となっていた奴を無理やりに動かし続けていたのは、
もはや想像の埒外としか言いようがない。
(おまえは……おまえたちは。
いったい何が望みだというのだ……?)
もとより、精霊とは超常存在。いかな統合生命体であるフルフェイスであっても、
手に収まるものではない。だがそれをふまえてなお、彼らの行動は不可解だった。
(まあ、いい……)
それもいまや些末なこと。
リムーバーの使用をためらうこともなくなった。たとえ一時的であっても、
いまや己の心臓となった精霊から離されればノー・フェイスは――停止する。
そして、精霊の力が失われることを恐れる必要もない。
とうに、自ら離れていたのだから。自然に本来の主人のもとへ戻る。
――今、目の前で起きていることのように。
一億度の熱波が、部屋を満たす。銀河系中心にも匹敵する温度のガスは
本来いかなる物質であってもプラズマへと還すが、フルフェイスとその力に保護された
空間はこゆるぎもしない。――こんなもの、これから行う偉業に比べれば
そよ風にすぎない。
ふと、己の手が震えているのに気付いた。
(畏怖か。あるいは、高揚。
この私にさえ、無意識に体が動くなどということが、あるのか――)
彼からすれば驚くべきことだが、しかし同時に得心のいくことでもあった。
今、フルフェイスの眼前で起きていることは星の創世にも匹敵するのだ。
これに敬意も恐怖ももたない生命など、生きる資格がない。
「そうだ。おまえたちは――素晴らしい。
宇宙の神秘であり、我ら生命体はそのすべてが根源的な畏怖を抱いている。
そうだろう、アルカー。|原初であり終端であるもの《アルカー・テロス》!!!」
プラズマが、膨れ上がる。
炎が、雷が、ねじれてまばゆい光となり伸びていく。
その光景は太陽が現れたようにも、生命の樹が生まれたようにも見えた。
神々しい。
フルフェイスはその言葉を多用するのを好まなかった。神など信じていない。
たしかに存在する、神秘を現実に見ていたのだから。
神などという文字は、今この場にある奇跡に対してのみ使用するべきなのだ。
星を――そして、すべての命を産み落とした超常存在にだけ。
「めざめ、来たれよ。――アルカー・テロスッッッ!!」
――黄金の閃光と紅い爆炎。その向こうに――碧に光る、目がのぞいた。
アルカーが、"命"の精霊が――本来の姿へと回帰したのだ。
アルカー……テロスへと――。
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