第五章:06
今月はツバメのヒナをそだててちょっと余裕がありませんでした……
・・・
「――上からの連絡は――」
「まだ、ありません」
御厨が冷静を装って通信手に尋ねるが、返答は先刻と同じ無慈悲なものだ。
――もう、彼女が何度繰り返した質問かもわからない。
小岩井は膝に置いたジャケットにそっと手をはわす。
以前、ホオリと共に選んだノー・フェイスのものだ。まだあまり使いこんでいない
その上着は傷みもなくきれいなものだ。
その衣服の主も、生まれたばかりと言う点では共通点がある。だが、彼はその短い期間に
無数の傷を身体中にまとっていた。ジャケットなどよりよほど、似合うかのように。
(――以前受けた傷――)
とりわけ、彼女が気にしていたのは先日のアルカー・エリニス……
ホデリにつけられた傷だ。あの胸についていた小さな傷。
詳しく調べる時間はなかったものの、これまでとは質のことなる傷だった。
胸騒ぎが、する。
(ノー・フェイスさん……ホオリちゃん。
雷の精霊――どうか二人に、力を……)
・・・
――白い部屋だった。
何も見えない、果てまで続く白い空間。自分の姿さえ存在しない――
(ここは――)
(これが、宇宙)
どこへと問いかけたかもわからない意識に、どこからともなく応えが返ってくる。
(――宇宙? 宇宙は、暗黒のはず――)
(それは認識の違い。宇宙は、書き込まれるのを待っている白紙の世界)
ふと気づくと、小さな球が浮かんでいる。その球から六つの光が飛び出してきた。
光は球を囲むように飛びまわり、やがてもう一度球の中へと戻っていく。
球は赤く発熱したかと思うと急激に冷えていき、青い球に変化していった。
いや、これは――惑星だ。地球と同じように生命の生い茂る、命ある星。
見渡せば遠く果ての果てまで同じような星が無数に漂っていた。
(――アレが、精霊が星を生み出すさまなのか)
(――そう)
最初に見つけた星に目を戻す。ほんの一瞬目を離していただけだというのに、
その星はもう枯れ果てていた。茶色く変質し、死にかけた星。
が、その星に再び光がともる。
その光はやがて星から離れ、実体へと変わっていった。
(……アルカー)
姿は、見慣れたものとはかけはなれている。だが直感でそれが同質の存在だと
感じ取った。――いや、少し違う。
(これが……完全体。真なるアルカー……)
("アルカー・テロス"。星を生み出した精霊が、やがてくる終焉の際に
その星のすべてを内包し、一つとなって旅立つための形態)
それは羽根を広げた鳳のようにも、地から飛び上がる獣のようにも見えた。
神々しい。
神のなんたるかを知らないノー・フェイスでさえ、そう感じた。
人が神を夢想し、ひれ伏そうとする感情を少しだけ理解できた気さえする。
星が辿ってきた歴史すべてを力に変えたアルカーは、星を離れ再び宇宙へと発つ。
やがてそのアルカー自身が球体へと変容していき――また、新たな星を生み出した。
これが、宇宙で行われているサイクル。精霊が宇宙をわたり星と成り、
また精霊となって旅立っていく、永遠の命のサイクル。
(おまえたちは、この循環を幾度となく繰り返してきたのか)
(以前の私と、今の私は違う。親が子を産み、子がまた親になるように――)
声――"雷"の精霊は、冷たくもあれば暖かくも感じる声音で答える。
(そうだ。奴らは――フェイスダウンは言っていた。
精霊は一対で完全な存在。本来は、適合者にのみ宿るものだと。
――なぜ、オレを選んだ……)
自分――ノー・フェイスが抱えてきた疑念。
アルカーは……火之矢はおのれを信頼し、背中を託してくれた。
なら、精霊は? 雷の精霊が宿った時、ノー・フェイスはただのフェイス戦闘員に
すぎなかった。適合者であるどころか、人ですらなかったのだ。
そんな自分を、なぜ精霊はアルカーのかたわれとして選んだのだ。
(――アレは精霊のサイクルを真に理解していない。
今見せたように、精霊とは星を生み出し、その星が成熟しきったその時
命の連鎖をつなぐためにもう一度現出するもの)
感情を読み取りづらい声色ながら、どこか寂しげにも悲しげにも聞こえる声が
ノー・フェイスの意識を包み込むように語り掛けてくる。
(私たちは"力の塊"ではない。
命を生み出し、命を育て、その命が終わる時にはじめて生まれてくるもの……
この星に生まれたすべての命を記録するために、私たちは星に宿っている)
光の点が、広がった。まるで蛍のように、と言えばいいのだろうか。
点から点へと、光条が伸びて繋がっていく。
これが、命の絆。精霊がつたっていく、"縁"というものなのか。
(私たちは、命の関わり合いによって成長していく。
適合者が周囲とふれあい、多くの想いを巻き込んでいくことで力を得る。
今の私たちは不完全な存在にすぎず――対になったところで、至るべき
境地にはたどりつけない)
だからこそ、フルフェイスに突かれる隙が生まれる……のだと声が言う。
(――私は、焦りを抱いていた。
このままアルカー・エンガと融合しても、真の"テロス"には届かない。
あの統合生命体に、引き剥がされる程度の存在にしか、成りえない。
――そんな時、アナタが現れた)
(――オレ?)
壁が、視界をふさぐ。
いや、壁ではない。これは――フェイスの胸部プロテクター。……自身のだ。
(これは……)
(ホオリの――私の、記憶)
忘れもしない。あの、運命の夜。
ノー・フェイスがアルカーと出会い、フェイスダウンと袂をわかった、あの日だ。
自分がなにかに強く抱かれているのを感じる。これは、ホオリの記憶か。
あの時抱いた、少女の想いが伝わってくる。
恐怖。恐慌。困惑。そして――安堵。
襲ってきた負の感情が、自分を包む腕に吸われていくかのように、霧散する。
(ホオリは――)
(ホオリはアナタに安寧を見出した。私を守ってくれる、強い腕。
それは――アルカーに感じたのと、同じもの)
ノー・フェイスも困惑していた。
ホオリが、自分に抱いていた感情。信頼、安心、好意――彼女がおのれに対して、
これほどまでに熱い想いを向けていたのだと、初めて実感したのだ。
(私はアナタに死んでほしくなかった。
そして同時に――可能性をも見出した)
(可能性?)
(アルカーと……火之矢とは違う、彼と同じ決意を抱いた人間。
異なる性質を持ちながら、同じ理想を掲げた二人。
――そこに生まれうる絆に、私は賭けた)
場面が変わり、アルカーの背が映る。短い人生で、何度も何度も追ってきた背だ。
フェイスを、改人を、キープフェイスを打破していく、力強い背中だ。
いや。
いつの間にか――その背は、自分のものに変わっていた。
これは、アルカーの視点だ。火之矢の想いだ。
その想いは――ノー・フェイスが彼に抱いていたものと、まったく同じだった。
(私たち精霊は、命の絆によって育つ。
なら、誰よりも強い想いを共有する二つの命を介せば――)
アルカー・エンガ。アルカー・アテリス。
戦いの中で、増していく精霊の力。それは……火之矢と自分の信頼によって、
得られた力だったのか。
(もしあの時、私がアルカーを選んでいたとしても。
比翼の鳥は、翼のそろわぬひな鳥にすぎなかった。
統合生命体に羽根をもがれ、喰らわれる未来しかなかった)
(アナタを選んだから――私たちは、完全体へ近づけた)
(……)
フルフェイスに生み出された被造物。誰かから感情を奪わなければ自己を
成立しえなかったはずの、不完全で罪深き存在。
そんな自分を、アルカーは信じた。御厨が信じ、桜田が信じ、金子屋が信じ、
竹屋が信じ、小岩井が信じ、ホデリも信じてくれた。
だがなによりもまず最初に――ホオリが、信じてくれていたのだ。
(……ホオリとホデリは、救えるか)
(統合生命体さえ、倒れれば呪縛はとける)
――ならば、憂いはない。
空間は再び白くなにもないものへと変わっていた。
いつの間にか現れていた自身の姿を、一歩前に進める。
と、その腕をつかむ小さな手の感触を感じた。
ホオリだ。ホオリであって、ホオリではない存在。
――彼女と融合し、一つとなっている"雷"の精霊だ。
「――私は……私たちはアナタと離れたくない」
「……」
泣きそうな、ホオリの顔。すがるようにノー・フェイスの手を引き留める。
「アナタに――死んでほしくない」
「"サンダーバード"……」
振り向き、しゃがみこむ。彼女の視線に己の単眼をあわせて向き合う。
「ああ。――死にたくないな。
お前たちの感情に触れて、生まれて初めて思ったよ」
そっと、彼女の髪に触れてやる。
「お前たちが――人々が、オレに抱いてくれた想い。その重さを、
初めて知った。裏切りたくない。だが――」
髪に触れた手を、自身の胸に移す。――そこに、もう精霊はいない。
「――おわかれだ」
「……」
最後にそっと、ノー・フェイスの手をつかむホオリの手をさらに上から
包んでやる。血の通わぬ自分の肌が、熱を持っていると信じて。
「――そうだ。死にたくない。オレは、"死ぬ"んだ。
人の――お前たちの絆の中に居るから、機械人形にすぎなかったオレが死ぬ。
想いが失われるから――オレは、死ねるんだ」
「それは、悲しいこと……」
「ああ。だが――仕方がない」
そっと、立ち上がる。つかむ少女の手が離れていくのを惜しみつつ、
未練を断つように背を向ける。
「オレは、アルカーだ。アルカーは、オレだ。
だから後は――あいつに託そう」
「……ありがとう。あの時、"私"を救ってくれて」
「ありがとう。お前が救ってくれたおかげで、オレはここまでこれた」
「そして、さようならだ……"雷"の精霊、サンダーバード。そしてホオリ――」
・・・
――波動が部屋を満たし、全身を突き抜けていった。
全身を鮮烈な雷光が駆け抜けていき、胸から熱い塊が飛び出ていこうとする。
足に力が入らず、たまらず膝をついてしまう。
「――ノー・フェイス? ノー・フェイスッ!?
どうした、ノー・フェイスッッッ!!!」
アルカーが叫び、手を伸ばしてくる。その手をつかもうにも、もはや腕も動かない。
かろうじて首をまわし、視線を向ける。
赤い、炎。誰かを守るために戦ってきたその戦士こそ、ノー・フェイスの目指した姿。
孤独に戦い続け、他人のために傷つくことを厭わぬその雄姿にこそ彼は
己のアイデンティを見出し、自我を確立させたのだ。
今、ようやく確信できた。
オレは――この男と同じ、"ヒーロー"になれていたのだ。
「アル、カー……火之矢」
身体から、心臓部から"雷"の精霊が抜けていく。
彼女の悲鳴に身を斬りさかれるような悲しみを覚えながら、後事のすべてを
"もう一人の自分"にゆだねた。
「ホオリと、ホデリを――頼む」
「ノー・フェイ……ッ!」
岩塊に目を向ける。ホオリと、ホデリ。フェイスダウンに翻弄され続けた、
哀れな少女たち。
(すまんな、ホオリ、ホデリ……
だが、お前たちを救うための、オレの手は――アルカーに、受け、継がれ……)
視界が急速に暗くなっていく。全身を動かしていたエネルギーが失われ、
躯体を動かすどころか思考する力さえも消えていく。
世界から、己が消える。
だが、残るものがある。それさえ残るなら、かまわない。
そして――
人々から"エモーショナル・データ"を奪うために作られ、人々を守ったアンドロイド。
ノー・フェイスの全機能は、停止した。
・・・
最終回じゃないぞよ。もうちっとだけ続くんじゃ。
具体的にはラノベ一冊分くらい。




