第三章:02
・・・
「――ひとつ、大きな誤算があったとすれば……おまえたちが、
私の邪魔をしたことだろうな」
(……?)
地の精霊と、雷の精霊の力で隔離された空間の中。
この宇宙でもっとも安全ながら、何もできない無力な場所で
ホオリはフルフェイスの独白を耳にした。
一瞬、自分たちに向けた言葉なのかと考えたが、すぐに違うと知れた。
こちらが聞いているかどうかなど考慮もせず、ただ淡々と呟き続ける。
「おまえたちにとって求めるべきは、この星における生命体の存続。
やがて来たる真なる破滅の時まで、その火を絶やさぬことだろう」
(……ずいぶんと、壮大な話……)
おののけばいいのか呆れればいいのか、いまいち判断がつかない。
馬鹿馬鹿しいと一笑に付すにはフェイスダウンの科学力は、
人智を越えすぎてはいるのだ。
「おまえたちにも、わかってはいるはずだ。
人間は、失敗作だと」
「同感……だね……」
「ホデリ……」
フルフェイスの独白に、苦しげに反応する声。
意識を失っていたホデリが、目を覚ましたのだ。
汗にまみれたその額を、そっと拭ってやる。
彼女も彼女で、なかば熱にうなされた状態だ。
こちらの声は向こうに聞こえていないことはわかっているはずだが、
構わず自虐するように韜晦する。
「ろくでもない……連中ばかりだったよ、人間なんて。
私が生まれて初めてあった人間たちは……ろくでもなかった」
「……」
焦点の定まらない瞳で空を眺める彼女の冷たい声に、喉がつまる。
「ろくに物も考えず、その場その場の感情に振り回されて動く……
……私が、その代表みたいなものだけどね……」
「人間は、感情を制御できていない。完全に振り回されている」
聞こえていないはずなのに、話す内容が不思議と一致していた。
機械のごとく冷たいフルフェイスの言葉と、熱暴走しているような
ホデリの声。奇しくも、彼女たちの話を証左するように結界内に響く。
「感情は、生物を前に進ませるための原動力だ。
だがブレーキの効かないエンジンは――早晩、自壊する」
「自業自得だよ。今の私は……自分の生まれの不幸に酔い、
勝手にまわりに自分の苛立ちを押し付けて――自分の破滅に、
巻き込もうとしたんだ。私は――ただそれだけの、バカだったんだ」
無慈悲に断罪するかのようなフルフェイスと、辛らつに自虐するホデリ。
その二つの声に挟まれ、ぎゅっと胸をだきしめるホオリ。
「だから――私は、価値なんてないんだ。
アナタとは違う……私に、救われる価値なんて、ない」
「人間は、救えぬ。どうにか使い道を見出せないかと、生きさせる道を
与えられないかと長い間模索してみたが――結局は、そんなものはなかった」
ホデリの熱が、ますますあがっていく。彼女はフルフェイスが現れてから、
体調を崩していた。フェイスダウンに利用されていたことをかんがみれば、
おそらく――フルフェイスに逆らえない、無用となれば
いつでも切り捨てられる措置を施されていたのだろう。
そのフルフェイスがすぐ傍にいるのだ。結界に阻まれているとはいえ、
彼女の苦痛は増すばかりのようだ。
そんな苦しい息の中でも、ホデリは自虐することをやめない。
「くだらない、ろくでもないなんて周りを見下していたけど……
一番価値がないのは、本当は私なんだ。私は……」
「……なに、それ」
ぽつり、ともれる。
「人間は、価値がない。いや、人間だけとは言いがたい。
現状、大半の生物が感情に振り回されているといわざるをえない。
このままでは――ダメなのだ。そうだろう」
「――どうして、よ」
たった二人で、仇敵の本拠地に連れ去られた孤独と恐怖。
それが、ふつふつと沸いて来る"感情"に塗り替えられていく。
――これは、"怒り"だ。
「バカとか、ろくでなしとか、価値がないとか――
どうして、それが生きていてはいけない理由になるの?」
ホオリの脳裏に様々な人の顔が去来する。
自分を愛し、育ててくれた両親。フェイスたちから守ってくれた
火之夜、ノー・フェイス。それに暖かく迎えてくれたCETの人々……。
彼らはあるいは、"価値ある"者、なのかもしれない。
少なくともホオリにとってはそうだ。それは間違いない。
だが――そうではないからと言って、存在してはいけないなどという
理屈があるのだろうか。
ホデリの行為は、罰せられるべきものかもしれない。だが彼女自身に
『存在してはいけない』などという決まりが、あろうはずがない。
それはどんな人間でも同じはずだ。
ましてや、人類そのものが存在する価値がないなどと切り捨てられるいわれは
――ない。
「……ノー・フェイスは、助けにきてくれる。
それは、私に価値があるからじゃない」
ぎゅっとホデリの手を握る。
相変わらず苦しそうな息だが、少し顔がやわらいだ――気が、しなくもない。
「ノー・フェイスは……必ず、くる。
あなたのわけのわからない理屈なんか、それこそ――意味がない」
・・・
――静寂のなか、フルフェイスは脇に安置された土くれに何気なく目線をやる。
一見ただぼうっとしているだけに見えるが、その実フルフェイスの内面では
この結界を解除するための方策を無限にシミュレートしている。
今のところ、実を結んだ試行はない。
(私にとっても、いささか手にあまる代物であるのは事実なのだがな……)
眺めながら、自身の過去に思いをはべらす。己が生まれた経緯。邂逅した精霊。
彼らと共に、生命をつくりあげた日。
自分と精霊は、なぜ決裂したのだろうか。
彼とて、精霊たちと論議を重ねてはいたのだ。が、その意志は一致しなかった。
結果フルフェイスは精霊たちを捕縛し、彼らの力を得るための研究を続けてきた。
(……それほどまでに、人間が大事なのか?)
いささかならず疑問を抱く。
極論、精霊は地球に根ざす全ての生命そのものの守護者だ。
これまでにどれほど多くの種が滅びてきたかは知れず、さりとて
彼らはその一つ一つを救おうとはしなかった。
あるいは、フルフェイスの手によって滅びるのが気に食わないのだろうか。
それは確かに……わからないではない。自分はあくまで外野だ。
が、人間は行き詰っている。それは精霊とてわかっているのではないのか?
少なくともフルフェイスにはそうとしか思えない。
人間は、感情に振り回されている。
その目的の正邪を問うているのではない。自らの目的を、生きる意志を
定める力を持たず、感情の爆発に左右される。その奔放さに危惧を覚えているのだ。
改人――改良人間を創り出すときも、その部分をどうにかして改善できないか
試行した。彼らが己が為したいこと、生きる意味をきちんと定め
そこに向かうための原動力として感情を操れるようにできないかと――
……結果はすべて、失敗だった。
影響の多寡はあれど、ほぼ全ての個体が「自分のその場の感情をなによりも
最優先し、ほかを一切省みない」という悪所を延ばしてしまった。
むろん、フルフェイスがそのように改造したわけがない。だからこそ、
彼は人間を見限ったのだ――人間自体が、感情を最優先にする性質を持つとして。
だが、精霊たちは頑として彼に協力しようとはしなかった。
代替策を提示することさえしなかった――彼らの答えは、現状維持。
今のまま、自然のまま進ませるべきだと――
(それでは――取り返しがつかないところまで、破綻する。
彼らが生まれ、霊長類となったということは……
すでにこの星の生命体、その基盤自体が人間と同じ性質を有していることに
ほかならない。必ず、破綻する)
フルフェイスは確信していたが、精霊たちは認めようとしない。
なぜ、決裂したのか。
フルフェイスは望んでいなかった。袂を分かつとは考えていなかった。
なぜ、精霊たちはこの現実を認めようとしないのか。
(それとも――)
それとも……精霊たちは、別の何かを見ているのだろうか。
答えはでない――ただ続く静寂の中、フルフェイスは精霊の結界を破るため、
無限の思索にふけりつづけていた。
・・・




