⑦ 最初の出会い
母と住んでいた場所に似ていたから。
多分、そのベンチに腰かけながら編み物や読書をするようになったのは、そういう理由からだった気がする。
王都に越してきてから、すぐに見つけたその湖の近くのベンチで休日を過ごすことが多かった。
ミンティと共に来ることもあったが、一人でここに座るのがどうしてか居心地がよく。
時折、湖を見ながら編み物の手を動かしたり、本をめくったりしていた。
カクトスと出会ったのは、そんな他愛ないある日のことだった。
いつものように一人でベンチに座り、編み物をしていた。
メイディアから教わった少し編み目を変えた手袋を編んでいて、ふと、そういえば母も手袋を編んでいたことがあったと思い出す。
とても綺麗に編まれたその完成形を見ても、どうも思うことはなかった。
母はいつもそれを父に送っていたのだろう。
ミネレーリにその完成形が手渡されたことは一度もなかった。
けれど、ただ一度だけ母がミネレーリに渡してきたものがある。
複雑な編み目に挑戦しようとして失敗したマフラーだった。
なにを言うでもなく首にかけられたマフラーに首を傾げていると、母は珍しくミネレーリに声を発したのだ。
「やっぱり下手よね」と。
あの時、ミネレーリはなんと答えただろうか?
どうしてだか思い出せない。
そういえばあのマフラーもどこへいってしまったのだろう?
「君、そんなところに一人でいたら危ないよ」
考え事をしていたせいで、いつものように取り繕う暇がなかった。
振り向けば馬から降りてくる洗練された振る舞いをする青年がいて。
もう少しで思い出せそうだったから、一年に一回あるかないかで、ちょっと虫の居所が悪くなったのだ。
「どちら様ですか?」
平坦に告げれば、確かに驚いた顔をしていた。
名乗られた後も「令嬢が一人でこんな町外れのベンチに座っているのは危機管理がなっていない」と注意を散々うけた。
それが最初の出会いで、可もなく不可もない平凡なもの。
それなのにどうして。
リリーローザにあんなことを言ってしまった日から、考えない日はない。
ミネレーリ自身もわからないなにかが胸の内をすくっている気がするのだ。
けれど、それが恋だという確かな確証もないし、きっと人が言うところの世間一般での感情をミネレーリが持ち合わせているのか怪しい。
だから、ゆっくりと自身の感情と向き合っていくしかない。
どれだけの時間がかかろうとも。
そう思っていた。
だが……。
「やっぱり化けるわね。ミネレーリは」
舞踏会用にとカクトスから贈られてきた緑を基調としたドレスに身をつつみながら、考える余裕がほしいと切実に思わずにはいられない。
あのお茶会の後、リリーローザのこともあるから舞踏会まで隠そうとミンティが提案してきて、それにカクトスもすぐさま頷いて、舞踏会用の様々なものはガルテン公爵家に内密に数回にわけて贈られてきたらしい。
ドレスをはじめ、靴や装飾品まで色々なものが。
そんな品々を見てメイディアはなにを勘違いしたのか、ウィスティリア公爵家にミネレーリを伴侶にと望んでいるのかと聞いたらしい。
なのにその返答をミネレーリのことなのにメイディアから聞かされず、「自分で確かめなさい」と言われてしまった。
今日会って聞けばいいのだが、舞踏会にはリリーローザも父も養母も来る。
さすがに後のことを思うと面倒くさいことにしかならないのは目に見えているから、気も重たくなるというもの。
僅かな救いはミンティとともに行くと告げて、別々に登城ができることだけ。
「行きたくないって雰囲気醸しださないでよ。せっかく着飾ってるのに台無しよ」
「カクトス様と勝手に行く段取りを決めたミンティに言われたくないわ」
「あら。わたしはカクトス様の恋を応援しているだけよ」
「恋じゃなかったらどうするつもりなの」
ミネレーリの言葉にミンティは呆れたように溜め息をはいた。
「ここまでされてまだそんなことが言えるなんて。カクトス様が嫌いなの? そんな風には見えないからカクトス様に協力したんだけど」
痛いところをぐりぐりとつかれて、ミネレーリは贈られてきたドレスに、そっと手を伸ばす。
ミネレーリにはわからないけれど、メイディアはミネレーリにとてもよく似合っていると褒めてくれた。
カクトスはミネレーリのことをよく見ているわね、と。
嫌いではないから困るのだ。
まだ整理しきれていない心が、どこにあるのか見定められていないというのに。
無表情のまま複雑な面持ちでいると、ミンティがポンとミネレーリの頭を撫でた。
「その複雑な顔の原因、帰ったら聞かせてちょうだい」
嫌だ。
「嫌は聞かないから」
恐ろしい……。
「全部顔に出てるわよ!」
そんなやり取りを繰り返すうちにカクトスが迎えにきてしまった。
ミンティに半ば無理矢理背を押されて出れば、今日も洗練された佇まいと格好をしたカクトスが、ミネレーリを見て微笑む。
カクトスに想いをよせている令嬢達が見たら失神しそうなほどに美しい笑みだ。
「よく似合っているよ。僕の目に狂いはなかったね」
「こんなに素敵なドレスなどを本当にありがとうございます。でも、いただいてよろしかったのでしょうか?」
「エスコートをする男性がドレスを贈るのは当たり前のことだよ。さあ、行こうか」
優雅に差し出された手に、一瞬だけ躊躇ったものの諦めて手をそえる。
馬車の中での何気ない会話でカクトスの真意を探ろうとしても、上手くつかめないまま王城に到着してしまい。
もう諦めの極致でカクトスに手をひかれて進んでいく。
カクトスを目ざとく見つけた令嬢達は、その隣にミネレーリがいるのを見て顔を青ざめさせたり、時には奇声を上げたり。
そうして辿り着いた舞踏会の会場で、数人の青年に囲まれているリリーローザが目を見開いているのがわかって、これから起こるであろうことに、ミネレーリは頭痛を覚えないといいと願わずにはいられなかった。