② わからない感情
「珍しく表情筋がおかしいことになっているわよ、ミネレーリ」
庭園にある椅子に腰をかけて、お茶を飲もうとカップを口元まで運ぼうとしていたミネレーリは従姉である新婚ほやほやの公爵夫人、ミンティ・ガルテンの言葉にピタリと動作を止めた。
「おかしい?」
「ええ。いつもはまったくと言っていいほどの無表情な顔が、なんていうか……途惑っているような気がするわ」
酷い物言いだったが、ミネレーリ自身も自分の表情が乏しいことには自覚があるので否定することができない。
「おかしい……?」
問いかけはミンティにではなく、自分自身に近かった。
頬に触れ、ぐにぐにとひっぱたりよせたりしてみるが、わからない。
なにがおかしいのかわからない。
「なにかあったの?」
あるにはあった。
けれど、それをミンティに言うのは躊躇われる。
妹であるリリーローザにライバル宣言を告げて数日、どうしてあんなことを言ってしまったのかわからないままミネレーリは日々を過ごしていた。
あの日から屋敷にはピンと張りつめた糸のようななにかが張りめぐらされている気がするのは、使用人達の暗い雰囲気からして気のせいではないのだろう。
父が自分を数年ぶりに見つめる眼差しには非難の色が色濃く、あれはもはや憎しみにも近いものがあるのではないだろうか。
養母はミネレーリを一瞬見て、視線を逸らすだけ。
非難も憎しみもそこにはなく、ただミネレーリから逃げる意図しか感じられない。
リリーローザも同じくだ。
昔はあんなにも「お姉様!」と言って傍に来てくれていたのに、養母と同じ反応をするようになったのは、はたしていつごろからだっただろう。
ミネレーリはリリーローザを邪険に扱いもしなかったし、妹として可愛らしく振る舞う様に母には抱いたことのない家族への愛おしささえあった。
けれど、今も同じようにあるかと問われれば、わからないと答えてしまう。
だからなのだろうか?
リリーローザに告げた言葉は、ただ胸の内に巣食っている妹へ対する当てつけだったのだろうか?
そもそもウィスティリア公爵家のカクトスとは二度会ったことがあるだけだ。
王弟の子息で、次期宰相。
気品があって優雅で、女性をうっとりさせるほどの端正な容姿。
彼こそが本物の王子様だと淑女達が噂するのを、パーティーなどで嫌というほど耳にした。
でも、ミネレーリは欠片も興味などなかった。
二度会った中で、厳しくも優しい人だと認識を変えたぐらいのはずだったというのに。
いつまでも頬を引っ張り続けるミネレーリにミンティは溜め息をはいて、紅茶に口をつける。
「その調子じゃ教えてくれそうにないわね。またいつか教えてちょうだい」
嫌だという言葉を飲み込んだミネレーリは我に返って、ミンティを見た。
「そういえば今日はお祖母様はいらっしゃらないの? 私を呼んだのはお祖母様なのに」
「わたしにも関係のあることだから、シェルツと一緒に来るわよ」
シェルツと名前を言った時のかなりのぞんざいな言い方に新婚夫婦なのに、それでいいのかと言おうとした時。
「我が愛しの奥方は今日も俺への扱いは酷いですね」
「お祖母様、シェルツさん」
祖母であるメイディア・ガルテン前公爵夫人をエスコートしながら現れたのは、ミンティの夫であるシェルツ・ガルテン公爵だった。
「我が愛しのってセリフが似合う顔だと思っているの?」
「本当に酷いな~。俺でも傷付くよ」
がっくりと項垂れたシェルツの姿にミネレーリは苦笑する。
確かに艶やかな容姿をしているミンティと比べると、シェルツは多少、いやかなり平凡な顔立ちだけれど。
話術に長けていて話をしていて飽きることはないし、努力を怠らない人だ。
婿入りした公爵家の舵取りも器用にこなして、ミンティとの結婚の際に嫌がらせをしてきた未婚男性貴族を悔しがらせている。
なにより暖かい笑顔を浮かべるシェルツにミネレーリは出会ってすぐにいい人だと判断した。
そんなシェルツが好きで好きでたまらないのに冷たい態度であしらってしまうミンティとの恋はかなり難航したけれど、上手くいってくれて今に至る。
でも、結婚前と変わらないやり取りは健在だ。
「シェルツさん、お久しぶりですね。御無沙汰しております」
「ミネレーリ嬢、お久しぶりです。相変わらず女神も驚くほどのお美しさだ」
「御冗談も相変わらずですね」
「いえいえ、冗談などではありませんよ」
シェルツの雰囲気にあてられて和やかに会話をしていると、メイディアが咳払いをして話を終わらせるように促した。
「失礼いたしました、お祖母様」
美しいが厳しい顔つきのメイディアは性格もとても一筋縄ではいかない相手だ。
ガルテン公爵家の孫として、またヤヌアール伯爵家の娘として色々と勉強させられたが、一つとして褒めてもらったことはない。
それは母を甘やかして育ててしまった責任からなのか、昔はお優しかったのにと言う公爵家の古い使用人の言葉で想像できる。
それでも、物事ができれば顔つきがだいぶ優しくなるのをミネレーリはきちんとわかっていた。
優しさは変わらずあるのだ。
ミネレーリにむける優しさは厳しいが慈愛溢れるもの。
そう言い切れる。
「ミネレーリ、今日貴方を呼んだのはニ週間後に王宮で開かれる試験に参加してもらうためです」
「試験、ですか?」
「ええ。ミンティも受けますが、第二王女テーヴィア殿下の教育係の試験です」
「……あの、それはいったいどういうことでしょうか?」
さすがにミネレーリは困惑してメイディアに尋ねた。
第二王女殿下、テーヴィア・クララウス様は御年12歳。
13歳での社交界デビューを控えた歳ではあるが、王家には専任の教育係がいるし、利発で賢く可愛らしいと諸外国からの評判もいいと聞いている。
そんな方に貴族令嬢から教育係を選ぶ理由がわからない。
「社交界での色々なことを教える必要があるからとのことです。表向きの理由はですが」
「裏の理由は一月前に起こったゴタゴタのせいで、テーヴィア殿下が色々と参っているみたいだから、テーヴィア殿下を元気づける人がほしいという至極単純なものよ。国王陛下が心配されているのよ。すごく」
一月前に起こったこと。
それはさすがに貴族の間だけではなく庶民にまで知れ渡ってしまっていることだ。
なるほどと思うと同時にミネレーリは自分は受からないだろうと、すぐに見切りをつけた。
話し上手でもない。あまり笑いもしない。パーティーにもお祖母様に紹介されたものしかでないミネレーリにはデーヴィア殿下を楽しませるなどできるはずもない。
「わかりました。お祖母様」
「落ちる気満々ね、その顔は」
「私に受かる要素などないでしょう。けれど、貴族の令嬢はほとんど受けるのでしょう? それなら仕方がないわ。受かるとしたらミンティか、すでに御婚約者がいて王立図書館の館長を任されているエディティ・アンヴァルト侯爵令嬢でしょうね」
ミネレーリの冷静な分析にミンティは嫌そうな顔をした。
「どうしてわたしなのよ?」
「公爵夫人であり社交界でもかなりの権限を有しているのだから、そう考えるのは当たり前よ」
ミンティはその美貌と公爵夫人という肩書きで、かなりの信奉者がいる。
なおかつ面倒見も良く、人を惹きつける才を生まれながらに持っているのだから、最終候補にすでに名が上がっているのではないだろうか。
「受かるのは名誉なことかもしれないけど、正直微妙ね。あのゴタゴタの後ということもあるけど、なにより第一王女のレヴェリー殿下のこともあるし。まあ、かなりの人数が受けるみたいだからわたしじゃない可能性も大いにあると思いたいわね」
「けれど、真っ先に落とされそうなお嬢さんばかりだよ」
シェルツの苦い表情と言葉の意味に、ミネレーリは首を傾げる。
「貴族の子女達ばかりと伺いましたが、違うのですか?」
「そうなんだけど、目的があるんだよ」
「目的?」
「テーヴィア殿下と従兄であるウィスティリア公爵家のカクトス君に近付きたいって思惑に近いのかな」
今しがた考えていた人物の名前を出されて、ミネレーリは咄嗟に次の言葉がでてこなかった。
瞬間、ガシッと両手で顔をミンティに掴まれ、顔を覗き込まれる。
「今の顔はなに!? 洗いざらい話しなさい! ウィスティリア公爵家の子息となにかあったのね!?」
「ないわ! 離して!」
「絶対にあるわよ! ミネレーリの表情はわかりやすいんだから!」
そんなことを言うのはミンティぐらいなものだ。
なにがなんでも聞き出そうとするミンティに必死に抵抗するミネレーリを庇い、シェルツがミンティを引き剥がしてくれ、メイディアが続けざまに大きな雷を落としたのだった。
屋敷に帰ると、父に呼ばれていると執事がミネレーリに言いにきた。
用件はわかっていたが、行かないとうるさいだろうと思い父の書斎を訪ねると、そこには養母とリリーローザもいた。
「ただいま戻りました。なにか御用でしょうか?」
「……二週間後のテーヴィア殿下の教育係の試験を受けるそうだな」
すでにガルテン家から話はいっているのはわかっていた。
きっと父はミネレーリがガルテン家に呼ばれた理由を知っていて、あえて言わなかったのだ。
その訳は。
「はい。メイディアお祖母様から受けるようにと言われましたので」
「リリーローザもその試験を受ける。一緒に王宮に行くように」
「わかりました。用件がそれだけでしたら、下がらせていただいてかまいませんか?」
「わ、わたくし負けませんから!」
礼をして書斎から出ようとしたミネレーリにむけられた声はリリーローザのもの。
しかしミネレーリには意味がわからなかった。
「負けない? なんのことかしら?」
「し、試験のことです! はぐらかさないでください! わたくしお姉様には負けません! カクトス様をお慕いしていますから!」
「意味がわからないわ。なにを言っているの? リリーローザ」
「ミネレーリ! リリーローザは先日の件を言っているのです! あんなことをリリーローザに言っておきながら、貴方はリリーローザをバカにしているの!?」
数年ぶりにきちんと聞いた養母の声にもミネレーリは動じることはない。
「それこそ意味がわからないと言っているのです、お養母様。王宮での試験はテーヴィア殿下の教育係を決める為のもの。そこになぜウィスティリア公爵子息様が関係あるのですか? リリーローザ、貴方はウィスティリア公爵子息様に近付くために試験を受けるつもりなの?」
「え……それは……」
「そうだとしたら王族への立派な不敬罪よ。貴方はテーヴィア殿下のことをまったく考えていないということなのだから。この試験はテーヴィア殿下のために設けられたものであって、ウィスティリア公爵子息様に近付くためのものではないわ」
絶句するリリーローザに久しぶりに頭痛を覚える。
シェルツの言っていた思惑を持つ令嬢の中に妹まで入っているなんて。
「リリーローザ、ミネレーリの言うとおりだ。反省しなさい」
リリーローザを怒ることなどほとんどない父がリリーローザを叱責した。
そのことに驚いたリリーローザは呆然とした後、瞳に涙をためてゆく。
そして嗚咽をこらえながら、書斎を飛び出していった。
その後を慌てて追う養母はミネレーリの正論に目を逸らして、リリーローザを追いかけてゆく。
残されたのはミネレーリと父だけ。
けれど、会話などあるはずもないので礼をして扉のドアノブに手を伸ばした時、
「……お前は母親とは全く違うな」
違うと言っているのに、その声には嫌悪が含まれていた。
聞こえないふりをして書斎を出て自室へとむかう。
けれど、ふと立ち止まったミネレーリの口から小さな声が漏れる。
「厭うぐらいなら、どうしてお母様と結婚したの?」
返事などあるはずもない問い。
すぐにミネレーリは止めていた足を動かして自室へと入った。