⑮ 無邪気なままでいいわけがない
鏡台の前に置かれた椅子に無理矢理座らされているミネレーリは、かれこれ二時間近くミンティに髪や肌を弄られ続けて辟易していた。
「ミンティ、そろそろいいかしら? もう限界なのだけど」
「なにを言っているのよ! 今日は決戦の日なのよ! 念には念をいれないといけないわ!」
決戦の日という言葉には多大なる語弊がある。
カクトスに返事をするという、まあミネレーリにとって大事のような日ではあるが、返事を返すだけで戦うという意味の日では決してない。
なのに朝からミンティやメイディアのほうが、そわそわして落ち着きがなくシェルツに笑われる始末。
そんなシェルツにミンティが、いつものように拳を繰り出したことだけは、日常の一コマだったけれど。
「私がカクトス様にお返事を返すのよ。どうしてミンティやお祖母様が緊張しているの?」
呆れ半分で口から出た声は、ガシッとミンティに両肩を掴まれて悲鳴を噛み殺した。
みしみしと骨が軋んでいるのは気のせいではないだろう。
「ミネレーリが! あのミネレーリが! 返事を返すのよ!? 人前での顔は取り繕えるし言葉も滑らかに言えるけど、素は無愛想で口下手なミネレーリが!」
「褒められているようで貶されている気がするわ。それから骨折してしまいそうだから、そろそろ力を抜いてちょうだい、ミンティ」
「どんな風に返事を返すつもり!? もちろん求婚をうけるのよね!?」
「無視しないでほしいわね、切実に。それにお返事はカクトス様にするものだから、ミンティには言わないわ」
いつもだったらここで食い下がってくるミンティだったが、あっさりとミネレーリの肩から手を離した。
意外に思いながらミンティを見ると、髪留めを選びながらミネレーリを見て、少しだけ心外そうな顔をする。
「なによ、その顔は。わたしだってこういうことを根掘り葉掘り聞く趣味はないわよ。結婚したあかつきには絶対に聞きだすけどね」
もう結婚が確定事項なのは如何なものか。
今日のカクトスの反応次第によっては、どう転ぶかわからないというのに。
ミネレーリは鏡の中に映る己の瞳を見返した。
テーヴィアの決意を知って、覚悟を決めようと思えたのはいいことだったのだろうと思う。
中途半端にふらふらしている気持ちを抱えているなんて、ミネレーリらしくない。
だからこそカクトスと向かい合おう。
そう思えたのだから。
「……その様子だと言っても大丈夫そうね」
「ミンティ?」
呟かれた声がミネレーリにかけられたものだと思い、ミンティに振り向こうとした。
「……リリーローザの結婚が決まったわ」
驚いて危うく椅子から落ちそうになったミネレーリは、慌てて立ち上がった。
「それは…………本当なの?」
「こんなことで嘘を言ってどうするのよ。一昨日決まったばかりのことだから、知っているのはヤヌアール家に関係している家だけだと思うわ」
「……お相手は、どなたなの?」
「ぺザンテ子爵よ」
絶句したミネレーリにミンティは淡々とネックレスを手に取りながら、話し続ける。
「この一年はレヴェリー殿下の喪の期間だから、結婚式はせずに入籍だけはするそうよ。結婚式は機会を見て行うらしいわ」
「どうして……ぺザンテ子爵……?」
結婚と聞いて驚いたが、さすがにリリーローザに縁談話が持ち上がっていてもおかしくないのはわかっていた。けれど、あの舞踏会での一件で、リリーローザに求婚をする家がなくなったとメイディアから聞かされていたのだ。
さすがにそれは一貴族であるミネレーリも容易に想像できることで。
あんな醜態を晒して、貴族としてどういう思考をしているのか。
伴侶に迎えれば、もれなく二つの公爵家を敵に回すのも当然。
そんなリリーローザに縁談話がなくなってしまうのは必然としか言いようがない。
それでも想像すらしていなかったリリーローザの結婚相手に、ミネレーリは珍しくも口元を手で覆って考え込んでしまう。
「答えは単純明快、ヤヌアール伯爵家の財政難が原因よ」
「それは知っていたわ。あまり得意ではない事業など始めてしまってから、眉間にいつも皺が刻まれていたもの」
ぺザンテ子爵に対抗してか、はたまた触発されてか。
数年前に父は事業を起こしていた。
あまり父になにも言わないミネレーリは、あの時だけは口を挟んでしまったのを覚えている。
素人がやるには無理があるのではないかと。
まあ、元よりミネレーリの言葉など聞く耳を持っていない父に無駄な忠告をしてしまっただけだったが。
「その負債額、かなりのものになっていたらしいわよ。なんとか騙し騙しで続けてきたようだけど、とうとう騙せなくなったみたい」
だからこそ資産を持つぺザンテ子爵とリリーローザの結婚が決まった。
それが決まった時の父と養母の顔は、どんなものだったのだろう。
絶望。諦め。悲しみ。どれが色濃かったのか。
でも……。
「……リリーローザはきっとぺザンテ子爵に言いくるめられたわね。結婚はしても今まで通りの関係だとか。簡単に騙される姿が目に浮かぶわ」
「あら、さすがリリーローザの元・代理人ね。大当たりよ。何度ヤヌアール伯爵が説明しても、おじ様が助けてくれると言ってくれたから大丈夫。おじ様はいつでもお優しいからとかトンチンカンなことを言っていたらしいわよ」
久々に頭痛がする。
決別をしたとは言っても、血の繋がりはどう足掻いても消えはしないし、噂はミネレーリだけでなくガルテン家にまで及んでくるのだ。
こちらの迷惑を少しは考えてほしい。
「ヤヌアール家が存続する限り、こちらとの僅かな縁は嫌だけど消えはしないから、諦めることね」
簡単に嫌いだからと切れないのが、貴族の家同士の縁だ。
リリーローザと関わることはもうない。
ミネレーリというストッパーを失くして、どう生きていくのか。
見たくも聞きたくもないのに、これからも情報だけは拾っていくのかと嘆息するしかなかった。
カクトスが訪れる予定の時間が刻一刻と迫ってくる。
ミネレーリは無理を言って庭園に出て、庭師達が綺麗にしてくれている花々を見つめた。
母と暮らしていた辺境の町では花を育てることはなかったが、野に咲く花が色とりどりに敷き詰められたような場所で。
お手伝いさんが毎日変えてくれる花を一瞥しかしなかった。
今も、目の前で咲き乱れる花は綺麗だと思うのに、花に触る気がおきない。興味がない。
こんな自分が……。
「ミネレーリ嬢」
思考の淵に沈んでいたせいで、誰かが近付いてくる足音にミネレーリは気付かず、慌てて振り返れば、そこにはカクトスが微笑みながら佇んでいた。
「カクトス様、いつお越しになられたのですか? すみません、お出迎えもせずに」
「いいんだ。僕が君を呼ばなくてもいいと言ったんだよ。こういうところで話すのもいいかなと思ってね」
ミネレーリの隣まできたカクトスは溢れる花を見ながら、優雅に目を細める。
「綺麗だね。僕の屋敷より花の種類が多い」
その瞳には、ミンティやシェルツと同じように花を慈しむ輝きがある。
「ええ、綺麗だと思います。…………私は思うだけです」
カクトスがミネレーリに視線を向けたのはわかったが、あえて目を合わせることなくミネレーリは屈んで一輪の薔薇を枝から折った。棘は庭師達が取っていてくれたのだろう。庭園の薔薇の中には見当たらない。
ミネレーリが手折ったのは、咲き誇る薔薇の中でも一際眩く咲いていたもの。
「幼い時から自分がどこかおかしいのだとはわかっていました。人が普通に持つ感情というものが私にはなかったのだと思います。父にも養母にも興味がなかったので、なにを言われようと、どうとも思わなかった。ミンティやお祖母様、シェルツさんを好ましくは感じているのに、大切かと問われれば違うと答えられる。私は人がもつ感情をもてない。カクトス様にもそれは同じなんです」
カクトスのほうに振り向けばいいのに、なぜだか体が動かない。
どういう目でミネレーリを見ているのか確かめるのが躊躇われた。
「でも、母やリリーローザだけは違った。リリーローザには小さい時は愛しさを感じていました。それも年月を追うごとにお互いのせいで消えてしまいましたけど」
愛しく思う内にミネレーリが歩み寄っていれば、なにかが変わったのかもしれない。
だから、ミンティはリリーローザが悪いと言うけれど、ミネレーリ自身も同罪だと思うのだ。
「母は…………今でも私の心の全てを占める人です。レヴェリー殿下のことがあってはっきりとそれを自覚しました。……カクトス様、私はカクトス様が思うような人間ではないでしょう。カクトス様が私にむけてくださる愛情を同じようには返せませんし、返す気もない。それでも、ずっと迷う気持ちがありました。ミンティに言われたんです。愛でも恋でもなくても、私にとってカクトス様は特別な存在なんだと」
ようやく見ることのできたカクトスは瞠っていた。
ミネレーリも意外な反応に驚いて変な顔になってしまう。
ミネレーリがなにかを言う前に、カクトスが先に声を出して遮られる。
「それは、求婚をうけてくれる、という解釈でいいのかな?」
「え、あの、私の話を聞いておられました?」
「うん。聞いていたよ。ミネレーリ嬢にとって僕は特別な存在だって」
「特別ですが、愛や恋とは違うんです! カクトス様に嫌われたくないとは思っていますが」
「うん。聞いてる、聞いてる」
「聞いていたらそんな反応はなさらないはずです! 気持ち悪いとは思われないんですか!」
「いや、全然」
「全然って……」
あまりにも想像していたカクトスの反応の違いに、ミネレーリは言葉が続かなくなってしまう。
拒絶をされても仕方がないことを言っているというのに、嬉しそうな顔をされては用意していたセリフも頭から飛んでしまいそうになる。
「え? わっ!?」
逡巡している間に、ミネレーリはカクトスにお姫様抱っこをされていた。
しっかりと支えてくれているが心許なくて、カクトスの首に手を回せば、今までにないほどの至近距離にカクトスの顔がある。
長い睫も、整った唇が弧を描くのも近すぎて。
「最初から、本当はあまり表情が動かないお嬢さんなんじゃないかとは思ってたんだ。それにガルテン公爵夫人から言われていたんだ。ミネレーリ嬢を理解しようとは思うな。常に規格外ぐらいに思って行動しろってね」
後で絶対にメイディアに言ってミンティを叱ってもらおう。
ミネレーリが固く決心していると、カクトスはミネレーリの手元に視線を落とす。
「その薔薇、僕にくれるのかな?」
準備していた覚悟が台無しだ。
ミネレーリは息をついて、手に持っていた薔薇をカクトスに差し出した。
「私がカクトス様に返せるお返事はなにかと考えました。偽らない今の自分の想いは、これだけです。この何千、何万もあるかもしれない花の中で一番綺麗だと思う花を一つ。それが今、私がカクトス様に向ける感情だと理解していただけて、それでもいいとおっしゃってくださるなら、求婚をおうけいたします」
数秒も間があったかはわからない。
カクトスは盛大に吹き出した。
ミネレーリを抱えているせいで我慢をしているが、かなり笑っている。
なにかおかしなことを言っただろうかと、ミネレーリは首を傾げてしまう。
「はははっ! ミネレーリ嬢、それは最高の返事だって気付いてる?」
どこが?
「わかってないね。その顔は。あのね、」
数多ある花の中から一番綺麗だと思う花を一輪渡す。それってどれだけの人がいようと貴方が一番ですって言われているようなものだよ。
耳元でそう囁かれて、ミネレーリの唇はカクトスの唇によってふさがれた。
ミネレーリが求婚をうけたと同時に、ガルテン家は慌ただしく動き始めた。
結婚はレヴェリーの喪があけてから少しして執り行うことが決まったものの、王弟の子息の結婚になるのだから王族は皆、出席する。
その準備は今からやっておかないといけないために、メイディアとシェルツ、ミンティが色々と指示を出して人を動かしている。だが、結婚する本人であるミネレーリはあまり動く必要がなく、どうしたものかと悩んでいると、ミンティから毛糸玉が投げられた。
「今から赤ん坊の服でも作っておけばいいじゃない」
「そうね……。じゃあ、まずはミンティの子どものぶんから作るわ」
「どうしてわたしが先に産むこと前提なのよ!?」
「当然だと思うのだけど?」
そんないつも通りのやり取りをしている最中だった。
メイドの悲鳴が聞こえて、ミンティと瞬時に見つめ合い、駆け出す。
玄関ホールからした悲鳴はミネレーリ達が到着する間も、幾人もの声からあがっているようで。
「どうしたの!?」
ミンティが叫んだ声にしりもちをついていたメイドが、がたがたと震える手で指さした先には…………
「お、ねえ、さま」
上半身だけでなく顔にまで血飛沫が飛んでいる、リリーローザの姿があった。
残り一話で本編完結、そして番外編を二話UPして最終的な完結とさせていただきます。
番外編二話は父と養母視点のお話になります。




