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① 恋に狂った母

恋に狂う―--


その姿を私は母から教わったのだろう。




母を一言で例えるならと聞かれるなら、私はこう答える。

「弱い人」だったと。


物心つく前から、私たち母子は辺境の町にほど近い湖の傍の、そこそこ大きな家に住んでいた。

日がな一日編み物をしているか窓の外を見つめているかしかしない母は、定期的に送られてくるかなりの金額のお金で生活をしていた。

料理と掃除をしてくれる人を雇い、母はなにもしない。


私にとって母という存在はとても気薄なものだった。

一緒に寝た記憶もなく、手を繋いで外を歩いた記憶もない。

共に料理をすることも、母の唯一の趣味である編み物を二人ですることもない。

母とはなんだろうと思う時が多々あった。

多分、いやその前からなのだろう。

私は人としてかなり歪なのだと理解していた。

普通なら悲しい、構ってほしいと母に思うものなのだろうに、一向にそう思うことはなく、一度お手伝いさんに「母とは世間一般でああいうものなのですか?」と聞いた日から、なにかおぞましいものでも見る目で私は見られるようになった。

それすらも気にはならなかった。


母はまとまった金額が送られてくる数日前から、そわそわしだし、荷物が届くと急いで中身を空けて、いつも肩を落としていた。


誰かからの手紙を待っている。

誰かをずっと待っている。


私など眼中にない瞳は、いつも窓の外へ、王都の方角へと向いていた。


「誰を待っているの?」


なぜだかその問いだけは、母に問いかけることができなかった。

今思い起こしても、その理由がわからない。

どうして私は母に問うことができなかったのか?


そんな日々を送るうち、母は徐々に壊れていった。

最初はなんだっただろう。

ああ、そうだ。なにもない場所にむかって「旦那様」と言っていた。

夜の間だけだったそれが次第に昼間にもするようになり、気味悪がったお手伝いさんはかわるがわる交代していった。

その旦那様が母の待ち人で、私の父なのだろうと漠然とだがわかって。

そんな日々が二年過ぎた頃、忘れもしないあの日がやってきた。


いつものように待ちわびていた小包を空けて、いつも通り落胆するだろうという予想は覆り、母は狂喜乱舞して一通の手紙を握りしめていた。


「旦那様! 旦那様からの手紙! きっと許してくださったんだわ!」


今までに見たこともないほど喜ぶ母の顔は、けれど、手紙を読み進めるごとに暗くなり。

そして---。


視界が反転したことに気付いても、咄嗟のことに私は状況が呑み込めなかった。


「どうしてっ!?」


何度も「どうして」を繰り返し、私の顔を叩き殴った。

痛いと思って体を引き剥がそうとしても、所詮は大人と子供。力の差は歴然。

泣きじゃくりながらも私を叩き殴る続ける母の瞳は、すでにこの世にはとどまっていなかったのだろう。


「どうしてっ!? 私は旦那様の子を産んだのに! ずっとずっと旦那様だけを見てきたのに! どうしてあんな女なんかにっ!」


母の慟哭は私の心に何一つ波紋を呼び起こさなかった。

それでも僅かの抵抗で擦れる声で久しぶりに母に呼びかけたのだ。

「お母さん……」と。

その瞬間、あれほど喚いていた母は私に目をむけて、自分の血まみれの手を見て、ほどなくして悲鳴を上げた。

その瞳は久しぶりに見る正気に戻ったものだった。

「お母さん」ともう一度呼びかけようとして伸ばした手を、母は怯えた瞳で見つめて、私はそのまま手を宙に浮かせるしかなかった。

けれど、母にはそれが酷く嫌だったのだろう。

「ごめんね」と叫んで家を飛び出して行った。


待っても待っても母は帰ってこず、夜を過ぎて朝方になる頃、私はなぜだか母を探して外に出ていた。

心配だったのかはわからない。

あの時の胸の内の衝動を、今は微かにしか覚えていないから。


そして母を見つけた時、私のその衝動は私の心の中にあったなにかを砕いていった気がする。

母は湖の貸しボートに乗り、手首を切って自害していた。

そっと触れた母の頬は驚くほど冷たくて。

両手で触れても私の体温で温まることはなく。

母の美しい顔を濡らしたのは湖の水ではなく、私の涙だった。


ごめんね---


その言葉が何度も何度も私の頭の中で思い出されて、私は蹲って人が駆けつけてくるまで、ずっと母にしがみついていた。


私にとって母は気薄な人。

けれど、心の全てを占める人だったのだ。









母の葬儀で初めて母方の祖父母と対面した。

王都でも名門の公爵家。

ああ、だから母はあれほどなにもできない人だったのかと納得した。

そして葬儀が終わった翌日、一人の男性が祖父母が私を王都へと連れて行こうとしているところに現れて、私を引き取ると言ってきた。

その男性を初めて見た時、いくばくか驚いたのを数少ない中で覚えている。

私と同じ黒髪と暗い新緑の瞳。

あまりにも私と似すぎている容姿。

ああ、私の父なのだとすぐに察することができた。

伯爵家の当主である父に、祖父母は非難の眼差しをむけていたが、それを口に出すことはなかった。

公爵家なのになぜなのだろうという疑問は、引き取られてすぐに、使用人達がこっそりとしている会話を聞いてしまった時にピタリと辻褄があった。


曰く母は父に幼い頃から好意をよせていて、婚約こそしていなかったが、祖父母達が仲が良かったこともあり、ゆくゆくは父と結婚させようという話が進んでいたそうだ。

だが、それは父が恋人だという子爵家の令嬢を伴って現れたことによって狂うことになる。

母は泣いて泣いて両親である祖父母に縋り付いた。

父と結婚したいと。父と結婚できなければ死ぬと。

伯爵家の祖父母も母を小さな時から知っていて情があったのだろう。

子爵家の令嬢と別れることを父にすすめたそうだ。

だが、父は納得できるはずもなく。

それからどんな経緯があったのかは、使用人達の話だけではわからなかったが、私には充分だった。

父は納得しなかったものの、母と結婚して私が生まれた。

けれど、父は恋人との関係を清算していなかったのだ。

子爵家の令嬢は結婚適齢期になっても誰とも結婚せず、両親や親戚の反対を押し切って一人の赤子を出産した。

私と一月しか生まれ月が違わない女の子を。

そして、父と母の仲は亀裂を生むだけではすまない事態になった。

母がその恋人を切りつけたという話も使用人達はしていたから、公爵家は色々と父に負い目があるのだろう。


伯爵家に引き取られて初めて養母と妹に対面した時、儚げな養母は驚いて目を見開いた後、視線を彷徨わせて、こちらを一切見ることはなかった。

対して妹は瞳をキラキラとさせながら、母親譲りの金髪と金の瞳に眩しさを湛えて、ニッコリと笑った。


「リリーのお姉様ですね! はじめまして!」


妹・リリーローザは養母と瓜二つの容姿をしていた。

そして私は父の容姿に瓜二つ。

どんな皮肉なのか。

養母は私を見る度に、まるで責められているような顔で視線を逸らす。

妹は自分に懐いてくれたが、養母があまり会わせないようにしていた。

そうして色々なことがわかりはじめてきた頃から、養母と同じように私を避けるようになり。

父など論外だった。

私と目も合わせない。会話すらしようとしない。

引き取ったのは、伯爵家当主としてのただの義務なのだと言われている気がしたし、実際そうなのだろう。


全てに興味がなかった。

だから母の祖父母に言いつけられていたマナーや勉学に勤しんだ。

時には母の趣味だった編み物もしたりしながら。

私はマナーや勉学の習得が早いようで、さすがは伯爵家当主の娘だ。さすがは公爵家の孫だと教師達から言われた。

それがお世辞だけではないのは妹のマナーや勉学があまりにも上手くいっていないせいで苦渋の表情をしながら必死に妹に教えている教師達を見ていたせいで。

妹は可憐だったが、ただそれだけしか取り柄がないと言えるものだった。

それに酷く落ち込んでいることも、私に引け目を感じていることもしっていた。

だけど、興味がなかった。

誰のことも。

なのに。




「お姉様、わたくし好きな方ができたの……。ウィスティリア公爵家のカクトス様なのです。応援してくださいね」


久方ぶりに話しかけられたかと思えば、あまりにも突拍子もない言葉だった。

父と養母はそんなリリーローザを微笑ましく見つめている。

応援するわと返すべきだったのに、私の口から出た言葉はそれとは真逆のものだった。


「無理よ」


「え……?」


「私もウィスティリア公爵家子息様のことが好きだもの。お互いライバルね。頑張りましょう」


妹が、父が、養母が驚きに瞠る中で、私が己の言ったことに一番驚愕しているなどとはこの場の誰も思ってはいなかっただろう。












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