彼と私の関係
半個室の入口をチラチラ伺っていると、やがて彼が戻って来た。だけど私の隣には既に違う人が腰掛けていて―――彼はチラリとこちらを一瞥しただけで、ここから少し離れた友達の傍に腰を据えてしまった。
ズキリと胸が痛む。
やっぱりもう―――私の近くに居たくないのかな?
そうだよね、自分の彼女のこと良く知りもしないのに貶めるような女、嫌だよね……。いやいや、席が空いてないからこっち来ないのは当然でしょ?でも彼が今座ってるの、かなり狭い所だし……。
焦りを誤魔化すように、ゴクゴクゴク……と青りんごサワーを飲み干した。
「あれ?結構飲んでるね?」
「うん……」
一瞬返事をするのも億劫な気がしたが、声を掛けてくれた相手に申し訳ないと我に返り、改めて声に力を込めた。
「あ!そっちのグラスも空きそうだね。何頼む?」
飲み放題メニューを相手に示して尋ねた後、テーブルを見渡し空きかけているグラスを見つけて、一人一人に声を掛ける。そうして敢えて人の世話を焼く事で、自分の中の鬱屈を見ないようにした。
何とか気力を振り絞って会計を終わらせたものの、二次会に繰り出す気には当然なれなかった。今日は我が科のアイドルは先約が入っていて不在。私は独りトボトボと家路を辿らねばならない。あーあ、自分の軽率さが今更ながらに悔やまれる……何であんなこと言っちゃったんだろう……。
居酒屋を出た所で立ち止まり「今日はこの辺で帰るね」とひょろ長い男の子に告げてから、ついさっき仲違いしてしまった彼に未練がましく視線を送ると、バチッとこちらに顔を向けていた彼と目が合ってしまった。思わずパッと視線を逸らし俯き「じゃあ、私こっちだから」と地下鉄駅の方向を指差し、皆に手を振って歩き出す。
右、左と単調にぴょこぴょこ視界に飛び出す、自分の靴の先を見ながら歩く。
あの時こうすれば良かった、いやでも。なんて呟きながら、モヤモヤした気分を抱えて地下鉄駅の入口に辿り着いた所で―――背中に声が掛かった。
「あのさ」
聞き覚えのある声に立ち止まり、勢い良くバッと振り返る。
「さっきは……ゴメン」
其処には困ったように眉を下げる彼が。
ポカンと口を開けたまま思いも寄らない彼の言葉を受け取る。それが謝罪の言葉なのだと認識したと同時に、ブンブンと千切れるくらいの勢いで首を振った。突然の事に心臓はバクバクと音を立て、体中に血液を送り込んでいるのが感じられる。
奇跡かと思った。彼から歩み寄ってくれるなんて……あんな酷い事を言った私に。
「ううん!私こそ……!ゴメン、本当にその、あの……意地悪な言い方をして……」
其処まで言って思わず唇を噛んだ。語尾が震えて小さくなる。本当に意地悪以外の何物でもない、見当違いの嫉妬で八つ当たりしただけなんだから。謝って貰う価値の無い自分が恥ずかしくて、体がカッと熱くなる。
「……心配してくれたんだよね?彼女の事、知らないんだからそう言う風に考えたとしても仕方が無いのに……ついカッとなってしまって」
「ううん、当たり前だよ。その、彼女のこと悪く言われたら腹立てるの。むしろ何にも知らないくせに見た目だけであんなこと言って、本当にゴメン」
「いや、僕こそ……」
彼は其処で言葉を切って、居心地悪そうに再び口を開いた。
「僕の方が……僕の方こそ、これまでずっと外見で人を判断していたんだ」
「え……?」
気まずげに視線を落とす彼を、マジマジと見つめてしまう。
「高校で苦手な、派手な外見の集団がいてさ。だから僕も最初、彼女の見た目に怯んでちょっと警戒していたんだ。だけど―――話したらすっげーイイ子でさ。初対面の僕の話を馬鹿にしないで親身に聞いてくれて……自分の仕事にも一所懸命で、真摯に向き合っていてさ。今ではすごく、その……彼女の事を」
怖い物見たさ、に近い感覚だろうか?息を詰めて『彼女の事が好き』と言いそうな唇を思わず凝視してしまう。
「その、彼女をすごく……尊敬、しているんだ」
照れてそう言う言葉を選んだんだろう事は、頬を染めてシドロモドロに言葉を紡ぐ彼の様子で見て取れた。肩透かしを食ってしまった私は、フーッと溜息を吐いて腰に手を当て、一呼吸おいてから彼の言葉を翻訳する事にする。
「つまり―――その子のこと、凄く『好き』なんだね?」
「え?!」
と、目をまん丸く見開いて―――次の瞬間、ユデダコみたいに真っ赤になった。
そう、彼が核心的な言葉の周りをウロウロするように、金髪の彼女に対する思いを懸命に解説する様子を見て、不意にストンと胸の奥に落ちた。すっかり理解してしまった。
偉そうにふんぞり返って、不敵に笑う私の目の前で。彼はあからさまに動揺してキョロキョロと視線を彷徨わせ……それから意を決したように、コクリと頷いたのだ。
「うん、すごく……その、大切なんだ」
「そっか」
あー、もう!……完っ璧に失恋したっ!
痛い、本当に痛い!―――けど。
何と言うすがすがしい痛みだろう……!
「いいなぁあ」
「?」
「……私きっと、羨ましかったんだ。ほら、彼に『振られた』って言ったでしょ?学外の可愛らし~い、お洒落でか弱げな女の子がちょっとした策士でさ。付き合ってた彼がフラフラ~とそっちに気を移しちゃって。だから、それをそのまま投影しちゃったんだよね。―――結局、ただ八つ当たりなの」
「……」
「あーあ、こんなだから振られるのかなぁ?」
自嘲気味に嗤って冗談に紛らすと、目の前の彼が目を瞠った。それから、真顔で首を振った。
「そんなこと、ゼッタイないよ」
窘めるようにそう口にされて、ドキリと心臓が音を立てた。
「君が悪いんじゃない。君は―――その、いつも周りをよく見ていて気配りも出来るし……良い人だよ。自分が悪いと思ったら、謝れる、素直な良い人だ」
そう言った彼の言葉は……まるで混じりけの無い、透明な氷の粒のように私の心を入り込んで、シャキンと背筋を伸ばされるように感じた。
「きっと、その彼に見る目が無かったってだけだよ。だから自分を責める必要なんか、ない……わっ!」
ガバッと、思わず彼に抱き着いていた。
たぶん、飲み過ぎた。だから、ついうっかり。そう、自分に言い訳をして。
「あのっ……だ、大丈夫?」
「くっ……」
なのにこんな状況で、慌てて私の心配をし始める彼が―――おかしくて、思わず笑ってしまった。すぐにパッと彼を解放して、まっすぐ視線を向ける。
彼の頬がいまだ赤いのは、先ほど金髪の彼女に対する好意を打ち明けた所為か、それとも私に突然抱き着かれて照れてしまった所為か……うん、勝手に後者だと思っておこう。
「ありがと」
リセットするように一旦、目を瞑る。それからパッと目を開き、手を差し伸べた。彼は私の仕草の意味を捉えかねるように、首を傾げる。本当―――鈍いんだから。
だから拗ねたように、こう言ってみる。
「仲直り!の、握手よ!」
「え……あ」
照れる彼を目の前に、大胆な行動をしてしまった気恥ずかしさから、私の頬も熱を持つ。ちょっと苛立ったように、先を促した。
「早く!私の失礼を許してくれるなら―――これで手打ちにして!」
「あ、うん」
キュッと大きな、思っていたより硬い掌を感じて、再びドキリと胸が跳ねた。
だけどそれを悟られたら駄目だ。あくまでこれは友情の握手―――そう、邪な気持ちを微塵も感じさせちゃ、いけない。
温もりが掌から肘を伝って肩へ。
それから首筋を這い、私の脊髄を震わせた。
そう、今日が終わりじゃない。ますますこの瞬間から……彼の事が好きになり始めているのだと、自覚する。
パッと自分から手を離し、ニコリと笑う。
だって彼から離したそうな素振りを少しでも見せられたら……本当に立ち直れない。
「私、こっちなんだけど……麻生行きだったよね?」
「そう、あっちの改札」
彼はもう一つ横断歩道を渡って、私と違う方向へ帰るのだ。
「じゃ、また学校でね」
「うん。学校で」
彼がほんのりと微笑んだのを確認して、胸元で小さく手を振りクルリと背を向けて改札に向かう階段を降りる。
涙が滲んで視界が潤んだ。
階段の途中で立ち止まり、そっと振り向くと―――そこにはもう、彼の姿はない。ホッとしたような残念なような気分を抱えて、私はまた階段をトントンと降り始めた。
今までは相手に気が無くなれば、サッと切り替える事が出来た。
振られてもジメジメ執着したりしない。次に行けば良いって割り切って来たのに……。
でもそんな風に簡単に諦められるのは、本当の恋じゃない。
目の前に彼が居れば、自然と心が躍る。いなければ、顔を見たくなる。
例え彼が他の誰かとずっと思い合って寄り添っているのだとしても―――気持ちが醒める事も無い。
初めての片想いは、切なくて、苦しい。
―――でも、今までと違うものの見方と、自分を肯定してくれる暖かい感情を私に与えてくれたのだった。
あと一話、エピローグ的なものを追加して終わります。(←の、予定です)
※誤字修正 2017.10.24(ガラムマサラ様へ感謝)




