私と元彼の関係
学祭は三日間行われる。
私はサークルの屋台で鶏肉を焼いていた。
手だけは黙々と動かしながら、頭の中は昨日我が科のアイドルからもたらされた情報の事で一杯だった。あの彼に『彼女』がいるかもしれない。青天の霹靂とはまさにこの事だ。
思いも寄らない事態に私の心は千々に乱れた。
けれども悲しいかな、与えられた役割を放り出す事が出来ない自分の性分が恨めしい。私は黙々と炭火で下拵え済みの鶏肉を焼く作業に徹していた。お陰で当番に元カレが混じっていても気にならないよ……ハハハ。それどころじゃないって感じ。
くじ引きの結果元カレと同じ日に割り当てされてしまった時、一瞬仲の良い友人が問いかけるような視線を送ってくれたのだけど……平気な振りを貫いてくじ引きのやり直しを請求したりはしなかった。そんな事をするくらいなら、いっそサークルを辞めてしまった方が良いだろうと思ったからだ。変にそう言う所にプライドを見せちゃうのが私の可愛げのない所なんだけれどね―――こういう意地っぱりな所を見せずに元カレに頼ったり、縋っていたら何かが変わったのかな?
でもちょっと前までは罰ゲームかって思ったくじ引きの結果に憂鬱だったけれども、そんな些細な事には構っていられなくなってしまった。私の頭の中は違う心配事で一杯だったからだ。
友人である我が科のアイドルの『友達かもしれないし』『従妹とか、妹とか!』と言う根拠の無い慰めに縋ってしまう。胸がざわざわして、落ち着かない―――間違いであって欲しいとただ願ってしまう。
「大丈夫か?」
最初、それが自分に掛けられた問い掛けだとは気が付かなかった。振り向くと躊躇いがちな瞳にぶつかった。元カレが心配そうに私を見ている。……こういう人なんだよな。人の気持ちに敏くて、気配り上手。それが好きな女の子にだけ向けられた物だと勘違いしてしまったのが、そもそもの間違いだった。現に別れた元カノにさえ、こうして簡単に優しさを向けられる人なのだから。
……ウチの科のあの男の子なら、私のそんな落ち込みにも気付かないのだろうな。こっちから「私、落ち込んでるの!」とアピールして漸く「え?そうなの?」と驚いて……それからどうするだろう。飲み会だったら美味しい物を譲ってくれるかな?それともアタフタオロオロどうして良いか分からないって表情をするかも。そんなところを想像して、思わずクスリと笑みが漏れた。
「うん、大丈夫だよ。これ火、通ったからパックに入れちゃうね」
「あ、ああ……」
彼がフイッと辛そうに視線を逸らした。そんな顔しなくても、もう大丈夫なのに。もしかすると自分が振った事をまだ引き摺っているのかも、と気にしているのかもしれない。「もう他の子が気になっているから、心配しなくて良いのに」なんて言ってあげればホッとするのかな?でも気になっている彼の事はまだ誰にも打ち明けたくないし、振られた私が彼の気持ちを和らげてあげる為に気を遣うのも変な話だ。私は直ぐに彼から目を逸らして、隣で作業をしていた男の子に「パック取ってちょ~だい!」と軽くフザケ口調で笑いながら声を掛けた。
「調子、どうですか?」
すると屋台の外から親し気な声がして、元カレを呼んだ。元カレと良い感じになった後輩ちゃんだ。彼女と似たような可愛らしい外見の見知らぬ女の子を連れている。ゆるフワな茶髪、メイクばっちり。インカレの彼女は近くの女子短大の学生だ。連れの子はもしかして短大のお友達なのかもしれない。
もう二人は付き合っているんだろうか。私の事があるから大っぴらに付き合いをアピールしてはいないけれど、このところの後輩ちゃんは私の目の前でも周りの目があっても、酔った勢いが無くても彼に遠慮なく近寄って行くし、私と彼がサークルの後別々に帰るようになったから事情に詳しくない人も薄々察していると思う。見ていて良い気はしないけど、今は他に気になる事がある私としてはそんな行動をシラッとした気持ちでスルーしてしまう。
素直に彼に女の影が無くなったのを喜んでいるだけなのかもしれないけれど……元カノの前で仲良くするなんて自分の株を下げる行為を平気でする彼女を、良く思わない人も多いだろうに。―――なんて、ちょっと心配してしまう。まあ、そんな風に周囲の雰囲気を優先して、彼に縋れない私だから振られたのかもしれないけどね。彼の事しか見えない!って態度が庇護欲を擽るのかなぁ……しっかり者って男の人にとってはあまり興味を抱けないモノなのかも。
あの彼もそうなのかな?こういう可愛らしい女の子が好み?
こんな風に少し後から付いて来るような短大に通う可愛らしい女の子の方が良いのかな?医学部に入った友達が言ってた。男の医者はモテるけど、女医ってモテないんだって。男の子は自分のプライドを傷つけない仕事や勉強で優位に立てる相手を好むそうな。……でも我が科のアイドルは学年トップクラスだしなぁ……人に依ると思うけど。少なくとも私が気になっている男の子は、そういう風に女子を差別しないと……思うんだけどなぁ。
こっそり溜息を吐いて、隣の男の子にその場を任せトイレ休憩と偽って屋台を離れた。暫く離れた処で「あの」と声を掛けられる。振り向くと後輩ちゃんの手を引いた短大の友達らしき女の子が強張った表情で立っていた。後輩ちゃんは私と目が合うとフイッと目を逸らしてしまう。何となく嫌な予感がして、ペコリと頭を下げてその場を立ち去ろうとした時。
「あのっ!別れたんですよね……?」
やけにシッカリと後輩ちゃんの声が届いた。私は歩みをピタリと止めて、ゆっくりと振り向いた。後輩ちゃんは瞳を潤ませながら、友達の背に半分隠れるようにして私を見ている。まるで私を怖がっていて、精一杯勇気を出して対決しようとしている子犬みたいに。
「なのに何で一緒に屋台をやったりするんですか?」
「え……くじ引きでで当たったから」
「……っ」
彼女も知っている事なのに、何故そんな事を聞くのだろう。私は首を傾げて淡々と答えた。すると怯んだ彼女からバトンを受け取ったような友達が、眉根を寄せて非難するようにこう言った。
「でも、断れば良かったんじゃないですか?」
「私事で周りを巻き込む訳に行かないでしょう?サークルはこれからも続くんだし」
「気まずくないんですか?私なら辞めちゃうけど……」
まるで目ざわりだから振られた女はサークルを去れ、と遠回し言っているみたいだ。彼氏を作る目的だけでサークルに入っているなら、そうするのが普通なのかもしれないけれど―――少なくとも私はサークル活動自体も楽しんでいるから、彼氏と上手く行かなくなったからと言って辞める気はない。そうするつもりなら、もっと元カレに対して冷たい対応も出来たかもしれないけれど……。
「……ずるいです」
友達の後ろで俯いていた彼女が、キュッと拳を握って顔を上げた。
「先輩の目に入る場所で落ち込んでみたりして!彼に罪悪感を感じさせてヨリを戻そうと思っているでしょう?彼が優しいから、迷わせようと思って……!」
「……」
合点が言った。
何でわざわざ私なんかに絡んで来るのか分からなかった。
さっき彼が私を心配していた様子を彼女は見ていたんだ。
だけど……それを言う?
彼が私の『彼氏』だった時に、色々と相談していたのは誰だったのか。もしかしてもしかしなくてもアレ、本気の相談じゃなくて彼の気を引く為の作戦だったんだなぁ……って改めて確信を深めてしまう。何となくそうじゃないかとは思っていたけど、ただ純粋に悩みがちな弱い子で、依存心が強いだけだったって言う可能性も捨てきれなかったから。
自分が彼の気を引くためだけに弱々しい素振りを装ってたから、他の人間もそうするものだと決めつけてしまうのだろうか。恋愛に興味はあるけれど大抵成り行き任せで、彼女のようにターゲットを決めて狩りみたいに彼氏を捕まえようと考えた事の無かった私は、呆れて言葉を失ってしまった。
それと同時に、元カレに対して残っていた僅かな好意もスッと完全に消え去ってしまう。年下の女の子の手練手管に簡単に落ちてしまった元カレが、ものすごく滑稽な存在に思えたのだ。そんなものに巻き込まれて、落ち込んで傷ついていた私も馬鹿だ。当て馬、いや間抜けな道化師でしかない。
「何やってるんだ」
「……っ」
建物の角から元カレが飛び出して来た。曲がり角のすぐ近くで話していたから、ひょっとすると話の内容を聞いていたかもしれない。苦い表情で私と彼女達の間に入るように踏み込んで来た。
「先輩ッ……あの、私ちがっ……」
あからさまにオロオロし始めた後輩ちゃんに眉を顰めて、続く言葉を手で制すると彼は私の方に顔を向けて申し訳なさそうな顔で慰めの言葉を吐こうとした。
「ゴメン、俺の所為で……」
「いいよ、別に」
皆まで言わせたくない。私は首を振って遮った。
「じゃ、ここは任せたから」
「でも、お前……」
「トイレ!我慢してたの。もうギリギリだし……!」
続く言葉を断ち切って、笑顔でその場を走り去った。恥を忍んで其処まで言い切った私を、彼が引き留める道理はない。後輩ちゃんが泣きそうな表情で彼に取り縋るのが見えたけど―――もう何の感慨も湧かなかった。
勝手にやって下さい。
今度こそ、私は元カレへの未練に終止符を打ったのだった。




