呼び止められた僕
「そこの貴方!」
呼び止められて振り向くと、金髪の女の子がチラシを手に立っていた。
キョロキョロ周りを見回してから、再び彼女に視線を戻すと大きく頷かれる。
間違いじゃ無かった。
やっぱ僕か。
女の子は満面の笑みで近寄って来る。
怖い。金髪もバッチリ睫毛も、黒いブルゾンに黒いぴったりしたミニスカート、それから何だかごつくて軍隊の人が履いているようなブーツも、ダサいと通りすがりに嗤われた記憶がトラウマの僕と一万マイル以上掛け離れていて―――心底、怖い。真っ赤な唇に喰われそうな気がして僕は縮み上がった。
こんな派手な身なりの女の子に近寄った事は無い。
奴等はクラスの中でギャハハと笑って、パンツが見えそうな格好で脚を開いて机に座っている癖にちょっと目が合うと「見んなよ!」って殺意の籠った目で睨んできた。
僕が恐怖で固まっていると、その金髪の子はトコトコ近づいて僕の前にピョコンと足を揃えて飛び込んで来て、ヒョロリと背の高い僕を見上げてこう言ったのだ。
「いいです!」
「え?」
「すっごく貴方……素晴らしいです!パーフェクト!」
「はあ?」
クルクルクルっと立ち尽くす僕の周りをその子は周り出し、またしてもピョコン、と目の前で立ち止まった。
僕は呆気に取られて、漸くその子の顔をちゃんと見たんだ。
そしたらその子―――すっごく目が大きかった。思わず合った瞳が逸らせなくなってしまう。
僕はファストファッション大手、お子さんからおじいちゃんまで幅広い購買層を誇るウニクロのグレーのパーカーとデニム。しかも如何せん、試着もせずに母親が買って来た物を着ている所為かちょっとサイズが合っていない。正直ダサい。だからこれまで事務的な話以外女子と話した事は無かった。
ちなみに僕の通っている大学の機械工学科二年のクラスに所属している生徒は百人だが、女子は二人しかいない。
だから『素晴らしい』とか『パーフェクト』とか一目見て褒められた事なんかないし、ましてや苦手なタイプの女の子。絶対有り得ない状況だった。
「本当に素敵な―――頭の形ですね!」
「あ、たま……?」
「何故髪を伸ばしているんですか?もっと貴方にはピッタリシックリくる、似合いの髪型があるのに……!!」
拳を固めて力説されてしまった。
「これは……スッゴく化けますよ。勿体無い!」
「え……」
「どうですか?そろそろ散髪時期じゃありませんか?私美容師なんです……!是非貴方の髪を切らせてください!」
「僕……は、いつも理容室で……」
近所のおじちゃんがやっている『バンブー』と言う理容室で、子供の頃から切って貰っている。ちなみに『バンブー』の名前の由来はおじちゃんが『竹田』と言う苗字だからだ。
「一回!一回だけ試してみませんか……!絶対素敵にしてみせますから!」
「でも、美容室入った事無いんで」
「お願いします!私新人で―――お客さんの指名が無いんです!今日お客さん一人も見つけられ無かったら―――私、クビになっちゃうかもなんですっ!」
え。いきなりそんな重い話されても。
それに、僕には目の前の知らない女の子がクビになるかならないか、なんて全く関係の無い話だ。
「絶対イケメンにしてみせます!明日っから貴方……モッテモテですよ!」
「……」
―――『モッテモテ』?
人生にモテ期は三度あると言う。
もうすぐ二十歳の僕にはまだ来ていないその波が―――明日突如現れると言うのか?
僕の心は少し揺れた。
「でも―――美容室ってお高いですよね……オプションとかいろいろ増えるって言うし」
「三千円ポッキリ!それ以上びた一文いただきません……!あ、スイマセン、消費税はいただきます!三千二百四十円ポッキリ!絶対それは守りますから!騙されたと思って……!」
理容室に行くためのお小遣いをこの間母親から与えられたばかりだった。三千五百円、だから残りでペットボトルのお茶が飲めるくらいの価格だ。意外と安い。
彼女が指し示したのは、美容室の看板。
『トップスタイリスト ―――¥4,000
ミドルスタイリスト ―――¥3,500
ジュニアスタイリスト―――¥3,000』
なるほど、彼女は『ジュニアスタイリスト』つまり一番下っ端って事らしい。
必死に見上げて来る彼女の金髪がキラキラして、目がチカチカする。
……何だか頭がボーッとして来た。
「あ―――有難うございます……!」
金髪のその子が頭を大仰に下げた時、僕は自分が頷いた事に漸く気が付いたんだ。