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8. ?月?日
セミの死骸をよくみかける夏だった。
例年にない大発生だと、昨日テレビでやっていた。
だが不思議と、鳴き声を聞いた記憶はあまりない。そうか。わたし自身が鳴き声をあげているのか。
ミーン、ミーン。
七年、土のなかでもがき。
たった一週間、空でもがく。
ミーン、ミーン。
なんのための人生なのだろう。
土のなかでもがくのは、もうイヤだ。
わたしは空へいく。
空でも、もがくのか。苦しむのか。
それでもいい。もう終わるのだから。
湿った風が、わたしの顔を叩く。
さあ、飛ぶ。
飛ぶのだ。
わたしも、大量の死骸の一つに成り果てるのだ。
死に場所は、ここしか考えられなかった。
もう一年以上経つのか……あれから。
親友は天国で待ってくれているだろうか。
いま、わたしもいくよ。
〈ドサッ!〉
近くで音がした。こもった、それでいて無駄に大きく響く音に、わたしの足はすくんでしまった。
その音には、心当たりがあったからだ。
これから、わたしが決行しようとしていたことにほかならない。
わたしは、下を覗き込んだ。
地上は、まるで別世界だった。
恐ろしく、しかし楽園に見えた。
あそこまでくだることができれば、至上の国へ昇ることができるのだ。
落ちても、昇る……。
わたしはその表現に、可笑しさを感じた。
こみあげる笑いをこらえるのに、必死だった。
いや、もれていた。
頬に冷たいものが流れる。
なんだ、笑い泣きをしてるのか。
可笑しい、本当に可笑しい。
わたしは愉快な心のままに、下界であり、天上の世界である場所を眼でさぐった。
なにも、だれも落ちていなかった。
どこかにいるはずだ。
この世から解放された聖者が。
……いた。
ここと、となりのビルとのあいだに、聖者の亡骸が横たわっていた。
偉大なる先輩。
わたしも、はやくあとを追わなくては。
あのときのように失敗はできない。今度こそ、確実に……。
ん?
となりのビルの屋上に、だれかがいた。
男。
なにをやっている……?
自殺を止めにやってきたのか?
それならば、なんて間抜けなヤツなのだろう。もう先輩は聖者に変身したのだ。
おおかた、たまたま下を通りかかり、屋上の先輩に気づいたのだろうが、屋上まで止めにくるあいだに、先輩は旅立ったのだ。
おっと、こちらの存在を気づかれるまえに、わたしも旅立つとしよう。
今夜が、絶好の日なのだ。
きれいな満月だから。
だれにも邪魔はされたくない。
……ちょっと待って!?
わたしは、凍りつくような気配に、内蔵を突き刺された。
これが、殺気? 殺気なの!?
マンガやアクション映画でおなじみの、これがあの殺気だとでもいうの!?
そうか、そうね。おもしろい場面に出くわしたじゃない。
「!」
こちらを向いた男と、眼が合った。
わかった。彼が、運命の人だ。
ウェルテル。
ならば、わたしはシャルロッテ。
死ぬのはやめた。ここで死んでも、おもしろくない。
あの男──ウェルテルが愛しているのは、わたしなのだから。
もう少し、このくだらない世界を楽しんでもいいのかな。