エピローグ
51. 七月一二日
あれから、二週間ほどが経過していた。
伊藤康文と山本武司の自殺は撤回され、北川美里によって殺害されたものと断定された。被疑者死亡のまま送検。その他二名の殺害もほのめかしていたが、そちらの本格的な捜査はこれからになる。
世間は、騒然となっていた。
現職の厚生労働省職員──しかも、冬真紀三郎直属の秘書官が殺人犯だったのだ。
かつて法務省のキャリアで、あの結城廉太郎を崇拝していた。
事件により、再び結城廉太郎も脚光をあびることになった。ワイドショーでは、連日、この事件に大きく時間をさいていた。
「お手柄だったね」
沢渡管理官から、そんなねぎらいの言葉がおくられた。
渋谷署の一室だった。
片瀬のほかに、かえでも同席している。
「これぐらい、あたりまえですわ」
かえでは、いつもの調子に戻っていた。
かなり恐ろしい体験をしたから、数日間は落ち込んでいたのだが、もう立ち直ってしまったようだ。
「こっちも、今日で解散だよ」
二宮邸殺人事件のほうも、二宮さやかの犯行と断定された。
『長女Aの暴走』──として、こちらもワイドショーをずいぶんと騒がせた。
二宮さやかの死亡は、自殺と発表された。
これは、片瀬の進言を沢渡が聞き入れたものだった。
さらに、雛形かえでを通じて、捜査一課長にも『渋谷カリスマモデル転落死事件』は、自殺の線が濃厚と進言している。そちらは、正式な見解はまだだが、すくなくとも今後、殺人としての捜査はされないであろう。
南波から受け取った情報をもとに、死亡したモデルの茨城にある実家の庭から、胎児と思われる骨もみつかっている。彼女は死ぬまえに、南波にだけ真相を告白していたのだ。自ら産んだ子供を殺害してしまったことで、苦悩し、自殺の道を選んでしまった……そんなところだろうか。
「まあ、こっちと君の手柄は、重なるところもあったようだが」
沢渡は、しみじみと言葉を吐いた。二宮さやかは、北川美里の影響をうけたとみてまちがいないだろう。
《赤いイルカ》という名を、美里から受け継いだのだ。
そして、ある疑問が解決した。
なぜ、大槻教諭が襲われなかったのか。
おそらく成望中学校での自殺は、二宮さやか一人だけで仕組んだことなのだ。美里は、まるで関知していなかった。いや、美里でも、さやかがあそこまでやるとは考えなかったのではないか。
「明日から、また休暇だろ? 今度は、本当の」
「謹慎です」
片瀬は、棘を隠さずに言った。
休暇中(名目上だが)に単独捜査をおこなった処罰だった。
当然、菅谷刑事部長に抗議をしたが、やんわりとかわされた。
組織の規律を守るためだから、お願いだから謹慎を受け入れてくれ、と頼まれた。
「ま、三日間なんだから、ご褒美休暇と思っていいんじゃないか? 今回の功績は、上も認めているよ」
片瀬は、愛想笑いを浮かべた。
「いえ、ジンくんは、わたしを危険なめに遭わせた責任があります! 一ヵ月ぐらいでもいいですわ」
「そんな……」
「だいたい、女の色目に騙されて、警察官として恥ずかしくないのかしら!」
どうやら、北川美里とのことを言っているようだが、言い返すと倍返されるので、我慢した。
いや……心を奪われたのは事実か。
「ははは。君たちは、いいコンビだね。まえにも言ったが、キャリアが刑事部でやっていくには、いかに優秀な刑事を取り込むかだよ。君たちは理想のパートナーだよ」
「もちろん、ジンくんにはこれからも、わたしのために働いてもらいます」
まったく遠慮もなく、かえではそう宣言した。
片瀬は、大きなため息をついた。
* * *
「やあ、菅谷君か」
男が、自室の受話器を取って、そう応対した。
警察庁内にある一室。
男の名と肩書は、雛形警察庁官房長──。
警察庁長官、警視総監、警察庁次長に次ぐ、警察機構ナンバー4のポストになる。このポストに就くものが、次の警視総監にもっとも近いとされている。
「どうだね、娘は? え、よくやっているって? それはそうだろうね。娘には、ナイトをつけてあるからね」
口許が、どこかゆるんでいた。
「そうだよ。彼がいれば、娘は安心だよ。これからも、娘とナイトをよろしくたのむよ。それじゃあ」
雛形は、受話器を置いた。
ナイト──彼を本庁へ推薦するように手をまわしたのは、ほかでもない。
「あのときの約束は、守っているよ。理想の警察官に君がなるというのなら、私は全面的にバックアップをしよう」
ほかにだれもいない専用個室で、雛形は一人つぶやいた。
* * *
渋谷署の外では、緒方が待っていた。
「今日こそ、乗ってくか?」
「本庁へですか?」
「ああ、帰るところだ」
「あ、すみません……これから寄らなきゃならないところがあるんです……」
片瀬は、頭を下げた。
「なんだ? どうせ明日から謹慎だろ」
「え、ええ……でも、もう一つだけ、果たさなければならないことがあるもので……」
「あの先生のことか? あいつらに協力を頼んどいたから、大丈夫だと思うぞ」
「あ、いえ、そのことじゃありません。南波夕介から、一つ頼まれていまして」
「南波から?」
片瀬はうなずいた。
南波夕介……結局、彼が検挙されることはなかった。自殺を殺人に偽装したことは、おそらくまちがいないであろうが、そのことの捜査はストップされた。
どこかからの圧力だ。
片瀬は最初、厚労大臣・冬真紀三郎の仕業だと考えた。冬真は南波を援助し、大学への進学もさせていたということが調査でわかっていたからだ。
しかし北川美里の問題で、冬真自身も窮地に追いやられている状況では、その可能性も疑わしい。それに、雛形かえでや沢渡管理官の見立てによると、もっと上のほうからの圧力ではないかと……。
もっと上?
大物政治家よりも上の圧力が存在するのだろうか?
だが、それでよかったのかもしれない、という考えも浮かんでいた。南波にたいして、好意のような、親近感のような、そんな複雑な心境が芽生えていることも事実だった。
それに想定できる罪状も、偽計業務妨害しか当てはまらないらしい。他人の刑事事件に関してであれば、証拠隠滅罪・偽造罪が適用できるが、そもそも真相は自殺なのだから『他人の刑事事件』にはあたらない。自殺関与罪での摘発も難しい。落下した二宮さやかの身体を動かしていれば、軽犯罪法に抵触する可能性もあるが、南波は手を触れていないだろう。
いずれが当てはまったとしても、大した罪にはならない。
「菊地和彦君の母親に報告を……」
片瀬は重いものを告白するように、そう口に出した。
息子の自殺の真相を教えてほしい──。
そう母親から、南波がお願いをされていたそうだ。
そのとき借りていたモバイルPCも、南波から受け取っている。ついでに返すつもりだった。
モデル事件の全容を教えてもらったことの交換条件。
つまり南波がおこなうべき約束を、自分が代行することになったのだ。
いや、警察官である自分が果たすのが、筋というものだろう。
「なんて言うんだ?」
「わかっていること、すべてですよ」
成望中学校で発生した連鎖自殺は、単なる偶然の仕業ではなく、群発自殺──ウェルテル効果を人為的に創り出したことが要因としてあげられる。
仕組んだのは二宮さやかで、その二宮さやかを闇に引き込んだのは、北川美里だった。
警察の公式見解としては、北川美里の犯罪と、中学校の連鎖自殺は、まったくのべつものだ。
しかし片瀬は、知っていること、推察したこと、すべてを伝えようと考えていた。
それが、警察官のあるべき姿ではないのか……。
そういう警察官になりたかったのではないか。
「おい」
緒方が、目配せをした。
あっちを見ろ、ということのようだ。
片瀬は警察署の上方に眼をやった。
窓から、雛形警視がこちらを眺めていた。
突然、視線が合ったので、おたがいがドキリとしたようだ。
挨拶代わりに頭を下げようかと思ったが、それではあまりにも卑屈すぎるので、度胸をすえて、手を振ってみた。
かえでは、少し驚いたようだったが、すぐに彼女も手を振り返した。
まるで、あのころのように……。
警視庁捜査一課・片瀬仁。
遠い将来、彼はノンキャリア最高階級である警視長にまで上り詰めることになる。
彼の尊敬する平塚八兵衛のように、一度も昇級試験に受かることなく、伝説の刑事と呼ばれるようになっていく。※平塚八兵衛(警視)は、合格できなかったのではなく、試験を受けていない。
かたや遠い将来、初の女性警視総監に任命される雛形かえで。
この二人は、これから数々の難事件を解決していくことになる。
片瀬。
雛形。
そして、二人をサポートする緒方。
かたせ。ひながた。おがた。
それぞれの名前から、彼らのことをチーム『ガタガタ』と呼ぶ者も少なくない。
だがその活躍は、またべつの物語で──。
52. 同日午後
あと数日で夏休みになる。
「どうですか、覚悟を決めましたか?」
やって来た村田から、そうたずねられた。
大槻は、さきにベンチで座っていた。庭園のベンチだ。
「ええ」
大槻は迷わずに返事をした。一度は、やめる決心をしたのだが、村田に説得されて思いとどまった。それに、教師としてやるべきことは、まだいっぱい残っている。
いつか聞いた、文部省事務次官の話が心に焼きついていた。
『子供たちのために、いまのあなたを犠牲にしてください』
それが、聖職者としての信念ではないだろうか。
大槻は、そういう教育者に近づきたかった。
「それから、これ」
となりに座った村田が、封筒を差し出した。
「少ないんですが……」
大槻は、中身を見て驚いた。
「そんな、受け取れません!」
なかには、束になった紙幣が。
「大変なんでしょ?」
村田は、少し言いづらそうだった。
たしかに、毎日取り立てが厳しかった。
事件のことだけでも精神的にきついというのに、借金の問題がボディブローのように、さらにダメージをあたえてくる。
「いえ、大丈夫です! 自分でなんとかします!」
「そんな力まないでください。こういうことは協力ですよ。あなたは、自分一人で頑張ろうとしすぎます」
「でも……」
「いいから、ほら!」
大槻は仕方なしに、その封筒を受け取った。
それと同時刻──。
学校前には、品行のよくない二人組の姿があった。
派手な柄のシャツ。ジャラジャラとうるさいアクセサリー。いまどきの若者という感じではなく、一世代古い印象がある。
むかしのチンピラ風という表現がピッタリだった。
「あのアマ、なめやがって! オレらの返済をおくらすなんて、二百年はえー」
「学校に乗り込んでやったら、あの女、どんな顔するかな」
ニヤつきながら、二人は校門に近づいていった。
と──。
「ん、なんだ、てめえら!?」
二人を囲い込むように、数人の男たちの集団が。
そのうちの一人が、一枚の紙を男たちに見せた。
「警視庁捜査二課の新条だ。おまえらに逮捕状が出てる。容疑はわかるな? 法定金利を超えた貸し付けをすると、こうなる」
「な、なんだと!?」
「確保。弁解なら本庁で聞いてやる」
チンピラは、あっさりと拘束された。
「ま、待てよ! おまえら、本庁の二課か!? オレたちゃ、ただのヤミ金だぜ!? 規模だって小せえし、バックは暴力団じゃねえ! なのに、なんであんたらが乗り出してくんだよ!?」
「まあ、たしかにそうだが、捜一に借りができちゃったんだよ。お願いされちゃってさあ」
二宮健治が経営していた詐欺組織『ホーム・クリエイティブ』は、捜査二課が一網打尽にしてやった。
本人の逮捕は娘に殺害されたため、夢のまま終わったが、これで《前科のない詐欺師》の創造した組織も永遠に壊滅したのだ。
捜査一課の緒方が、こころよく協力してくれた。
その借りを返さなくてはならない。
「そ、そりゃねえだろ!?」
「いやほら、おれらの課長、キャリアだろ」
と、新条は切り出したが、チンピラたちにそんな知識はない。
捜査一課の場合、キャリアが課長職につくことはない。ノンキャリアの指定席であり、本庁の一課ともなれば、最強の刑事がつくポストといえる。
それに対し、捜査二課の課長は、キャリアからの登用が多い。知能犯、政治犯、経済犯と戦っていくには、経験よりも学歴がものをいうようだ。
「し、しらねえよ、そんなこと!」
「だからさあ、こんな乱暴なこと言うと嫌われちゃうんだけどさあ……」
そして新条は、ドスをきかせて言い放った。
「おれらが出てきたってことは、わかるよなぁ!? おまえらの全部を掘り起こすってことだ! でかい顔すんのは、三百年早かったな」
二課の刑事とは思えない迫力をみせられたとあっては、二人のチンピラは、ただ観念するしかなかった。
53. 七月二二日
「退院おめでとー」
事務所に入るなり、西崎涼香の声がふりかかった。あいかわらず心はこもっていないが、それでもいつもよりは、感情がふくまれているような気がした。
「死んでてもおかしくなかったんだから、生きていることに感謝しなくっちゃねぇ」
「ええ、まあ……」
「わたしのおかげね。幸運の女神よ、この涼香ねえさんは」
満面の笑顔でそう言われても、南波には、愛想笑いでごまかすほかはなかった。
「そういえば、バイト採用の子も、今日からでしょ?」
南波は、いま入ってきたばかりの扉のほうを確認した。ついてきていないようだ。ドアをあけて、彼女をなかに呼び込んだ。
「入って」
「う、うん……」
戸惑いがちに、彼女は足を踏み入れた。
「こんなボロボロのところだったの……?」
「なに期待してたんだ? うちの経済状況は、そりゃもう悲惨の極みだ」
「そうそう。ホントだったら、新たに人を雇ってる場合じゃないんだから」
今度の事件で、ここの存続も危ういかと考えていたのだが、なぜだか逆に、予算が増えるという話が持ち上がった。中学校での連続自殺を止めた功績だと、南波が世話になっている人物──厚生労働大臣の冬真紀三郎から告げられている。冬真自身も、かなり立場が追い詰められているのに、本当なのだろうか?
それに、中学校での自殺騒動は、純粋な群発自殺ではなかった。自分たちの手柄だと主張していいものか。二宮さやかの死が自殺と報道されたあとも、新たな連鎖はおこっていない。だがそれは、スクールカウンセラーを増員するなどした成望中学校自らの成果だ。自分たちのやったことは、ほんのお手伝い程度のことでしかない。
「さ、自己紹介してよ」
涼香にうながされて、彼女が少し照れた顔をした。
予算が増えたからというわけでもないが、彼女を臨時職員──アルバイトとして雇用することになった。
彼女自身が、ここで働きたいと希望したのだ。最初は高校もやめると決意を固めていたのだが、高校だけは出ておけ、となんとか説得して、とりあえず夏休み期間だけの採用となった。
「今日からお世話になる北川雪耶です。よろしくお願いします」
よろしくお願いします──。
同じ言葉を、数日前、南波は雪耶の両親から託されている。
北川家は、これからが大変なときだ。雪耶は、しばらく南波と暮らすことになっていた。姓も、もとの名にもどしたらどうかと、父親から提案があった。もともと血のつながりはないのだから。だが雪耶は、北川姓を名乗りつづけることを選んだ。
その別れ際──南波は、雪耶の両親に、大丈夫ですか?、と言葉を投げかけた。
『犯罪者の家族がどういうものかは、よく知っているよ』
そういう答えが返ってきた。そういえば実際に会ったことはなかったが、母親のほうは、父の……結城廉太郎の弁護を引き受けていたはずだ。加害者家族の苦悩も知っているということだ。
「ねえ、これだけしかメンバーはいないんですか?」
雪耶が、素朴な疑問を発した。
「うんとねー、もう一人いるんだけどぉ」
涼香の視線を追うように、南波も所長のデスクに眼をやってみたが、やはりどこかでポックリいってしまったようだ。
と、そのとき──、ガタンッ、と扉が開いた。
だれかが入ってくる。杖をついた、よれよれの老人。
「あ」
思わず、南波は声をあげてしまった。
「所長、生きてたんだぁ~」
涼香も驚きの声をあげる。めずらしく感情がこもっていた。
「雪耶ちゃん、この方が、東所長よ」
「お、おじいちゃん……?」
どうしてだろう。雪耶まで、とても驚いている。
「ほほほ、あのときのお嬢さんか」
「やっぱり、あのときのおじいちゃんだ!」
ん!? と南波と涼香は、思わず顔を見合ってしまった。
『あのとき』とは、どんなときだ?
「──とにかく、これで四人になったわけねぇ」
そう言った涼香の表情が、ふいに固まった。
「どうしたんですか?」
南波は問いかけるが、自身の世界に入り込んでしまったかのように、涼香からの反応はない。
いや、沈黙していたのは、ほんの数秒のことだった。
「あ──っ!」
突然、大声をあげた。南波だけでなく、雪耶も、所長も、なにごとかと涼香から距離をあける。
すると彼女は、まず所長に人差し指を向けた。
「東」
次に、自分を指さした。
「西」
次いで、南波に。
「南」
そして最後、雪耶に。
「北」
東、西崎、南波、北川。
たしかに偶然とはおもしろい。
「えー、ここの正式名称が決まりました」
涼香は、高らかに宣言した。
「今日からここは、『ディレクション』です!」
方角……方向か。
「いいんじゃないですか」
はじめて、南波は涼香の提案を認めた。
自殺志願者に生きる方向を示す──。
「じゃあ、名前も決まったので、お仕事がんばりましょう!」
「は、はい!」
涼香の気合に、雪耶が応えた。
「雪耶ちゃんに、この『自殺防疫研究所・ディレクション』の理念を教えてあげます」
「お願いします!」
二人ともはりきっているが、そんな理念については初耳だ。
「一つ、なにがなんでも自殺を止める! はい、復唱」
「一つ、なにがなんでも自殺を止める!」
「二つ──」
とりあえず、雪耶のことは涼香にまかせることにして、南波は自分の席についた。
あの夜の、北川美里が残した言葉のことが脳裏をよぎった。
『わたしが最初ではない』
絶え絶えの息で、彼女はまちがいなく、そう言った。
彼女が《赤いイルカ》のおおもとでないのなら……彼女もまた、感染したのだとしたら……。
終わりではないのかもしれない。
まだ《赤いイルカ》は──。
〈救え〉
囁きが聞こえた。
《ヤツ》ではない、だれかの声が。
〈二六人すべてを──〉
エピローグ
病室に入ったとき、あいつの姿はどこにもなかった。
予感がした。南波はすぐに部屋を出ると、慌ただしく動き回っている女性看護師に声をかけた。非常事態のようだった。
「久我さんが、いなくなったんです!」
南波は走り出した。迷わずに屋上へ向う。扉を開けると、夜風に髪をなびかせて、あいつが──ジョージが立っていた。
フェンスに手をかけている。
「ユウユウか」
「バカなことを考えるな」
「もう表舞台には戻れない……痛てえんだよ、身体も心も……」
「死ぬな。そのときまで生きつづけろ」
「もう楽になりてぇんだ……」
「ダメだ」
「お願いだよ……ユウユウ」
ここまで弱気になったジョージを見たことはなかった。
「なあ……助けてくれよ……」
「スケールが……」
これしか、かけられる言葉は出てこなかった。
「スケールが小せえ! おまえは《最後のロックンローラー》久我ジョージだろ!?」
あいつは、薄く笑った。
フェンスに伸びていた手が、離れた。
あとをついてきた看護婦たちが、ジョージを支える。
「さあ、久我さん……」
彼女たちにつれられて、病室へ戻っていく。
「なあ、ユウユウ。オレの自殺を止めるのは、仕事だからか? 親友だからか?」
南波は、静かに答えた。
「仕事だからだ」
* * *
ジョージには、もう一つの声が聞こえていた。
《ヤツ》の声か、夕介自身の心の声なのかはわからなかった。
その囁きが、いつまでも耳に残った。
「親友だからさ」