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囁き  作者: てんの翔
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45

        45.六月二九日午後八時半


 正確な時刻は、八時三六分を指していた。

 車での移動。運転席でハンドルを握っているのは、私服に着替えた雛形かえでだった。スーツに身を包んでいるのだが、それでもやはり、一〇代の少女が無理して大人びた格好をしているようにしか見えない。

 片瀬は、助手席に座っている。

「大丈夫ですか?」

「なにがよ!」

「いや、運転……」

「甘くみないで! ちゃんと免許は持っています」

 さきほどから、車の挙動がぎこちないのは気のせいだろうか。

「……かわりましょうか?」

「いいわよ! それより、こっちで道はあってるんでしょうね!?」

「は、はい」

「ジンくんの予想では、彼女は中学校にいるんでしょ!? なのに、いいわけ?」

「お願いします。直接、確かめたいことがあるんです」

「だいたいこういうことは、所轄署に連絡を入れて、彼らに見回ってもらったほうが効率的なのに……」

 たしかにそうなのだ。

 だが、どうしても自ら行かなければならない強迫観念のようなものが、片瀬の胸にわきおこっていた。

 それから二分ほどして、到着した。

 北川雪耶の自宅だった。家の前に車をつけて、かえでを車内に残し、片瀬だけが家をたずねた。

 応対に出たのは、父親だった。

「片瀬さん……」

「あの、えーと……」

 なんと呼べばいいのか、一瞬、悩んだ。

「お姉さんはいますか?」

「あ、いえ、さっき家を出ていったんですよ……たぶん、雪耶をさがしにいったんだと思います」

「そうですか……」

 行き違いになってしまったようだ。

 渋谷署を出てしばらく経ってから携帯へかけているのだが、電波は届かなかった。

「失礼を承知でおたずねします。お嬢さんは、境界性人格障害ではありませんか?」

 単刀直入に、片瀬は訊いた。

「そうですか……さすがは刑事さんですね。わかってしまいましたか……」

 そう言って、父親はチラッと室内のほうに眼をやった。

 壁の色が微妙にちがっている箇所がある。家具の調和も、ずれている。

 それは、破壊の痕跡だ。

 発作的に暴れることがあるのだろう。

 車内で待っている雛形かえでにも、かつてみられたものだ。

「やっぱり雪耶さんは……」

 以前は外側に攻撃対象が向いていたために、家庭内暴力をおこしていたのだ。それがなにかをきっかけに、対象が内へ向いた。それで自殺未遂を引き起こす。

 やはり彼女は、内と外、両方を傷つける因子をもっていた。

 中学校に急がなくては……!

「いえ、それは誤解です」

 後ろを向きかけた片瀬は、その言葉で動きを固めた。

「え?」

「たしかに雪耶は、心療内科に通院しております。ですが、境界性人格障害ではありません……」

 片瀬は、わけがわからなくなった。

 いま認めたばかりのことを、すぐに否定するなんて……。

「え、でも……」

「それは、雪耶ではありませんよ」

 それを耳にして、片瀬は自分がなにか大切なことを見落としていることに気がついた。

 なんだ、それは!?

「ジンくん!」

 そのとき、待機していた雛形かえでが、窓から身を乗り出すようにして呼びかけてくる。

「もう時間よ!」

 行かなくては……しかし、このままモヤモヤした状態のままでいいものか……。

「はやく乗って!」

 かえでに急かされて、仕方なく片瀬は車に戻った。

「雪耶をよろしくお願いします」

 助手席から父親に頭を下げると、車は発進した。

 車内の時計は、八時四六分を指していた。


       * * *


 雪耶は、屋上への扉を開けた。

 奥。フェンスのそばに、だれかが立っている。

 女性だ。

 中学生ではない。

 あきらかに成人の女性だということはわかる。しかし暗闇のために、顔まではわからない。

「なにをしているの!?」

 雪耶は声をかけた。

 どういうわけか、死のうとしているようには感じなかった。

 一歩、二歩、近づいた。

 その人物との距離は、一〇メートルほど。

 もっと近づかなければ、容姿は確認できない。

 五歩、六歩……。

 七歩目を踏み出そうとしたとき──。

「近寄るな!」

 背後から、声。

 雪耶は、振り返った。

「南波さん……?」


       * * *


 八時五六分。

 もうすぐ成望中学校に到着する。

「ところで、それ、眼を通したの?」

「どれですか?」

「それよ、それ!」

 かえでが、ダッシュボードの上に置いたままの書類のことを言っているのだということに、ようやく頭がまわった。

「あ、すみません、せっかくつくってもらったのに……」

 片瀬は手に取った。

 だが、読もうとするまえに車は停止した。

「ここでいいんでしょ?」

「そうです……」

 エンジンが切られた。

 片瀬は車外に出る。

「わたしも行くわ」

 かえでも、それに続いた。

「見たところ、だれもいないようね?」

 正門前から校舎をうかがっても、灯はどこも点いていない。常駐の人間はいないようだ。

「かといって、連絡している時間もないわ」

「そうですね……」

 正門に手をかけたら、簡単に動いた。

 地面には、南京錠のついた鎖の束が落ちていた。何者かが、ボルトクリッパーのような大型工具で切り裂いたのだ。

「なんだか、様子がおかしいわね……」

 かえでが学校の敷地内に足を踏み入れた。

「イヤな予感がするわ……」

 かえでのそれは、自分のとちがって、へんによく当たることを片瀬は知っている。

「どうやら……わたしたちが来て、正解だったようね」

 片瀬も、それにうなずきながら、校内に入る。

「あっ」

 場違いな声をあげてしまったのは、自分が例の書類を持ったままだったことに気がついたからだ。戻って車に放り込んでこようかと思ったが、時間もない。さきを急ぐことを選んだ。

「校舎が二つあるわね」

「たぶん、あっちですよ」

 片瀬は、新校舎のほうを指さした。

 一昨日、北川雪耶と二宮さやかを尾行したときに、雪耶が大槻教諭の制止を押し退け、新校舎のなかに無理矢理入り込もうとしていたところを目撃している。

 いま思えば、雪耶は、だれかがあそこから自殺をするのではないかと考えていたにちがいない。

 二つの建物をくらべても、新校舎のほうが一階分高い。

 二人は、小走りで急行する。

 玄関扉を開けてみた。ここにも鍵はかかっていない。

 何者かが侵入していることはあきらかだった。

「センサーが作動していないわ」

 かえでが、そう指摘を入れた。

 天井から扉のほうを向いているセンサーが反応していない。本来なら、赤い微光が明滅を繰り返しているはずだ。

 片瀬は玄関を進み、廊下へと進んだ。窓を感知するセンサーも、やはり動いていないようだ。

「とにかく、屋上へ向かいましょう」

 かえでにそう提案すると、片瀬は階段をめざした。

 まもなく、夜九時になる──。


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