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41. 同日午後三時
南波は、とある病院を訪れた。
古くからの……そして、たった一人の親友を見舞うためだ。
親友が入っている個室の扉を開けた。
病室とは考えられないぐらいに、その空間は華やかだった。
天井一面に、巨大なポスター。
三方の壁にも、こちらは通常サイズのポスターが幾枚も貼られている。窓のある残りの一方は、色とりどりの花々で占められていた。まるで楽屋に届けられた贈答花のようだ。
ロックンローラーという呼び名は、もう古臭く感じるものだ。
だが彼は、そう名乗ることに誇りをもっていた。
そこでつけられたのが、《最後のロックンローラー》という称号だった。
ポスターのなかの彼は、サングラスをかけ、髪をリーゼントに固めた無頼漢。スタンドマイクを巧みに操り、熱唱している。
「よう、また来たのか?」
ベッドのなかの彼とは、別人に見えた。
やつれて、黒ずんでいる顔。身体のほうも、肉が落ちて骨と皮だけのつらそうな印象だ。
末期の癌であり、もう治癒はできない。
ただし、この年齢ではめずらしく、進行が遅い。もう二年近くの入院になる。
突如として芸能界に現れたスターは、やはり突如として姿を消した。
わずか四年ほどの活動期間で、彼は伝説の男となった。
久我ジョージ。
南波とは、施設でともに育った仲だ。
ほかのみんなは、夕介が結城廉太郎の息子だと知ると、好奇の眼をするか、忌み嫌う。だが、ジョージだけはちがった。
おまえは、オレが怖くないのか?
そう夕介が問いかけると、ジョージは言った。
『スケールが小せえよ』
施設を出てからも、二人の仲は変わらなかった。
「どうせ、つらいことがあったんだろ? ユウユウ、てめえが来るときは、いつもそんなだ」
夕介の本名から、ジョージは「ユウユウ」と呼んでいた。
「《ヤツ》も元気そうだな」
〈あいかわらず、くたばりぞこなっているようだな〉
「ちっ、てめえこそ、口の悪さはあいかわらずだ」
ジョージには、《ヤツ》の声が聞こえてしまう。南波本人以外では、彼だけが《ヤツ》の存在を知っている。
「具合はどうだ?」
「へっ、見てのとおり、いまにもあの世へ行きそうだよ」
〈俺様には、ピンピンしているように見えるぞ〉
「ははは、まだまだ死にそうにねえか」
ジョージは、どこか悲しそうに笑った。
苦しみは知っている。激痛が、いまも身体を襲っているはずだ。
いままでに何度か、南波も彼の弱音を聞いている。
死にてえよ……許してくれるか、死ぬことを?
そんなとき、南波は無言で首を横に振る。
ジョージも、南波のいまの仕事の内容をわかっている。
伝説の男《最後のロックンローラー》が自ら死を選べば、どういうことがおきるのか。
「ウェルテル効果……群発自殺とも言うんだっけか? だから、オレは死んじゃいけねえんだろ?」
「そういうことだ」
南波の声は、冷たく響いた。
「で、なにがあった?」
「べつに、なにもないよ。おまえの顔を見にきただけだ」
「嘘つけ。なにもないのに、てめえが来るかよ、ここに」
〈恋の悩みだ〉
「恋? はははは!」
〈こいつは、高校生に心奪われた〉
「黙れ」
〈おう、怖い怖い〉
「ユウユウ、歳の差とか、法律に違反するとか、そんなスケールの小せえことは考えちゃいけねえ」
「そんなんじゃない。彼女は、オレを憎むだろう。真実を知ればな」
「真実か……。たしか、真実がいつも常識どおりだとは思うな、だっけ?」
〈そうだ、そうだ〉
ジョージは、《ヤツ》の口癖を真似た。
「憎まれてもいいじゃねえか。大切なのは、てめえ自身の気持ちだろ?」
「簡単に言ってくれるな」
「難しく考えすぎなんだよ、てめえがな」
病院をあとにした南波は、夕暮れの街を歩いていた。
難しく考えすぎか……。
〈どうした?〉
(オレの助けた何人かが、翌日に死んでいるのは知ってるだろ?)
〈それがどうした?〉
(オレを疑ってるんじゃないのか?)
〈疑う? おまえの行動をすべて把握している俺様が、どうしておまえを疑うのだ?〉
(おまえが眠っているときもある。そのときに、オレが殺したと疑ってるな)
〈だったら、どうだというのだ?〉
(オレは、殺していない)
〈神に誓って?〉
(それは、まえにも答えたはずだ)
〈信じていない、か〉
彼らの死は、自殺なのか、殺人なのか?
おそらくあの刑事も、自分のことを疑っているはずだ。
──難しく考えすぎなんだよ。
──真実が、いつも常識どおりだとは思うな。
最近、死亡した二名──伊藤康文と山本武司の自殺を止めた場面に出くわしているのは、自分だけではない。もう一人いる。
北川雪耶。
──難しく考えすぎなんだよ。
──真実が、いつも常識どおりだとは思うな。
彼女が居合わせたのは、偶然か?
もっといえば、彼女とめぐり会ったのは偶然だったのか?
二宮さやかという少女が《赤いイルカ》を名乗り、中学生三人を自殺に追い込んだのは、ほぼまちがいないだろう。
では、そのほかの《赤いイルカ》の書き込みは?
──難しく考えすぎなんだよ。
自殺志願者本人のものではない。
だからといって、二宮さやかが仕組んだこととも思えない。
それに、最初の《赤いイルカ》──あのモデル事務所での自殺はべつのだれかの仕業だと、彼女はほのめかしていた。
──真実が、いつも常識どおりだとは思うな。
では、その人物がすべてを仕組んでいるのか?
それは、だれだ?
〈どうした?〉
「わかったぞ」
南波は、そう声に出していた。