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40. 同日午前十一時半
以前、村田教諭から教えてもらった住所を頼りに、北川雪耶の自宅をたずねた。
正午前。日曜だから、この時間になら在宅しているのではないかという考えがあった。もし本人がいなくても、家族のだれかはいるだろう。それほど迷惑という時間帯でもなかったから、緊張もせず気軽にインターホンを押した。
閑静な住宅街にある平均的な一戸建てだ。名門の私立中学を出ているし、この家の資産価値から、両親の財力は、中の上、と予想をたてた。
両親……。はっきりと告げられたわけではないが、大槻と村田の話ぶりからは、雪耶の本当の両親ではないという印象がもたれた。安直に推理すると、雪耶の本当の両親が結城廉太郎に殺害され、この北川家に養女として引き取られたのではないか。
「……留守かなぁ」
もう一度押しても、応答はない。
あきらめかけたとき、どなたですか? とインターホンから聞こえた。
「あ、すみません──」
『申し訳ありませんが、いま立て込んでおりまして』
身分を名乗ろうとしたところで、女性の声が重なってしまった。
「え~と、お嬢さんは在宅でしょうか? 雪耶さんです」
『妹に?』
「ぼくは、警視庁の片瀬といいます。雪耶さんに、お話したいことが」
『ですから、立て込んでいるのですが』
少し間があいてから、玄関の扉が開いた。
「警視庁の方、ですか?」
玄関から出てきた女性に、片瀬は眼を奪われた。
知っている。会っている。
あの亀戸の喫茶店で……。
「どうかしましたか?」
女性の問いかけも、うわのそらだった。
「あ……いえ……」
少し強気な印象をあたえる目元。鼻筋は通っていて、唇はむしろ厚い。
肌は透き通るほどの白だが、か弱さは微塵もなかった。
個性的な顔だちの美女だ。雪耶の姉というのが妙に納得できる。
「あの……」
「あ、は、はい。そうです、警視庁の片瀬です」
見蕩れてしまった。慌てて警察手帳を差し出した。どうやら彼女のほうは、片瀬のことを覚えていないようだ。
内心、深く落胆した。
「どんなお話でしょうか?」
「いえ、そんなに重要な話ではありません。参考までに、いくつかたずねたいことが」
「でしたら、日を改めてお願いします」
怖がらせてはいけないと思ったことが、災いした。
どうやら、本当に立て込んでいるようだ。
「そうですか……」
念のため、居るのかどうかだけを、再び訊いてみた。
「いまはいないんです……」
どうも歯切れが悪い。外見の明るい容姿からすれば、もっとサバサバした男勝りな印象をうけるのだが……。喫茶店での騒動も、そう思わせる一因なのだろう。あのときは、チンピラ風の男に一歩も引かなかった。
「どうかされたんですか?」
「あ、いえ、家庭のことですから」
そのとき、家のなかから声がした。
「正直に話しなさい」
年配の男性のものだった。
「お父さん!」
女性は、なかを覗き込んで、一言、二言、会話をした。
そして──、
「わかりました、どうぞ、お入りください」
そう招き入れられた。片瀬は戸惑いながらも、家のなかへ。
きれいに整頓されたリビングに通された。しかし、どこか居心地の悪さを感じた。なぜだろう?
女性から、ソファに座るよう勧められる。正面に、この家の主と思われる六〇前後の男性が腰を下ろした。そのとなりに、やはり同年代の女性が。婦人であろう。
「雪耶の父です」
男性が、そう名乗った。
「あ、警視庁の片瀬です」
「雪耶のことですか?」
「そうです……お嬢さんは?」
そこで、最初の女性がお茶を運んできた。
「昨夜、一度帰って来たようなんですが、それからまたすぐに出ていったみたいで……それっきり、もどっていないんです」
父親のその話を聞いて、昨夜の様子のおかしさを思い起こした。感情が欠落したような危うさがあった。
「立ち入ったことを聞いてよろしいですか? 雪耶さんなんですが……本当のお嬢さんではないですよね?」
片瀬は、重要なことを切り出した。少し声が震えていたかもしれない。
「そうです。雪耶は養女です」
自然な水の流れのように、父親は答えた。
「まちがっていたら、あやまります。雪耶さんの本当の両親は、事件に遭われたんじゃないですか?」
「……ご存じのようですね」
「結城廉太郎」
その名前を出したとき、両親の顔に変化はなかったが、お茶を運んでから、かたわらに立っていた女性が、怖い眼で睨んだのがわかった。
「その名前は、雪耶の前では……」
「わかっています。あ……」
そう返事はしたものの、すでに言ってしまったのだ。
「それで、なにが聞きたいのでしょうか?」
「雪耶さんとは親戚関係だったのですか?」
「ちがいます。血のつながりは一切ありません。しかし、わたしと妻、そこにいる長女にとっては、雪耶は大切な家族です」
すると、この美しい女性と雪耶とは、真の姉妹というわけではないのだ。たしかに似ているというわけではないが、その美貌から勘違いしてしまった。
「まあ、いろいろ経緯がありましてね……」
父親は、そう言葉を濁す。
言いたくないものを無理に聞き出す権利は、片瀬にはなかった。
「雪耶さんの行き先に、心当たりは?」
両親は、そろって困った顔をした。
「あの子……なんだか、危ないことをしていたみたい」
発言したのは、姉だった。
「自殺を止めていたみたいなの……」
「それは知っています」
片瀬の返事に、両親は驚いたようだった。
「あの子が、そんなことを……」
「ネットの書き込みを見て、行動をおこしていたんだと思います」
「そうなんですか」
力なく、父親は言った。
「知らないうちに、成長していたんですね。うちに来たときは、まだ小さな小さな女の子でした」
「雪耶さん自身も、リストカットの経験があるんですよね?」
家族の問題に土足で踏み入るようなものだということは、重々承知だ。
「その通りです。以前は、頻繁でした」
父親が、部屋のなかを無意識に見回したことを、片瀬は見逃さなかった。
居心地の悪さの原因がわかった。
例えば、テレビとテレビが置かれている台の不一致。壁の色が、ほかと微妙にちがっている箇所がある。テーブルとソファのバランスもおかしい。
片瀬の眼が、違和感を的確に見通していた。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ、ぼくも、こういう家を建てるのが目標ですよ」
どうでもいいようなお世辞が口をついた。
こういう家を知っていた。
「あの……警察に捜索願いを出したほうがいいでしょうか?」
母親は心配のあまり、やつれているように見えた。昨日の今日で、それは考えすぎだろうか。
「そうですね。是非、そうしてください。ぼくのほうも、心当たりをさがしてみます」
心当たりなどなかったが、安心させるためにそう言った。
「お願いします」
片瀬は立ち上がった。
「では、ぼくはこれで──」
「刑事さんは、なんの捜査をされているのですか?」
「心配なさらないでください。べつに重要犯罪というわけではありません。ぼくは少年課ですから」
以前のように、捜査一課と名乗ってしまった失敗を繰り返すつもりはなかった。嘘も方便というが、胸に痛いものを残しながら、片瀬は北川家をあとにした。
「待ってください!」
道路に出て二、三歩というところで、雪耶の義姉に呼び止められた。
心のどこかで、それを期待していた自分がいた。
「本当のことを言ってください。あなたは警視庁の方ですよね?」
「え?」
「地域の警察署の刑事さんなら、なになに署、と名乗るはずです」
「そうです、本庁の人間です」
「でしたら、軽犯罪の調べで本庁の人がやって来るのは、不自然です。『少年課』というのも、ちがうような気がします」
片瀬は、言い返せなかった。
「むかし、わたしは近所の不良とトラブルになって、全員をぶちのめしたことがあります」
整った美貌とは調和のとれない内容を語りだした。
冗談?
とても、そんな雰囲気ではないのに……。
唖然とした表情になっているのを、自覚していた。
「そのときに、生活安全課の少年犯罪担当の方とお会いしましたけど、雰囲気があなたとは全然ちがっていました」
「ま、まあ、ぼくは警察官には不向きな性格ですから」
「そういうことではありません。少年犯罪をあつかう方は、もっと子供たちに対して、ざっくばらんです」
「は、はあ……」
彼女の指摘の意味がわからなかった。
「あなたはさきほど、雪耶の過去をたずねるときに、とても遠慮がちにしていました。おそらく普段、少年犯罪とは関係のないところにいるからだと思います」
ハッとさせられた。
と同時に、浅はかな嘘を後悔した。
「教えてください。雪耶は、なにを疑われているんですか?」
「疑っているわけではありません。事件の重要人物と接点があるだけです」
「どういう事件ですか?」
義姉は、息もつかずに問いを連続する。
「重要人物とは、どういった人ですか!? その人は、なにを犯したんですか? 雪耶はその人と、どう関わっているんですか!?」
「そ、それはですね……」
道端でする話ではなかった。
「場所を変えませんか?」
近くのファミリーレストランに入った。一目惚れをした相手の近くにいるだけでも緊張するというのに、向かい合って席についているなんて……。
ただでさえ、免疫は無いに等しい。捜査一課に配属されると、女性との出会いはまるでない。一課にも女性捜査員はいるにはいるが、同僚を異性とは考えていけない、という空気ができあがっている。
所轄署時代は、婦警との交流があったり、合コンをしたこともあった。ほとんどが同職であるが、一度だけ看護師とやったことがある。ナースと警察官との合コンは、不規則なシフト同士で、定番の組み合わせだという。
「ごゆっくりどうぞ」
店員が、注文したメニューを運んできた。
片瀬がチーズケーキ。彼女はカルボナーラを頼んだ。こういうときお決まりのコーヒーや紅茶は、単品でのメニューにはない。ドリンクバーになってしまうのだ。喫茶店のほうがよかったかもしれないが、この近所にはないという。
当然、ドリンクバーだけでの注文はダメなので、おたがい食事をとる雰囲気でもなかったが、それぞれ思いついたものを頼んだ。店員が持ってくるよりもずっとまえに、セルフで用意した紅茶のカップが湯気を立てていた。
「それで……?」
店員が去っていくのを合図だったかのように、彼女が話をうながした。
まず片瀬は、自分が捜査一課の人間だということを告げ、一連の中学生連続自殺を語りだした。それに、北川雪耶がどう関わっているのか、そして南波という男のこと。
時系列では逆上ることになるが、そのあとに伊藤康文と山本武司の自殺未遂のことを。
そのいずれにも、南波と雪耶が絡んでいること。
未遂の両氏とも、未遂の翌日、何者かによって殺害された可能性があること。
「それでは、南波という男性が犯人で、雪耶はその男性と行動をともにしているということですか!?」
「いえ、そういう疑いがあるというだけです……なんの物証もありません」
「片瀬さんは、雪耶が殺人に関係しているとお思いですか?」
「いえ。思いません」
片瀬は、即答した。その迷いのない答えに、安堵の顔が返ってきた。
べつに気をつかったわけではない。北川雪耶が後ろめたいことをしているというのは考えられない。られない……のだが……。
昨夜の様子が、脳裏をかすめる。
「どうかなさいましたか?」
一転して、曇った美貌が問いかけてくる。眼の前の彼女には、もっと明るい表情が似合うはずだ。それが見たかった。ずっと自分だけに笑いかけてもらいたかった。
かなりの重症だ。
「心配ありません。ぼくにまかせてください」
前後の脈絡を無視して、片瀬はそう宣言していた。
「神に誓って、そう言えますか?」
彼女のそのセリフは、喫茶店でも耳にしている。
「はい。神に誓って、そう言えます」
「あ……」
なにかに気づいたように、彼女がポカンと口をあけた。それを隠すように、唇に手のひらをそえた仕草は、とても上品に映った。
「あのときの……」
やっと、思い出してくれたようだ。
「そ、そうです」
「いやだ、わたしったら……気分を害してしまったら、ごめんなさい。いまの言い方、わたしの癖なんです」
彼女は、どこか恥ずかしそうに微笑んだ。
(ダメだ、重症だ)
あらためて、そう実感した。