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囁き  作者: てんの翔
36/46

40

        40. 同日午前十一時半


 以前、村田教諭から教えてもらった住所を頼りに、北川雪耶の自宅をたずねた。

 正午前。日曜だから、この時間になら在宅しているのではないかという考えがあった。もし本人がいなくても、家族のだれかはいるだろう。それほど迷惑という時間帯でもなかったから、緊張もせず気軽にインターホンを押した。

 閑静な住宅街にある平均的な一戸建てだ。名門の私立中学を出ているし、この家の資産価値から、両親の財力は、中の上、と予想をたてた。

 両親……。はっきりと告げられたわけではないが、大槻と村田の話ぶりからは、雪耶の本当の両親ではないという印象がもたれた。安直に推理すると、雪耶の本当の両親が結城廉太郎に殺害され、この北川家に養女として引き取られたのではないか。

「……留守かなぁ」

 もう一度押しても、応答はない。

 あきらめかけたとき、どなたですか? とインターホンから聞こえた。

「あ、すみません──」

『申し訳ありませんが、いま立て込んでおりまして』

 身分を名乗ろうとしたところで、女性の声が重なってしまった。

「え~と、お嬢さんは在宅でしょうか? 雪耶さんです」

『妹に?』

「ぼくは、警視庁の片瀬といいます。雪耶さんに、お話したいことが」

『ですから、立て込んでいるのですが』

 少し間があいてから、玄関の扉が開いた。

「警視庁の方、ですか?」

 玄関から出てきた女性に、片瀬は眼を奪われた。

 知っている。会っている。

 あの亀戸の喫茶店で……。

「どうかしましたか?」

 女性の問いかけも、うわのそらだった。

「あ……いえ……」

 少し強気な印象をあたえる目元。鼻筋は通っていて、唇はむしろ厚い。

 肌は透き通るほどの白だが、か弱さは微塵もなかった。

 個性的な顔だちの美女だ。雪耶の姉というのが妙に納得できる。

「あの……」

「あ、は、はい。そうです、警視庁の片瀬です」

 見蕩れてしまった。慌てて警察手帳を差し出した。どうやら彼女のほうは、片瀬のことを覚えていないようだ。

 内心、深く落胆した。

「どんなお話でしょうか?」

「いえ、そんなに重要な話ではありません。参考までに、いくつかたずねたいことが」

「でしたら、日を改めてお願いします」

 怖がらせてはいけないと思ったことが、災いした。

 どうやら、本当に立て込んでいるようだ。

「そうですか……」

 念のため、居るのかどうかだけを、再び訊いてみた。

「いまはいないんです……」

 どうも歯切れが悪い。外見の明るい容姿からすれば、もっとサバサバした男勝りな印象をうけるのだが……。喫茶店での騒動も、そう思わせる一因なのだろう。あのときは、チンピラ風の男に一歩も引かなかった。

「どうかされたんですか?」

「あ、いえ、家庭のことですから」

 そのとき、家のなかから声がした。

「正直に話しなさい」

 年配の男性のものだった。

「お父さん!」

 女性は、なかを覗き込んで、一言、二言、会話をした。

 そして──、

「わかりました、どうぞ、お入りください」

 そう招き入れられた。片瀬は戸惑いながらも、家のなかへ。

 きれいに整頓されたリビングに通された。しかし、どこか居心地の悪さを感じた。なぜだろう?

 女性から、ソファに座るよう勧められる。正面に、この家の主と思われる六〇前後の男性が腰を下ろした。そのとなりに、やはり同年代の女性が。婦人であろう。

「雪耶の父です」

 男性が、そう名乗った。

「あ、警視庁の片瀬です」

「雪耶のことですか?」

「そうです……お嬢さんは?」

 そこで、最初の女性がお茶を運んできた。

「昨夜、一度帰って来たようなんですが、それからまたすぐに出ていったみたいで……それっきり、もどっていないんです」

 父親のその話を聞いて、昨夜の様子のおかしさを思い起こした。感情が欠落したような危うさがあった。

「立ち入ったことを聞いてよろしいですか? 雪耶さんなんですが……本当のお嬢さんではないですよね?」

 片瀬は、重要なことを切り出した。少し声が震えていたかもしれない。

「そうです。雪耶は養女です」

 自然な水の流れのように、父親は答えた。

「まちがっていたら、あやまります。雪耶さんの本当の両親は、事件に遭われたんじゃないですか?」

「……ご存じのようですね」

「結城廉太郎」

 その名前を出したとき、両親の顔に変化はなかったが、お茶を運んでから、かたわらに立っていた女性が、怖い眼で睨んだのがわかった。

「その名前は、雪耶の前では……」

「わかっています。あ……」

 そう返事はしたものの、すでに言ってしまったのだ。

「それで、なにが聞きたいのでしょうか?」

「雪耶さんとは親戚関係だったのですか?」

「ちがいます。血のつながりは一切ありません。しかし、わたしと妻、そこにいる長女にとっては、雪耶は大切な家族です」

 すると、この美しい女性と雪耶とは、真の姉妹というわけではないのだ。たしかに似ているというわけではないが、その美貌から勘違いしてしまった。

「まあ、いろいろ経緯がありましてね……」

 父親は、そう言葉を濁す。

 言いたくないものを無理に聞き出す権利は、片瀬にはなかった。

「雪耶さんの行き先に、心当たりは?」

 両親は、そろって困った顔をした。

「あの子……なんだか、危ないことをしていたみたい」

 発言したのは、姉だった。

「自殺を止めていたみたいなの……」

「それは知っています」

 片瀬の返事に、両親は驚いたようだった。

「あの子が、そんなことを……」

「ネットの書き込みを見て、行動をおこしていたんだと思います」

「そうなんですか」

 力なく、父親は言った。

「知らないうちに、成長していたんですね。うちに来たときは、まだ小さな小さな女の子でした」

「雪耶さん自身も、リストカットの経験があるんですよね?」

 家族の問題に土足で踏み入るようなものだということは、重々承知だ。

「その通りです。以前は、頻繁でした」

 父親が、部屋のなかを無意識に見回したことを、片瀬は見逃さなかった。

 居心地の悪さの原因がわかった。

 例えば、テレビとテレビが置かれている台の不一致。壁の色が、ほかと微妙にちがっている箇所がある。テーブルとソファのバランスもおかしい。

 片瀬の眼が、違和感を的確に見通していた。

「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、ぼくも、こういう家を建てるのが目標ですよ」

 どうでもいいようなお世辞が口をついた。

 こういう家を知っていた。

「あの……警察に捜索願いを出したほうがいいでしょうか?」

 母親は心配のあまり、やつれているように見えた。昨日の今日で、それは考えすぎだろうか。

「そうですね。是非、そうしてください。ぼくのほうも、心当たりをさがしてみます」

 心当たりなどなかったが、安心させるためにそう言った。

「お願いします」

 片瀬は立ち上がった。

「では、ぼくはこれで──」

「刑事さんは、なんの捜査をされているのですか?」

「心配なさらないでください。べつに重要犯罪というわけではありません。ぼくは少年課ですから」

 以前のように、捜査一課と名乗ってしまった失敗を繰り返すつもりはなかった。嘘も方便というが、胸に痛いものを残しながら、片瀬は北川家をあとにした。

「待ってください!」

 道路に出て二、三歩というところで、雪耶の義姉に呼び止められた。

 心のどこかで、それを期待していた自分がいた。

「本当のことを言ってください。あなたは警視庁の方ですよね?」

「え?」

「地域の警察署の刑事さんなら、なになに署、と名乗るはずです」

「そうです、本庁の人間です」

「でしたら、軽犯罪の調べで本庁の人がやって来るのは、不自然です。『少年課』というのも、ちがうような気がします」

 片瀬は、言い返せなかった。

「むかし、わたしは近所の不良とトラブルになって、全員をぶちのめしたことがあります」

 整った美貌とは調和のとれない内容を語りだした。

 冗談?

 とても、そんな雰囲気ではないのに……。

 唖然とした表情になっているのを、自覚していた。

「そのときに、生活安全課の少年犯罪担当の方とお会いしましたけど、雰囲気があなたとは全然ちがっていました」

「ま、まあ、ぼくは警察官には不向きな性格ですから」

「そういうことではありません。少年犯罪をあつかう方は、もっと子供たちに対して、ざっくばらんです」

「は、はあ……」

 彼女の指摘の意味がわからなかった。

「あなたはさきほど、雪耶の過去をたずねるときに、とても遠慮がちにしていました。おそらく普段、少年犯罪とは関係のないところにいるからだと思います」

 ハッとさせられた。

 と同時に、浅はかな嘘を後悔した。

「教えてください。雪耶は、なにを疑われているんですか?」

「疑っているわけではありません。事件の重要人物と接点があるだけです」

「どういう事件ですか?」

 義姉は、息もつかずに問いを連続する。

「重要人物とは、どういった人ですか!? その人は、なにを犯したんですか? 雪耶はその人と、どう関わっているんですか!?」

「そ、それはですね……」

 道端でする話ではなかった。

「場所を変えませんか?」



 近くのファミリーレストランに入った。一目惚れをした相手の近くにいるだけでも緊張するというのに、向かい合って席についているなんて……。

 ただでさえ、免疫は無いに等しい。捜査一課に配属されると、女性との出会いはまるでない。一課にも女性捜査員はいるにはいるが、同僚を異性とは考えていけない、という空気ができあがっている。

 所轄署時代は、婦警との交流があったり、合コンをしたこともあった。ほとんどが同職であるが、一度だけ看護師とやったことがある。ナースと警察官との合コンは、不規則なシフト同士で、定番の組み合わせだという。

「ごゆっくりどうぞ」

 店員が、注文したメニューを運んできた。

 片瀬がチーズケーキ。彼女はカルボナーラを頼んだ。こういうときお決まりのコーヒーや紅茶は、単品でのメニューにはない。ドリンクバーになってしまうのだ。喫茶店のほうがよかったかもしれないが、この近所にはないという。

 当然、ドリンクバーだけでの注文はダメなので、おたがい食事をとる雰囲気でもなかったが、それぞれ思いついたものを頼んだ。店員が持ってくるよりもずっとまえに、セルフで用意した紅茶のカップが湯気を立てていた。

「それで……?」

 店員が去っていくのを合図だったかのように、彼女が話をうながした。

 まず片瀬は、自分が捜査一課の人間だということを告げ、一連の中学生連続自殺を語りだした。それに、北川雪耶がどう関わっているのか、そして南波という男のこと。

 時系列では逆上ることになるが、そのあとに伊藤康文と山本武司の自殺未遂のことを。

 そのいずれにも、南波と雪耶が絡んでいること。

 未遂の両氏とも、未遂の翌日、何者かによって殺害された可能性があること。

「それでは、南波という男性が犯人で、雪耶はその男性と行動をともにしているということですか!?」

「いえ、そういう疑いがあるというだけです……なんの物証もありません」

「片瀬さんは、雪耶が殺人に関係しているとお思いですか?」

「いえ。思いません」

 片瀬は、即答した。その迷いのない答えに、安堵の顔が返ってきた。

 べつに気をつかったわけではない。北川雪耶が後ろめたいことをしているというのは考えられない。られない……のだが……。

 昨夜の様子が、脳裏をかすめる。

「どうかなさいましたか?」

 一転して、曇った美貌が問いかけてくる。眼の前の彼女には、もっと明るい表情が似合うはずだ。それが見たかった。ずっと自分だけに笑いかけてもらいたかった。

 かなりの重症だ。

「心配ありません。ぼくにまかせてください」

 前後の脈絡を無視して、片瀬はそう宣言していた。

「神に誓って、そう言えますか?」

 彼女のそのセリフは、喫茶店でも耳にしている。

「はい。神に誓って、そう言えます」

「あ……」

 なにかに気づいたように、彼女がポカンと口をあけた。それを隠すように、唇に手のひらをそえた仕草は、とても上品に映った。

「あのときの……」

 やっと、思い出してくれたようだ。

「そ、そうです」

「いやだ、わたしったら……気分を害してしまったら、ごめんなさい。いまの言い方、わたしの癖なんです」

 彼女は、どこか恥ずかしそうに微笑んだ。

(ダメだ、重症だ)

 あらためて、そう実感した。


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