表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
囁き  作者: てんの翔
29/46

32/33

       32. 同日午後一時


 この男は、何者だろう?

 突然、割って入ってきた男に、雪耶は強い警戒心を抱いた。

 昨夜も、その姿を眼にしている。

 大槻が自殺を思いとどまった現場に居合わせている。

 そのとき、「ゴッド・ブレス・ユー」と耳にした。

 自分や大槻にではなく、南波に向けて放った言葉なのはまちがいないだろう。

 すぐに姿を消したので、そのあと南波に「だれなの?」と問いかけてみたが、知らない、と短い答えが返ってきただけだった。

 嘘なのが、いまわかった。

(特徴はない……)

 外見は、地味なだけの印象。

 公務員……区役所に行けば会えそうな凡庸とした、ただの男。なによりも安定を求める、つまらない男。絶対に恋愛対象にならない、ありきたりな男。

 総じて、あたりさわりのない男──だ。

 南波を主役、ヒロインを自分としたドラマならば、脇役にもならないエキストラのような存在。

「あなた、だれ?」

 どうやら、このエキストラは、自分が先生になにかしたと疑っていたようだ。

 大槻は、雪耶がちょうどやって来たときに、階段の下でうずくまっていた。不注意で足を踏み外したということだった。肩をかして玄関までたどりついたが、やはり痛いということで、様子を見ることにした。そうこうしていたら、何事かと生徒や村田をはじめとする教員たちまで集まってきた。

 そして、このエキストラの登場だ。

「この方は、刑事さんだよ」

 答えてくれたのは、村田だった。

「刑事……!?」

「そういえば、北川さんのことをたずねていらっしゃったんでしたよね?」

 足をさすりながら、大槻がエキストラに声をかけた。

「わたしを?」

「キミは、南波という男と親しくしているね?」

 勘違いをなかったことのように、刑事らしきエキストラが言葉を投げてきた。

「親しくしてちゃ、いけないんですか!?」

 攻撃的に、雪耶は答えた。

 つまり、あれか。青少年保護育成条例?

 それとも、東京都迷惑防止条例に引っかかるんだったか……いや、あれは痴漢か。

 とにかく、淫行のたぐいだろう。

「ヘンなこと疑わないでください!」

「べ、べつにヘンなことでは……」

 エキストラは口ごもった。

「あ、あの……ここではなんですので……」

 まわりの状況を一瞥してから、そう続けた。

 村田や大槻に、察してもらいたいようだった。

「よし、みんなはもう帰宅しなさい。大槻先生は大丈夫だから」

 村田が、野次馬と化していた生徒たちに声をかけ、人の輪を散らした。教員仲間とも、いくつか言葉を交わす。

「あちらへいいですか?」

 そして、エキストラを眼でうながした。大槻に肩をかし、村田自らもそこへ向かう。

「北川も、いいか?」

「はい」

 こういう流れでは、ついていくしかないだろう。もう片側を雪耶が支えようとしたが、エキストラにさきをこされた。

 ついたのは、庭園のベンチだった。

「空いている部屋のほうがよかったかもしれませんけど、ここのほうが部外者に聞かれる心配はないでしょう」

「いえ、ここのほうがぼくとしても……」

 緑に囲まれた庭園内に人影はない。村田、大槻、エキストラ、そして雪耶の四人だけだった。

 大槻と雪耶がベンチに座り、男性たちが、その前で立っている。

「で、いったいなにを調べてるんですか?」

 棘を隠すことなく、雪耶が先陣を切った。

「単刀直入に言うね。ぼくは、南波という男を疑っている」

「愛し合っていれば、罪にならないはずです! それに……まだセックスはしていません」

 なぜだか、エキストラは口をあけたまま、動きを固めた。

 見れば、二人の教師もポカンとしている。

「遊び歩いてる高校生なら、ほかにいっぱいいるでしょ!? 言っときますけど、わたしは真剣に彼のことを考えています!」

「き、北川……たぶん、そういうことを調べてるわけじゃないと思うぞ……」

「え?」

「この方は、捜査一課の刑事さんだ」

 そう言われても、よくわからない。逆に、雪耶のほうがポカンとなった。

「殺人事件を捜査しているんだよ」

「殺……人?」

 ということは、南波に殺人の容疑がかかっている!?

「どういうことですか!?」

 血相を変えた雪耶に、エキストラが二枚の写真を差し出した。

「この二人に見覚えがあるね?」


       * * *


 北川雪耶の反応は、微妙だった。

 二人に心当たりはあるようだが、うろたえたり、焦ったりしている様子はない。

 伊藤康文と山本武司の顔写真だ。

「知ってます」

 素直にその言葉が返ってきた。当然、真実だろう。知らないのに知っていると答える人間はいない。

「こっちの人は、西新井駅で自殺しようとしてました。それを南波さんに助けられたんです」

 彼女は、伊藤康文のほうを指さして言った。

「もう一人は南砂町で、わたしといっしょに南波さんを救い上げたんです。まあ、わざとホームに落ちたんですけどね、南波さんは。たぶんこの人も、自殺を考えてたんだと思います」

 山本武司の写真には指をさすこともなく、視線もまっすぐ、じっと瞳をみつめられた。

 片瀬は、ドキリとした心境をごまかすように、口を開く。

「キミも、南波と同じように、自殺者を止めようとしていたんだね?」

「そうです。でも、それがいけないことですか!?」

「いや……そんなことはないよ」

「危ないことはしていません。お姉ちゃんと約束しています」

「お姉ちゃん?」

「自殺を止めることは、お姉ちゃんのすすめがあったんです。リストカットの癖を心配してくれてのことだと思います」

 自然に、眼が彼女の手首にいった。

 なるほど、気温に反比例して長袖を着ている理由がわかった。

「わたしも、南波さんも、悪いことはしていません」

「この二人なんだけどね、その後……キミたちに自殺を止められた翌日に、死んでるんだ……」

 その発言で、彼女の表情に動揺が広がった。

「そうですか……」

 無念そうに、声を出した。

 自殺を止めることに、虚しさを感じたのかもしれない。

 だが、これから言おうとしていることは、もっとショッキングな内容だ。

「警察では、自殺と断定した。でもね……ぼくは、殺人だと思ってる」

「え?」

「二人は殺されたんだ」

「南波さんが……殺した?」

 北川雪耶が、慎重に……そして、恐る恐るその言葉を口にした。

「証拠はあるんですか!?」

「困ったね、それを言われると……。証拠はないよ」

 それを聞くと、彼女の顔が、わずかゆるんだような気がした。

「でも、手掛かりならある」

「どんな手掛かりですか?」

「GOD BLESS YOU──」

「それ、昨日も言ってましたよね?」

「二件の現場に残されていた文字だ」

「それが南波さんと、どういう関係があるんですか? 南波さんが書いたとでも?」

「その可能性が高い」

 そう前置きを述べると、片瀬は、北川雪耶の横に座る大槻教諭のことを見た。

「失礼ですけど、昨夜の……大槻さんが自殺しようとしていた一部始終を見させていただきました」

 大槻教諭は、わかっていたのか、少しバツが悪そうに微笑んだだけだった。驚いたのは、村田教諭のほうだ。

「せ、先生!」

「もう大丈夫なんですよ、村田先生。南波さんに救われました」

 その瞳は、たしかに立ち直っていた。

 片瀬にも、それがよく理解できた。

「わたしも、最初は誤解してました。とてもあやしげだったので、まったく信用していませんでした。でも、あの人の言葉は……乱暴で、言ってることはメチャクチャでしたけど……それ以上ないくらいに、真剣でした」

 最大の賛辞のように、片瀬には聞こえた。

 説得された大槻教諭自身から出た感想なのだから、南波が自殺を止めようとしている信念は本物だ。

 だが、だからこそ殺人犯でありうる確率も上がってしまうのだ。

「あのとき、彼が言ったセリフからは、どこか宗教的な匂いがしました」

 いまから語ろうとしていることを、大槻たちは、ただ見守るしかないようだった。

 しかし、次の言葉を続けた瞬間に、三人の顔色が変わった。

「結城廉太郎という名を知っていますか?」

「片瀬さん!」

 村田から、鋭い声が飛んだ。

「ゆう、き、れんたろう……!」

 北川雪耶の、眼の色がちがっていた。

 美しき少女の面影はなかった。

 憎悪。

 果てしない暗黒。

「北川さん……」

 大槻教諭の呼びかけも、北川雪耶の心には届かないようだ。

 片瀬のなかで、あることがつながった。

 以前、村田が話していた内容だ。

 北川雪耶の過去──。

 生い立ちに問題がある。でも、それについては言うことができない。たとえ警察関係者にも……。

 結城廉太郎が、元凶……か。

「ユウキレンタロウが……どうしたっていうんですか!?」

「あ、いや……どこか似ているというか……ごめん、ヘンなことを言ってしまった」

 雪耶の眼光に、圧倒的な迫力を感じた。

 交番勤務のときに遭遇した、ヤクザ同士の喧嘩よりも恐ろしかった。

「結城廉太郎は、自殺を止めるために殺人を繰り返していた……南波も、その影響をうけているんじゃないかと……」

 肉親なのでは、という推理についてふれることは、危険と判断した。

「バカ言わないで! あの男は、ただの殺人鬼よ!! 幸せだったわたしの家族を、冷酷に壊したのよ!?」

「片瀬さん、この話は、もう」

 村田に制されるまでもなく、片瀬も感じ取っていた。

「悪かった、いまのは忘れてくれ」

「わたしも……殺されかけた!」

 北川雪耶の興奮は、しかし、やまない。

「あのときの赤が……赤が!」

 なにかに、とり憑かれているようだった。

「銀色の光、真っ赤! 赤! 光!」

「北川、北川! しっかりしろ!」

 村田の必死の呼びかけで、雪耶の動きが止まった。いや、小刻みに震えている。

 恐怖によるものか?

 怒りによるものか?

 片瀬は、ある想像をして、凍りついた。

 もし自分の見立てどおり、南波が結城廉太郎の息子だとしたら──その事実を、彼女が知ったとしたら……。

 そして、ある懸念を抱いた。

 二人が出会ったのは、偶然だったのか?




        33. ?月?日


 そういうことか。

 あのとき自殺した有名人も、《赤いイルカ》が書き込んだ予告文を、自分のことだと錯覚してしまったのだ。

 導いた。

 うまい表現だ。はははは。

 わたしは笑った。だけど、やっぱり涙が流れる。

《赤いイルカ》は、わたしに北川先輩の携帯番号とパソコンのメールアドレスを教えてくれた。

 どうして知っているの? とは、訊かなかった。

 そんなことにこだわるのは、塵ほどの価値もない。

 お礼にわたしは、一冊の本をあげた。ずっとむかしから愛読している物語だ。《赤いイルカ》は、よろこんでくれた。やっぱりわたしも、イルカだったのだ。

 ならば、わたしも導けるだろうか。

 いいえ、もう導いたじゃない。

 先輩さえ邪魔しなければ、聖者を一人増やすことができたというのに。

 愚かな人。

 そうか、そうなのね。《赤いイルカ》は、わたしに、北川先輩も導け、と言いたかったのね。

 わたしは、計画を立てた。先輩を聖者にするため──。

 舞台は、そうね……わたしの学校でいいかしら。先輩も、よく知ってる場所だから。さしずめ、ヴェッツラーといったところね。

 わたしにレミングを見分ける能力があるのは、実証できた。

 ならば、さがしましょう。わたしの近辺で。

 一匹。山城。不安定な精神。まるで、わたし自身を見ているよう。バカな。わたしの精神は、とても安定している。笑いながら、わたしは涙を流した。

 成績の下降には原因があるはずね。山城の家庭をさぐってみた。母子家庭。彼は、母親の愛を求めてる。なのに再婚するみたい。不良を気取っていても、ママが恋しいなんて、子供ね。

 二匹。斉藤。柔道なんてやってるけど、女々しい性格なのは、すぐにわかった。その心のよりどころのはずの柔道も、やめたがってるらしい。

 斉藤のことも、詳しく調べた。かわいそうなヤツ。小学生に喧嘩で負けたようだ。

 情けない。情けないから、死にたいのか。

 三匹。菊地。彼の家庭環境は、うらやましいぐらい恵まれてる。やさしい母。思いやりがある理想の母親だ。父親は普通だが、そのかわり稼ぎが多い。じゃあ、なぜ?

 わたしは、菊地の行動を注目した。そしてわかった。菊地の視線のさきには、いつも男の子がいた。その瞳は、乙女が好きな男子をみつめるように、うるんでいた。こいつは、男しか愛せない。はははは。

 四匹。大槻。勇ましい教師の化けの皮は、もう剥がれている。わたしは見てしまった。先生が階段でつまずいたとき、襟元から背中が見えた。紫がかった痣らしきもの。

 先生の家をつきとめた。男と住んでいるようね。意外。

 すぐにわかった。だれにだってね。あの男からの暴力だ。クズ。本当に、ああいう男っているのね。いい勉強になった。

 全員が、同じ委員会。もちろん、わたしも。

 そして、かつて先輩もそうだった。先生以外の三匹とは、すれちがいで卒業しているから、面識はないはずだけど。

 おもしろいじゃない。これで、役者がそろった。

 舞台と役者の次は、脚本ね。

 それなら、もうできている。

 まずわたしは、四人にメールを送った。

 パソコンのメールアドレスを調べる方法?

 そんなものないわ。

 かんたんよ。直接聞けばいいじゃない。知り合いなんだから。仲がよくなくても、女子から教えてと頼まれれば、たいがいは教えてくれるものよ。携帯とちがって、パソコンのメアドなら、警戒度は低い。女に興味がない菊地にしても、むげに断るわけにはいかないわ。だって、そっちの人間だってバレてしまうでしょう。

 先生の場合は、悩みを相談したいんですけど、と言ったわ。うまく話せないので、メールで相談したいって。この先生は厳格な教師を目指しているから、そう迫れば、教えないはずがない。

 送ったメールの文面は、こうよ。


 ヴィルヘルム様

 ヴェッツラーは昨日をさがして。


 どういう意味か、わからないでしょうね。

 それでいいの。

 でも、四人の深層には作用する。

 なぜだか、わかる。

 きっと、わたしがアルベルトの娘だから。

 わたしも『天才』なのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ