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囁き  作者: てんの翔
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 卑怯な母だと思った。

 あれは、もう一〇年以上も前になるのか。

 父──結城廉太郎が逮捕されて、まもなくのことだった。

 九人の被害者の遺族に、いわば「お詫び行脚」をしてまわった。もちろん、怒号や憎悪の声が、嵐のように降りかかった。

 母は、二人の子供たちをつれていった。

 一人だけでは耐えられなかったのだろう。

 気の弱い母だったから、非難はできなかった。

 当時、中学生だった自分と、高校生だった姉も、深々と頭をさげた。

 そんなことで、許されるわけがない。

 人を殺害するということが、どれほど重い罪なのか、そのときに思い知らされた。

 自分だけでも、その場から逃げ出したかった。

 できない。

 母と姉は、女性。子供ながらに、責任を取るのは男の仕事だという自負のようなものをもっていたのかもしれない。

 あの子は、大勢いた遺族のうちの一人だった。

 まだ、五歳か六歳の女の子だった。

 彼女に、すごい勢いで着ていた制服を引っ張られた。本当は、胸ぐらをつかみたかったのかもしれない。

 さきほどと同じように……。

 背伸びをして、やっと鳩尾あたりだった身長も、時の流れが変えていた。

 あのときの女の子と、成長した彼女の姿が重なった。


 一〇人の被害者。

 二六人の遺族。

 すべてを救え──。


《ヤツ》の言うとおりだった。

 会ったことがある。

 彼女の正体。

 それは衝撃をおぼえると同時に、歓喜の念も、もたらしていた。

 やっと……。

 やっとめぐり会えた。この仕事をしていれば、いつか必ず運命が交差すると信じていた。

 やっと──。


       * * *


 午後四時をまわった。

 雪耶とさやかは、頃合いを見計らって校内に侵入した。

 昨日とくらべると、マスコミの人間は、だいぶ減っていた。こういうところで、日本人の移り気のはやさが窺い知れる。

 今日になって、厚生労働大臣・冬真紀三郎の献金疑惑がとりざたされたのだ。世間の関心は、かなりそちらに奪われたようだ。

 それでも二人は、表門をさけた。さやかは欠席している。雪耶も堂々と入って、大槻美也子に出くわしたくはなかった。

 裏門にまわったが、しっかりと施錠がされていた。

 仕方なく、昨日同様、塀を乗り越えることにした。

 さやかの身ごなしも、見た目のイメージとはちがって、俊敏だった。高さを怖がる様子もなかったし、越えたあと息を切らすこともなかった。

 例の庭園にあるベンチまで行くと、さやかは「まっていてください」と言い、どこかへ消えていった。志乃という親友をつれてくるつもりだろう。

 雪耶は、ベンチに座った。

 ここへ至るまでに、ある懸念が脳裏を埋めていた。

 三人の自殺者……。

 同じ学校、学年の生徒というだけしか接点はないと考えられていた。

 さやかの話で、三人がつながった。

 同じ委員会活動をしていたという。その顧問をつとめているのが大槻美也子だということが気にかかる。

《赤いイルカ》は、死んだ三人以外に、確実に存在する。それは、三人目の自殺者である菊地和彦に送られたメールからあきらかだ。

 赤いイルカが、菊地和彦を自殺に導いたのではないか?

 いや、彼だけではなく……三人とも!?

 この自殺騒動の元凶が、赤いイルカ──。

 だとすれば《赤いイルカ》とは、だれなのか?

 南波の話では、自殺を決意したものが、その名でネットに書き込みし、それを見た人間が、また《赤いイルカ》に感染していく。その連鎖だという。

 しかし、そうではない《赤いイルカ》が、この学校に、はびこっている。

 そのだれかとは、大槻美也子ではないのか?

 はっきりした根拠はないが、昨夜、あれほどまで南波の話に反発していたのは、そのためではないだろうか?

(飛躍しすぎか……)

 一〇分以上経っただろうか。さやかが戻ってくる気配はない。

 心の隅を、不安が駆け抜けた。

(まさか……)

 立ち上がっていた。

 早足で校舎に向かう。

 三年生の教室があるのは旧校舎のはずだが、無意識に新校舎をめざしていた。

 理由を、すぐに自覚した。

 旧校舎は三階建てだが、新校舎は四階建てになる。こういう発想は、属性をもっている者にしかできない。

 新校舎の入り口で、会いたくない人物と鉢合わせになった。

「北川さん!」

 大槻美也子だった。

「なにしているの!?」

「あ、いえ……」

 ごまかしてなかに入ろうとしたが、大槻に身体を寄せられ、阻まれた。

「いくら卒業生でも、警察に通報するわよ」

「どいてください」

 しかし、雪耶も引き下がらない。

「どこへ行くつもり!?」

「邪魔です!」

 押し退けようとして、大槻の腕に触った。

〈わたしを救って〉

「え!?」

 思わず突き放すようにして、距離をとった。

 なんだ、いまの声は!?

 いや、知っている。

 時折聞こえる、ヘンな囁きだ。

「先生……」

 雪耶は確信した。

 いまの囁きのせい?

 わからない。しかし……。

 なぜだか感じた。彼女も、因子をもっている。

 すべてがつながったような気がした。

「赤い……イルカ!?」

「なに言ってるの、北川さん!?」

「とぼけないで!」

 やはり、この女が一連の首謀者だ。

「自殺した三人は、先生が担当している美化委員に所属してたんですよね?」

「なんのこと?」

「答えてください!」

「そうだけど……それが、なんなの!?」

「彼らの接点は、あなたです」

 大槻美也子の存在が、三人を結ぶのだ。

 この女が、三人にメールを送った。

 ときには、当人たちになりかわり、予告するメールを。

 ときには、幇助する内容のメールを──。

「先生! あなたが三人を自殺に追い込んだんですね!?」

「ちょっと、人聞きの悪いことを言わないでちょうだい! わたしがなにをしたっていうの!?」

「メールを送りましたよね、三人に?」

「なんのこと!?」

 大槻の挙動一つ一つが、怪しげに見えてしまう。

 否定の言葉も信じられない。

「最初の一人──たしか山城君でしたよね? 彼には、もしかしたらメールではないのかもしれない。でも、あなたは彼が自殺するように仕向けたんだわ!」

「まってよ、言いがかりだわ!」

「そして、山城君になりすまして、二人目の斉藤君に予告メールを出す。次は、斉藤君が死に、斉藤君になりすまして、またあなたは菊地君にも予告メールを……菊地君には、ご丁寧に、硫化水素の作り方まで教えている」

「いい加減にして!」

「つまり、彼らを感染させたのよ!」

「あの南波とかいう男の影響をうけすぎよ! 眼を醒ましなさい」

「眼を醒ますのは、あなたのほうです!」

 そこで、さらなる悪意を想像した。

 四人目……。

 そうだ。三人で終わりと考えるのは、あまりにも楽観しすぎてはいないか!?

「四人目にも、送りましたね?」

 むしろ、冷静に訊いた。

「なんのことよ!?」

「二宮さんの親友……志乃さんという名前です」

「志乃?」

「彼女が、いま死のうとしています! あなたが仕組んだんでしょう!?」

「ちょっとまって! 志乃なんていう生徒は知らないわ!」

「そこをどいてください!」

 それでも行く手を阻んでいる大槻に、たとえようもない怒りを感じた。

「死にたいなら人を巻き込まずに、一人で死ねばいいでしょう!」

 自分でも気づかずに、拳を握っていた。

 かまえをとったところで、われに返った。

 姉ほどではないが、雪耶も空手の心得がある。中学までは週に一度、近くの道場で鍛えていた。茶帯までいった。

 すぐにかまえは解いたのだが、大槻が異常なほど、それに反応をおこしていた。

「い、いや……やめて!」

 顔を隠すように両手で覆い、しゃがみこんでしまった。

 なんと弱々しい。

 その姿からは『鉄の女』の片鱗は、微塵もない。教壇に立つときの凛々しさは、まるで消え失せていた。

 こういう姿勢の相手に攻撃を加えるとしたら──。

 もしやと思い、雪耶は、大槻の着ている服の襟元を広げ、なかを覗き込んだ。

「先生……!」

 やはり、わずかの隙間からでも、むごたらしい肌の変色が見て取れた。

 おそらく、背中一面に紫色の痣が点在しているのだろう。

「どうしたんですか……これ?」

 問いはしてみたが、そんなことは決まりきっている。恋愛経験のない雪耶でも、これが男からの暴力であることがわかる。

「ご、ごめんなさい、許して!」

 震える兎のように許しを請う姿が、雪耶の本来とるべき行動を抑制させた。

 茫然と、大槻を眺めていることしかできなかった。かける言葉もみつからない。

「ごめんよ、美也子」

 その場に侵入した声は、とても不自然だった。

 女の声。

「二宮、さん……」

「本当は愛してるんだよ。だから、またお小遣いが欲しいなぁ」

「わ、わかったわ……お金をあげるから、わたしのことを捨てないで!」

 成立するはずのない会話が、どういうわけか噛み合っている。

(な、なにこれ……!?)

 二宮さやかが、男の役をやっている。

 にもかかわらず、大槻は、まるで本物の恋人を相手にしているようではないか。

「借金も、おまえが払ってくれるよな?」

「ええ、ええ、わたしが肩代わりするわ!」

 まるで話が見えない。

 いま眼前で繰り広げられている光景は、なんだ!?

「くくく……」

 突然、さやかがくぐもった声をあげはじめた。

 それがなにをあらわすものか、最初、雪耶はわからなかった。

「くくく、はははははっ」

 笑っていた。

 こんな楽しそうに笑う場面ではないはずなのに……。

「バカな女! おまえは騙されてるんだよ」

 その声が、さやかの口から出たことに、戸惑いを通り越して、得体のわからぬ気持ち悪さをおぼえた。

 雪耶の知っている二宮さやかではない。

「騙されてる……?」

「そうだよ、おまえの男は、いまごろ別の女のヒモにでもなってるだろうよ!」

 さやかの言葉づかいだということが信じられない。

「そんな、そんな、そんな」

 大槻の様子も、異常だ。

 絶望。

 表情が、そう物語っていた。さやかのセリフを真に受けている。

「そんな!」

 すると、さやかが力なくしゃがみこんでいる大槻に近寄った。

 屈み込むと、大槻の耳元でなにかを囁いた。

 その瞬間、大槻の眼が見開いた。

「あ……」

 そして、フラつきながら立ち上がる。

 いまにも倒れてしまいそうに、儚い。

「そうね……そうね……」

 うわ言のように口ずさみ、歩きだした。

 何歩か進むうちに、しっかりした足取りに変わっていく。確固たる目的を思い出したのか、早足で駆けだした。

「大槻先生……」

 雪耶は、ただその姿を見ていることしかできなかった。

 校外に消えたところで、やっとさやかに視線を向けた。

「に、二宮、さん……?」

 さやかの唇は、引きつるように笑っていた。

「先輩、今度は邪魔しないでくださいね」

 なんのことを言っているのだろう。

「わたしにもあるんですよね。死にたがっている人を見分ける能力──」

「……どういうこと?」

「御茶ノ水駅で、すぐにわかりました。ああ、先輩もわたしと同じなんだなぁって」

 頭のなかが混乱していた。

 いまがどういう状況だったのか、理解するのが難しい。はたして彼女と悠長に会話をしていていいのだろうか。

「あのとき先輩は、自殺する人がわかったんですよね?」

 おそらく彼女は、偶然見たという、自殺を止めた場面のことを話しているのだろう。

「な、なんのことよ!?」

 たしかに挙動不審の人に声をかけ、それが自殺の予告を書き込んだ男性だった。

 そのことを言っているのだろうか?

「なんだ、自覚してないんだ。先輩は、自殺志願者を見分けられる力をもっているのよ。はっきりとね。なんとなく、とか勘違いしてるでしょ。ちがうわ。先輩には、楽になりたがってる人間を察知できる能力があるのよ」

 そこでさやかは一呼吸おくように、フ、と笑いを入れた。

「なんで余計なことするんだろう、て思いましたよ。このまま死なせてあげたほうが幸せなのにって」

 とても、イヤな予感がした。

「あれは、わたしが書き──」

「やめて!」

 雪耶は、たまらずに叫びをあげた。

 彼女はこれから、聞くにたえない告白をしようとしている。

 聞きたくはなかった。

(追いかけなきゃ……)

 そうだ、大槻美也子を追いかけなくては。

 二宮さやかから逃げ出すんじゃない。

 雪耶は、自分自身に強く言い聞かせた。

 大槻を救わなくてはならないからだ!


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