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23. 同日午後二時
適当な場所は、ここしか思いつかなかった。
昨日と同じハンバーガーショップを南波は選んだ。店内の人影は時刻のこともあってか、まばらだ。
「ところで、学校は?」
南波はイスに座るなり、そう切り出した。
テーブル上のトレイには、ドリンクだけがのっている。
「まだ授業中だろ?」
平日のこんな時間に、高校生がうろついているのはおかしい。
「早退しちゃった」
雪耶は、あっさりと答えた。
雪耶のトレイには、ハンバーガーとポテトとドリンクが置かれていた。
「さぼり?」
「人聞きの悪いこと言わないでください。ちょっと気分がすぐれなかったものですから」
わざと丁寧な口調を使うところが、女の子っぽい。
「嘘なら、もっと上手に」
「ホントは、南波さんに会いたくて」
「……嘘なら、もっと上手に」
雪耶の真っ直ぐな視線を、南波はたじろぐようにそらした。
「おじさんをからかうな」
南波は、問題のモバイルPCをソフトケースから取り出した。
電源を入れる。
「つく?」
見たところ、指紋認証装置がついているようだが、無事にウィンドウズが起動した。電力残量にも、まだ余裕があるようだ。
自分しか使うことがないような場合には、パスワード設定や、こういった個人を識別する装置がついていたとしても、立ち上げが面倒なので、機能を無効にしていることのほうが多い。一般の中学生なら、なおさらのことだ。
南波は、受信メールを調べはじめた。
「ねえ、携帯の番号教えてよ」
* * *
さらりと口にしたようでも、じつは雪耶のなかでは勇気を出した発言だった。
「悪い、携帯持ってないんだ」
メールを調べながら、南波が応じた。
テーブルの下で、雪耶の足が動いた。ドン、と鈍い音がした。
「断るなら、もっとうまく断れよな」
「本当だ」
多少、顔は歪めたものの、モバイルの液晶ディスプレイから南波の眼は離れなった。
「じゃあ、家の番号教えてよ」
「……」
南波は、無言で画面をみつめている。
「じゃあ、名刺ちょうだい! どこにも無いんだよね。昨日、わたし受け取ったっけ?」
「……」
それでも、沈黙は続いた。
「そんなに教えたくないわけ!?」
「見ろ」
差し出されたパソコンには、過去に着信したメールの文面が出力されていた。
『俺は死ぬよ。おまえとは、なんの接点もなかったが、別れだけ言っておく。生きていくことに塵ほどの魅力も感じなくなったんだ。では、さらば。赤いイルカより──』
「なに、これ……」
雪耶は、背筋が寒くなることを自覚した。
「赤いイルカ……!?」
「おそらく、これは二人目の生徒だろう。ということは、菊地和彦も、だれかにメールを送っている可能性がある」
「どういうこと?」
雪耶はモバイルを南波の正面に戻し、自らも南波のとなりの席に移動した。
「自殺するまえにメールを送り、メールを受けた相手が、次に自殺する──その繰り返しだ」
「そんなバカなこと……おかしいよ、それ。文章をよく見てよ、なんで親しくもない相手に、遺書のようなメールを送るの? 不自然じゃない?」
視線を、画面から南波の横顔に合わせて、そう言った。
「これは……」
眼を離したわずかな隙に、南波が、さらになにかをみつけたようだ。
「どうしたの?」
べつのメールを開いていた。
すぐあとに送られてきたもののようだ。
『ウェルテルには気をつけろ。愛するシャルロッテより──』
「ウェルテル……って、南波さんのこと?」
「わからない」
南波は、感情を押し殺したように答えた。
「だが……」
すぐに、次の言葉をさがしている。
雪耶は黙ってそれを待った。
「たぶん、オレのことだ」
その声は、なにかの決意のようだった。
「……シャルロッテって、だれ?」
「ウェルテルの片思い相手だ」
知ったかぶろうとも考えたが、雪耶は素直に首をかしげた。
「『若きウェルテルの悩み』を読んだことはある?」
「ない」
だから細かなストーリーまでは知らない。ウェルテルが最後に自殺をするという、ごくだれでも知っている知識しかなかった。小説なので、そんなことはありえないはずだが、ほかに登場人物がいるとも思っていなかった。
「シャルロッテという、婚約者がいる女性に恋をしたんだ」
叶わぬ愛に、自ら破滅の道を突き進むことになった……。
「なんだか、おかしな話」
説明をうけてから、雪耶は頭に浮かんだ思考を脚色せず声にのせた。
「これって、まえにもサイトに書き込まれてたよね?」
西新井駅と南砂町駅での予告のときだ。
「そのときは、シャルロッテなんて名乗ってなかったし……」
「そうだな。それにこれまでは《赤いイルカ》の予告にしろ、ウェルテルの存在を忠告する書き込みにしろ、すべて自殺サイトの掲示板でだった。個人にメールを送っているのは、はじめてだ」
そこで、南波の表情が変わった。
* * *
(いや……)
南波は、自ら言ったばかりのことを否定した。
いままでは、わからなかっただけだ。
個人に送信したメールでは、外部の者が知れるはずもない。
南波は、送信済みのメールを確認した。だが菊地和彦が、予告か遺書メールをだれかに送った形跡はなかった。
もう一度、受信メールを調べた。さらに不可解なメールを発見した。
『これが、硫化水素の作り方です。赤いイルカより──』
添付ファイルがついていた。開けると、画像つきで、それが解説されていた。あるトイレ用の洗剤と入浴剤の名も明記されている。必要な分量も書かれていた。
さらに注意書きとして、入浴剤の代用品についてもふれていた。硫化水素の広がりをうけて、メーカーが生産を終了してしまい、入手が困難になっているのだ。ホームセンターでも買える化学肥料のことが載っていた。
「この《赤いイルカ》は、だれなのよ!?」
着信日時を見ると、二人目の生徒と思われるメールが一五日──前々回の日曜日。硫化水素のメールが二二日──その一週間後、このまえの日曜に届いている。菊地和彦が自殺した二日前だ。
たしか二人目の斉藤という生徒は、予告メールを送ってきた翌日──一六日、先週の月曜には自殺しているはずだ。死んでから一週間後にメールが届くことはありえない。
つまり、自殺の予告メールと、硫化水素の情報を送ってきた人物は、別人ということになる。
「《赤いイルカ》が、二人いるってこと!?」
「もともと、一人の名じゃないんだ。いや、もともとは一人だったのかもしれないが、まえにも言ったとおり、自殺志願者が次々にその名前を継いでいる」
そう。感染しているのだ。
「ホントにそうかな?」
雪耶が疑問を投げかけた。
「すくなくても、菊地君に送られたこの二つのメールは、同一人物じゃないかな?」
「それはないだろ? 二通目を出したときには、もう死んでたんだ」
「だから最初のメールも、自殺した二人目の生徒じゃないのよ」
雪耶に言われて、ハッとさせられた。
「アドレス調べてよ」
南波は、送信者のメールアドレスを確認した。二つは、ちがうものだった。念のため、『シャルロッテ』のアドレスともくらべてみたが、やはりいずれも一致しない。
「でもだからって、別人とはかぎらない。わざとちがうパソコンから送信したのかもしれないし、フリーメールかもしれない」
同一人物にしろ、別人にしろ、おかしな方向に事態は進んでいるようだ。
自殺を幇助しようとしている人間が、確実に存在していることになる。
そのとき、場を崩すようなベルの音が鳴った。
雪耶の携帯だった。
「ちょっとごめん」
と言って、雪耶は電話に出た。
「あ、二宮さん? え? まだ授業じゃないの? うん、いいよ。あ、ちょうどいまね、そういう専門家の人といっしょなんだ。その人もつれてっていい? 大丈夫よ、信用できるから。じゃあ、あとでね」
「ん?」
「ね、これからいい?」
「どうした?」
「会ってほしい子がいるんだよね」
そう切り出して、雪耶は、二宮さやかという後輩と、その親友の話をしはじめた。ひと通り聞いてから、
「自殺の相談?」
「そうだよ、とにかく彼女を説得してよ」
「以前にも言ったとおり、オレは個人の悩みには関知しない。オレが止めるのは、群発自殺だけだ」
「そんな言い方しないでよ。あなたは、止める。必ず……ね」
「どうして、そう思う?」
「理由なんているの? そう思うことに」
「オレは、キミの考えているような立派な男じゃない。相談をしたけりゃ、ボランティアの人にでも頼んでくれ」
「お願いよ、会ってくれるだけでいい」
「オレの仕事じゃない」
「どうしても?」
「……」
「わたしの頼みでも!?」
「……」
南波は答えなかった。
刹那──。
「ほっておくの!?」
胸ぐらをつかまれた。
少女とは思えない迫力。
〈この光景を知っている〉
そうだ、知っている。
「救いを求めてる人がいるんだよ!? その人たちを、ほっておくの!?」
「……」
「ねえ、答えて!」
「本当に救ってもらいたいのは、キミ自身なんじゃないのか?」
「あなただって、同じでしょ!? 本当に救いたいのは、あなた自身──」
雪耶が自らの唇を、南波の唇に合わせた。
数秒。
「わたしは、救いを求めた人を見捨てない。あなたの……ことだって……」
雪耶は席を立った。
店を飛び出していく。
「わかった……」
雪耶の去った店内で、南波はつぶやいた。
ヤツに言われるまでもなく、南波にも覚えがあった。
〈ちがうぞ。俺様は、なにも言っていない〉
そんなことは、どうでもよかった。
思い出した。
まちがいなく、彼女の正体は──。