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囁き  作者: てんの翔
21/46

23

        23. 同日午後二時


 適当な場所は、ここしか思いつかなかった。

 昨日と同じハンバーガーショップを南波は選んだ。店内の人影は時刻のこともあってか、まばらだ。

「ところで、学校は?」

 南波はイスに座るなり、そう切り出した。

 テーブル上のトレイには、ドリンクだけがのっている。

「まだ授業中だろ?」

 平日のこんな時間に、高校生がうろついているのはおかしい。

「早退しちゃった」

 雪耶は、あっさりと答えた。

 雪耶のトレイには、ハンバーガーとポテトとドリンクが置かれていた。

「さぼり?」

「人聞きの悪いこと言わないでください。ちょっと気分がすぐれなかったものですから」

 わざと丁寧な口調を使うところが、女の子っぽい。

「嘘なら、もっと上手に」

「ホントは、南波さんに会いたくて」

「……嘘なら、もっと上手に」

 雪耶の真っ直ぐな視線を、南波はたじろぐようにそらした。

「おじさんをからかうな」

 南波は、問題のモバイルPCをソフトケースから取り出した。

 電源を入れる。

「つく?」

 見たところ、指紋認証装置がついているようだが、無事にウィンドウズが起動した。電力残量にも、まだ余裕があるようだ。

 自分しか使うことがないような場合には、パスワード設定や、こういった個人を識別する装置がついていたとしても、立ち上げが面倒なので、機能を無効にしていることのほうが多い。一般の中学生なら、なおさらのことだ。

 南波は、受信メールを調べはじめた。

「ねえ、携帯の番号教えてよ」


       * * *


 さらりと口にしたようでも、じつは雪耶のなかでは勇気を出した発言だった。

「悪い、携帯持ってないんだ」

 メールを調べながら、南波が応じた。

 テーブルの下で、雪耶の足が動いた。ドン、と鈍い音がした。

「断るなら、もっとうまく断れよな」

「本当だ」

 多少、顔は歪めたものの、モバイルの液晶ディスプレイから南波の眼は離れなった。

「じゃあ、家の番号教えてよ」

「……」

 南波は、無言で画面をみつめている。

「じゃあ、名刺ちょうだい! どこにも無いんだよね。昨日、わたし受け取ったっけ?」

「……」

 それでも、沈黙は続いた。

「そんなに教えたくないわけ!?」

「見ろ」

 差し出されたパソコンには、過去に着信したメールの文面が出力されていた。

『俺は死ぬよ。おまえとは、なんの接点もなかったが、別れだけ言っておく。生きていくことに塵ほどの魅力も感じなくなったんだ。では、さらば。赤いイルカより──』

「なに、これ……」

 雪耶は、背筋が寒くなることを自覚した。

「赤いイルカ……!?」

「おそらく、これは二人目の生徒だろう。ということは、菊地和彦も、だれかにメールを送っている可能性がある」

「どういうこと?」

 雪耶はモバイルを南波の正面に戻し、自らも南波のとなりの席に移動した。

「自殺するまえにメールを送り、メールを受けた相手が、次に自殺する──その繰り返しだ」

「そんなバカなこと……おかしいよ、それ。文章をよく見てよ、なんで親しくもない相手に、遺書のようなメールを送るの? 不自然じゃない?」

 視線を、画面から南波の横顔に合わせて、そう言った。

「これは……」

 眼を離したわずかな隙に、南波が、さらになにかをみつけたようだ。

「どうしたの?」

 べつのメールを開いていた。

 すぐあとに送られてきたもののようだ。

『ウェルテルには気をつけろ。愛するシャルロッテより──』

「ウェルテル……って、南波さんのこと?」

「わからない」

 南波は、感情を押し殺したように答えた。

「だが……」

 すぐに、次の言葉をさがしている。

 雪耶は黙ってそれを待った。

「たぶん、オレのことだ」

 その声は、なにかの決意のようだった。

「……シャルロッテって、だれ?」

「ウェルテルの片思い相手だ」

 知ったかぶろうとも考えたが、雪耶は素直に首をかしげた。

「『若きウェルテルの悩み』を読んだことはある?」

「ない」

 だから細かなストーリーまでは知らない。ウェルテルが最後に自殺をするという、ごくだれでも知っている知識しかなかった。小説なので、そんなことはありえないはずだが、ほかに登場人物がいるとも思っていなかった。

「シャルロッテという、婚約者がいる女性に恋をしたんだ」

 叶わぬ愛に、自ら破滅の道を突き進むことになった……。

「なんだか、おかしな話」

 説明をうけてから、雪耶は頭に浮かんだ思考を脚色せず声にのせた。

「これって、まえにもサイトに書き込まれてたよね?」

 西新井駅と南砂町駅での予告のときだ。

「そのときは、シャルロッテなんて名乗ってなかったし……」

「そうだな。それにこれまでは《赤いイルカ》の予告にしろ、ウェルテルの存在を忠告する書き込みにしろ、すべて自殺サイトの掲示板でだった。個人にメールを送っているのは、はじめてだ」

 そこで、南波の表情が変わった。


        * * *


(いや……)

 南波は、自ら言ったばかりのことを否定した。

 いままでは、わからなかっただけだ。

 個人に送信したメールでは、外部の者が知れるはずもない。

 南波は、送信済みのメールを確認した。だが菊地和彦が、予告か遺書メールをだれかに送った形跡はなかった。

 もう一度、受信メールを調べた。さらに不可解なメールを発見した。

『これが、硫化水素の作り方です。赤いイルカより──』

 添付ファイルがついていた。開けると、画像つきで、それが解説されていた。あるトイレ用の洗剤と入浴剤の名も明記されている。必要な分量も書かれていた。

 さらに注意書きとして、入浴剤の代用品についてもふれていた。硫化水素の広がりをうけて、メーカーが生産を終了してしまい、入手が困難になっているのだ。ホームセンターでも買える化学肥料のことが載っていた。

「この《赤いイルカ》は、だれなのよ!?」

 着信日時を見ると、二人目の生徒と思われるメールが一五日──前々回の日曜日。硫化水素のメールが二二日──その一週間後、このまえの日曜に届いている。菊地和彦が自殺した二日前だ。

 たしか二人目の斉藤という生徒は、予告メールを送ってきた翌日──一六日、先週の月曜には自殺しているはずだ。死んでから一週間後にメールが届くことはありえない。

 つまり、自殺の予告メールと、硫化水素の情報を送ってきた人物は、別人ということになる。

「《赤いイルカ》が、二人いるってこと!?」

「もともと、一人の名じゃないんだ。いや、もともとは一人だったのかもしれないが、まえにも言ったとおり、自殺志願者が次々にその名前を継いでいる」

 そう。感染しているのだ。

「ホントにそうかな?」

 雪耶が疑問を投げかけた。

「すくなくても、菊地君に送られたこの二つのメールは、同一人物じゃないかな?」

「それはないだろ? 二通目を出したときには、もう死んでたんだ」

「だから最初のメールも、自殺した二人目の生徒じゃないのよ」

 雪耶に言われて、ハッとさせられた。

「アドレス調べてよ」

 南波は、送信者のメールアドレスを確認した。二つは、ちがうものだった。念のため、『シャルロッテ』のアドレスともくらべてみたが、やはりいずれも一致しない。

「でもだからって、別人とはかぎらない。わざとちがうパソコンから送信したのかもしれないし、フリーメールかもしれない」

 同一人物にしろ、別人にしろ、おかしな方向に事態は進んでいるようだ。

 自殺を幇助しようとしている人間が、確実に存在していることになる。

 そのとき、場を崩すようなベルの音が鳴った。

 雪耶の携帯だった。

「ちょっとごめん」

 と言って、雪耶は電話に出た。

「あ、二宮さん? え? まだ授業じゃないの? うん、いいよ。あ、ちょうどいまね、そういう専門家の人といっしょなんだ。その人もつれてっていい? 大丈夫よ、信用できるから。じゃあ、あとでね」

「ん?」

「ね、これからいい?」

「どうした?」

「会ってほしい子がいるんだよね」

 そう切り出して、雪耶は、二宮さやかという後輩と、その親友の話をしはじめた。ひと通り聞いてから、

「自殺の相談?」

「そうだよ、とにかく彼女を説得してよ」

「以前にも言ったとおり、オレは個人の悩みには関知しない。オレが止めるのは、群発自殺だけだ」

「そんな言い方しないでよ。あなたは、止める。必ず……ね」

「どうして、そう思う?」

「理由なんているの? そう思うことに」

「オレは、キミの考えているような立派な男じゃない。相談をしたけりゃ、ボランティアの人にでも頼んでくれ」

「お願いよ、会ってくれるだけでいい」

「オレの仕事じゃない」

「どうしても?」

「……」

「わたしの頼みでも!?」

「……」

 南波は答えなかった。

 刹那──。

「ほっておくの!?」

 胸ぐらをつかまれた。

 少女とは思えない迫力。

〈この光景を知っている〉

 そうだ、知っている。

「救いを求めてる人がいるんだよ!? その人たちを、ほっておくの!?」

「……」

「ねえ、答えて!」

「本当に救ってもらいたいのは、キミ自身なんじゃないのか?」

「あなただって、同じでしょ!? 本当に救いたいのは、あなた自身──」

 雪耶が自らの唇を、南波の唇に合わせた。

 数秒。

「わたしは、救いを求めた人を見捨てない。あなたの……ことだって……」

 雪耶は席を立った。

 店を飛び出していく。

「わかった……」

 雪耶の去った店内で、南波はつぶやいた。

 ヤツに言われるまでもなく、南波にも覚えがあった。

〈ちがうぞ。俺様は、なにも言っていない〉

 そんなことは、どうでもよかった。

 思い出した。

 まちがいなく、彼女の正体は──。


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