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囁き  作者: てんの翔
20/46

22

        22. 同日午後一時半


 すぐに、菊地和彦の母親をたずねた。

 自殺当日に会っているから、身分証を提示する必要もなかった。部署と名前だけを伝えると、いま訪問してきたばかりの男のことを訊いてみた。

「息子の自殺のことで、いらしたんですよ。なんでも、自殺の拡大を防止するお仕事をしているとか」

「?」

 片瀬は首をかしげた。

 どこかのボランティア団体に所属しているのだろうか。自殺防止を目的としたNPO法人ならば、名称だけは耳にしたことがある。

「名前を言いましたか?」

「ええと……」

 母親が思い出そうとしていたのを、片瀬は次の言葉でさえぎった。

「名刺を受け取りませんでしたか?」

「ああ、ええ、受け取りました! どこに、しまったんでしたっけ……?」

 衣服のポケットなどをひと通りさぐってみたものの、みつからずに、玄関先から家のなかに姿を消した。

 すぐに母親は戻ってきたが、表情は冴えない。

「ごめんなさい、どこかにあると思うんですけど……」

「いえ、気にしないでください」

「みつかったら、連絡しましょうか?」

「お願いできますか?」

「はい。でも……あの方には、息子のパソコンをお貸ししましたので、返しにみられたときに、お名前や連絡先をたずねておきましょうか?」

「パソコンを持っていったのですか?」

「え、ええ。警察のほうに提出したのは、息子の部屋のパソコンなんですけど……」

「警察にも、ですか?」

「は、はい……」

 片瀬がその事実を知らなかったことを、母親は不思議がったようだ。自分は息子さんの捜査には関わっていないんですよ、と正直に伝えた。

「そうなんですか……」

 男には、携帯用のモバイルPCを渡したという。

「では、返しにきたらでいいので、ここへ連絡をお願いできますか?」

 片瀬は、携帯番号と氏名だけを印刷した紙を渡した。名刺のようなものだが、肩書は記されていない。本来、警視庁の名刺には、名前、階級、部署、電話番号、警視庁のホームページアドレスのほかに、ピーポくんマークがついていて、スローガンも書かれている。

 休暇中である以上、正式な名刺を配るわけにはいかないと判断してのことだった。

 母親は、しっかりとそれを受け取った。今度は無くさないようにしようという心づもりが感じ取れる。

 話を聞きおわり、礼を言って立ち去ろうとした片瀬を、母親は呼び止めた。

「あの……片瀬さん、先日はありがとうございました」

 最初、なんについての感謝なのかがわからなかった。

「は、はい?」

「わたしも取り乱していて、近所の方や警察の方にも迷惑をおかけしていたんですよね……あのときの刑事さんの言うとおりですわ……」

「そ、そんなことはありません。こちらこそ、ご遺族にたいする配慮が欠けていました」

 どうやら、あの日の所轄捜査員との言い争いを覚えていたようだ。

 部屋の外にいたから、気づいていないかもしれないと願ったのだが、やはり聞こえてしまっていたようだ。

「いいんですよ……。たしかに、息子を非難する言葉が聞こえたときはショックでした。でも、片瀬さんにかばってもらったことで、とても救われたような気がしました」

 片瀬にとっては、その言葉が救いだった。

 深々と一礼した。

 片瀬が頭を上げたところで、べつの話題を母親は切り出した。

「息子の捜査でないということは……あの方を調べているのですか?」

「ええ、まあ……」

 片瀬は、はっきり断言しなかった。

「……とても、澄んだ眼をしていました」

「え?」

「悪い方ではないと思いました。信用できると……。あの方なら、息子の死の真相を……みつけてくれるような気がして……」

 瞳をうるませてそう言った母親の顔が、とても印象に残った。



 なるほど、という思いがあった。

 なぜ『自殺』というものに、あの男が吸い寄せられていたのか。

 止めることが仕事だったからだ。

 もちろん、男が嘘を言っていない、ということが前提になる。

 が、もし嘘をつくつもりなら、もっとリアリティのある設定を用意するだろう。

 ということは、山本武司、伊藤康文の二名に接触したのは、彼らの自殺を止めるためだった──そういうことになる。

 では、どうやって二人が自殺しようとしていたことがわかったのか?

 自殺防止の団体に男が所属しているのならば、二人からのSOSを電話で直接受けたことは考えられる。

『×月×日の×時に××駅で自殺します』

 二人に死ぬ気がないのなら──止めてもらいたいのなら、そう宣言するかもしれない。

(ちがうな……)

 そんなことを相手が言ってくれば、どうにか説得しようとするだろう。

 説得できなかったのか、相手が聞き入れてくれない……。

 もしくは、こちらの声が届かない。

 住宅街の道を歩いていた片瀬は、思わず立ち止まっていた。

「そうか」

 インターネットでの予告だ。

 あの男は、自殺サイトなどに書き込まれていたものを眼にしたのだろう。

 警察にも、そういう書き込みがされているという通報が、ここ数年、とても増えているらしい。実際に捜査員が動いて、自殺者を保護したという事例も多い。調べてみる必要がありそうだ。

 しかし、その推理どおりだったとしたら、二名はたんなる自殺なのではないか、ということが濃厚になる。

(いや……なにかある)

 すべては、あの文字だ。

『GOD BLESS YOU』と、二つの現場に残されていたのは確かなのだ。

 鑑定したわけではないが、筆跡は同であろう。偶然に書かれたはずはない。あの文字を書いた可能性がもっとも高い人物は、やはりあの男だ。殺したのではなくとも、なんらかの事情は必ず知っている。その場に居合わせたのか、直後に現場を訪れたのか……。

 そうだった場合、なぜ通報しなかったのか、という疑問が出てくる。

 見立ては、まちがっていない。

 そう信じるしかなかった。

 あの男の身元がわかりさえすれば、状況は大きく変わると思うのだが……。

 菊地和彦の母親が、名刺を無くしていたのは誤算だった。あのまま、尾行を続けるのが正解だったかもしれない。

 名刺がみつかるか、せめてあの男の名前を思い出してくれればいいのだが……。

 いまは、もう一人の『女子高生』の素性を調べることにしよう。

 まずは、中学校に問い合わせてみるのが無難だろう。卒業生であれば、すぐにわかるはずだ。うまくいけば、あの男の情報もわかるかもしれない。

 雲をつかむようだったこの捜査にも、ようやく光明が差してきたようだ。


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