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22. 同日午後一時半
すぐに、菊地和彦の母親をたずねた。
自殺当日に会っているから、身分証を提示する必要もなかった。部署と名前だけを伝えると、いま訪問してきたばかりの男のことを訊いてみた。
「息子の自殺のことで、いらしたんですよ。なんでも、自殺の拡大を防止するお仕事をしているとか」
「?」
片瀬は首をかしげた。
どこかのボランティア団体に所属しているのだろうか。自殺防止を目的としたNPO法人ならば、名称だけは耳にしたことがある。
「名前を言いましたか?」
「ええと……」
母親が思い出そうとしていたのを、片瀬は次の言葉でさえぎった。
「名刺を受け取りませんでしたか?」
「ああ、ええ、受け取りました! どこに、しまったんでしたっけ……?」
衣服のポケットなどをひと通りさぐってみたものの、みつからずに、玄関先から家のなかに姿を消した。
すぐに母親は戻ってきたが、表情は冴えない。
「ごめんなさい、どこかにあると思うんですけど……」
「いえ、気にしないでください」
「みつかったら、連絡しましょうか?」
「お願いできますか?」
「はい。でも……あの方には、息子のパソコンをお貸ししましたので、返しにみられたときに、お名前や連絡先をたずねておきましょうか?」
「パソコンを持っていったのですか?」
「え、ええ。警察のほうに提出したのは、息子の部屋のパソコンなんですけど……」
「警察にも、ですか?」
「は、はい……」
片瀬がその事実を知らなかったことを、母親は不思議がったようだ。自分は息子さんの捜査には関わっていないんですよ、と正直に伝えた。
「そうなんですか……」
男には、携帯用のモバイルPCを渡したという。
「では、返しにきたらでいいので、ここへ連絡をお願いできますか?」
片瀬は、携帯番号と氏名だけを印刷した紙を渡した。名刺のようなものだが、肩書は記されていない。本来、警視庁の名刺には、名前、階級、部署、電話番号、警視庁のホームページアドレスのほかに、ピーポくんマークがついていて、スローガンも書かれている。
休暇中である以上、正式な名刺を配るわけにはいかないと判断してのことだった。
母親は、しっかりとそれを受け取った。今度は無くさないようにしようという心づもりが感じ取れる。
話を聞きおわり、礼を言って立ち去ろうとした片瀬を、母親は呼び止めた。
「あの……片瀬さん、先日はありがとうございました」
最初、なんについての感謝なのかがわからなかった。
「は、はい?」
「わたしも取り乱していて、近所の方や警察の方にも迷惑をおかけしていたんですよね……あのときの刑事さんの言うとおりですわ……」
「そ、そんなことはありません。こちらこそ、ご遺族にたいする配慮が欠けていました」
どうやら、あの日の所轄捜査員との言い争いを覚えていたようだ。
部屋の外にいたから、気づいていないかもしれないと願ったのだが、やはり聞こえてしまっていたようだ。
「いいんですよ……。たしかに、息子を非難する言葉が聞こえたときはショックでした。でも、片瀬さんにかばってもらったことで、とても救われたような気がしました」
片瀬にとっては、その言葉が救いだった。
深々と一礼した。
片瀬が頭を上げたところで、べつの話題を母親は切り出した。
「息子の捜査でないということは……あの方を調べているのですか?」
「ええ、まあ……」
片瀬は、はっきり断言しなかった。
「……とても、澄んだ眼をしていました」
「え?」
「悪い方ではないと思いました。信用できると……。あの方なら、息子の死の真相を……みつけてくれるような気がして……」
瞳をうるませてそう言った母親の顔が、とても印象に残った。
なるほど、という思いがあった。
なぜ『自殺』というものに、あの男が吸い寄せられていたのか。
止めることが仕事だったからだ。
もちろん、男が嘘を言っていない、ということが前提になる。
が、もし嘘をつくつもりなら、もっとリアリティのある設定を用意するだろう。
ということは、山本武司、伊藤康文の二名に接触したのは、彼らの自殺を止めるためだった──そういうことになる。
では、どうやって二人が自殺しようとしていたことがわかったのか?
自殺防止の団体に男が所属しているのならば、二人からのSOSを電話で直接受けたことは考えられる。
『×月×日の×時に××駅で自殺します』
二人に死ぬ気がないのなら──止めてもらいたいのなら、そう宣言するかもしれない。
(ちがうな……)
そんなことを相手が言ってくれば、どうにか説得しようとするだろう。
説得できなかったのか、相手が聞き入れてくれない……。
もしくは、こちらの声が届かない。
住宅街の道を歩いていた片瀬は、思わず立ち止まっていた。
「そうか」
インターネットでの予告だ。
あの男は、自殺サイトなどに書き込まれていたものを眼にしたのだろう。
警察にも、そういう書き込みがされているという通報が、ここ数年、とても増えているらしい。実際に捜査員が動いて、自殺者を保護したという事例も多い。調べてみる必要がありそうだ。
しかし、その推理どおりだったとしたら、二名はたんなる自殺なのではないか、ということが濃厚になる。
(いや……なにかある)
すべては、あの文字だ。
『GOD BLESS YOU』と、二つの現場に残されていたのは確かなのだ。
鑑定したわけではないが、筆跡は同であろう。偶然に書かれたはずはない。あの文字を書いた可能性がもっとも高い人物は、やはりあの男だ。殺したのではなくとも、なんらかの事情は必ず知っている。その場に居合わせたのか、直後に現場を訪れたのか……。
そうだった場合、なぜ通報しなかったのか、という疑問が出てくる。
見立ては、まちがっていない。
そう信じるしかなかった。
あの男の身元がわかりさえすれば、状況は大きく変わると思うのだが……。
菊地和彦の母親が、名刺を無くしていたのは誤算だった。あのまま、尾行を続けるのが正解だったかもしれない。
名刺がみつかるか、せめてあの男の名前を思い出してくれればいいのだが……。
いまは、もう一人の『女子高生』の素性を調べることにしよう。
まずは、中学校に問い合わせてみるのが無難だろう。卒業生であれば、すぐにわかるはずだ。うまくいけば、あの男の情報もわかるかもしれない。
雲をつかむようだったこの捜査にも、ようやく光明が差してきたようだ。