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囁き  作者: てんの翔
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20

        20. 六月二七日


 ある男が、日本の犯罪史を変えた。

 殺した人数、九。

 小平義雄の七人、大久保清の八人は超えている。しかしこれは、一般の殺人者としてみれば驚くべき数字だが、大量殺人者・連続殺人者としては、それほどのことではない。

 帝銀事件では一二人が毒殺さているし、勝田清孝は二二人を殺害している(立件できたのは八名のみ)。八つ墓村のモデルになった都井睦雄は、一晩で『三〇人殺し』をやってのけた。

 海外に眼を向ければ、二桁の殺人者もめずらしくはない。アンドレイ・チカチーロは、五二名。禹範坤ウ・ポムゴンは五七名。ヘンリー・リー・ルーカスに至っては、三〇〇人以上を殺したとされている。

 だが彼が、ある種の人々から尊敬の念を抱かれているのには、理由があった。

 殺人には動機がある。金品や強姦などの目的を達成するため、もしくは発覚を恐れるための殺人。怨恨。快楽殺人。最近は目立ちたいからというだけの理由で殺す場合もある。

 そして、道連れ殺人。肉親や想い人のときは、それを無理心中と呼び、あかの他人のときは、それを無差別通り魔殺人という。後者の場合、死刑が自殺に相当する。

 彼には、いずれの動機もあてはまらなかった。

 新しい動機が、彼のために創造された。

 彼に殺された被害者の側に、ある共通項が存在したのだ。

 自殺志願者。

 九人すべてが、自殺を考えていた。実行しようとしていた被害者もいる。そういう人たちを、彼は殺した。

 自殺幇助ではない。

 積極的に殺害した。

 志願者から依頼された嘱託殺人というわけでもない。あくまでも犯人自らの意志で殺害をおこなっている。

 しかも、天才的な『殺し』だった

 逮捕後の供述で、彼はこう語っている。


「自殺を阻む、唯一、確実な方法がこれだ」


 自殺を止めるために、彼は人を殺しつづけたというのだ。

 結城廉太郎。

 元死刑囚。七年前に刑は執行され、すでにこの世の者ではない。

 いまだこの世にとどまっているのは、彼の亡霊だけだった。一通の手紙に、それはとり憑いていた。

 彼は、ある者にそれを託した。

 自らの分身ともいえる存在だ。

 託された者は、一日に一度、必ずそれに眼を通している。

 見たくはない。

 憎しみ。

 結城廉太郎に対しての……実の父に対しての憎しみしか浮かばない。

 おのれの血を呪う。遺伝というものを否定したい。

 手紙が届けられたのは、死刑が執行されてから三ヵ月も経ってのことだった。

 まるで、一〇年前に出された手紙が、いまごろ届いたような不思議な印象があった。

 息子にとっては、父はもういないも同然の存在だったのだ。

 結城廉太郎が逮捕されたのが、一五歳のときだった。もっとも多感な年頃を、希代の殺人者の息子として育った。

 母親は、すぐに狂った。

 息子と娘を道連れに、心中をはかった。

 包丁で襲われたが、息子も姉も、死ぬことはなかった。心中に失敗した母は、一人だけで首をくくった。

 生き残った姉も、ビルの屋上から飛び降りた。一命は取り留めたが、左腕の自由を一生失った。その後も姉は自殺を繰り返し、何度目かで線路に飛び込み、両足を切断するまでに至った。

 自分はどうだろう。いまでは母の姓を名乗っている。

 南波──。

 高校、大学と数回、手首を切っている。

 わかっていた。手首を切ったぐらいでは、人は死なない。

 そうだ、典型的なリストカッターだ。

 姉や母とは、死ぬ覚悟がちがった。

 死ぬ気などなかった。

 それを自身で悟ったとき、夕介は死ぬことをあきらめた。

 逮捕から一年。異例のはやさで、裁判は終わった。極刑が確定。それから三年。やはり異例のはやさで死刑も執行された。

 手紙が届いたのは、一九歳。

 それも、もう過去の話だ。

 今年で二六になる。

 文面を見たとき、破り捨てたい衝動をどうにか抑えた。

 毎日、それが続いている。

 見なければいいのに、見てしまう。

 いや、見なければいけないのか……。

 手紙には、短い文章がしたためられていた。


『私が殺した一〇人の遺族が、二六人いる。二六人すべてを救え──』


 なにが救えだ、ふざけるな!

 怒りが込み上げてくる。爆発させるか!?

 いや、それでは、あの男と同じ犯罪者だ。

 こらえろ。

 こらえろ。

 だが、殺したのが一〇人だと!?

 ちがう。

 あの男が殺したのは九人のはずだ。おそらくあとの一人は、あの男の妻……つまりは、オレの母親だ。

 わかってるじゃないか。

 あの男は、母も殺したことになるのだ。

 ということは、遺族二六人のなかには、自分と姉もふくまれていることになる。

 自分自身も救えということか?

 どういうつもりだ!?

〈そう熱くなるな〉

 最初に手紙を読んだころの感情をよみがえらせた夕介の脳裏に、あの声が響いた。

 思い起こせば、この声が聞こえるようになったのは、この手紙が届いたころではなかったか。

「うるさい」

 夕介は、不機嫌に言った。おかげで、われに返った。

 自室だ。ワンルームにキッチンとシャワー室がついているだけの狭いアパート。

 小さな机の引き出しに、手紙をしまった。

 朝、手紙を見るまでは、なんの宿命も負っていない普通の人生を送っているのだと錯覚している。おもしろいテレビを観たら笑ってもいいし、明るい未来を思い描いてもいい。

 手紙を開いた瞬間に、それはまちがった夢物語だと思い知らされる。

 笑うことは許されない。

 未来を夢見ることも許されない。

 そんな人生を送っているのだと──。

 死刑囚の息子なのだから。

〈一晩考えたんだが、あの女、やはりどこかで会ったことがある〉

 たしか南砂町駅でも、そんなことを言っていた。昨日、ハンガーバーショップでも、そんな囁き声を聞いたような気がする。

「またそれか」

 家で《ヤツ》と話をするときは、普通に声を出して会話する。

「まえにも言ってたが、女子高生との接点はどこにもない」

〈そのときに、女子高生だったとはかぎらんだろう〉

 もっともなことを言われた。

 ヤツを好きになれない理由が、こういうところだ。ヤツに冷静な指摘をされると、自分が異常者なのではないかと心配になる。

「ずっと以前に会っているということか?」

〈まあ、気にするな。俺様の思い過ごしかもしれん〉

「そういえば、名前を知ってたな?」

〈なんのことだ?〉

「オレに教えてくれただろ? 『雪耶』という名を」

〈俺様は知らん。教えた覚えなどない〉

「嘘をつくな」

〈嘘などついて、なんの得がある〉

 そのとおりだ。

 では、ヤツでないのなら、だれが教えたというのだろう。ヤツ以外の人格までも、この脳のなかに潜んでいるというのか。

〈それにしても、昨日はあんなことで怒りやがって〉

 自分から言いだしておいて、もう興味は無くなったのか、ヤツが話題を変えた。

「黙れ、おまえが下品なことを平気で口にするからだ」

 問題の女子高生──北川雪耶との帰り道。

 彼女とみつめあっているときに、こいつは「このまま抱いてしまえ」と囁いたのだ。

〈俺様は、おまえだ。俺様の考えは、おまえの考えでもある。何度も言わせるな。おまえが抱きたいと思ったのだろう〉

「思わないね」

〈本能を否定するな〉

「それが人間というものだろう」

〈ちがうぞ。偽善者というのだ、そういうのは〉

「いつから哲学にめざめた?」

 夕介には、一つの懸念があった。

《ヤツ》の正体は、あいつなのではないか、と。

 西新井駅で足を踏み外そうとしたとき覚えがあると感じたのは、あの男の、死刑執行の記憶ではないのか。

〈それはちがう。俺様は、おまえだよ〉

「心を読むな」

〈心のなかにいるのだ。いや、俺様は、おまえの心の一部なのだ〉

「ちがう。おまえは侵入者だ。外部から入ってきた他人だ」

〈そう信じたければ、信じろ。だが、真実がいつも常識どおりだとは思わないことだ〉

 冷たい声が、心の内部に溶け込んだ。



 身支度を整えると、朝食をとらずに家を出た。

 最寄り駅まで、徒歩で一〇分近く歩く。さらに電車で二〇分ほどいくと、仕事場のある駅につく。

 厚生労働省の関連組織だが、霞が関や虎ノ門のようなそれらしい場所ではなかった。

 秋葉原──。地下鉄日比谷線の出入口から、電気街とは逆に向かう。国道四号線を渡ったさきの雑居ビルにオフィスがあった。

 一階は不動産屋、二階には怪しげな探偵事務所が入っている。探偵事務所の看板には『声を探します』と書かれてあった。盲目の探偵が経営しているらしい。

 南波の勤める『自殺防疫研究所』(仮)は三階にある。

 独立行政法人という肩書は、世間では天下りの温床、獲得した予算のプール先、という認識しかもたれていないだろう。だが、ここは事情が少し異なる。

 安っぽい階段を上がると、オフィスのドアを南波は開けた。

 すでに一〇時半を過ぎていた。

「おっはよう」

 緊張感のかけらもない声がかかった。

 狭い室内。一人の女性が席について、化粧を直していた。歳のころ、三〇代前半といったところだろうか。実年齢は、いまだに謎。若作りをしているが、南波よりも上なのはまちがいないはずだ。

「所長は?」

 入るなり、南波は化粧を直している女性に問いかけた。

「さあ、どこを徘徊してるんだか」

 冗談に聞こえるが、所長のあずまを知っていれば本気では笑えない。

 たしか、今年で八五歳になるはずだ。

「それよりも、南波ちゃん。あたし考えてみたんだけど」

 なにを? と聞く必要はなかった。

「『シュイサイド・ウォール』ってのはどうよ?」

 正式名称の決まっていない、ここの名だ。

「自殺の壁……ですか?」

「障害よ、障害」

 名案とばかりに、女性はまくしたてる。

 名は、西崎涼香という。三十路(予測)にしては、まだ若々しく、文句なしに美人でとおる。メイクと衣装で無理をすれば、一〇代でも通用するかもしれない。

「自殺の障害って意味よ。ね、ピッタリでしょ? どうよ、南波ちゃん」

 そんなに誇らしげな顔をされても、南波には、はぐらかすような愛想笑いを浮かべることしかできなかった。

「もう、つれないわねえ」

 脈がないとみたのか、涼香は再び化粧直しに集中をはじめた。

 その姿に、南波はため息をついて、自分の席につく。

 ここのメンバーは、涼香と、もうお爺さんの所長と、南波の三人しかいない。所長は論外としても、涼香も戦力とはいえなかった。

 実質、ここの──自殺防疫研究所(仮)の所員は、南波一人だけなのだ。

 ここが使える予算は、年間二千万。運営していくだけで精一杯の経済状況だ。三人でもギリギリなのだ。

 その精鋭のはずのメンバーといえば──。

 所長の東は、ただの看板。旧文部省の事務次官をつとめたほどの大物だが、それもいまでは遠い遠い過去の話だ。何件目の天下り先かは知らないが、おそらくここが墓場となるだろう。

 涼香は涼香で、仕事らしいことはなにもしない。いや、ある意味重要な任務をおっているのかもしれない。

 監視。

 化粧を直している、とぼけた仕種の奥に、恐ろしいものを隠し持っているはずだ。

 南波は知っている。涼香の左わきには、拳銃が吊ってある。

 いつでも自分を撃ち殺せるように──。

 それは、南波の妄想だろうか。ちがう。南波が殺人者としての本性を出さないように見張っているのだ。

 天才殺人者、結城廉太郎の遺伝子を継いでいる……ただそれだけの理由で。

「どうしたの、南波ちゃん?」

「……なんでもありませんよ」

 南波の内心をどこまで察しているのだろうか、涼香はなおも化粧直しに余念がない。

 いずれ、その武器を確認すべきときがくるだろう。

 はたしてこの女性が、自分と父の断罪者となるのか。それとも、救ってくれる菩薩となるのか。

 ただの妄想であってほしいと、南波は素直にそう思っている。


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