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18. 同日夜
学校をあとにした二人は、並んで夜道を歩いていた。
時刻は七時半を回ろうとしていた。
夕陽の明るさは、すべて眠りについたようだ。ここからは、闇と街灯の火が活動を開始する。
「でね、その柏木ってヤツがね──」
雪耶は、これまでの人生では考えられないぐらいに、おしゃべりになっていた。
とにかく、南波に話しかけた。
南波からは、とくにリアクションはなかったが、それでもかまわなかった。
そう、とか、ああ、しか返ってこない。
それだけの反応で充分だった。
これまでのいろいろなことを知ってもらいたかった。
「北川さん」
それまで一方的だった会話を、南波はしばらく歩いてからさえぎった。
「え?」
「さっきは、ああ言ったけど……できればキミは、これ以上、自殺にかかわらないほうがいい」
その言葉で、途端に雪耶は不機嫌な顔つきになる。
「なにそれ」
「今日のことは感謝してる」
「……」
「だけど、人の生死にかかわるには、キミはまだ若すぎる」
「子供あつかいしないで!」
雪耶は足を止めて、声を荒らげた。
南波も、歩くのをやめた。
「キミが自殺を止めるのは、ただの自己満足だ。うまく自殺を思いとどまらせたとしても、はたしてそれが正解なのか? その人にとっては、死なせてあげたほうが幸せなことだってあるんじゃないのか?」
「なに言って……」
それを南波の口から聞いたのが、とても意外でショックだった。
「自分だって止めてるじゃない!」
「オレが止めるのは感染だ。自殺じゃない」
「結局は、同じことでしょ!?」
しばらく二人は睨み合ったが、南波のほうから折れた。
「悪かった……今日のことは、本当に感謝してる」
「あなたの邪魔をするつもりはない……でも、わたしはやめない」
その決意の意味合いが、それまでとは変わっていたことに、雪耶本人も気づきはじめていた。
『百人を助けるまで、わたしは死ねない』
そのはずだった。
自分が死なないために……。
そして同時に、自分が死ぬための条件でもあった。
しかし、いまの素直な気持ちは、あきらかだ。
この男との接点を消したくはない……。
「わかった。だが、これだけは覚えていてほしい。この世には、どんなことをしても救えない人間だっている」
「覚えておく……」
雪耶は、南波をみつめた。
南波のほうから、瞳をそらした。
「家は、まだ遠いの?」
「ううん、もうすぐそこ」
「ごめん、オレはここで失礼するよ」
南波はそう言うと、まるで逃げるように雪耶のもとを去っていった。
「あ……」
雪耶が声をかけそこなうぐらいに。
「嫌われたかなぁ……」
* * *
夜九時前に、警視庁の独身寮に戻ったのは、久しぶりのことだった。
ワンルームだけの狭い部屋。それにトイレとシャワーがついている。ほかの寮では、いまだに相部屋で、トイレも風呂も共同というところがあるらしい。そこにくらべれば、個人だけのスペースがあるだけでも、天国のような居心地だ。
ここ数日は、なにも進展はなかった。あの男の足取りは、あれ以来つかめない。
素性どころではなかった。
気がつけば、あと一日しか残っていない。
あきらめムードが、部屋全体を包んでいるような錯覚さえ感じてしまう。
片瀬はウーロン茶の缶を開け、ゴクリと音をたてて飲み干した。普通の刑事なら、こういうときはビールなのだろうが、恥ずかしながら片瀬の胃は、アルコールとは相性が悪いらしかった。
酒もタバコもやらないから、緒方などからは「好青年」と、よく揶揄される。
「ふう……」
昼は暑かったが、夜は比較的、涼しいと感じるまでに気温は落ち着いていた。今年の六月は、梅雨とは縁遠い。夜の清涼さも、どこか真夏を感じさせる。
いつもの習慣で、片瀬はテレビのスイッチを入れた。
ニュースをやっていた。
『速報です。現在、埼京線が人身事故のために運転を見合わせているようです──』
画面を観るよりも、肝心なことを思い出した。片瀬は、持ち帰った紙袋から中身を取り出した。
『線路に架かる歩道橋から飛び降りたと──』
最近、撮影する機会が増えたから、思い切ってデジタルカメラを新調した。というよりも、行き詰まったストレスを、買い物で解消したかっただけなのかもしれない。
『ここ数ヶ月、駅構内から線路に飛び込む自殺が相次ぎましたが、歩道橋から飛び降りるという──』
携帯のカメラ機能やデジタルカメラは、これまで証拠能力がないとされ、捜査の場では使用されてこなかった。それがようやく警察組織は重い腰を上げ、二〇一〇年ごろから、改竄や編集ができないライトワンスメモリーカードという書き切り型媒体を利用できる機種でのみ運用を開始した。
が、そういう機種は数年経った現在でも、まだ一般的ではない。片瀬が購入したものも、通常タイプのデジタルカメラだった。
どうせ買うなら、フィルムカメラが無難なのかもしれないが、本格的なものはあつかえない。とはいっても、使い捨てや安価のものでは格好がつかない。いまの時点で、証拠うんぬんは重要ではないし、鑑識でもないのだから、ここがいい落としどころだろう。
『次のニュースです。都内の中学校の生徒が、立て続けに三人も自殺──』
片瀬は、箱から出したばかりのデジタルカメラから、テレビ画面に視線を移した。
その三人目の自殺現場に、片瀬も立ち会っている。
同じ学校の生徒の自殺が三件も続くのは、どう考えても異常なことだが、だからといって、自殺に不審なところはみられなかった。すくなくとも、三件目に関しては、一〇〇%の自殺だ。
学校内で、イジメ問題があったとみるのが妥当だろう。
どうせ、学校側や教育委員会は、その事実を否定するはずだ。それでは、なんの解決にもならないだろうに。
『学校は、イジメがあったのでは、という報道を完全に否定──』
(ほらみろ)
ニュース原稿を読むアナウンサーのことを、勝ち誇ったように睨んだ。
『三件のうち、二件に遺書がありましたが、そこにもイジメなどの問題は書かれていないよう──』
(それは隠蔽だ)
当然のごとく、心のなかでつぶやいた。
三件目の現場で遺書が発見されたことは、片瀬も知っている。しかし中身の確認は、所轄の捜査員しかおこなっていない。捜査一課としての正式な出動でない以上、遠慮せざるをえなかった。
それに、自殺の原因には興味がない。不審なところがないか現場を調べるのが、いまの片瀬のテーマなのだ。
『はい……たしかに、うちの子は器用なほうではなかったので、多少、イジメのようなこともあったのでしょうが……』
どうやら、肉親がインタビューに応じているようだ。三件目の菊地和彦の母親だ。モザイクはかかっているが、実際に会っているからまちがいはない。
母親は、涙ながらに語っていた。
「やっぱり嘘だ」
思わず、声に出していた。
最近、こういう独り言が多くなった。
歳なのか?
『でも……遺書には、そのことは書かれていませんでした……ただ、わたしたちへの感謝と別れだけが……』
そこで、母親は言葉をつまらせた。
『わ、わたしたちも……息子が死を選んだ原因を知りたくて……』
「だから、イジメだって……」
そう言ってはみたものの、マスコミが大騒ぎするのも納得できるほどに、ミステリアスな事件なのはたしかだ。
この母親と同じかもしれない。
自分をふくめて、いま報道を観ている人間の心境は──。
『三人? べつに、友達同士じゃなかったけど……』
場面が切り替わっていた。
放課後、帰宅していく生徒たちにマイクを向けている。無言で通り過ぎていく生徒たちのなかで、数人が応えてくれたようだ。
プライバシーを厳重に配慮してか、顔だけでなく、身体全体にまでモザイクがかけられていた。音声も変えられているので、人物の特定はできなくなっている。
「ん!?」
《万眼》は見逃さなかった。
鼓動が、激烈にはやくなった。
インタビューをうけていた生徒の遙か後方──遠巻きに眺めている野次馬のなかに、あの男がいた。野次馬にまでは、モザイクはかけられていない。
当然、ズームは合っていないが、それでも片瀬には見えた。
そのとき、インタビューしている横を、一人の女生徒が通りすぎていった。モザイクに塗りつぶされていても、性別だけはわかる。彼女に注視していると、おもしろい動きをしたではないか。
慌てて駆けだしたのだ。
カメラに逃げ出したわけではなさそうだった。まるで、あの男を追い詰めるかのように近寄っていったような……。
画像は、そこでCMにかわってしまった。
片瀬には、あの男に近づいた女生徒と、西新井駅、南砂町駅で目撃された少女が重なった。
考えすぎか?
だいたい、どちらの駅の証言でも、『女子高生』と表現されていた。いまのニュース映像から解釈すると、中学校から生徒が帰宅していく風景にしか見えなかった。
そうか。
最近の中学生は大人びている。中学生を高校生と勘違いすることだってあるだろう。
どちらにしろ、謎は深まった。
三人が自殺した中学校に、あの男が姿を現した。もしかしたら、その学校に『女子高生』も通っている──。
どうやら、あの男と女子高生は「自殺」というワードに吸い寄せられる習性があるようだ。ならば、自殺した三人のまわりに集まってくるかもしれない。現場を知っている三件目の菊地和彦の家をはることにしよう。
明日の方針が決まった。
あと一日だけだが、どうにかなるかもしれない。いまは、そのわずかな希望を信じるしかなかった。
19. ?月?日
アルベルトの話をしましょうか?
わたしを縛る者。わたしの人生につきまとう邪魔な存在。
良くいえば、ペテン師。
悪くいえば、詐欺師。
アルベルトの手口は、こう。
身近な人間は騙さない。
稼ぎすぎない。
質素な生活を心がける。
確固たる仲間をつくる。
アルベルトは、わたしが正体を知っていることに気づいていないよう。とっくに、バレてるのに……。
親友の家族が、アルベルトの被害に遭っていたの。
身近では仕事をしないはずだから、本来ならわたしの親友が被害をうけることなんてないはずだった。でも、悪いことはできないわね。偶然としかいいようがない。
親友の家族は、よその土地から引っ越してきたの。
もとの土地では、ささやかな商売をしていたそうよ。印刷業だったかな?
あるきっかけで、アルベルトの仕事を引き受けることになってしまったそうなの。結果、親友の会社は、アルベルトの仲間だと勘違いされてしまった。
地元では、商売どころではなくなってしまったそうよ。借金がかさみ、もうどうすることもできなくなってしまった。
それで、ここに逃げてきたの。
そして、わたしと親友は、めぐり会った。
アルベルトの悪事を知るのに、それほど時間はかからなかった。
わたしは、罪の意識を感じた。
アルベルトの稼いだお金で、なに不自由なく育ったというのに。
アルベルトは、なにも感じない。だからペテン師なの。
わたしは、感じる。だからペテン師じゃないの。
親友を……いいえ、それだけじゃない。それ以外の多くの人たちを苦しめた悪事の結晶で、わたしは人生を謳歌してきた。搾取した財で、わたしは幸せを満喫していた。
そんなことが、許されるわけはない。
そうよ。だから、親友と死を選ぶことにしたの。
でも、死んだのは彼女だけ。
どう思う、ウェルテル? わたしを、不幸だと思うでしょ?
わたしのことを奪いにきなさい。
アルベルトから、わたしを引き離して。
お願い。