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17. 同日午後六時
正門前には、もう報道陣は見当たらなかった。
出てくる生徒もいないようだ。
雪耶は南波をつれて、堂々と正面から入っていった。門は閉められていたが、まだ鍵はかかっていなかった。暮れかけた夕陽のあたる校庭を抜けて、職員室のある旧校舎へ向かう。
玄関で来客用のスリッパに履き替えると、二人は階段をのぼった。職員室は二階になる。校内の様子は、雪耶のいたころと変わっていないようだ。
すれちがう者もなく、二人は職員室までたどりついた。
扉が開いていたので、雪耶は室内を覗いてみた。ほぼすべての机に先生たちが座っていた。会議のようなことをやっているようだ。私立なので転勤もないから、ほとんどの教員があのころのままだ。
雪耶は顔を引っ込めた。
「どうする? いっぱいいるけど……」
その問いは、学年主任の村田だけを呼び出したほうがいいのかを確認したものだった。
「まだ正式な調査というわけじゃない。できれば、事を大きくしたくない」
南波の答えを聞くと、雪耶は再びコソコソと職員室内を覗き込んだ。すぐに村田をみつけることができた。都合よく、こちらのほうに顔を向けている。
どうにかして、こちらに気づいてもらわなければ……。一応、身振りで注意をひこうとしたが、べつの先生にみつかりそうで、すぐにやめた。
「終わるまで待とう」
耳元で南波が囁きかけた。
と、そのとき、偶然にも村田がこちらに視線を合わせたではないか。
「あ」
どうやら、気づいてくれたようだ。手招きで呼んでみた。
「お、北川? どうしたんだ?」
空気を読んでくれないところは、あいかわらずだった。
「北川さん!?」
ほかの先生たちにも気づかれてしまった。
「あなた、まだいたの!?」
責めるようなその声音は、鉄の女──大槻美也子だ。
「じ、じつは……」
チラッ、と南波のほうをうかがってみたが、とくに助けてくれそうな素振りはない。なんだよ、こいつ──と、頭のなかで悪態をついてみたが、状況が変わるわけでもなかった。
「北川さん、そちらの方は!?」
ほら、自分で名乗れ──という意味をこめて睨みをおくった。
しかしこの男、すぐには動かない。
「まさか、マスコミの人じゃないわよね!?」
大槻の発言で、職員室中が警戒の念に包まれてしまったようだ。
「お騒がせして、すみません」
意を決したのか、南波が室内に足を踏み入れた。
「私は、報道の人間ではありません。こういう者です」
近くにいた教師に、名刺を渡した。
「自殺防疫研究所……?」
渡された教師が、文面を読み上げた。
「まだ仮の名称ですが……」
「なんですか、それ?」
南波の補足はスルーされて、教師たちは口々に疑問を声に出す。
「聞いたことありませんが……」
「私の身分は、厚生労働省が保証してくれます。ご心配なら、問い合わせてみてください」
南波は冷静さを崩すことなく、そう言った。
* * *
だれも、すぐに問い合わせる様子はないようだった。
それも計算のうちだ。本当に問い合わせされると、少し困った事態に陥ってしまう。『自殺防疫研究所』のことを知っている厚労省職員は、ごくわずかなのだ。
「南波といいます。私の仕事は自殺の感染をくいとめることです」
「感染?」
「あ、ええと……自殺は感染するんです。インフルエンザやエボラ出血熱みたいに」
なぜか、彼女が説明をはじめてしまった。
「なに言ってるんだ、北川?」
一人の教師が、そんな彼女に横やりを入れた。たぶん、この人が二年生の学年主任なのだろう。
(『北川』……か)
そういえば、まだ彼女の名前を聞いていなかったことに、南波は思い至った。下の名は──。
〈雪耶〉
その囁きに、南波は軽い衝撃をうけた。
(どうしてわかる?)
しかし、《ヤツ》からの返答はない。
「いいえ、先生。自殺は感染します。情報というウイルスで、人から人にうつっていくんです」
南波の困惑をないことのように、雪耶という名前の少女──《ヤツ》の言葉を信じるとして──のしゃべりは止まらない。ついさきほどまで、彼女自身が学年主任と同じ「教えられる」立場だったのに、彼女は誇らしげに語っていた。
「じゃあなにか、うちでおきてる自殺も、伝染したから三件も続いたっていうのか?」
「そうで──うぐっ」
おそらく、そうです、と断言しようとしていたであろう口を、南波はふさいだ。
「その疑いがあります」
こういうデリケートな問題に、断言は避けるべきだろう。
教師たちは、おたがいの顔を見合って、南波の言葉を信じるに値することか、さぐりあっているようだった。
「わたし、聞いたことがあります。自殺が感染するっていう話……アメリカの疾病予防管理センターでも自殺対策がとられてるって」
中年の女教師が、おそるおそる手をあげながら、そう言った。
すると、それと呼応するかのように、何人かも同じような内容のことを口にしはじめる。
疾病予防管理センター(CDC)とは、日本でいうところの国立感染症研究所に匹敵するところだ。伝染病の専門機関──。
「二年生の学年主任は、あなたですね?」
「そうです、学年主任の村田です」
だいたい話ができそうな雰囲気になったところを見計らって、南波は切り出した。
村田は、五〇代はじめの温厚そうな教師だった。いい意味で、学年主任が適役だと感じてしまう雰囲気をもっている。
「最初の自殺者が出たとき、生徒たちには、どういう説明をしたのでしょうか?」
「は、はあ……事実を説明しましたが……」
会話の方向性が見えていないようで、とても歯切れが悪い。
「できれば、具体的にお願いします」
「具体的にとおっしゃられても……自殺があった事実です。死亡した生徒の名前、どのクラスだったのか……まあ、そんなことはわれわれから教えられなくても、みんな知ってましたけどね」
「ほかには?」
「あの、いったいあなたは、なにが言いたいのでしょう!?」
さきほどから勇ましく睨みをきかせている女教師が、不快感をあらわに割って入った。
北川雪耶が、小声で名前を教えてくれた。
大槻美也子というらしい。
「どんな死に方をしたか、説明されましたか?」
「いたしました。最初の生徒──山城さんは、近所のマンションから飛び降りました。そうちゃんと説明しましたよ!」
どうやら彼女は「くん」ではなく、男子生徒にも「さん」付けで呼ぶように徹底しているようだ。
「原因については?」
もはや、村田にではなく、女教師──大槻美也子にたいして問いかけていた。
「あくまでも推測ですが、ちゃんと説明しております! 山城さんは、このところ休みがちになっておりました。非行のはしりはじめというのでしょうか、服装も乱れておりました。学業が伸び悩んだことに悲観したのでしょう」
「二件目のときも、同じように?」
「はい」
大槻の眼は、あきらかに闘争をしかけていた。
「ちなみに言っておきますけど、三人目の菊地さんの説明も、ちゃんとおこなっておりますよ。あなたは、わたしたちがいろいろ隠して説明していると疑っているのでしょうが、包み隠さず、すべてを伝えております!」
「大槻先生の言ったことは、本当です。昨今の子供には、隠そうとしたって、隠せるもんじゃない。だったら、真実を伝えるしかないでしょう」
村田が、そうつけたした。南波は、ため息をついた。
「自殺は、模倣されるものです」
「……?」
大槻も、村田も、そのほかの教師たちも、南波の発言の行き先に興味を抱いたようだ。
「マンションから飛び降りた、首を吊った、そして硫化水素……すべて、次の自殺のヒントになります。自殺方法は、説明すべきでなかった」
「な……」
大槻は、絶句したようだ。南波の言うことが予想外だったのだろう。
「それでは、子供たちに知ってほしくないことは、隠したほうがいい、と言われるのですか!?」
「自殺した──という事実だけを伝えておけば、それでいいでしょう。近所のマンションで飛び降りた、柔道着の帯で首をくくった、どうやって硫化水素を発生させたか……そこまでは伝えなくてもいいことです」
南波は、知るかぎりの情報を織りまぜて発言した。なにも知らない部外者──という印象を拭いさるためだった。
「それでは、子供をバカにしすぎじゃないですか?」
怒りに震える大槻のかわりに、村田が言った。
「いまの子供は、われわれが教えなくても、インターネットなどで情報を眼にしてしまいます。もちろん、私たちも硫化水素の発生方法までは教えませんよ。でもね、ある程度のことは言っておかなければ、われわれ教師のほうがバカにされてしまいます。言葉は悪いですが、生徒たちにナメられるわけにはいかんのですよ」
村田は声を荒らげることもなく、冷静に、熱く主張した。論戦している南波ですら、好感を抱くほどだった。
「それはわかります。しかし、群発自殺に巻き込まれる多くは未成年者です。なんに対しても、子供たちが影響をうけやすいことは、あなたたちのほうが実感しているでしょう。当然、自殺の情報にも影響を受けやすい。それに、ネットや新聞などで得た知識よりも、あなたがたから直接耳にしたほうが、胸に強く残ります」
南波も引かなかった。
「原因についても、推測で話されている。自殺の原因は、一つではありません。『悩み』といっても、将来のこと、友人関係、家族の問題……それらが重なっているのかもしれない。いや、そもそも原因はべつのところにある可能性だってあります」
「では、あなたにはわかるというの!?」
こらえきれなかったのか、大槻が声を張り上げた。
「わかりません。ですが、自殺者の多くは、うつ病にかかっているといわれています」
「話にならないわ! 三人目の菊地さんは内向的だったから断定はできないけど、ほかの二人は、うつ病どころか、明るい生徒だったわ」
「あの……それはどうでしょう」
言ったのは、雪耶だった。
「『抑うつ』じゃなくて『躁うつ病』だったとしたら、気分が高揚しているときもありますよ」
一般的に『躁うつ病』とは、躁と抑を繰り返す状態をいう。
ふさぎ込んでいたかと思えば、次には明るく陽気になっている。双極性障害とも呼ばれる症状だ。
「彼女の言うとおりです。それに非行少年の一部は、うつ病にかかっているという臨床医の意見もあります。最初の山城君というお子さんは、非行の兆候があったんですよね?」
大槻をはじめとする教師たちは、みな胸に突き刺さるものを感じたようだ。
「つまり『躁』の状態では明るい生徒だった。しかしこれが『抑』となったときに、自殺を考えるほどふさぎ込んでしまう。しかも残念なことに、まわりから非行にはしっていると感じさせてしまったことも、山城君の異変を見逃す結果となってしまった。反社会的な行動をとることも、うつ病の典型例の一つです。いや、もしかしてそれは『躁』の状態でのことだったかもしれない。躁病は、一見するとポジティブでいいことのように思われますが、いきすぎると誇大妄想癖や危険行動をとらせることもある。どちらにしろ、まわりからは警戒されないことが多い」
「では……山城の自殺の原因は、うつ病だったということでしょうか?」
村田の問いに、南波は首を横に振った。
「躁うつ病の傾向があったのかもしれませんが、それだけで自殺にまでいきつくことはないでしょう。ほかの要因もあったはずです」
「南波さん、あなたは、その原因をつきとめることが重要だと考えますか?」
「いいえ。冷たい言い方ですが、死んでしまった人間を生き返らせることはできない。山城君の死の原因をさぐるよりも、どうすれば次の感染を防ぐのかが重要です」
「二人目の……斉藤というのですが、彼の自殺は、山城に影響をうけたんですね?」
「斉藤君に、山城君の自殺した経緯を伝えたのは、だれですか?」
「斉藤は、私のクラスなんです」
村田が答えた。
「どういう説明を?」
「さきほど、大槻先生が言ったようなことです……」
「では、斉藤君も成績が伸び悩んでいたんじゃないですか?」
「そのとおりです。しかし、斉藤には非行の兆候はありませんでした。それに、山城とも親しくはありません」
「自殺者の身近な人間が影響をうけることももちろんありますが、比較的、遠い存在の人間にも影響はあります。いいですか、どんな人間であろうと、一人が自殺をすれば、すくなくとも五人が、なんらかの精神的影響をうけるといわれています。おそらく斉藤君は、なぜ山城君が自殺したのか説明を聞いて、自分と同じだ、自殺は簡単にできるんだ、自分も楽になりたい──と思ったのでしょう」
教師たちは、静かに南波の言葉に聞き入っていた。不快感をあらわにしていた大槻でさえ、例外ではない。
「非行の兆候はなくても、たとえば気分の浮き沈みが激しかった、突然暴力的になる、いままで好きだったことに興味がなくなる──などの予兆があったかもしれない」
「あ、あの……」
体格のいい男性教師が口を開いた。
「それ、あてはまります……すべて」
その教師は、柔道部の顧問をしているという。二人目の斉藤という生徒は、柔道着の帯で首を吊っていたということでもわかるとおり、柔道部に所属していた。
「普段は穏やかな性格をしていたんですが、最近、練習をしていると、急に攻撃的になることがあったんですよ……ちょっと、やりすぎってくらいに……。たしか二年生に上がったぐらいから、何度かありました。そして大抵、そういうことがあった次の日には、なんだかそれを反省するかのように落ち込んでいたんです」
そこで一旦、言葉を区切って、
「それで、ですね……」
「部活をやめたい、ですね?」
南波の発言に、顧問教師は眼を見張った。
「そ、そうです。柔道をやめたいって相談されました」
重苦しい沈黙が流れた。
長くは続かなかった。
「どうやら、私の観察不足だったわけですね……長年教師をやってきて、どうやら私は、まだまだ半人前だったわけだ」
自嘲ぎみに、村田が言った。
「その斉藤君の自殺の説明を、三人目の菊地君にしたのは、どなたですか?」
中年の女性教師が、ためらいがちに手をあげた。さきほど、疾病予防管理センターのことを口にした教員だ。
「菊地君は、わたしのクラスの生徒ですから……自殺方法も言ってしまったし、原因も軽々しく推測で説明してしまいました」
南波のセリフを聞いて心細くなったのか、女教師は後悔するようだった。
「原因については、どういうふうに?」
「わ、わたしも……斉藤君が柔道部をやめたがっていることは知っていました。塩谷先生から聞いていましたので……」
どうやら柔道部の顧問が、塩谷先生というらしい。
「で、ですから……てっきり、柔道部の練習が厳しくて、それでやめたがっているのかと……もしかしたら、柔道部内で……イジメがあったのかと……」
「ちょっと待ってください! そんなことは絶対にありません!!」
塩谷が激昂した。
「す、すみません。わたしが軽率でした……でも、ほかに思い当たることもなさそうだし……イジメ、という言葉は使わなかったんですけど、運動部なら、それに近いことも日常茶飯事なのかと……」
女教師の眼には、涙がたまっていた。
「ふざけないでください!」
さらに熱くなる塩谷を、村田がなだめた。
「ご、ごめんさない……」
「菊地君という生徒は、イジメをうけていたんですか?」
弱々しく謝罪する女教師に、南波が平静さを押しつけるように、淡々とたずねた。
「イジメ……はなかったと思うんですけど……どちらかというと、からかわれやすい生徒でした……」
「なるほど。菊地って子は、そこに反応したんだ」
雪耶の声が、どこか不謹慎に響いた。
「南波さん、でしたよね? わたしたちが勉強不足なのかわかりました。反省もします。ですけど、これ以上、得体の知れないあなたに、あれこれ掻き回されるのは迷惑ですわ」
大槻美也子は、闘争心をよみがえらせたようだった。
「そうですか。わかりました、今日のところは帰ります」
「いいえ、二度と来ないでもらいたいわ」
「それはないんじゃないですか!?」
雪耶が、それに食ってかかる。
「北川さん、だいたいあなたが、なんでいっしょにいるの? 南波さん、あなたも子供たちの自殺を心配するのなら、どうしていままでの話を彼女の前でしたんですか? 彼女も未成年の子供よ」
子供、と断定されたことに怒りを覚えたのだろう。雪耶の表情が険しくなった。が、言い返しはしなかった。
「それに北川さん、あなたは……」
さすがに、大槻は言いよどんだ。雪耶のことを知っている教師ならば、病気のことを知っていてもおかしくはない。
「これですか?」
むしろ挑戦的に、雪耶は過去のあやまちを大槻たちにみせた。
左手首の傷──。
ためらい傷も合わせれば、何本あるかわからない。
とても、痛々しい……。
「彼女なら、大丈夫です。すくなくとも、人の影響で死を選ぶことはしない。もし自殺するのだとしても、それは自分自身の考えでおこなうでしょう」
「どうして、そう言い切れるのかしら?」
「同類だからです」
そう答えると、南波も自らの右手首をかかげた。
* * *
二人が退出してからも、しばらくは重苦しい空気のために、だれも発言することはなかった。
そんななか、村田だけが、なぜだか安堵のため息をもらした。
「北川には手を焼かされたが、どうやら良き理解者にめぐり会えたらしい」
「村田先生!」
大槻が、その意見に異をとなえた。
「あんなあやしい男……彼女もどうかしてるわ。いえ、彼女は騙されているのよ」
「だれもいなかったんですよ」
大槻の言葉をないことのように、村田は続けた。
「きっと、北川のことを理解できる人間は、だれもいなかったんですよ……いままでは」
遠い眼で、村田はつぶやいた。