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囁き  作者: てんの翔
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16

        16. 同日午後五時半


 同じビルで、飛び降り自殺が連続する。

 同じ鉄道路線で、人身事故が多発する。

 オカルティストなら、最初に自殺した人間が地縛霊となって、あとの自殺者たちを誘っているのだ──そう喜びながら結論づけるだろう。

 真実はちがう。

 人は、噂や報道で自殺のあったことを知ると、その情報に感染する。もちろん、普通の人間ならば、そんなことにはならない。やはりここでも「免疫力」の落ちている者が感染しやすい。

 ウイルスによる抵抗力では、無論ない。

 情報に対する免疫力のない者たちだ。

 わかりやすくいえば、うつ病を発症している患者。情報を精査する能力のない子供。潜在的に自殺を考えている弱者──などがあげられる。とくに自殺者の多くは、うつ病に罹患しているといわれている。

 例えば、借金苦で毎日脅迫まがいの取り立てをされつづけれている人間ならば、一度や二度ぐらい自殺を考えたこともあるだろう。そういう境遇なら、うつ病にもなっているかもしれない。

 そんな弱者の耳や眼に、自殺した──楽になった人間の情報が飛び込んでくれば、つい自分も……と魔がさすのは当然だ。

 ただ反対に、自殺を考えている人間が、情報を得ることで、自殺を思いとどまることもある。

 要は、情報の流し方にある。

 自殺することの短所や、ペナルティなどに重きをおいた報道ならば、思いとどまる率は高い。

 一時期広まっていた有名な話でいえば、電車で自殺をすると数千万単位の賠償金が遺族に請求される、というようなものだ。ある種の都市伝説になっている。

 これは実際には、そういう可能性があるという範囲の話で、本当に鉄道会社が多額の賠償金を遺族に求めた例は少ない。そんなことをすれば、鉄道会社のほうが弱者イジメとしてバッシングをされるし、逆に安全管理の責任をとらされかねない。もし請求をしたとしても、相続放棄などで、遺族に支払いの義務が生じるケースは、そう多くはないはずだ。

 ただし、この噂には諸説あり、各鉄道会社からの公表はないが、しっかりと損害賠償請求をしているという話もある。つまり、大切な家族を残していくのならば、鉄道での自殺はやめたほうがいい、ということだ。

「それであなたは、自殺を思いとどめてもらうための情報を流してるんだ……って、どうやって?」

 この少女は、いままでの話をどう聞いていたのだろう。

 いや、仕方ないか。

 南波は、そう納得した。

 これは、簡単に理解できるたぐいの内容ではない。

「だいたい、なんであなたが自殺の真似をしたの? 電車で死んだら賠償金で遺族が迷惑します、っていうような情報を流すだけでいいんでしょ?」

「それは例えだ」

 二人は、中学校の前から、繁華街にあるハンバーガーショップの二階に移っていた。

 夕方のかきいれ時。客の入りは、そこそこだ。さきほどから二人の会話に何度も出てくる「自殺」というワードに、となりの席のオバサンが顔をしかめているのだが、話に熱が入るあまり、南波も少女も気づかない。

「じゃあ、どうして?」

「自殺が成功したという噂話──つまり、情報を変えるためさ」

「西新井で《赤いイルカ》……って、これは一人の名前じゃなかったんだよね……まあとにかく、あの自殺しようとした人に、失敗するところを見せようとしていたの?」

「あいつに……というわけじゃない。オレが『死なない』ことで、それを見ていた人間が噂を勝手に流すだろう」

 線路に飛び降りても死なない男がいる──と。

 そして、風説は飛躍する。

『列車に轢かれても、死ななかった男』

 という奇跡の話に──。

「……死なないって、まさか本当にあのまま飛び込もうとしていたの!?」

「あたりまえだ。そこまでやらなければ、感染は防げない。だれかに助けられてもダメなんだ。それでは、自殺に失敗した滑稽話になってしまう」

 少女があきれたように、ため息をついた。

 頬杖をついて、南波のことをジッと見つめている。

〈どこかで、会っているぞ……〉

 囁きが、脳裏をかすめた。


       * * *


 そんな大それたことをする人間には見えなかった。

 いまは……。

 あのときは、まるでなにかにとり憑かれているように勇敢だったのに──。

 やさしい眼をしている。

 好感のもてる容姿だ。

 モテるだろうな、と素直にそう思えた。

「でも、まあ……飛び込んじゃったんだよね……本当に」

 さきに飛び込んだサラリーマンを助けるため。

「あれは予定外だ。キミのせいだぞ。あそこでオレを止めなければ、すべてうまくいったんだ。《赤いイルカ》の書き込みだって、止められたかもしれないのに……あれも、いわば感染の一種だからな」

「わたしのせいにしないでよ」

 つまり、ウェルテル──南波と名乗った男は、南砂町駅での決行を書き込んだ、新たなる《赤いイルカ》の誕生も、雪耶のせいだと言っているのだ。

「焦っただろうな。自分の予告した場所で、自分よりもさきに自殺を止められる人間がいた。しかもキミは《赤いイルカ》と声に出してしまった」

「だからなに?」

「西新井駅のあいつは、パニックをおこして電車に飛び込んだ。キミがオレを止めなければ──」

「だれだって止めるって!」

 思わず、雪耶は声を荒らげた。

「止めないよ、ふつうはね」

 ふつう、という言い方にふくみがあった。

 雪耶は敏感に反応した。

「なにが言いたいの!?」

 突然、南波に左腕をつかまれた。

「ちょっと、なにするのよ!?」

 手首を見られたわけではなかったが、彼には知られている、と悟った。

「病気なんだろ? わかるよ」

 雪耶は、強引に腕を引き剥がした。

「わかるよ……ですって!? なにがわかるのよ!」

 その剣幕にとなりのオバサンが、そそくさと席を移動していくのがわかった。

「オレも同類だ」

 南波はそう言うと、自身の右手首を雪耶にみせた。

「リストカッター……」

 雪耶の怒りは、つぶやきとともに消えていった。

「なかなかおもしろいだろ?」

 南波が最初、なにについて言っているのか、雪耶にはわからなかった。

「キミは、右利きだよな。南砂町駅でオレを助け上げようとしたとき、右腕の力のほうが強かった」

「それが?」

「俺も右利きだ」

 そこで気がついた。と同時に、どうでもいいことだと、笑いが込み上げてきた。

「あなた、ヘンな人だね」

「でも気になるだろ? 自殺に興味があるなら、そのことを研究してみたら? 利き手で切るのか、利き腕を切るのか──どっち派が多いとかね」

「どっちが本気で、死亡率が高いとか?」

 雪耶は、不謹慎なことを笑顔で口にしていることに軽い驚きを感じた。

 普通、自殺などの話題は、どうしても暗くなる。

 止めようとする者は、説教か感情論を語り、仲間なら、生への絶望か虚無、死への望みか恐怖を語るのだ。

 それがこの男には、そのいずれもあてはまらない。自殺を止めようとしていながら、彼らの仲間であるという立場。

 いや、それは自分にもあてはまる。

 この男のように仕事として使命をおっているわけではないが、それでもいまは、自殺を止める側に立っている。

 同類。

 南波の言った意味が、よくわかった。

 生まれてはじめて、肉親に会えたような気がした。

「どうした?」

「う、ううん」

 感慨深く南波の顔を眺めていたら、ドキリとした。雪耶は、慌てて首を振った。

「そ、それで……南砂のほうも、わざと落ちたのね」

「ああ。あのとき、キミといっしょにオレを助けた男が《赤いイルカ》の書き込みをしたんだろう」

 小太りの男の顔が浮かんだ。

「あの人に、あなたを助けさせることで、自殺を思いとどまらせようとした、ってこと?」

「少しちがう」

「どこが?」

「キミは、勘違いをしている。オレはべつに、彼らを助けようとしたわけじゃない」

「どうして? 自殺を止めるのが仕事なんでしょ?」

「自殺をするのは、本人の自由だ。他人が口を出すことじゃない」

「意味わかんない」

「オレの仕事は、自殺の感染を防ぐことだ。個々の自殺を止めることとはべつだ」

「ますます、わかんない」

「彼らが死ぬ、死なないは、どうでもいいことなんだ。彼らが自殺したことで感染が広がるというのなら、オレはどんなことをしても止めるだろう。だが、ほかの人間になんの影響もあたえない自殺と判断したら、止めることはない」

「……なに、それ」

 その冷めた考え方に、雪耶は幻滅した。この男は、ヒューマニズムで動いているわけではない。

 しかし同時に、確固たるプロ意識を羨ましくも思った。

「あの二人を救うことは、ここ最近の鉄道自殺の連鎖を食い止めるためには必要なことだった。それだけだ」

「……なんか、冷たいんだね」

「どうとでも思ってくれ」

 そこで、いやな沈黙がおとずれた。

「──ここでおきてる自殺も、感染したからなの?」

 それを嫌って、雪耶はすぐに会話を続けることを選んだ。

「同じ学校で、三件も連続してる。偶然ではありえない。典型的な群発自殺だ」

「……まだ連鎖すると思う?」

「どうかな。それを確かめるために、ここへ来た。キミはあの学校の生徒だったの?」

「そう。わたしの中学校」

「校長先生か、教頭先生と仲良かった?」

「まさか。どんな顔だったのかも思い出せない」

 雪耶は、「まさか」をとりわけ強調した。

「そりゃそうだな」

 聞きはしたが、想定どおりの回答だったのだろう。

 よほど田舎の分校でもないかぎり、校長や教頭が一般生徒と強く結びついているわけはない。

「じゃあ、学年主任の先生とかは?」

「何年の? 二年生?」

 南波が、なぜそういうことをたずねているのか、途中で雪耶は察した。

「そう」

「たぶん、村田先生だと思うんだけど……」

 現在の二年生をうけもっている先生たちは、ローテーションどおりだと、雪耶がいた学年を担当していた教員たちと同じはずだ。

「まってて、聞いてみるから」

 そう言うと、南波の反応を確かめることもなく、携帯をかけた。

「あ、二宮さん、えっと、二年生の学年主任はだれ? うん、うん……、ありがとう」

 すぐに通話を終えた。

「やっぱり村田先生だって。よく知ってる。担任だったから」

「紹介してくれる?」

 話の流れから、そうくるだろうと予想していたので、驚くことはなかった。

「いまから行ってみる?」


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