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15. 同日午後五時
素直に正門から出てみたら、いっせいに取材陣が寄ってきた。
アマゾン川に落ちた牛に群がるピラニアのようだった。
「ここの生徒さんですか!?」
「自殺した生徒たちは、みんな友達同士だったんですか!?」
「取材いいですか!?」
ピラニアを無視して、雪耶は早足で歩いていく。脈がないとみたのか、記者たちはべつの牛へと群がっていった。腹をすかせたピラニアにしては、あきらめがはやい。
事前に学校側から、強引な取材をやめるよう要請があったのだろう。
ほっとしたのも束の間、雪耶はある人物と眼が合った。取材の光景を遠巻きに眺めている野次馬たちのなかに、そいつはいた。
「あ、ウェルテル!」
相手は、すぐに眼をそらし、その場を立ち去ろうとこころみたようだが、今度は雪耶自身がピラニアと化す番だった。
学校の塀を乗り越えたときのように、猫のような──いや、猫科の肉食獣のような身のこなしで、男との距離をつめる。
あとは、川に落ちた牛に食らいつくだけだ。
ガシッ、と《ウェルテル》のジャケットの袖をつかんだ。
「ちょっと話、聞かせてよ」
「もうオレには近づくなと言ったはずだ」
「あなたのほうから近づいてきたんでしょ」
「べつに、キミに用があったわけじゃない」
「いいから、聞かせて!」
「はなせ!」
あのときは怯んでしまったが、もう引き下がらない。
「ダメ、そんなこわい顔しても、はなさない」
雪耶の決意が固いと悟ったのか、ウェルテルは身体の力をゆるめた。
ほかの野次馬たちから、距離をあける。
「なにが聞きたい?」
「まずは、あなたのこと。あなたは、わたしのように自殺を止めようとしてるんでしょ? それとも死のうとしているの? いったい何者? そもそもあなたは、いい人、悪い人、どっち!?」
一気に、質問をあびせかけた。
「あやしい者じゃない」
雪耶の危惧をウェルテルも察したようだ。
ジャケットの内ポケットから、名刺を取り出した。
「身分は、厚生労働省が保証してくれる」
「独立行政法人……自殺防疫研究所」
まるで呪文のように、雪耶は掲げられた名刺の文面を読み上げた。
「この名称は、仮だ。正式名は、まだ未定なんだ」
「調査員、南波……夕介」
「それは、正式だ」
その冗談は、受け流した。
「自殺を止めるのが、仕事なの?」
「ちょっとちがうが、似たようなものだ」
自殺防止につとめる組織ならば、雪耶もある程度のことは知っていた。有名なところでは、NPO法人の『ライフリンク』や『自殺防止センター』などがあげられる。
しかし……。
この男のように、調査員と称して積極的に活動している例は、ないのではないか。
そういう団体の主な活動は、自殺未遂者や遺族などの心のケア。悩みを抱える人々への相談ホットラインを開設すること。自殺防止の研究を白書で発表し、警鐘を鳴らすこともしているのだろうが、リアルタイムで自殺者を止めることはないだろう。
「聞いたことない……」
「まだ設立してから、一年半しか経ってないんだ。知らなくてもムリはない」
「でも……あなたも死のうとしてた」
「死のうとはしていない」
雪耶は否定を表現するかのように、頭を左右に振った。
「西新井駅では、飛び込もうとしてた。南砂町では、貧血のふりをして、わざと落ちた」
「キミに止められたり、助けられなくても、オレは死ななかった」
自殺未遂も、演技で落ちたことも、ウェルテルは認めた。
「なぜ、あんなことしたの?」
「自殺の感染を防ぐためさ」
「感染?」
そういえば、『自殺防疫研究所』という名称──たとえ仮だとしても「防疫」という単語には引っかかるものがある。
「自殺は感染する」
「なに……言ってるの?」
「自殺を止めようとする人間だったら、それぐらいは基礎知識のうちだ」
ウェルテルのその言いぐさに、雪耶は頭に血がのぼるのを自覚した。
「えらそうに!」
「──自殺の感染を防ぐためには、ただ止めればいいというわけじゃない」
「ちょっと、本気なの? 自殺が、インフルエンザみたいに、人から人に伝染するとでもいうの!? バカみたい。それともあれ? 歌で自殺がうつっていく、っていうホラー映画なら見たわ」
「本当に、なにも知らないんだな」
怒りと恥ずかしさから、雪耶は顔を紅潮させた。
もちまえの雰囲気と、これまでの境遇から、子供あつかいされることに慣れていないのだ。
「なによっ!」
「自殺は感染する」
むきになる雪耶をないことのように、ウェルテルは同じセリフを口にした。
「この学校で自殺が続いているのも、それが原因だ」
「どうやって、感染するのよ!?」
「もちろん、ウイルスや細菌じゃない」
「じゃあ、どうやってうつるのよ? まさか、地縛霊の仕業とかいうんじゃないでしょうね?」
「地縛霊? それを、呪いと考えるのなら、当たっているかもしれない」
無意識に、雪耶は男との距離をとった。
不可思議なことを「呪い」と結びつけるのは、怪しいオカルティストの常套手段だ。そういう輩は、新興宗教の勧誘か、霊感商法を狙っているのが相場だ。心療内科医の板垣に、よく気をつけるように言われている。
「壺とか売りつけるつもり!?」
「話が見えないが……」
ウェルテルは、どこか呆れ顔だ。真顔を取り戻して、
「呪いのメカニズムを知ってるか?」
雪耶は、なんの返答もしなかった。
ウェルテルは、それでも話を続けた。
「呪いというのは、呪いたい相手に、その事実を知らせなければ成立しない」
「……?」
「たとえば、オレがキミに呪いをかけるとしよう」
雪耶はギロッと睨んだが、ウェルテルには無視された。
「キミの知らないところで呪いをかけても、キミはピンピンしているだろう。それはそうだ。呪いの力なんて、この世には存在しないんだから」
「存在しないのに、どうやって呪うのよ?」
「キミのまわりで、藁人形に五寸釘を打ちつけていればどうだ? 深夜、それらしく白装束を着てね。キミが、その姿を目撃しなかったとしても、身近でおこなわれれば、キミの知り合いのだれかの眼にはふれるだろう。キミは、自分が呪われていることを、その人から知ることになる。さあ、どういう気分になる?」
「気持ち悪いにきまってるじゃない」
「そうだ、みんなそう感じる。そして、そのときたまたま胸が苦しくなったとしたら、どうだ? もしかしたらこの胸の痛みは、自分が呪われているからなのか、と思い込んでしまう──かもしれない」
「……」
「呪いとは、そういうものだ。つまり、呪いの正体は『情報』さ」
「情報……?」
「自分が呪われているという情報。情報を受け取って、はじめて呪術が成立する。まあ、そういう意味において、呪いの力は存在しているということになるんだが」
呪いのメカニズムとやらは、わかった。
しかしこの男は、いったいなにが言いたいのだろう。
「自殺も同じだ」
その静かなはずの声が、強く心に響いた。
「自殺があったという報道や噂話で、人は自殺に感染していく」
「それ……」
聞いたことがある、と雪耶は思った。
そうだ。そういえば、そんな話をドキュメンタリー番組かなにかで観たことがあった。もう、ずっとむかしの話──雪耶の「ずっとむかし」とは、当然、幼い子供のころだ。
記憶のすみに残っていた。
男の言葉で、その内容が鮮明によみがえってきた。
「群発自殺……」
雪耶は、つぶやいた。
ひとりでに唇が動いていた。
「なんだ、知ってるじゃないか」
とくに感心したふうでもなかったが、ウェルテルがそう言った。
「群発自殺(CLUSTER SUICIDE)──それを止めるのが、オレの仕事だ」