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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
終章
97/116

死より生まれくるもの


 風の神――その御名は風の音に在るという。


 姿形を持たないこの神は、祀られた黒面と(ささら)をまとって、時々里に降りてくる。


 いつから居たのか。どこから来たのか。

 なぜこの地に留まったのか。

 その(いわ)れは、誰も知らない。


                  ――「チクラビトについての考察」より



  *


 リィン……と鈴の音がして、那由他は思わず森の方角を見た。居たはずの場所から、風神は忽然と姿を消していた。


 ――いない?


 狐に摘まれたように、那由他は辺りを見渡したが、深鳥の声が聴こえ、すぐに現実に引き戻される。


「かいせいー!!」

 ようやく出た声は、悲鳴となって空気を切り裂いた。反動で息を吸い込んだ途端、むせ返るような血の匂いがして、深鳥はくらりと目眩いを覚えた。


 遠のきかけた意識を、唇をかんで繋ぎ止める。深鳥は血にまみれた両手で快晴の顔を包み起こした。半ば開きかけの眼は虚ろで、その唇から息がこぼれることは、なかった。

「…い……や……」

 深鳥は震えた腕で快晴を抱え込んだ。恐ろしさに体が冷えきっている。


 嘘だ――深鳥は頑なに目を閉じた。きっとまた、二人で同じ夢を見ているに違いないと思った。

 深鳥は快晴の背中をさすりながら「起きて」と何度も呼びかける。しかし、快晴の体は人形を抱いているかのように動かなかった。

 

 その時、いくつもの人の気配がして、深鳥はおもむろに顔を上げた。

 宮司、聡、那由他、名倉 (じぃ)がいた。そして……紫野の治療をした町医者の熊井先生も。


「深鳥さん……」

 聡が恐る恐る声を掛ける。深鳥は怯えたように快晴を抱き続けている。血の気の引いた表情。さいなまれた眼で……聡はたじろいだ。いつかこんな深鳥を見た気がする。そう、あれは快晴が行方不明だった時。深鳥がどこかに消えてしまいそうに思えて……

 

 熊井先生がのっそりとした動作で快晴の前に屈んだ。だらりと垂れた腕を取って、脈をみる。首筋にも指を当てたものの、先生は首を振った。そして開きかけた快晴の瞼を指でそっと下ろした。

「そん…な……」

 傍らで聡が呟いた。

「嘘だろ……おい、快晴!……快晴!!」

 那由他が来て、快晴を揺さぶりだした。

 その向こうで、呆然とうなだれる宮司と、名倉 爺が腕を押さえながら嗚咽している。


 周囲の反応が一縷の望みを打ち砕く。

 (むご)い現実を前に、深鳥は上手く息が出来なかった。周りの風景がさめざめと色褪せていくのを感じた。

 夢なんかじゃない――深鳥は力無く、快晴の肩にもたれた。

 快晴は自分を庇って、そして――命を落としたのだ。


 罪の意識に深鳥の心は閉ざされ、沈んでいった。何もかも遠くなる。呼び続ける聡の声も――

 辺りはひっそりとして暗く、風の音だけが冷たく澄んで聴こえた。ひとりぼっちで、夜の森にいるみたいに。

 傍らに眠る快晴を、深鳥は静かに見つめた。そっと髪を撫で、快晴の耳元で呟く。

「……私も行くよ」

 涙がとめどなく頬を伝っていく。快晴の頬をも濡らし、血と混じって滴り落ちる。

「どこまでも、一緒に」




 風に混じるかすかな音色。聡は自ずと耳を立てた。

「×× × …… ××× ×………」

 澄んだ声が口ずさむ、古き世の調べ。それは――

「だめ――深鳥さん!!」

 深鳥を止めようと聡は手を延ばした。瞬間、涌き上がった風に弾かれ、聡の体は地面に転がった。呻きながら聡は体を起こしかけ――目の前で起こる奇異な現象に目を見張った。


 見えないはずの風が今、聡には見えていた。浮遊する旋律が風を紡いで、風は幾重の糸になって、淡い光を帯びながら、深鳥と快晴の周りに漂っている。

 時折しゃくりあげながら、なおも深鳥は風紡ぎ唄をうたい続ける。

「× ×× ×……××× ×………」


 深鳥の胸元で形代がしらじらと輝きだした。そして、ひび入る音とともに、快晴の背に刺さった刀がたちまち微塵と化した。

「!」

 聡は思わず息を飲んだ。破片はきらきらと風に舞い上がり、光の粒となって辺りに注ぐ。……光の雪が降っているみたいに。


 そこに居た誰もが不思議な光景に目を奪われる中、深鳥は快晴の変化に見入っていた。黒髪の色が抜けて……透き通ってゆく。首筋の(あざ)が、蔓を伸ばすように快晴の頬に染み出て、流紋型を描く。そして――ゆっくりと開かれる眼が青く深く、深鳥を捉えた。


「かい…………せい……?」

 白銀の髪は老翁のよう。けれど深鳥を見つめる面持ちは若いままに……目覚めた快晴の姿は、異様と呼べるほど変わり果ててしまっている。


 深鳥は呆然とその姿を見つめた。快晴と同じ顔なのに……快晴じゃない。あたかも鏡に映ったもう一人の快晴といったように。

 吹き渡る風とともに、体の内がざわめいていく。

「あなたは……誰?」

 

 深鳥の問いかけに、彼は……快晴がそうするように、寂しげに微笑った。

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