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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈虚空の章〉
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贄(にえ)


 篝火に照らされた舞庭(まいと)の上、快晴と聡が男手と女手に扮し、(つい)になって舞っている。互いに近づいては離れ、旋回し、聡が鈴をひと振りする。


 シャン……


 神楽のゆったりとしたリズムの中、息ぴったり……とはいかなかった。聡がバランスを崩しそうになるのを、快晴がとっさに引き寄せる。

 聡は快晴を見上げた。渋い顔をされると思いきや、快晴は全く動じることなく、眼差しは真剣そのものだった。


 ――く……。


 悔しいけれど、深鳥が快晴に惹かれる理由が、聡は少しだけ分かった気がした。


 快晴はずっと苦手な相手だった。何もかもが自分とは正反対で、恋敵として憎しみに近い感情を抱いたこともある。

 だが皮肉にも深鳥を介して、聡は快晴の心の内を知っていった。彼の秘める孤独や弱さ、深鳥への一途な想いを。


 太鼓の音を辿り、足を踏みとどろこす。舞いながら考えも(めぐ)ってゆく。


 守人と(ひいな)――快晴と深鳥を括るのは古からの縁であり、あるいは呪いかもしれない。

 呪われた運命でもいいから繋がっていたかった。そんな風に思うことは愚かだろうか?

 運命の糸に絡められ、共に沈んでしまったとしても。それがもし愛する人とだったなら――





 拍手喝采の中、快晴と聡は並んで礼をする。誰もが舞の余韻に浸りながらも、最後の宴を惜しんでいた。

 そこに、神社の近所を練り歩いていた神輿(みこし)が戻る気配がして、宮司が参道まで進み出た。担ぎ手たちの掛け声や励ます人の声でにわかに騒がしくなってくる。

 唄で迎え入れようと、宮司が口を開きかけた時だった――あちこちで笹や木の葉が不規則に震え始めた。





「風だ……」

「風さ戻ったど」

 歓喜にわく住民とは反対に、快晴と聡が周囲を怪しんでいると、リィン……と鈴の音が風に混じった。

 聡がすぐに方向を捉える。森の奥からぼうっと現れたのは黒面(くろおもて)の風神だった。快晴と聡は身構えたまま、動向を見守る。

 宮司と名倉じぃが気付いて頭を垂れる。他の人々も「あ」と声を上げ、次々と習っていった。


 しかし風の神が向かう先には……快晴の目が釘付けになる。夢遊病者のように深鳥が裸足で歩いて来たのだ。


 快晴はその場で面を捨て、刀を持ったまま深鳥の方へ駆け出した。聡もその後を追うが、途中で宮司に呼び止められた。

「まずいな」

「お父さん」


 深鳥を背に隠し、快晴は風神と対峙する。風神と、風神に扮した人間と――その異様な光景に、周囲の人は深鳥が特別な存在であることに気づき始めた。

「あの娘っこはは(ひいな)だ」

「ああ、間違いねえ」


 深鳥は頬を軽く叩かれ、正気を取り戻す。

「……快晴?」

 快晴はほっとしたように深鳥の頭を腕に抱いた。

「私、どうして……」

 快晴が口を開こうとした時、背後で老女の声がした。


(ひいな)さ神に渡せ。すたば風さまた吹ぐ」

 腕の中で深鳥が身を固くするのが分かった。快晴は抱いたままの腕と手のひらで深鳥の両耳を塞ぐ。

「聞くな」

「皆が生きるため、命の一部さ返す。そやって昔っから命さ繋いできたんだ」

 見ると老女が三人連れ立って、こっちを見ている。語り部衆だった。言い聞かせを拒むように、快晴はかたくなに首を振った。


 皆が生きるために……(にえ)は生まれ続けて。戦争や災害、飢餓、あるいはその回避のために――いつだってそうして、たくさんの命が失われてきたのではなかったか。


 神輿の担ぎ手である中年組の男たちが遅れてやってきて、次々と宮司と聡に詰め寄った。

「どういうことだ宮司」

「あんた全部知ってたな」

「風紡ぎさ止めたんだって、最初(はな)から千久楽を引き渡すつもりだったんだろが」

 担ぎ手の中から那由他が抜け出て、宮司たちと中年組の間に割って入った。

「違う! 宮司は――」

「那由他、いいんだ」

 宮司は那由他の肩に手をかけた。そして周囲の人々に静かに語り出した。

「風紡ぎを中止したのは、紡ぎ手の命が危うくなったからです」

「!」

 何も言えないでいる人々に宮司は丁重に頭を下げた。 

「たしかに千久楽は先祖代々の地。しかし……一人の命には代えられない」


「お前だずはいい。まだ若く先がある」

「若えもんに俺らだずの気持ちは分がらねえ」

「俺らだずどこさいけと? せめてこの土地で死なすてくれ。な?」


「好き勝手言いやがって……」

 懇願する年長組の老人たちを横目に、那由他は舌打ちをする。

 深鳥は快晴の腕の中で、固く目を閉じている。


 突然、快晴が体勢を崩した。手から離れた御神刀が風で流される。押さえた手元から黒ずんだ流紋がみるみると快晴の体を侵食していった。

「快晴!?」

 深鳥が向き合って快晴の様子をみる。ものすごい汗だ。

「…ぁ……う…」


 それを見て語り部の一人が怯えたように言った。

(ひいな)さ渡せ! お(めえ)さ命を取られっぞ」


 快晴を抱いていた深鳥が、恐る恐る顔を上げ神をみた。

 行こうとする深鳥の手首を、快晴がぎゅっと掴んで引き寄せる。険しさと懇願が入り交じる眼で。



「……あん時も祭で……妹は」

 ぶつぶつ呟きながら、狩野のじっさまは幣を持ち、よろっと立ち上がった。そして快晴たちの方へ歩いて行き、転がっていた御神刀を拾おうとした。


 異変に気付いた名倉先生が狩野のじっさまに向かっていった。

「やめなされ!」

 じっさまを止めようと名倉先生がその痩せた腕を掴んだ。しかしじっさまはすごい力でそれを振り切ると、名倉先生に向かって刀を薙いだ。腕を切られ、うずくまる名倉先生を那由他が駆けつけ、体を支えた。

「先生! しっかり!」


 その時、漂う微風に那由他は血の匂いを感じ、身震いする。すぐさま後ろを振り返った。


 ――だめだ、 間に合わねえ!


「快晴!!」


 その声に快晴が後ろを振り向く。深鳥を仕留めようとじっさまが御神刀を振り上げていた。快晴は深鳥をとっさに庇い、刀を受ける――





『風に命さ返す。この子の命は鳥になる。風と一緒に千久楽さ廻る。な、だがら何も悲しくね』

 じっさまの耳には、昔聞いた母親の声が聴こえていた。 

「本物さ見つがった。もう隠れなくてええ、マナ……」


 しがみつこうと延びる快晴の手を、深鳥はしっかりと掴む。

 深鳥が無事なのを見て、じっさまはわめきながら下がり、尻餅をついた。刀は快晴の背中に突き刺さっていた。

 

 快晴の体が重くのしかかってくる。抱き留めるその手の先が、とろりとした血に触れる。

 息は? 顔が見えない。

 恐怖と絶望の中で、深鳥は言葉を発せず、心の中で必死に呼びかける。


 ――快晴……快晴!


 深鳥の腕の中で、快晴は微かな息を漏らした。

 動くことができず、もう目を開けているのもおっくうだった。

 視界が暗くなってゆく。

 握る手の感覚がなくなってゆく。


 側にいると言ったのに。共に生きると決めたのに。


 ――深鳥。

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