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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈虚空の章〉
95/116

最後の祭 *

挿絵(By みてみん)

illustrated by mariy



 凪から7週間後――

 浸透する汚染から千久楽を守るため、宮司はついに仮設シェルター設置を世界政府に要請。風は戻らないまま、千久楽の行く末はいま、世界政府に委ねられようとしている。


 *


 辺りが暗くなってきたので、聡は舞庭(まいと)の四方に置かれた(かがり)に火を灯していく。舞庭も設置し終えたばかりで飾り付けはこれから。縄飾りは年長組がやってくれる。篝火が灯ったことで「助かった」とあちこちから礼を言われた。

 

 聡は自分の場所に戻ると、お供え用の収穫物を漆器や木皿に決められた通りに並べていった。あとは那由他が酒が届けてくれるのを待つだけである。手が空いたところで、聡はふと夕空を見た。

「日……長くなったな……」


 祭は、風を取り戻したいという年長組たっての願いで決まった。

 凪で春の奉納祭は中止になっていたので、今回の祭は春と夏の合同祭祀となる。

 とはいえ、基準値を超えようとしている放射線量を考慮し、準備も含めた屋外での活動は4時間程度。自ずと祭も簡素で小規模なものとなる。千久楽では祭は本来夜通しか夜更けまで行われるから、その時間の短さは異例だ。


 集う人もまばら、見かけるのは年寄りと男達ばかり。そんな花もない宴で神が呼べるのか。そんな意見もさることながら、せめて最後は祭をという気持ちは皆同じ。昔も今も、祭は皆の心の拠り所なのだ。


 そして祭の準備とは別に、聡にはやらなくてはならないことがもう一つ――


 那由他と快晴が軽トラから台車で神酒(みき)を運んできた。二人は協力しながら聡が用意した大椀に神酒を満たし、盆に(さかずき)を並べてから柄杓で各々の杯に注いでいった。さっきまでいた聡の姿は見当たらない。

 那由他が気付いたように、顔を向けた。

「お、花乙女が来たぜ」

 聡は布を頭から被りながら、スタスタと大股で二人の前に歩いて来た。快晴はしげしげと今宵のパートナーを見定めた。那由他はニヤニヤと笑いをかみ殺している。

 聡は女手の格好をして、俯いたまま那由他と快晴の視線に耐えている。鈴を持った手が恥ずかしさで汗ばんだ。祭でなければ一体何の罰ゲームだろう?


 せっかく注いだ杯の一つをひょいと持ち上げ、口を付けながら那由他は言った。

「一週間で何とかなったろ? 俺の教え方だな」

 仕方なく杯を補充しながらも、快晴はちらっと聡を見て言った。

「……悪くはないな」

 快晴と聡は事前に舞い合わせている。その時はお互い仮衣装だったので、聡の女手姿は初お披露目というわけだ。

 聡は二人をキッと睨んで言った。

「誰のためでもなく、深鳥さんのためですから」

 那由他と快晴が思わず顔を見合わせる。

「……………そ…か」

 バツが悪そうに受け流す快晴に、それはそれでみじめな気持ちになる聡だった。


 ――気、遣われてるし……。




 那由他がキョロキョロする。

「で、深鳥ちゃんは?」

 那由他がもう一つ杯を取ろうとする寸前、快晴が盆ごと持ち上げてしまった。

「シェルターで家族と居るんじゃないか」

「え? じゃあ今日は見に来ないのか?」

 那由他が手持ち無沙汰に尋ねると、快晴は「……さぁ」とはぐらかした。

「さぁってお前……」

「何が起こるか分からない場に連れて来たくはない」


 快晴の声が静けさに響いた。那由他が頬を掻く。

「……ま、本当に神様が出てきたらまずいからな。深鳥ちゃんがひぃなって周りに知られても――」

「し――!」

 気配を察したのか、聡が指を口に立て那由他を制する。そして三人が物音のした方を凝視していると、木陰から狩野のじっさまがひょこっと現れた。


 那由他は息をついて言った。

「何だ……狩野んとこのじいさんかよ」

 聡は近寄って、いたわるようにじっさまの背に手を回した。

「じっさま、ほら皆さんの所へ戻りましょう」

 うめくように返事をしたじっさまを、聡が年長組がいる方に連れて行った。


「前から兆候はあったらしいが……紫野が帰って一気にボケちまったんだと」 

 那由他は人差し指で自分の頭をこずく。

「避難生活のストレス……か」

 快晴つぶやきに、那由他は聡とじっさまを見守りつつも首をかしげてみせた。

「希望を失くしちまったんだろ」




 縄飾りを作っている年長組のゴザまで来ると、聡はじっさまを座布団の上に座らせてあげた。

「じっさま探したど!」

「じゃ!? 若でねえが。どごの娘っこがと思た」

 どすっ、と心に矢が刺さるのを感じつつ、聡は苦笑いしてから「コホン」と咳払いをした。

「深鳥さんは血忌みのため舞手を降りました。不肖ながら僕が今日は女手を務めます」

 周りの人々は一瞬きょとんとしたものの、

「お、そーが、きばれ」

「おしょすな! 若!」

「めんこいど!」

 次々襲い来る矢から逃れるように、そそくさと聡は戻っていった。


 騒がしいその傍らで残る人々も作業の手を休め、快晴から配られた杯を交わしだした。

 背を丸めた一人がしゃがれた声で言った。

「あの娘っこは血忌みだど」

 もう一人が顔を近づけて言った。

「だがら風さ紡げながったべ?」

 とうに酔いつぶれていたのか、泣き出す者もいる。

「おらたずが守ってきたでねが。なして余所者なぞに譲らねばなんね」

「風の神さに申し訳ねえな」


 その時、誰かがぼそっとつぶやいた。

「…………雛さ差し出せば?」

「!」

 その場にいた者が顔を見合わせた。ごくりと息を吞む音が聞こえた。

「そったな迷信」

「だな、もう雛なんて居ねえもんな」

「んだ、ひぃななんてもん、おらたずの子供(わらす)の時分にあったがどうがだ」

 一人が急に思い出したように隣を肘でこずいた。

「ほれ、狩野のじっさまの」

 再び皆顔を寄せ合って、じっさまを盗み見た。

「そいや、じっさまの妹が最後の――」

 敷物の隅でじっさまは出来上がった(ぬさ)をおもむろに振っている。




 日も落ち、飾り付けも一段落したところで、笛の音が響きだした。心残りはあるだろうが、さあ、もう祭を始めよう。そう促すような音色だ。

 太鼓も加わり、神楽が調ったところで、人が宮司の周りに集まり出した。宮司も杯を満たしながら、周りにねぎらいの言葉をかけ、総代と冗談を交わしたりしている。

 皆晴れやかな表情で、各々の刺繍衣で正装して。


 いつもの祭となんら変わらなかった。悪いことさえ冗談で笑い飛ばしている大人達に、聡は戸惑いと尊敬を同時に抱く。

 祭は神と人の遊び。楽しくなければ神は現れたりしない。

 唄い、踊り、食べ、酒を飲み、語らう。年に数回のハレである祭に、短い生を謳歌する人間達の、魂の灯を見に神はやってくるからだ。

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